第2章 個人ランクAの指南【1】
「ああ……今日も良い朝ね」
朝食を終え、バルコニーで優雅に紅茶を飲む。オルディンは気候の安定した土地で、朝の涼やかな風をリーフェットも気に入っていた。温かい紅茶をゆったりと楽しむ。この時間が、リーフェットにとって最も心の落ち着く時間だった。
はずなのだが――。
「リフ! 冒険者ギルドに行くぞ!」
激しい音を立てて大窓が開かれる。そのうち蝶番が外れてしまうのではないかという危惧とともに振り向いたリーフェットに、ディランが明るい笑みを浮かべる。
「ディラン……。あなたと私は幼馴染みだけれど、成人した大人よ」
「ん? ああ、そうだな」
ディランはリーフェットの言葉の真意を理解しきれていない様子で、まだにこにこと微笑んでいる。リーフェットは重い溜め息を落とした。
「女性の家にノックもなしに入って来るのは失礼だわ」
「そういえば昔、リフが着替えているときにドアを開けて半殺しにされたな」
「その経験を覚えているのに、なぜ学習しないの?」
リーフェットの溜め息はディランには聞こえていないらしい。ディランは相変わらずあっけらかんとしている。
「リフが気を付けてくれるかと思ってな」
「なぜ自分の家で襲来者を自分が警戒しなければならないのよ」
ディランにこういった話は通用しない。昔からそうだった。
「そんなことより、ギルドに行くぞ」
「はあ……。うちのギィドのほうがもっと話を聞けるわよ」
元子爵家で飼っていたもふもふのギィド。いまは兄が面倒を見ているはずだが、元気にしているだろうか。またあのもふもふを堪能できるといいのだが。
* * *
冒険者ギルドに行くと、入り口の前で他の三人が待っていた。ディランほど気力充分という様子ではなく、なんとなく、ほんの少しだけ憂鬱そうな表情をしている。それは当然だ、とリーフェットは考える。これから彼女の厳しい特訓が待っている。駆け出し同然の彼らにとっては、それはそれは険しい訓練となることだろう。
「おはようございます、リーフェットさん」
ライカが優しく微笑みかける。唯一の同性である彼女だけは、リーフェットに親しみを見出しているようだった。
「今日も……その、普段着のようですけど……ドレスで冒険に出るのですか?」
リーフェットは昨日も今日も、普段着用の質素なドレスを身に着けている。実家が没落したとはいえ、リーフェットは貴族である。平民が着るような気軽な服装で過ごすことは、少しだけ抵抗があったのだ。
「私が戦うわけではないもの。サポートもしないし」
「そうですかー……」
とは言っても、リーフェットはこの服装で充分に戦えると自負している。冒険者の頃は軽装の冒険服を身に着けていたが、いまはもう冒険者ではない。
「そういえば」ヴェラが言う。「リーフェットさんとディランが幼馴染みなのはわかったけど、どうしてリーフェットさんを指南役にしたの?」
「リフは元勇者パーティの一員で、個人ランクAだからな」
なんでもないことのように言うディランに、三人は一様に目を丸くする。ディランはそこまで話していなかったようだ。
「じゃあ」と、ダン。「半年でパーティランクSに……?」
「魔王復活がパーティ結成から半年後だったから仕方なかったのよ」
当時のことを思い出すと、よくあれだけの特訓をこなして来たものだ、とリーフェットは自画自賛する。リーフェットの所属していたパーティはランクDから始まった。そこから半年でランクSまで上り詰めたことは、いまでも伝説として語り継がれているらしい。リーフェットとしては、高い志があって特訓していたわけではなく、そんな伝説には興味がなかった。
「そういうわけで」リーフェットは腕を組む。「一切、手を抜かないわ」
「は、はい……」
三人が怯んだ表情で頷く。その中で、ディランだけが朗らかに笑っている。これから厳しい特訓が待ち受けているのだが、それについて深く考えていないような表情である。ディランは昔からこうだった。自分の周囲で何が起きるか、それを考えていないのだ。だが、ディランはその押しの強さですべてを解決する。そういう男なのだ。
冒険者ギルドでは、当然にリーフェットが依頼を決める。いまの彼らに任せていては、またランクCの依頼を選び兼ねない。そもそも、冒険者ギルドにおいて受ける依頼は自パーティよりひとつ下のランクというのが一般的だ。無理なく達成する。それが冒険者界の常識なのだ。
「今回はこれね」
リーフェットは依頼書を手に取り、受付カウンターの女性に差し出す。この町に来てから友人になった職員のアンネリカだ。
「はーい、受付完了よ。気を付けていってらっしゃ~い」
「さ、行くわよ」
受付の判子が捺された依頼書を受け取り、リーフェットは冒険者ギルドを出る。それに続いたライカが、駆け足になりながら言った。
「今回はなんの依頼を受けたんですか?」
「これよ」
リーフェットはライカの目の前に依頼書を突き付ける。他の三人もそれを覗き込むと、ダンが顔をしかめて声を上げた。
「グリーンウォンバットの討伐!?」
「それもたった十五体?」
ヴェラも不満そうな表情になるので、リーフェットは何度目かわからない溜め息を落とした。
「ポケットラットも討伐できなかったくせに、その文句が通るとは思わないでちょうだい」
彼らはまだ、自分たちの実力を過大評価している。昨日のポケットラット討伐を自分たちで完了することができなかったことは、都合良く忘れているらしい。ポケットラットとグリーンウォンバットは同等ランクの魔獣で、ギミックバットと合わせて最下位御三家と呼ばれている。討伐できなければ話にならないのだ。
そう、話にならないのだ。
