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メランコリック・ヴァンパイア  作者: しーやん
第一章 目覚め編
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吸血鬼の過去~1801年~

「ヴラド・シルヴェストリ!そんなところで何をしてるの!?」


 夜風にあたりながら、綺麗に整えられた庭園を眺めていると後ろからいきなり怒鳴りつけられた。


「べつに」


 テラスの手すりに手をついて顎を支えながら適当に返事をする。


「もぉ!今日はあたしのナイトでしょ?もう少し付き合ってくれてもいいんじゃない?」


「ナイトってアンタが騙して連れてきたんだろう。俺に付き合う義理はない」


 そう言って振り返ると、腰に両手あててむくれた顔をするアナスタシアと目が合った。


「いいえ、これはれっきとした仕事です!義務なんですー!!」


 俺じゃなくてもいいだろうに、とヴラドは思ったがこの人には何を言っても通じないだろうと声に出さなかった。


 ヴラドが強制参加させられているのは、とある貴族の晩餐会だ。晩餐会と言っても規模が大きく、用意された料理や楽団は豪華なものだ。それもこれもこの年、この国がめでたくイギリスとしてまとまったことが理由だろう。みな祝いの席と称してあらん限りの贅を尽くし、自己の裕福さを誇張しているのだ。より盛んになる奴隷貿易と機械を使うことでさらに生産性が増してくるであろう産業に、この国の資本主義者達はさらに私腹を肥やして行く。


「なにが仕事だ。こんな所はやく出ようぜ?人間が人間を売って得た金で遊びほうけているなんて俺には理解できねえ」


「それを言うなら、あたし達だって似たようなものじゃない」


 アナスタシア・コトフが率いているカルディアは、五人の吸血鬼で成り立っている。自分たちの種族をより安定して存続させるために結成された、言わば自治組織だ。彼らは皆他の吸血鬼よりも優れた能力を持っている。魔力量だけでみてもずば抜けている。よって彼らはその力を使って、勝手気ままに必要以上に人間を殺したり、多種族と争ったりしている仲間を粛清することが仕事だ。おかげで吸血鬼は着々と数を増やしつつ、安定的な生活を送ることができていた。


「そりゃ仲間を狩ってるが、それはまず違反した奴らが悪いだろ!人間と一緒にするな!」


「あたし達が仕事を引き受けなければ、力の弱いもの達は生きていけないわ」


 カルディアができてしばらくして、吸血鬼を狩る吸血鬼の噂は他の種族や人間にまで広まった。その強い力を借りようと、様々な取引で持って彼らを利用しようとするものが増え、食料と縄張りの確保のために彼らはこの闇の世界の番人と化していた。


「あたし達がこうやって人間の問題を解決してあげるからこそ、弱くても生きていける吸血鬼がたくさんいるのよ」


「……わかったよ」


「よし」


 渋々納得するヴラドにアナスタシアは笑顔で大きくうなずいた。深紅の長い髪が揺れて、ロウソクの火がキラキラと反射する。


「どう、似合う?今日は張り切って巻いてきちゃいましたー!」


 ヴラドの視線に気付いたアナスタシアが微笑む。その表情はあどけないが、彼女はヴラドよりも長く生きてきた偉大な吸血鬼なのだ。


「ああ、まあ……」


「なによそれ!?お世辞でも似合うとか可愛いとかいいなさいよ!!」


「……似合うよ」


 そっぽを向いてつぶやく。こんな不器用なヴラドにも、彼女は本当に嬉しそうに微笑んでいる。


「失礼。コトフさんですか?」


 他愛無いやり取りをしていると、室内から声をかけられた。


「はい、そちらは?」


「私はエドワード・ウェストともうします。仲介役として参りました」


 上流階級ならではの丁寧すぎる言葉遣で、特別に仕立てたであろう上品な燕尾服の青年が真っ青な顔で立っている。


「仲介?なんだよ、仕事頼んでおいて本人は顔も見せねーのか?」


 ヒッ、と息をのむエドワードに、ヴラドはあきれた顔をした。


「お前、怖がり過ぎ。べつにとって食ったりしねーよ」


「ちょっと!そんな言いかたしたら余計に怖いでしょ!」


「い、いえ、そんなことはありません!!その、本当に吸血鬼なのかと未だに信じられないだけで……」


 エドワードはおそるおそる話す。アナスタシアは声を上げて笑った。


「アハハ!そんなに硬くならないでよ!コイツはいつも怖い顔をしているの。気にしなくていいわ」


「はあ!?」


 アナスタシアがあまりにも適当なことを言って笑うため、つられてエドワードも微笑んだ。まだまだ堅苦しくはあったが。


「で、その依頼者って?」


「は、はい!あまり大きな声では申し上げられませんが、先日連合王国国王になられました……」


 連合王国国王とは世界の経済の中心であるこの島国一帯の国王、つまり世界を牽引する王だ。


「うそー!?ほんと??あたし達も有名になったわね!!」


 アナスタシアはその場で小躍りしそうだ。


「うっせーな。たかが人間の国王じゃん。俺らにとってはただの人間んと変わらんだろ」


「えー、ただの人間じゃないよ?あたし達がちょこっと本気にならないとお会いできないくらい警備されてる人間だよ」


「そりゃそうだけど」


「ゴホンッ」


 二人の冗談にエドワードは気を悪くしたようで怯えながらも険しい表情だ。


「あ、ごめんね!別にホントに侵入しようとかは思ってないから」


「今のところはな」


「……そ、それでですね、依頼の方なのですが」


 エドワードが手に持っていた袋の口を開けてそっと何かを取り出す。


「こちらの品をご存知ですか?」


 取り出されたものが何かわかった途端、ヴラドもアナスタシアも一歩後ずさりした。一見ただの透明なガラスの玉なのだが。


「間違ってもこっちに投げんなよ。そんなことしたら間違いなく殺すからな」


 この品の危険性は言われなくてもわかっている、と言いたげにエドワードはガラス玉を持つ手に力を入れた。といってもまだ噂でしか聞いたことはないが。


「これはなんなのです?ここ数日続いている失踪事件に関係があることはわかっているのですが……」


「ああ、白い閃光と爆風に巻き込まれた人間が突然姿を消すってやつだろう?」


「はい。どれだけ調べても、なんの証拠も出てこないもので、国王様も案じておられます」


 ここ最近、ロンドンで人が消える事件が多発していた。共通しているのは白い閃光と爆風。これに巻き込まれた人物だけがその場から消える。場所も時間も、老若男女、どんな職業でも関係なくその爆発に巻き込まれれば跡形もなく消えてしまう。


