吸血鬼の秘密
長い長い夢を見た。あれはたしか、産業革命が本格的になる少し前のイギリスでの出来事だ。あの時も確か聖女の涙が関わっていた気がするが、夢の記憶はだんだん遠くなっていって……最後に見たアナスタシアの笑顔ですら、思い出すことができなくなってしまった。
ヴラドが目を覚ますと、白い天井に白い壁、自分のまわりに置かれた物々しい機械が目に入った。漂う薬品とアルコールの臭いで、ここが病院だとわかる。誰かが自分の横で寝息を立てている。それが誰なのか確認しようと右側を見た。しかし、視界には何もうつらなかった。そこで初めて右目が見えないことに気付いた。
「……ん」
寝息が途切れ、その人物が目を覚ます。紅葉だった。彼女は目元に大きなクマを作っていて、寝ずに付き添っていたことが容易にわかるような疲れきった顔をしていた。とうとう力つきてうたた寝をしていたようだ。
「小野くん?わかりますか?」
「……紅葉」
ヴラドの声を聞いて紅葉は安心した。もう目を覚まさないかと思っていたからだ。
「ここは?」
「私たちの組織が運営している病院です」
そう言って紅葉は目を伏せる。唇を噛み締める彼女の目からは涙があふれた。
「ごめんなさい。小野くんを巻き込んでしまって……どうして人間の小野くんが、あんな動きができたのかはわかりませんが、私のせいで大怪我をさせてしまいました……」
「……だから、当たりだって言ったろ」
「え?」
紅葉が涙に濡れる顔を上げて、ヴラドを見た。ヴラドは照れ隠しなのか、少し目線をずらす。
「……俺がお前の探してる吸血鬼だ。ヴラド・シルヴェストリ、だろ?カルディアの一人で、出来損ないだ何だと言われてる吸血鬼」
自分で自分を出来損ないというのは解せないが、後世に幅広く伝わっている噂の一つなので仕方がない。
「小野純平は偽名だ」
紅葉は信じられないという顔をしてヴラドを見た。やはり自分は正しかったのだ。
「なんで……なんでもっと早くに教えてくれなかったんですか!?」
もちろんヴラドには正体を隠す理由があるのかもしれない。しかし紅葉にとっては大事なことだった。それに、本当に彼が吸血鬼なら、どうして彼の怪我は修復しないのだろうか。
「なぜ教えなければならない?」
「……それは」
「お前も見ただろう?俺は今、自分の体も再生させることができない。魔力が使えないんだ。なのに自分がシルヴェストリだと名のるわけないだろう?そんなことしたら間違いなく他の吸血鬼に殺されるからな」
ヴラドはあくまで冷静にそう言うと紅葉から視線をそらした。七十年前のあの事件以来、ヴラドは初めて自分のことを他人に、しかも敵となりうる人間に話した。どのみち今のボロボロの体で戦闘になった場合、ここから生きて出られる保証はないのだ。
「ちょっとまってください。あなたが本当にヴラドさんだとして、どうして命を狙われているのですか?」
訝しげな顔をするのは紅葉だけではなくヴラドも同じだ。
「そりゃもちろん七十年前に俺を除いたカルディアのメンバーが殺されたことが原因だろ。その場にいて生き残ったのは俺だけだったから、未だに犯人だと思われているんだ」
それを聞いた紅葉は絶句した。
「そんな……!!」
「知らなかったのか?俺を捜しているのはカルディアとしての力を利用するためだと思ってたんだが……」
「利用しようだなんて思ってません!!」
紅葉が声を荒げて言う。本気で怒っているようだが、そうやって利用しようと近付いてきた人間は山ほどいた。ヴラドが簡単に人間の言葉を信用しないのも道理だ。それに思い至ったのか、紅葉は言葉を改める。
「本当に利用しようとは思っていませんでした。初めてあった時、私はあなたに頼みたいことがあると言いました。覚えていますか?」
「ああ」
「それは、アナスタシアさんを探してくださいと言うつもりでした」