勇者パーティ候補の四人が、グリーンウォンバットを追い駆けて息を切らせている。攻略に出てから、すでに十五分が経っている。それでもたった三体しか討伐していない。リーフェットは溜め息が止まらなかった。
「集合!」
リーフェットが軽く手を挙げると、四人は肩で息をしながら彼女のもとに集まる。これが勇者パーティ候補から外されていないのがリーフェットには信じられなかった。
「あなたたち、連携というものを知らないの?」
四人は息も絶え絶えで、返事をすることもできない。もしくは、返す言葉がないのかもしれない。
「動きの素早い魔物を倒すには、まず魔法使いがそれに追い付くために速力強化の魔法をかける。従魔術士は従魔を使って索敵、すぐ前衛に指示を出す。指揮を執ると言ってもいいわ。前衛は索敵をもとに素早く討伐。とにかくこれの繰り返しよ。グリーンウォンバットのような斬撃が効く魔獣はこれが基本的な戦術になるわ。わかった?」
「はっ、はい!」
早口で捲し立てたリーフェットに、四人は姿勢を正して返事をする。返事だけはいいのだが、とリーフェットはまた溜め息を落とした。
リーフェットのもとでライカの回復魔法を受けたあと、四人はまたグリーンウォンバットの討伐に向かう。グリーンウォンバットが最下位御三家と呼ばれる理由のひとつに「のん気」という特性がある。グリーンウォンバットは、周囲で人間が暴れていても逃げないのだ。よほど賢い個体でなければ、自分たちの敵であることに気付かない。だからこそ、これほど苦戦してしまっては話にならないのだ。
それでも、四人がコツを掴むのは早かった。たった三体に十五分かかっていた四人だが、残りの十二体はニ十分ほどで討伐完了した。それでも、リーフェットから見れば時間がかかりすぎである。
グリーンウォンバットの討伐依頼の完了は、爪をひとつずつ集めることで申請できる。十五個の爪を袋に詰め、四人は期待のこもった目をリーフェットに向けた。リーフェットは小さく息をつき、肩をすくめる。
「及第点ね。これくらいで満足しちゃ困るわ。午後はまた別の依頼を受けに行くわよ」
「一日にふたつも依頼を受けるのか!?」
目を丸くするディランに、リーフェットは目を細めた。
「当然でしょ。グリーンウォンバットは下位魔獣の中でも最下位。倒せて当然なのよ」
「うへー……」
ダンが肩を落とす。ライカとヴェラも疲労困憊といった様子である。
「褒めて伸ばすなんて甘い教育はしないわ。わかったら、さっさとギルドに戻る! 私は先に戻って午後の依頼を選んでいるわ。三十分、経っても戻って来なければ、見放すと思いなさい」
リーフェットは吐き捨てるように早口で捲し立て、自分だけに転移魔法をかける。ライカが使えないことは把握済みだが、彼女も遠くないうちに使えるようになる。だが習得するまでのあいだ、リーフェットを頼りにされるわけにはいかないのだ。
冒険者ギルドの前に降り立ち、リーフェットはドレスの裾についた砂埃を払う。彼らがあまりに走り回るものだから、リーフェットにまで砂埃が飛んできた。冒険者の頃は気にしていなかったが、さすがにドレスが汚れるのは不快なものだ。
溜め息を落としながらギルドの扉を開けたリーフェットに、あー、と間延びした声がかけられた。
「リーフェットちゃん、おかえり~」
受付嬢のアンネリカだ。リーフェットがこの町に越して来る前、勇者パーティにいた頃からの知り合いで、こうして親しく声をかけてくれるのだ。
「ディランは絶対にリーフェットちゃんを頼ると思ってたわ~」
アンネリカはのほほんと笑う。ディランのパーティはこの町を拠点にしている。彼らのこともよく知っており、リーフェットがディランの幼馴染みであることはディランから聞いたようだ。
「ええ……せっかくスローライフを送れると思ったのに」
「家督のない人の特権だったのにね~。他の家族はどうしてるの?」
「みんな、自由にやってると思うわ。お父様は細かい事務仕事が残されてるし、お兄様は婿入り先の領地経営をしているでしょうけれど」
「リーフェットちゃんと、お母様と弟くんは自由気まま?」
「ええ。特に私は勇者パーティで頑張った分、手助けはしないわ」
没落後、母から不定期的に手紙が届く。手紙には母と弟が辺境で隠居生活を楽しんでいること、父は事務仕事が終わらないと嘆いていること、兄が義父とのギクシャクした関係で思い悩んでいることが書かれていた。だが、母は少し話を大袈裟にする癖がある。おそらく全員、平穏にやっていることだろう。
「魔王討伐の報酬で領地を立て直せたのはよかったね~」
「そうね。それでもお釣りが来たのだから、みんな、満足な生活を送れているはずよ」
「でも、報酬のために勇者パーティに加入して本当に魔王を討伐しちゃったんだからすごいよね~」
アンネリカはなんでもないことのように笑っているが、リーフェットが所属していた勇者パーティは、名実ともに勇者である。国の要望に応え、魔王を討伐した。ただそれだけのことだが、リーフェットは充分な報酬を受け取った。リーフェットはそれで満足だった。
そのとき、入り口のドアが開くと同時に四人が転がり込んで来た。倒れたまま激しく呼吸を整えるのは、ディランたち四人だった。
「遅い!」
リーフェットがカッとヒールを打ち鳴らすと、ひい、と四人は息を呑む。
「さっさと昼食を済ませるわよ。午後は別の依頼を受けるわ」
「はっ、はい~!」
四人はすでに、リーフェットの言うことに逆らう言葉、それどころか気力すら失っている。それが信用の証だとリーフェットは取るが、果たして本当にそうか、それはこれからの彼らの働きで証明してもらうほかないだろう。