「唯一現場に残っているのはガラスの破片だけなので、最初は無関係のものだと思われていました」


 ヴラド達もこの噂は知っていた。そして人間にはわからない共通点も。


「それ”聖女の涙”よ」


 アナスタシアが言った。


「”聖女の涙”?」


 怪訝な顔でエドワードは聞き返す。


「そうだ。死ぬまで神に仕えた汚れない女の血と、産まれたばかりの女の赤子の最初の涙を、勝利したものに冠された月桂樹の葉で混ぜながら決まったルーンを唱えるとできる魔術師のおもちゃみたいなものだ」


「……?」


 エドワードは聞いたことのない単語ばかりで混乱した。アナスタシアが溜息をついて補足する。


「要するに、魔法の小道具みたいなものなんだけど。これがまた嫌な品でね、それに触れるとあたし達は死ぬのよ」


 ヴラド達だけが知っている共通項。それは、聖女の涙の使い道だ。それを最初に作ったのは大昔のプラハの魔術師だ。魔術師と言う生き物は、自分の知識と知恵とギャンブルが好きだ。一人の魔術師が、三日三晩でどれだけバケモノを倒せるか賭けよう、と言ったのが初まりだったとヴラドは記憶している。


「これはね、あたし達を面白半分で虐殺するために作られたものなのよ」


「ということは……」


 エドワードはそこで気付いた。アナスタシアが言ったことが本当なら、この事件の被害者は……


「お前が想像した通りだ。被害者はみんな人間じゃない。人間に紛れて平凡に生活してる害のないバケモノさ」


 ヴラドもアナスタシアも、聖女の涙が出てくるとは思ってもみなかったが、吸血鬼や人狼、妖精や天使に悪魔、それぞれから突然姿を消すものが多発していることを知っていた。


「だからいつか俺らが手えださなきゃなんねえ案件だったわけ」


「ところで、どうして国王がこの事件の解決依頼を?」


 ヴラドもそれは気になっていた。どの国家の王室も古来より人ならざるものの存在を知っていて黙認してきた。お互いに共存するため、関わらないことが暗黙の了解だったはずだ。ときたま大金を積んで仕事を依頼してくる人間はいたが、あくまで個人的にだ。


「国王様は人も、人ならざるものも平等に平和が訪れることを望んでいらっしゃいます。そして現在、その平和を実現するだけの力を持っているのは、この世界であなた達だけですから」


「そう、あたしも平和は好きよ。そのためなら強力を惜しまないわ」


「そ、そうですか」


 エドワードは心から安堵の表情を浮かべる。


「でも、もし世界平和を乱すようなまねをしたら容赦しないからね!」


 にっこり微笑むアナスタシアにエドワードは恐怖した。それは狂気にも似た笑みだったからだ。たとえ国王でも殺しかねない、そういう恐さがあった。


「で?俺たちは何をすればいい?ここに呼び出したのにはわけがあるんだろう?」


 この晩餐会がただの晩餐会ではないことは、馬車がこの屋敷の前に止まったときから気付いていた。微弱なものだが禍々しい魔力を感じたのだ。会場に入るとそれはそこかしこから感じ取ることができた。


「はい、それが、ここで骨董品の闇市が開かれていると情報がありまして……」


「骨董品って、呪具的なヤツのことね」


 その魔力のもとは、この会場にいる少数の人間が身につけている装飾品だ。そういったものは、世界各地のどこにでもある。それを売買する人間もたくさんいる。価値を知ってか知らずかはわからないが、金持ちというものは珍しいものが好きだ。そして闇取り引きも同じくらい好きだ。こうして表向きは晩餐会となっているが、その裏で非合法の商売をしているなんてことは日常茶飯事だった。


「このガラス玉は、昨日匿名で私のもとに送られてきたものです。一緒に”連日の失踪事件について知っていることを話す。明日、ハロルド子爵の晩餐会で会おう”とメッセージがついていました。子爵について調べると、ここで曰く付きの骨董品の闇取り引きが行われると……」


「そいつは来ていないのか?」


「わかりません。そもそも顔も名前も知りませんから。でも向こうは私が国王直近の従者だと知っているようです」


 ヴラドもアナスタシアも、その手紙の人物は殺されたんじゃないか、と思ったが言わなかった。あまりエドワードを怖がらせたくない。


「と、いうことで!!あとよろしくね、ヴラド!!」


「は?」


「あたしちょっと遊んでくるから!困ったことがあったら、遠慮しないでヴラドに言うのよエドワード」


 そう言ってアナスタシアはエドワードにウィンクしてみせる。


「あんたそれでも俺らのリーダーか!?」


「そう、だから下っ端に命令してんの。ちょっと遊んでくるからその間よろしくって」


 当然でしょ、という口調だ。ヴラドはこうしていつも仕事の大半を無理矢理押し付けられる。そして最後においしい所だけを持って行くのだ。


「た、たしかに俺が最年少だが……」


「ね、決まり!あ、行く前にこれは危ないから消しておくわね」


 アナスタシアがそう言うと同時に、エドワードが持っていたガラス玉が忽然と消えてしまった。


「え!?」


「相変わらず無理矢理だな……」


「だって触れないんじゃ仕方ないでしょ」


 アナスタシアは物質をその空間から消し去ることができた。本来魔力は自分の内側により強く反映される。よって強い魔力をもつ種族はみな長命で傷を受けても再生することができる。しかし、それを外に向けて使うとなると簡単なことではない。ましてや空間からそのものの存在を無かったことにするなど、現実的に不可能と思われている。それができるのは、ひとえに圧倒的な魔力量を誇るカルディアの一員だからといえばそれにつきる。その中でも、アナスタシアは一番の魔力量があり、さらに彼女には特別な力があった。その力が、彼女がカルディアを率いる所以でもある。


「ど、どうなったんですか!?」


「あんなものこの世に存在しない方がいいのよ」

 

 あっけにとられるエドワードにまたウィンクをして、アナスタシアは室内へと入って行った。


「はあ、また俺は雑用かよ」


 後には溜息をつきながら手すりから離れようとしないヴラドと、全く状況が理解できず不安な表情のエドワードが、落ち着き無くアナスタシアの消えた方向とヴラドの顔色を交互に伺っていた。


 次の日の朝早く、といっても時刻はすでに午前十時をまわっていて、労働者階級の人間が多く住んでいるこの辺りは市場の喧騒や道ばたで男達が怒鳴りあう声で賑やかだ。そんなヴラドにとってはかなり朝早いこの時間に、誰だか知らぬ不届きものが部屋をノックする音で目を覚ました。


「ヴラドさんのお宅はこちらでしょうか?」


 大きな声を上げてながら何度も何度もノックするのは間違いなくエドワードなのだが、ヴラドはことのほか寝起きが悪い。


「うっさい!わかったから入ってこい!」


 アナスタシアと行動をともにするようになって、彼女に”人間の気持ちを理解しなさい!”と訳も解らぬ命令をうけ、朝起きて夜寝る生活を送っていたが最近は昼夜逆転気味だった。エドワードはゆっくりドアノブをまわすと、これ見よがしにビビりながら部屋へ入ってくる。そこまで怯えなくてもいいだろうに。