「……」
まっすぐヴラドの目を見つめる紅葉の言葉に嘘はないようだ。なぜアナスタシアを探しているのかはわからないが、もう答えは出た。彼女はすでに死んでいるのだ。
「……だからだったんですね。あなた以外のメンバーの情報がぱたりと入らなくなったのは。吸血鬼はみんな口が堅いんですね。そんなこと誰も言いませんでしたし」
彼女なりにいろいろ調べたのだろう。しかし、吸血鬼はそう簡単に仲間の話をしない。ましてや散々利用しようと近付いて来た人間になど、なおさら教えるわけがない。
「その……七十年前に何があったんですか?ヴラドさんが魔力を使えなくなったことと関係があるんですか?」
紅葉のあまりにも真剣な表情にヴラドは溜息をついて話しだした。その話は他の吸血鬼が知らない事実の一つだ。
「……俺は何も知らない。駆けつけたときにはアナスタシア以外みんな死んでた。部屋中血しぶきが飛んでて、俺は何もできなかった。それに俺の魔力は不完全で、アナの特別な力がなければ魔力を使うことができなかったんだ」
「それは……」
紅葉は困惑した。彼女の知っている限り、魔力の使えない吸血鬼など聞いたこともなかったからだ。
「俺には二つの魔力がある。大昔、カルディアにいたバカな吸血鬼が、自分が死ぬときに俺の中に自分の魂を植え付けたんだ」
「植え付ける?」
不思議な顔をする紅葉に、ヴラドは顔をしかめて続けた。
「カルディアは最強の吸血鬼が五人集まって、お互いを食い合うことでできた集団だ。要するに吸血鬼同士共食いをして、最強の魔力を共有したんだよ」
ヴラドは話しながら身震いする。吸血鬼にとって互いの血を飲む行為は、かなりの嫌悪感を催す行為だ。禁忌ですらある。力の強いもの同士なら己の血に力を宿すことができるのだが、これはカルディアのメンバーだけが知る極秘事項だ。
「そこに、そのアホな吸血鬼は力だけじゃなく、魂までも宿した。それをうっかり飲んだのが俺だった。俺の中に強力な魔力をもつ人格がいきなり現れたんだ。もともとの俺の魔力とソイツの魔力がぶつかりあって、反動なのか魔力を使うだけで体が壊れるようになってしまったんだが……」
軽く語るヴラドだったが、そこにはかなりの苦悩があったことが紅葉にもわかった。乗り越えるのにどれだけの時間を要したのか、たかが数十年しか生きられない紅葉には想像もつかなかった。
「アナスタシアには特別な力があって、俺はその力に助けられた」
「……癒しの力ですよね」
ヴラドは驚いて紅葉を見たがすぐに理解した。アナスタシアをわざわざ探していたと言うことは、大方その癒しの力必要だったと言うことだろう。
「ああ。どこで聞いたか知らんがその通りだ。彼女が近くにいれば、俺が魔力を使って体が壊れても癒しの力で治すことができる。実質最強の吸血鬼二人分の力だ、アナスタシアと組んでいれば敵なんていなかった」
いなかったはずだった。七十年前のあの日までは。
「あの日のことは、正直あまり覚えていない。アナスタシアの死体を抱えていたらほかの吸血鬼がきて……、いつの間にか俺が犯人だと言うことになっていた」
「……酷い」
本当に酷いのは自分自身だとヴラドは思った。仲間の窮地に気付けなかったどころかアナスタシアまでも死なせてしまった。最後に彼女と交わした会話も思い出せない。なにかとても大切なことを話した気がするのだが。
「俺はカルディアに入って、アナスタシアに命を救われたときに約束したんだ。”彼女がいないところで魔力は使わない”と」
もちろん若かったヴラドは、その約束を軽んじていることも多々あった。それでも彼女は懲りずに、ヴラドが約束を破ってしまってもすぐに駆けつけて助けてくれた。その度に鋭さを増す小言と増えていくルールに従わなければならなかったが。
そうやって助けてくれるはずのアナスタシアは死んでしまった。
