第三章 金田誠二の能力
第三章 金田誠二の能力
ようやく、正常に戻った金田は、そのまま、田中江美を自宅に連れて行った。
丁度、父親は往診に出かけており、母親が顔を出して田中江美を最高級の褒め言葉でもてなしてくれた。
口数の多い母親を台所に置いて、金田と田中江美は、金田の部屋へ入った。
田中江美が、金田の自宅に来たのは、4月以降3回目であった。
ここで、田中江美は、確信した。
金田誠二が、どういう理由かは分から無いが、既に天才的頭脳を有している事をである。もしかしたら、神童といわれながらも自殺してしまった誠二の兄の血が、誠二に乗り移ったのかもしれない、と。
それは、金田の部屋の小さな机の上に置いてあったレポート用紙を見て、更にその思いは強くなった。
数々の複雑な数式が並んでいた。それは中学生ではまだ習っていない、微分や積分等々の数式、それに複雑な化学式の羅列であったからだ。これだけの数式を、中学生レベルの人間が解ける訳もないのだ。
田中江美の直感は当たっていた。この時点で、既に金田誠二は、高校生レベル以上の、数学や物理・化学等々の知識を有していたのである。
ところで、一般に記憶には、短期記憶と長期記憶があるとされている。
よく、書店に並んでいる『1週間で覚える英単語 3,500語』などと言う本(仮称)には、語呂合わせや、連想記憶法や出題頻度等々を駆使し、英単語をさも簡単に記憶できるように書いてある書物がある。
しかし、これを逆算すれば1週間で 3,500語もの英単語を覚えるには、1日最低 500語もの英単語を無理矢理覚えなければならない事になる。
このように全く意味の無いような、ただテストに合格するだけのための暗記では、それは長期記憶を司る大脳の海馬部分にまで当該記憶が残らないのである。
この場合は、短期記憶として大脳の新皮質のどこかに、わずかにしか残らない。そうなると仮に1日に 500語の英単語を無理に覚えても、次の日にはその1/2を忘却、更に、その次の日には前日の1/2を忘却してしまい、結局、1週間後には、最初に覚えた英単語 500語のほとんどは忘れている事になる。
これを防ぐには、最初に英単語を 500語を覚えたら、次の日に再度復讐し、特に、大脳の短期記憶領域から、抜け落ちていった英単語を再び覚え直すしか道は無い。
これを逆に言えば、先ほどの『1週間で覚える英単語 3,500語』に書いてあるような、1日 500語の英単語×1週間= 3,500語語が記憶できるとする計算は、脳科学や心理学的には完全に間違っている事になる。
本気で1週間で 3,500語の単語を覚えようとするならば、
1日目は 500語の英単語の暗記、
2日目は 500語の英単語の暗記と前日の500語の再暗記、
3日目は 500語の英単語の暗記と前々日の 500語の再暗記と前日の 500語の再暗記が必要と言う事になるが、これはもう無限地獄の繰り返しを意味しており、凡人には到底不可能な話なのだ。
だが、金田誠二は既に常人とは完全に違っていた。たった一回の読書で、全ての文字が長期記憶部分を司る海馬部分に記憶されてしまい、決して忘れなくなっていたのだ。
特に、数学において金田の能力は群を抜いていた。一つの数学の問題と解答を暗記してしまえば、似たような問題に対しては、彼の頭の中で以前に覚えた、たった一門の問題の回答から類推推計して、瞬間的に回答にまで辿り着けたのである。
金田の部屋の中での田中江美の、金田を見る目付きは、単なる憧れから尊敬へと変わっていた。その瞳は輝いていたからだ。
「やばい!」と金田は感じた。何故だか、やばいのだ。
金田には、亡き兄の意志を継いで医学者になり、死んだ人間を蘇生すると言う大目的があるのだ。今、その夢の実現に向けての中長期的なプランも頭の中にある。
で、田中江美は、金田の狂気じみた夢の中身までは知らないが、確実に自分の大脳の変化を知っているのだ。
金田は、口封じの意味もあって田中江美に強制的にキスをした。お互い、初めてのキスだったが、金田はそう興奮する事もなく、唇を合わせていた。
その時である。
「人体蘇生の最初の実験台こそは、田中江美だ!」と言う考えが自分の頭の中に何故だか響いた。
「何ちゅう恐ろしい考えだ!俺は、鬼か!」
しかし、金田には、やがてそれが当たり前のように思えてきたのである。自分の恋人であって、自分の隠された秘密を知っているのは、今、唇を合わせている田中江美しかいないのだ。
……どこかが、完全に狂った考え方であった。だが、飛躍的な進歩を日々遂げていく金田誠二の頭脳には、その狂気に近い思想が、狂気だとして、全く認識できなかったのである。
特に、この点をこの駄文を書いている筆者である私は強調したいのだが、今まで、交通事故後のあと、何度も訳の分からない妄想や幻覚を見る事があって、それを払拭するのに、大変な心理的力を要した事は事実である。
しかし、かような妄想や幻覚に襲われながらも、金田自身の心の頭の奥深い所では、それは妄想や幻覚である事を、ハッキリと自覚していたのだ。
他に例えて言うならば、神経性頭痛に悩んでいる患者さんのようなもので、確かに頭痛は襲っては来るものの、脳内そのものに脳内出血とか脳梗塞とかは起きてはいない、つまり機能的な症状はあっても器質的な症状は無い事を、本人は、キチンと区別して理解していたのだ。