「お、おはようございます……」


 エドワードは遠慮がちに声をかける。それからベッドに腰掛けているヴラドを見て驚いた。昨晩の上質なシャツとパンツスーツのままだ。


「ちょっと!そのままじゃないですか!?高価な衣服は大切に扱わないと、すぐダメになってしまいますよ!」


 大きな欠伸をするヴラドはまるで聞いていない。ヴラドにとってはどうでもいいことだ。


「で、なんの用だ?」


「なんの用って、昨日帰り際に約束したじゃないですか!明日迎えに行きますよって!」


 そんな約束をしたような気がするが、ヴラドは首を傾げると言った。


「……そうだっけ?」


「とぼけないでくださいよ!!」

 

 声を荒げながらエドワードは、昨日の夜とはまるで別人のようだと思った。昨晩は最初こそ取っ付きにくいところがあったが、あんなに愛想の良かった金髪碧眼の好青年はどこへやら。髪はボサボサ、目の下には隈ができている。


 昨夜の晩餐会でアナスタシアに取り残された二人は、とりあえず情報を集めるためにそこに集まっているたくさんの貴族と話をした。その時のヴラドは、相手の階級にあわせて有ること無いこと話を作り、上手く取り入ると聞きたいことを聞いてはまた次の相手へと話を振るなどそれはすごい能力を発揮した。ヴラドにとってはただの処世術の一つであり、別段すごいことは何もしていない。エドワードは吸血鬼なのに謙虚なんですねと、あまり嬉しくない褒め方をしたが本心からすごいと思っているようだった。


「ほら、はやく行きますよ」


「どこに?」


「情報収集ですよ!!」


 結局昨晩の闇市は、開かれてはいたのだがまがい物のガラクタばかりだった。魔力の宿った装飾品を身につけている連中は、全く以てその価値を知らないようだった。そのため有益な情報は何一つ得られなかった。


 それからしばらくして部屋を出た二人は、ヴラドのお腹すいたの一言で街の一角にある酒場に入ることにした。


「やあ、いらっしゃい」


 店に入ると太った女性が快活に挨拶してくる。ヴラドは片手をあげて返し奥のテーブルにつく。


「お前もなんか食えよ、金はいらねーし」


「いえ、私は大丈夫です」


 エドワードはこれ見よがしにそわそわしている。こんな労働者階級の店になんて来たことがないのだろう。


「はいどうぞ!」


 ヴラドが手を挙げると、女主人が焼きたてのパンとコーヒーを持ってきた。英国では輸入した紅茶が流行っていたが、ヴラドはあまり好きではない。単にハーブの香りが不快だからだ。


「今日はあの綺麗な女の人は一緒じゃないのかい?」


「ああ」


「捨てられないように気をつけなよ!」


「そんなんじゃねえよ」


 そうやっていると普通の人間に見えるので、これがまた不思議だなとエドワードは思った。


「吸血鬼もパンを食べたりするのですね」


 パンにバターを塗るヴラドを見てエドワードは言った。


「俺らが血ばっか飲んでると思ってんのか?」


 手を止めて睨む。


「あ、いえ……違うんですか?」


「アホか。血ばっか飲んでる訳にはいかねーだろ。こんなもの腹の足しにもならん。けど、アナが”一日一回は人間と同じものを食べるように”ってうるせーんだよ」


 アナスタシアはこうやってヴラドに謎ルールを押し付けていて、最初は反発したがいつしかかなわないと理解した彼はおとなしくしたがっている。男は女に口では勝てないと言うが、人間に限ったことではないらしい。


「でもお腹空いたって言ってましたよね?」


「……本当に空いてるわけないだろ」


 そうなんですか、と愛想笑いをするエドワードだ。エドワードにとってはヴラドもかなり意味の分からない存在だった。


「ところで、今日はどちらに?」


「そうだな、いいところがある。ちょっとそこで聞き込みしよう」


 そう言ってヴラドは立上がった。テーブルの上にはまだパンもコーヒーも残っているが、そんなことはお構いなしだ。


「いいんですか?残したうえにお金も払わなくて」


「はあ?いいんだよ。俺がいるだけで店が繁盛するんだ。逆に俺が金を貰ってもいいくらいだろ」


 店の前には女性の人だかりができていて席が空くのを待っている。彼女達はいつもヴラドを見るために集まっているのだが、そんなことを知る由もないエドワードは首を傾げるしかなかった。


 それから二人は目的地へとひたすら歩いた。途中、一軒の衣装屋に寄って新しく着るものを調達した。そこの店主はヴラドの姿を見るなり溜息をついて唸った。


「またあんたか。で、今日はなんだ?」


 明らかに覇気の無い店主を気にすることもなくヴラドは言い放つ。


「出来上がっているので構わないから、スェードのパンツとベストを、俺とこの冴えないやつに一着ずつ用意してくれ。もちろん二倍の金額を出してやる」


「わ、私もですか?」


 驚くエドワードに怪訝な目を向ける。


「当然だろう。そんな高え燕尾服なんか着てりゃ浮きまくるぜ」


 こうして衣装を新しくして二人はまたも歩き出す。ヴラドはどこからとも無く金貨が大量に入った袋を取り出すと、丸ごと店主に渡し、ついでにいらないからとエドワードの燕尾服まであげてしまった。店を出る頃には店主の表情も幾分穏やかだったことは言うまでもない。


 街を抜けた先には、中流階級が多く集まるカフェがあった。こうしたカフェには大抵社交クラブがあり、多くの噂話も飛び交っている。そして中流階級のものはより上、上流階級の噂話の類いが大好物だ。ヴラドはこういったカフェによく出入りしていた。これもアナスタシアがヴラドに科したルールの一つで、”人間にまぎれて暮らすために人間のことを勉強しなさい”ということだそうだ。


「なるほど、こういった場所に出入りしているからですね!」


「はあ?」


「昨日、あんなにロンドンに住む貴族や政治経済について詳しかったじゃないですか!」


「……」


 認めたくはなかったがこうして時々役に立つことがあるのだ。アナスタシアがそこまで想定しているのかは聞いたことはなかったし、これからも聞くつもりはないが腹が立つことこの上なかった。


 カフェには実業家や学生など様々な人物がいた。あのまま燕尾服で来てしまったら、きっとだれも近付いては来なかっただろう。エドワードの燕尾服は中流階級の人間には近寄り難く、高価で洗礼され過ぎていた。


「お前はしゃべるなよ」


「はい」


 ヴラドは念のために言った。エドワードは素直にうなずく。王室の小間使いの話す英語は、噂話をするには丁寧すぎるとエドワードも理解している。


「すみません、僕たち今度学生新聞を書くんです。そのために、今この国を支えている実業家の皆さんにお話を伺っているのですが」


 突然始まったヴラドの演技に、エドワードは緊張を隠そうと必死になる。なるほど、学生に成り済ますためにこの服に着替えたのだろう。それにしてもこうもあっさりと役作りができることに改めて驚いた。


