第222話:てぇてぇ2
――あれから少し時間が経った後、ママは小さめで縦長のタオルを手渡してきて、
「それじゃあ、今から朝ご飯の準備をするから、その間にソウジちゃんは洗面所で顔を洗ってきちゃいな」
「ん」
ただ一言そう返しながらタオルを受け取ったはいいものの、今の身長では洗面ボウルに顔が届かないのは勿論のこと、子供用の踏み台がしまわれている棚にも手が届かない。
そのため、さすがの俺でも、ここは素直にリーナ姉かエメさんに付いてきてもらおうと思い、視線を彼女達の方へ向けながら、右手を斜め上へと差し出した。
すると、すぐにこちらの意図に気が付いてくれたのだろう。
俺が珍しく素直に助けを求めたためか、嬉しい、幸せという感情が溢れ出している二人は、俺と手を繋ぐためにスキップ交じりの一歩を踏み出した。
その瞬間――
今までのママからは想像もできないほど冷たく、怒気をはらんだ声で、
「ソウジちゃんのことを何にも分かっていないあなた達二人は、黙って私の後ろで朝食の準備を見ていなさい。まったく、よくそれでこの子の姉と専属メイドを名乗っていられるわね」
「あーあ。これはルリアちゃん、完全に本業モードになっちゃったやつだね。ということで、ソウ君は私と一緒に顔を洗いに行こっか」
さすがの母さんでも、先程までの一連の出来事に関しては茶々を入れてはいけないという気持ちがあったのか、珍しく黙っていた。
かと思えば、しっかりここぞとばかりに行動を起こすのだから、さすがとしか言いようがない。
なんて、自分の母親の抜け目のなさに感心していると、もう一人の母親ことお母さんが、呆れ顔を浮かべながら小声で、
「どの口が言っているのやら」
と呟いた。
しかし、ちゃんとそれを聞き逃さなかった母さんは、
「ん~、レミアちゃん。その意味ありげな言葉は、一体どういう意味かな~?」
「別に。いつも通り王城でメイドの仕事をしていたにもかかわらず、エメの魔力を感じた瞬間、今にも人を殺しそうな目をしながらここに転移してきた挙句、その子を見つけるや否や、顔を思いっきり引っ叩いたどこぞのメイド長様が、何を言っているのやら――なんて、微塵も思っていないから安心しなさい」
あー、多分これ、俺の知らないところで少し前にも同じようなことがあったな?
そして、もしかしなくても、その時は立場が逆だったが故に、ここぞとばかりにお母さんが仕返ししているってところだろうな。
「へー。ユリーちゃんの時は怒りで頭が一杯になっていた人が、よく言うじゃん」
ほらな?
ちなみに俺は、自身の家庭環境が故に、他人の喧嘩を目の前で見せられるのが大っ嫌いを通り越して、精神的苦痛であると言っても過言ではない。
しかし、こういった揉め事? 女同士の戦い? みたいなものには、特に反応しないらしい。
考えられる一番の理由としては、嫌悪感よりも呆れが勝っているから……なのだが、これは違う気がする。
なんというか……この二人の喧嘩には、安心感があるような……。
って、今はそんなことを分析している場合じゃねえ‼
なんでかは分からないが、このまま放っておいてはいけない気がする。
そんな結論に至るような記憶は一切存在しないはずなのに、俺の脳は先程から危険の警告を発し続けている。
そのことに若干困惑しながらも、自身の第六感を信じ、母さんの手を思いっきり引っ張りながら、
「いい大人が、自分の子供と手を繋いだまま喧嘩なんてしてんじゃねえよ! ほら、早く行くぞ!」
しかし、この選択は悪手だったらしい。
その証拠に、先程までの怒りはどこへやら。
目線を合わせるためなのだろう。
いきなりしゃがみ込んだかと思えば、不貞腐れた表情でこちらを見つめながら、
「あーあ。ソウ君まで、私のことそんなふうに言うんだ? 私の可愛い息子君にまでそんな扱いされちゃうなんて……。どうせソウ君は、ママよりもレミアちゃんの方が好きなんでしょ?」