「おお、学生新聞か。私も君たちくらいの頃はがんばって取材してまわったものだよ。いいだろう、なんでも聞いてくれ」


「ありがとうございます!」


 そう言って微笑むヴラドは人間などちょろいもんだと思っていたが、同時に何百年生きていても学生といって誰も違和感を感じない自分の童顔ぶりに嫌気がさす。成長しないので仕方が無いのだが。


 こうして最近のイギリスについて始まった話は、いつの間にか他の客まで入ってきて上流階級への不満へと話題を変えていた。それはベストなタイミングで挟まれるヴラドの相づちの結果誘導されていたのだが、誰もそんなことには気付いていないようだった。


「いろいろとありがとうございます。あと、このあいだ小耳に挟んだのですが……」


「なんだね?」


「上流階級で闇市が開かれているそうですが、何かご存知じゃないですか?」


 乗せられていることに気付いていない紳士達は笑顔で答える。


「もちろんさ。彼らのもとに入る商品のほとんどが、我々が取引して輸入している品なんだからね」


「そうだよ。我々がいなければ、彼らの豪華な調度品は手に入らない。ましてやそういった特別な品もね」


 そういう自分に酔いしれているのか、ヴラドはあきれて溜息が出そうになるが堪える。


「そういえば、こないだ面白い品が入ったと言っていた男がいたな。なんでもかなりの曰く付きで見た目はただのガラス玉なんだが、特別な力があるんだそうだ」


「私も聞いたよ。その男が吸血鬼やら人狼やら言うもんだから、付き合ってられなくてすぐに立ち去ったが、他にもいろんな人に同じ話をしていたようだよ」


「私の知り合いはその男と会うと言ったきり行方がわからなくなってしまったんだ」


 間違いなくそのガラス玉が”聖女の涙”だろう。そして消えたという人物は同胞か。うまく人間に紛れていて、”聖女の涙”を知っていたということはかなり年かさの吸血鬼だったのだろう。


「そうですか。面白い話をありがとうございました。最後に、その変な話をしていた人にはどこで会えますか?」


「ここからワンブロック進んだ先のカフェでよく見かけるよ」


「たしか今日もそこで紅茶を飲んでいるのを見たよ。あいつはほとんど一日そこにいるから、今からいけば話ができるんじゃないか」


 ヴラド達はそこであらためてお礼を言って店をあとにした。


「ヴラドさんすごいですね!みなさん、快く話をしてくださいましたし」


 ヴラドの誘導はエドワードにもばれていないようだった。


「ああ、まあそうだな」


「意外に疑われないものですね。学生なんていつぶりでしょう」


 純粋にうかれているエドワードを一瞥してヴラドは歩き出す。向かうのは先ほどの話に出てきた男がいるだろうカフェだ。石畳の道を遠慮なしに走る馬車を避けながら歩を進めるブラドに、エドワードは気を取り直してついて行く。


「このまま上手くいくといいですね」


「そんな簡単にはいかねえよ。俺らの仲間が簡単に消されてるんだぜ?無事に終われる保証はない」


 ヴラドの言うこともわかるが、こんなに着々と新しい情報が手に入るのだ。期待せずにはいられないのがエドワードの本音だった。


「ところで、お前武器は持っているか?」


「武器、ですか?」


「そう、銃の一つくらい持っているだろう?」


 ヴラドは当然だと言いたげに聞いた。が、エドワードは首を思いっきり横に振って否定する。


「そんなもの持っていません!!私は王室の単なる小間使いに過ぎませんよ!?」


 だから何だと思うヴラドであったが、溜息を一つつくにとどめる。それからエドワードに右手を差し出した。そこにはいつの間にか銃が握られている。


「そ、それ、いつから持っていたんです!?」


「さっきのカフェで、おっさん連中が持ってた」


「盗んだってことですか!?」


「いちいちうるせえ。借りたんだよ」


 そう言うとヴラドはエドワードの右手をつかんで、その銃を無理矢理持たせる。ズシリと重いそれを、エドワードは困ったように見つめる。


「いざってとき、俺が必ず助けてやれる訳じゃないからな。自分の身は自分で守れよ」


 ふと、エドワードは思い出した。そういえば昨日、アナスタシアはヴラドにこう言っていなかったか。


「それは、昨日アナスタシアさんが最後に言っていた、魔力を使うなってことと関係があるんですか?」


「……」


 終止ふざけた態度のアナスタシアだったが、最後にヴラドに向けられたその言葉だけは芯に迫っていたのでエドワードの耳に引っかっかっていた。


「まあ、そう言うことだ。お前は俺のカルディアとしての力に期待していたかもしれないが、俺は出来損ないだ。魔力を使うことを禁じられている」


 それだけ言うと、ヴラドはさっさと先を行ってしまった。エドワードはまだたくさん疑問に思っていることがあったが、まずは情報の男のことが先だろうと黙ってあとに続く。すこし歩くと問題のカフェが見えた。先ほどのカフェとはまるで様相が違い、調度品や照明、入っている客まで暗い雰囲気のカフェだった。


「その、なんだか暗いですね」


 カフェの反対側の道から中の様子を伺いながら、エドワードが言った。


「そうだな……」


 答えるヴラドは何かを考えているようで、心ここにあらずのようだった。


「ヴラドさん?」


「……とりあえず中に入ってみるか」


 二人は道を渡ると、カフェに入る。中には三人の男が適当な間隔をあけて座っていて、それぞれが紅茶を飲んでいた。


「ヴラドさん、そう言えばその男の人の特徴を聞いていませんでしたよね?」


「ああ、でもわかった」


 ヴラド鼻に皺を寄せた。嗅覚の良い吸血鬼には、その男がはっする不快な臭いがはっきりわかっていた。


「どういうことです?」


「あの一番奥の新聞を読んでいる男から、動物の死体の臭いがする」


「え?」


 まるで検討がつかないエドワードは聞き返す。


「黒魔術によく使うんだよ、動物のミイラとかそんな感じのをな」


 聞かなければよかったと後悔するがもう遅い。苦い顔をするエドワードに、ヴラドはニヤッとしてみせる。そのまま二人は、店の奥の男のもとへ向かう。


「おい、アンタに聞きたいことがある」


「……?」


 その男は鋭い目つきをしていて、ヴラドとエドワードを一瞥するとまた新聞に目を落とした。


「すまんが子どもの相手をしている暇はないんでね」


「こんな見た目だがアンタより何百年と生きてるんだが」


 ヴラドがそう言った途端、その男は持っていた新聞を取り落とした。言葉の意味を理解している証拠だった。


「アンタに聞きたいことがあるんだが……」


 ヴラドが話を切り出した瞬間、男はティーカップを投げつけてきた。とっさに横のエドワードを盾にするヴラド。


「っ、あつッ!?」


 熱いものとばかり思っていたため、とっさにそう言ってしまった。


「熱くはねえだろ」


「ほんとだ……って知ってて私を盾にしたんですか!?」


「当然だろう。俺は濡れるのが嫌いなんだ」


 そう言うヴラドは全く表情を変えないまま、カフェの出口に目を向ける。


「追わなくて良いのか?」


「あっ!!って、ヴラドさんも追いかけてくださいよ!!」


「残念だが俺は急ぐのも嫌いだ」


「なんですかそれ!?もういいです!!」


 慌ててエドワードは店を出て行った。エドワードが走って男を追いかけて行くのが見える。さすが王宮小間使いと言いたくなるくらい鈍間な走りだが、ギリギリ見失うことはないだろう。ヴラドは臭いで人を判別できるので、姿が見えなくても追うことができる。そして、少し時間をあけることで確かめたいことがあった。


 エドワードは息を切らしながら、狭くジメジメとした路地裏に男を追い込んだ。その先は袋小路だ。完全に男の逃げ場はない。


「はあ、はあ、観念してくださいっ!もう逃げられませんよっ!」


「逃げられないのはお前だろ」


 エドワードは文字通り跳び上った。いつの間にか背後にヴラドが立っていたので驚いたのだ。かなりの距離を走った気がするのだが彼は息一つ乱していない。吸血鬼のヴラドにとって、何のことは無い距離だったようだ。


「どういうことです?」


「お前がアイツを追いかけていくそのあとを、別の男が追いかけてたんだよ。要するに挟み撃ちってやつだな」


 袋小路に追い込まれていたのは、まさかのエドワードのほうだったのだ。そして追ってきた男は、最初に行ったカフェで怪しい男の情報をくれた張本人だ。


「ちょっと、ヴラドさん!!どうするんですか!?魔力も使えないんですよね!?」


 そう言われてヴラドはムッとする。


「……力が使えないからって、この俺様が人間ごときに負けると思ってんのか?」


「お、おまえがあのシルヴェストリか!?」


 二人の会話を聞いていた男が声を上げる。


「そうだが?」


 ヴラドが答えると、二人の男は息をのんだ。一気にその場に緊張が走る。何食わぬ顔をしているのはヴラドだけだ。


「お、お前を連れてこいと上から言われてるんだ!おとなしくついてきてもらおうか」


「そう言われてついて行くと思うのか?」


「いいや、だから先手を打たせてもらった」


 奥にいる男が何かを唱える。ヴラドにはそれが何なのかわかったが、状況が飲み込めないエドワードはガタガタと震えている。


「ヴラドさん……?」


「なんだ?」


「なにが起こってるんです?」


「大丈夫だ。お前に影響はないから心配するな」


 そう言われて安心できる空気ではない。男が呪文を唱え終わると、ヴラドとエドワードの足下に白く光る魔方陣が現れる。


「これで動けないはずだ」


 それは初歩的な黒魔術で、魔方陣の中に捕らえた人間ではない存在はそこから抜け出すことができなくなるというものだ。素質のあるものが、決まった道具と力のある言葉を使うと発動する本当に簡単な黒魔術だ。それ故に強力な拘束力はない。


「待て待て、アンタらがなんで俺を狙ってるのかは知らんが、ナメ過ぎだろ」


 ヴラドは一歩足を動かした。つま先が魔方陣の淵を踏む。ジュ、と音をたてて煙が上がると、あろう事か魔方陣の効力が完全に消えてしまった。男達は舌打ちをして、今度は物理攻撃に切り替えようと腰に挿していた銃をかまえ狙いを定めた。


「おい!お前もさっさと構えろよ!!」


 ヴラドが怒鳴ってやっとさっき手渡された銃に気付く。エドワードは恐怖からか緊張からか、単に銃の重さからなのかわからないが銃を持つてがブルブルと震えていた。


「ままままま待ってくださいよう!?私、う、撃てませんからね!?」


「あーもー黙れ!!黙って後ろのヤツに銃口を向けとけ!それから絶対離すなよ!?お前の視線も!!」


「はいッ!!」


 エドワードの返事を聞くと同時に、ヴラドは奥にいる男を先に始末しようと走り出した。また黒魔術でも使われると面倒だと思ったからだ。向かってくるブラドめがけて銃を撃つが、引き金さえ見ていれば難なくかわすことができる。何発撃とうが同じだ。そうして男に近付くと、直前で跳躍、男の頭上を軽く飛び越えて背後に着地。そこから回し蹴りを男の側頭部へ打ち込んだ。不意の背後からの蹴りに、男はなす術も無く地に倒れる。


「ヴラドさん!!」


 エドワードの叫び声よりも数秒速く、ヴラドは接近するもう一人の男に気付いた。空中から来た蹴りを、上体をかがめて避ける。


「おっと、あぶねえ」


 言葉とは裏腹に、全く以て余裕なヴラドだ。見ているエドワードだけが一人焦った顔をしている。


「フン、余裕でいられるのも今だけだ!」


 カフェで話していた紳士の面影はもはやなかった。男は目を血走らせ、ヴラドに肉迫する。その動きは人間のそれではなく獣のように獰猛だ。


「ドーピングかよ。人間終わってるぜ」


「こっちはお前を捕らえるためなら命だって惜しくはないんでな」


 黒魔術の一つで、一時的に他の生き物の力を取り込む術がある。男は人狼の力を取り込んでいるようで、スピード、腕力ともにかなりのものだ。さらに、慣れているのかその力を十分に使いこなしている。


「おとなしくしてはもらえないだろうか?」


 ヴラドの放つ拳を避けながら男が言う。


「はあ?意味わかんねえ」


 二人の体術のみの戦いはなかなか決着がつかない。ヴラドはもちろん本気ではないのだが、相手が他にもなにか手を隠しているかもしれないと考えると迂闊には動けない。ましてやエドワードがいてはなおさらだ。ここは自分が食い止めている間に、エドワードを路地から避難させるべきか。


「おい、エドワード!今すぐここから逃げろ!」


「わ、わかりました!!」


 言われてすぐに走り出すエドワード。その背中を見送りながら、少しホッとするヴラドとは裏腹に、人狼もどきの男はニヤリと笑う。そして懐から何かを取り出した。


「顔が割れているのに、生かしておくわけないだろう!!」


「ッ!!」


 男は小さな箱を取り出すと、エドワード目掛けて投げつけた。人狼の身体能力を持って投げられたその箱はかなりのスピードで飛んで行く。ヴラドはその箱の中身を知っていた。人間であるエドワードに当たれば間違いなく命を落とすだろう。考えている暇はない。


 ヴラドは自分が出せる精一杯のスピードで、エドワードの方へ走る。到底人間の目では捕らえられないほどのスピードだ。それでもギリギリ箱がエドワードに当たる寸前だったが、なんとか彼を突き飛ばす。しかし、自分が避ける暇はなかった。