「はあ? なんでそうなるんだよ?」
「だって、私達の喧嘩を止めようとした時、レミアちゃんじゃなくて私のことを部屋の外に出そうとしたもん。それって、ソウ君はレミアちゃんの方が好きだから、ああやって私を悪者にして庇ったってことでしょ?」
「なわけあるか、馬鹿が。この俺が嫌いな人と手なんか繋ぐわけねえだろ。分かったら、早く洗面所に行くぞ」
なんだか母さんに誘導されている気がしないでもないが、ここで何もしなければ事態が動き出さないことも事実なわけで。
取り敢えず、これで大人しく元に戻ってくれればいいな、くらいの気持ちで説得を試みたものの、
「本当? じゃあ、ママのこと好き?」
「………………」
「……ソウ君?」
こりゃあ、自分の正直な気持ちを伝えない限り、絶対に前へ進まないやつだな。
そんな結論に至った俺は、渋々ながらも母さんの右耳へ自分の口元を運び、誰にも聞かれないよう、そこを両手で覆ってから小声で、
「アンヌママのことは、リアと同じくらい……好き……だよ」
こちとら実の両親は勿論、リア達婚約者組にだって、こんな恥ずかしいことを言ったことなどないというのに、
「………………えっ?」
言われた――というか、言わせた本人は、
あまりの衝撃からか、言葉が出なくなっているどころか、完全に固まってしまった。
……のも束の間。
「私もソウ君のこと、大大大、だーい好きだよ~♡」
しおらしかった時間など、一瞬も一瞬。
不貞腐れモードからのメンヘラ、そして今度は溺愛ママモード――もとい、いつも通りの母さんに戻ったかと思えば、真正面から勢いよく抱きしめてきた。
そんな光景を実に面白くなさそうに見ていたお母さんの視線に気が付いたのだろう。
母さんは非常に満足そうな表情を浮かべ――
(これで、この間レミアちゃんがソウ君にほっぺたちゅーされた件は、チャラにしてあげる)
おそらく、魔力の波長的に、この二人は念話を使用しているのだろう。
しかし、生憎今の俺は、リーナ姉のせいで魔法が使えないため、盗み聞くことができない。
(ちゅーの件って、あなた未だにあの時のことを根に持っていたの? 嫉妬もここまでくると、逆に自分の息子への愛情が嘘偽りのない本物だという証明になって、いいのかもしれないわね)
まあ、この人達のレベルになると、さすがの俺でも、そう簡単に盗み聞くことなどできないのだろうけど。
* * *
結局、二人の間でどんな会話が行われていたのかは分からないが、無事何事もなく顔を洗い終え、母さんと手を繋いで再びリビングへ戻ってくると――
砂糖とバターが混ざったフレンチトースト特有の甘い香りと、それとは対照的な、香ばしい焼き醤油の匂いが部屋中に広がっていた。
「あっ、おかえり~、ソウジちゃん。今ちょうどテーブルに並べ終わったところだから、冷めないうちに食べて……じゃなかった。さっき、ママと半分っこするって約束したもんね~? ほら、ソウジちゃん、おいで~。ママのお膝の上で一緒に食べようねぇ~」
「なんでそうなる? あと母さんは、絶対にこの手を離さんと言わんばかりに力を強めてくるのをやめろ! てか、目が怖い‼」
「あはは。ソウジちゃんの言う通り、アンヌの目、今にも人を殺しそうなくらい怖~い。正真正銘、ただのメイドに過ぎない私に向かって、そんな視線を向けないでくれるかな?」
「んっ⁉ ちょっと待て! 正真正銘、ただのメイドに過ぎないって、まさか――」
「うん。そのまさか。ママって、生まれつき魔法の才能はおろか、魔力もほとんどないし、戦闘面でもからっきしだから、本当にただのメイドなんだよ。……だ・か・ら、もしもの時は、ソウジちゃんが私のことを守ってね♡」
ママによる、母さんだけではなく、この場にいる女性陣全員への挑発じみたこの発言が、新たな戦いの火蓋を切ることになったのは、言うまでもないだろう。