「っ!?」


 エドワードがゴロゴロ転がる自分の体をかろうじて止めるのと、箱が開くのが同時だった。


「ガハッ」


 箱からは幾筋もの光の槍が飛び出し、瞬時にヴラドの体を貫いた。地に縫い止められたヴラドが全身から血を噴き出しながら悶える。しかし、その場から少しも動くことができない。それは”神の裁き”という魔術師が作った呪いの箱の一つだった。使用するものの敵と認識されたものを串刺しにするという神の裁きとは名ばかりの非道な品だ。さらに、一度捕らえられてしまうと使用者が術を解くまで抜け出すことは難しい。


「そんなっ!!」


 エドワードは息をのんだ。石畳に無惨な血溜まりができるのを、成す術もなく見守るしかできない。銃一つまともに撃てない自分を今更恥じる。


「に……げ、ろ……」


 ヴラドは息も絶え絶えだが、決して致命傷ではない。吸血鬼は心臓を潰さなければ死なないが、並外れた魔力を持つヴラド達カルディアの心臓を狙うなど不可能に近かった。そのためこの”神の裁き”はヴラドを捕らえるのにふさわしいと言えた。もちろんエドワードに当たっていれば即死だっただろう。


「そんな!!ヴラドさんを置いては行けません!!」


 そういってヴラドに近付こうとするエドワードを、男が殴りつけて黙らせる。倒れるエドワードの背中を片足で踏みつけると言った。


「フン、シルヴェストリと言えど、所詮はただの吸血鬼。魔力が使えなければどうということもない」


「ぐう……どいて、くださいっ」


 ひ弱なエドワードがいくらもがいても、男の革靴はピクリとも動かない。


「てめ、ソイツを……離せッ」


 必死に抜け出そうとするヴラドは、動こうとするたびにムダに血が流れる。貫かれた右肩や、胸に脇腹、もう自分でもどこが無事で、どこがそうではないか確認することもできないほどだ。


「お前がおとなしく捕まれば、コイツは逃がしてやる」


 おとなしくも何も、ここまで串刺しにしておいてよく言うぜ、と心の中で思いながらヴラドは勝てないだろう賭けに出る。


「わかった……ゲホ、ゲホ、俺のことは好きにしろ。だから今すぐソイツを離せ」


「賢い選択だな。では、お前は少し眠っていろ!!」


 紳士服を着たその男は、あくまで紳士的な態度を取っていたが、余程紳士的とは言い難い醜く歪んだ笑顔でヴラドに銃口を向けると、躊躇いなくその頭部を打ち抜いた。ヴラドは最後に、エドワードの息をのむ声を聞いた気がした。

 










 

「ん……」


 黴臭いような臭いが鼻をついた。これはチーズだろうか。ヴラドは人間が好んで黴びたものを口にするという習性が、未だに理解できないでいた。


「あ、ヴラドさん!気が付きましたか!?」


 その声を聞いて、チーズの他に知っている臭いがすることに気付く。それは言わずもがなエドワードだ。それからエドワードが生きていることに驚く。おとなしく捕まったところで、エドワードが無事に解放される保証はなかったが。どうやら自分は賭けに勝ったようだった。しかしどうしてここにいるのだろう。


「ヴラドさん、聞こえてますか……?」


「う、ゲホ、ゲホッ」


 頭部を撃ち抜かれたためだろう、口に血の味がする。人間の血は好きだが自分の血ほど不味いものはない。ヴラドはひとしきりむせると、目を開けて辺りを確認した。


「ここは貯蔵室か。で、お前はなんでここにいる?」


 ヴラドは精一杯睨みつけながら問いただす。エドワードは恐怖で身を竦ませながら答える。


「え、えっとですね、ヴラドさんが、その、撃たれてから、私も殺されそうになったのですが……」


 そこで一息つくと、さらに続ける。


「ヴラドさんがどうなるのか気になって……アナスタシアさんの居場所を知ってると嘘をつきました……」


 エドワードは心底怯えた表情でそう言った。アナスタシアの居場所を知っているとなると、迂闊に殺せないと考えたのだろうが、見事に成功したようだった。ということは、敵はヴラドだけでなくアナスタシアのことまで狙っているということになる。


 ともかく、ヴラドは内心ホッとした。もしあの時エドワードが死んでいたらと考えると恐ろしい。きっと依頼人を守ることもできないのかと、向こう百年はアナスタシアにネタにされるだろう。考えただけでも恐ろしい。ヴラドは身震いした。エドワードに助けられたのだ。この借りはまたこっそり返すとしよう。


「ま、お前が無事でよかったよ」


 怒られるとばかり思っていたエドワードは少し驚いた。


「その、アナスタシアさんを巻き込んでしまったことは……」


「いいんだよ。殺しても死なねえような女だ。自分でなんとかするだろう」


 会話しながらヴラドは周囲の状況を確認する。地下だからだろうが窓がないため正確な時間はわからないが、勘で夜中だろうと推測する。吸血鬼の勘はなかなかに鋭いのだ。それから後ろ手に拘束されている自分の腕は見えないが、やたらと頑丈な金属の手錠にはしっかりと、魔力封じの呪が施されていることだろう。これでは簡単に抜け出すことはできない。エドワードも後ろ手に縛られているが、それはただのロープだった。そして肝心のここがどこかという問題だが。


「で、ここがどこかわかるか?」


「いえ、私も気絶させられていましたから……」


「そうか」


 さて、どうやってここから出ようか。そんなことを考えていると、貯蔵庫の扉の向こうに人影が現れた。いくつも取り付けられた鍵を開け、二人の人影が入ってくる。一人はヴラドを捕らえた張本人で、もう一人は知らない顔だ。ステッキを持ったその男は贅沢な暮らしぶりが一目で分かるほど太っている。高級な燕尾服が見るも無惨な姿に変貌している。なによりアルコールやタバコや油の臭いが酷いとヴラドは思った。


「さて、目が覚めたようだね。さすがは吸血鬼、頭部を打ち抜いても生きているとは、やはりとんだバケモノだ」


 ケダモノでも見るような目つきでヴラドを一瞥する。それをヴラドは冷めた目で見返す。人間とは自分たちとは違う生き物を無条件で忌み嫌う。目の前の男はそんな人間の典型のようなヤツだった。


「なんだ、うらやましいか?なんなら仲間にしてやっても良いぜ。まあ、お前みたいな脂ぎったオッサンの血を飲みたい吸血鬼がいればの話だけど。ちなみに俺たちはそこまで太ったりしないぜ」


 ヴラドがニヤニヤと笑みを浮かべて言った言葉に、太った男は激怒して持っていたステッキでヴラドの頬を殴りつけた。鈍い衝撃が脳まで伝わる。それでも笑うのをやめない。


「それ以上しゃべると、こんどはその首を切り落としてやる!!」


「うへ、おっかねえぜ」


 ふざけた態度のヴラドをみて、さらにステッキを振り上げるが、後ろに控えていた紳士服の男が遮った。


「ヘンリー伯爵、これから大事なステージがありますので……」


「ふむ、それもそうだな。コイツが苦しむところを客席から眺めるとしよう」


 太った男はそれだけ言うと満足したのか、きびすを返して貯蔵室を出て行った。


「まったく。金と権力があるだけのジジイの相手をするのは疲れる。捕らえた吸血鬼を見せろと騒ぐのを黙らせるのは大変だ」


「俺は見せ物じゃねえよ」


 紳士服の男はニヤリと笑った。


「それがそうでもないぞ。あのガラス玉、まだまだ半信半疑なものも多いが……。今日のショーで確実に売り上げは伸びるだろう」


「”聖女の涙”のことか?」


「そうだ。あれは素晴らしい!!人間に紛れて暮らす人ならざるものを排除してくれる優れものだ。あれを使えば、真の世界平和が手に入るんだぞ!!」


 要するに人間以外の異種族を根絶やしにするために、聖女の涙を世の中に広めているのか。あれを使えば、人間に危害がこうむる心配はないし、そういった曰く付きのものに金持ちの貴族連中は食いつきやすい。手に入れたものを、召使いにでも使わせれば足もつかないし、その効力がわかり、なおかつ異種族の存在も表に出る。そうして吸血鬼や人狼などが存在すると噂が広まれば、また聖女の涙が売れて利益が発生する。


「なるほど。金儲けをしながら俺らを根絶やしにしようってか」


「そんな!!」


 今まで黙っていたエドワードが声を上げる。その声には悲痛な響きが隠されていることにヴラドは気付いた。


「んで、大方今日のショーとやらで、俺を聖女の涙の実験台にするつもりか」


「その通り」


 有力な貴族や、国政に関わる一部政治家たちの間にまでカルディアの存在は広まっている。ヴラド達にとって依頼が増えることはありがたいことだったが、中には良く思っていない人間もいるだろう。そういったもの達に、”カルディアのメンバーでも殺すことができる”とアピールすれば、更なる売り上げが期待でき、力のある貴族達が噂を広めることで、その信頼性も上がる。


「そういうわけで、カルディアのメンバーを探していたところ、風の噂で二人ロンドンに来ていると聞いたんだよ。そのうちの一人はあのシルヴェストリと言うじゃないか!出来損ないの吸血鬼なんだろう?」


「失礼な。俺は生まれは良い方なんだぜ」


 出来損ないなどという噂まで人間に広まっているなんて、ヴラドは少し悲しくなった。長く生きていると、至る所で根も葉もない噂が広まり過ぎてしまって戸惑うことがある。それでも出来損ないと言われる筋合いはない。


「なんでも良いが魔力が使えない吸血鬼など我ら魔術師にとっては赤子の手をひねるようなもの。おとなしく我々の道具として、悪名高きその生涯を終えるが良い」


 アッハッハッハと高笑いする男のクサイ台詞に、ヴラドは呆れた表情を隠しもしない。ずっと黙っていたエドワードが口を開いた。


「待ってください!そんなのは世界平和とは言いません!人間のために他の種族が犠牲になるなど、絶対にあってはいけません!!」


「黙れ!この世に人間以外はいらん!!」


 それを聞いてエドワードが唇を噛み締めた。なぜそこまで世界平和にこだわるのか、ヴラドにはわからないし別段どうでもいいことなのだが少し引っかかる。が、今はそれどころではないらしい。男は懐中時計をポケットから出すと、時間を確認して言った。


「なんと言おうとコイツはもうすぐ死ぬ。お前は特等席でコイツが死ぬところを見せてやる。その後でじっくりアナスタシアの居場所でも聞くとしよう」


 それから貯蔵室から一旦出て行き、まもなく二人の屈強な男を連れて戻ってきた。筋骨隆々の二人の男はそれぞれヴラドとエドワードの腕を掴んで立たせ、紳士服の男の後に続いて貯蔵室を出る。


「ヴ、ヴラドさん!!このままでいいんですか!?」


「なにが?」


「いや、だから、このままついて行っちゃうと死んでしまいますよ!?」


 ヴラドはフン、と鼻をならしてエドワードをあしらった。まだ何か言いたげな顔のエドワードだったが、何か考えがあるのかもしれないと思い直してそれ以上は何も言わなかった。


 入り組んだ屋敷をしばらく歩くと大きな扉の前に来た。だいたいどこの貴族の邸も同じ作りなので、そこがホールに続く扉だということがわかる。仰々しい大扉の向こうに、大勢の人間がガヤガヤ賑やかな音をたてているのが聞こえる。


「それでは、ショーの幕開けとしよう」


 紳士服の男がその大扉を開けた。向こう側から眩しい光が漏れ、ヴラドとエドワードは思わず目を瞑る。ヴラドは後ろから押されるがまま特別に設置されたであろうステージの真ん中へ進み、そこに一つだけある椅子に座らされた。エドワードは入ってすぐの暗がりに突き飛ばされるのが見えた。


「紳士淑女の皆様!お集りいただきありがとうございます!」


 仰々しい挨拶が始まる。集まった人間達は皆目元をきらびやかな仮面で隠していて、間から覗く瞳を見ていると、ヴラドは自分がフリークショーの出し物にでもなった気分だった。


「この吸血鬼は、皆様ご存知の通り憎きカルディアのうちの一人です!今まで奴らに対抗する術は何もなかった!!しかし!!今宵この会場に来られた皆様は、神の奇跡を目の当たりにするのです!!」


 そこで会場から歓声が上がり、紳士服の男は満足げに一息つく。その手には聖女の涙が握られている。


「さあ、ショーの開幕です!!」


 さらに大きな歓声が上がり、男はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらガラス玉を振りかぶった。


「ヴラドさん!!!!!」


 エドワードが力の限り叫んだ。


「うるさいなー」


「え……」


 エドワードは突然自由になった両腕に戸惑った。後ろにいた大柄な男達はいつの間にか倒れ伏している。


「なッ!!??」


「話がなげーんだよ。それに、俺がいつ魔力が使えないなんて言った?」


 ヴラドの両手には彼に嵌められていたはずの鉄の手錠が握られている。魔力を抑えるための呪も効力を失っていた。いつの間にか会場は静まり返っている。


「ど、どうやってそれを!?」


「こんな鉄くずで、俺の魔力が抑えられるとでも思ってんのか?」


 ヴラドの手の中で手錠がドロドロと溶け出し、ステージの上に銀色に鈍く光る水たまりを作った。驚いた客達が一斉に叫び声をあげて、後ろにある出口へと殺到する。しかし、突然獣のうなり声がし、扉の前に黒い霧を纏った犬が二匹現れた。


 ガルルルルっ


「ひいいい!?」


「きゃあああっ」


 出くわすと地獄へ引きずり込まれると噂されている、ロンドンでは有名な都市伝説が頭をよぎる。もっともそれはヴラドがとっさに作り出した幻影なのだが、慌てふためく人間どもが気付くはずもなかった。


「ここにいるヤツら、全員死刑な」


 会場が恐怖に包まれる。なんとか逃げ出そうと、幻影に向かって調度品を投げつけたりする人間は滑稽だとヴラドは思う。


「クソッ!!こうなったら貴様を殺すのみ!!」


 紳士服の男が、またしても人狼の力を発揮する。


「ムリだろ。お前みたいな魔術師が何人寄ってたかったところで、所詮は人間だ」


 そう言うとヴラドはおもむろに片手を上げる。その手の先に青白い炎が宿る。それを見た男は僅かに後ずさった。本来そこに無いものを生み出すほどの魔力は、今までに見たことがなかった。今まで相手にしてきた吸血鬼や人狼などは、せいぜい肉体の強化や瞬間的に傷を甦生させるなど、内側でしか魔力の効果を発揮することしかできなかった。魔術師のように力を宿した言葉や、道具を使うのとは根本的に違うのだが、それも含めた上で、ここまで力の差が出てしまうとは知らなかったのだ。それでも引き下がることはできない。これ以上失敗を重ねれば、どのみち命はないだろう。


「だからどうした!?人間だろうが何だろうが、俺はお前を殺さなければならないいんだ!!」


 そう言うや否や、全身に人狼の力を巡らせた男がヴラドとエドワードの方へと向かって走り出した。そこへヴラドは手を振って青白い火の玉を飛ばすが、本当に当てる気があるのか、ことごとくかわされてしまう。火の玉が落ちたところから本格的に火が出る。


「エドワード、これが終わったら何か一つ願いを叶えてやろう」


 片手間に火の玉を飛ばしながらヴラドが言った。ステージの半分は最早火の海となろうとしている。


「願い、ですか?」


「そうだ。お前には借りがあるからな!さっさと言え」


 エドワードは首を傾げる。自分には借りを作った覚えはない。よくわからないが、これはいい機会だと口を開く。


「でしたら、友達になってください」


 純粋にヴラドたち吸血鬼に興味があっての提案だった。が、案の定ヴラドはバカにするような表情を見せた。しかし、ふと笑みを浮かべると答える。


「いいだろう。友達にでもなんでもなってやる」


 そのままヴラドは、すぐそこまで迫る紳士服の男に向かって走り出した。炎が吹き出す手を槍のかわりに男に突き出す。男は突然向かってきたヴラドを避けることができなかった。ヴラドの身体強化による瞬間移動並みのスピードに加え、自らの人狼のスピードが仇となったのだ。


「ぐはあっ!?」


 男は口腔から鮮血を吹き出すと動きを止める。その左胸にはヴラドの右腕が突き刺さり、その手に男の心臓が握られていた。


「うわ、気持ちワリっ」


 自分でやっておいてそんなことを言うヴラドは、心臓を握りつぶすと床に投げ捨てた。煌煌と照らされるステージで起こった惨劇に、逃げ惑い悲鳴を上げていた客達はもはや声すら出ないほどの恐怖に陥っている。燃え盛る炎からも逃げる術はない。


「ヴラドさん!はやく逃げないと!」


 エドワードが叫ぶ。しかし、ヴラドは動けなかった。予想していたよりも酷い痛みが全身を駆け抜ける。エドワードに答えることもできないまま、その場で倒れ込んでしまった。


「ヴラドさん!?」


 エドワードは慌てて駆け寄った。ステージの上で悶えるように身をよじるヴラドに、一体何が起こったかもわからないエドワードは、とりあえずヴラドの体を確認するが外傷はない。もしかしたら他に魔術師がいるのだろうか。警戒しようにも自分には何もできない。そうしている間にも、ヴラドの体は冷え、額には玉の汗が浮かび、噛み締められた口元からは血の雫が伝う。


「もう、だから魔力は使わないように言ったのに」


 突然、炎の間から聞いたことのある女性の声がした。ますます酷くなる炎をものともせず歩いてくる彼女はアナスタシアだ。


「うう……離せ、俺は……大丈夫、だ」


 支えていたエドワードを押しのけ、自力で立とうとするが上手くいかない。


「やめなさいって。うっとうしいからちょっと眠りなさい」


 アナスタシアがヴラドの額に掌を当てると苦悶の表情が消えた。そのまま意識を失ったようだった。


「どうなっているのですか?」


「……これがヴラド・シルヴェストリが出来損ないと言われる所以よ」


 アナスタシアはそれだけ答えると、にっこり笑って言った。


「それよりもここから出ましょう!あの人間どもは放っておけばいいわ。無事に脱出して、直接本人と話しなさい。友達になったんでしょ?」


「あ、ええ、まあ」


 よし、とアナスタシアが微笑む。エドワードもつられて笑顔を返し、それから邸から脱出することに専念した。エドワードはヴラドを担ぎ、アナスタシアのあとについて行くのだが、不思議とアナスタシアの通るところは、火が自分から避けているかのように動いた。


 しばらく無言で歩き邸の裏手へ出る。表にはすでに人だかりができていて通れなかった。


「じゃ、あたし達は寝床に戻るわね!依頼料だけど、滞りなくよろしく!まだしばらくはロンドンにいる予定だから、いつでも遊びにおいで」


「は、はい!」


「じゃね!」


 それだけ言うと、ヴラドを抱えたアナスタシアは夜の闇に消えて行った。






 翌日。目を覚ましたヴラドに、アナスタシアは説教をはじめた。まだまだ体のあちこちが痛むが、アナスタシアは容赦しない。


「というわけで、もうあたしがいないところで魔力は使わないでね!ほんとに死んじゃうよ?」


「わかったからもう静かにしてくれ!!」


「ほんとにわかった?わかったわかったっていつもわかってないから言ってんの!!わかった!?」


 険しい表情でヴラドはベッドに潜り込むと黙りを決め込んだ。


「でもいい子だったよね、エドワードくん」


「……」


「友達になったんでしょ?」


「やっぱりあんた見てたのかよ!?」


 ガバリと起き上がって怒鳴るヴラドに、アナスタシアが当然でしょ、という顔をする。


「ヴラドが誘拐されるところもバッチリよ!」


 見ていたのなら助けろよと思うが、そんなことを口にしても倍にして返されるだけだ。だからヴラドはおとなしく寝ることにした。


「あたしも世界平和とか好きだなー。ねえ、ヴラドもそう思うでしょ?って、勝手に寝ないでよ!!」


 ガンガン叩かれている気がするが、そのうち諦めるだろうとヴラドは夢の世界に旅立った。

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