「だから力を使わなくなったんですね」
「そう言うことだ。俺は永久に魔力を封印した。今の俺は、寿命が長くて少しばかり頑丈な人間ってところだ」
ハッ、と自虐的な笑みを浮かべる。こうして他人に話すとなんて惨めなのか。最強と謳われ称してきた吸血鬼が七十年も仲間から逃げ、惨めに生き延びているのだ。
「これでわかっただろ?アナスタシアは死んでるし、彼女以外に癒しができる吸血鬼なんてお俺は知らない」
紅葉は黙って聞いていた。彼女の所属する組織にとって、アナスタシアの癒しの力は希望だった。組織の目的を達成するためには必要な力の一つだったのだ。
「で?俺は正直に話してやったぜ?今度は俺の質問に答えろよ」
それはもっともな言い分だと紅葉は思う。
「なんですか?」
「お前のその組織ってのはなんだ?」
ヴラドは大昔から、数えきれないほどの組織と言うものを見てきた。中には未だに残っている秘密結社など、なかなかに身のある活動をしている組織もあると思っている。しかしそれだけではない。そうして人間達が何かを信念に集まると、ろくなことにならないのも真理だった。そう、この”聖女の涙”に絡む一件も然りだ。
「私たちの組織は”フォルトゥーナ”と言って、二百年前、世界平和の為に作られた組織です。世界各地で人間と、それ以外の種族が安心して生きていける世の中を作るために活動しています。最近やっと国連に認可を受けました。もちろんシークレットですけど」
「……国連?」
「そうです。国連にも人間じゃない人が結構いるんです。彼らはそれなりに協力的です。まだまだメンバーは少ないんですが、日本でも自衛隊や警察官に仲間がいます」
ヴラドが知らない間に、世界は本格的に変わり始めているようだった。まさか国際的に人ならざるものの存在を認めつつあるとは、時代は急速に動いているようだった。
「フォルトゥーナでは、常に優秀な人材を集めていて、アナスタシアさんはその候補の一人でした。というか、私たちの思想のもとはカルディアなので、いつかはカルディアの皆さんと仲間になれたら……と思っていました」
「なんだか俺の知らないところで大きな話になっていたんだな。で、テロ事件とどういう関係があるんだ?」
「あのテロ事件、国民には隠しているのですが、被害のあった現場から必ず行方不明者が出ていました。それは、」
「なるほど。俺らみたいな存在がきえてるんだな?」
紅葉を追ってビルに入った時、彼女が守っていたのは確かに吸血鬼だった。そして、テロの犯人が投げたガラス玉は確かに聖女の涙だった。
「そうです。ヴラドさん、何か知っているんですか?」
「あのガラス玉は、聖女の涙って言う魔具で、人間じゃない存在に反応して効力を発揮する」
「……それが原因で消えてしまったんですか?」
紅葉がハッとした顔で言った。
「ま、そういうことだ。あの白い光に当たると跡形もなく消えてしまうらしい」
「どうしてヴラドさんは平気だったんですか?」
ヴラド自身にもよくわからない。確かにガラス玉は自分に反応したはずだった。
「俺もよくわからないが……腐っても最強の吸血鬼だってことなのかもしれないな」
聖女の涙の力はヴラドを消し去ることは出来なかったが、かなりのダメージを与えることには成功していた。生きていることが不思議なくらいだった。白い光は体の内に入り込み、内蔵から溶かしていくようなそんな不快な痛みに襲われたことを覚えている。これを喰らって消えてしまったもの達はさぞ苦しい思いをしただろうな、とヴラドは身を以て思い知らされた。
二人が話をしていると、突然病室の扉が開いてスーツの男が二人入ってきた。
「てめえ!!エドワード!!」
言うなりヴラドは最初に入ってきた男を睨む。ヴラドはその男を知っていた。それも最高に嫌な思い出としてだ。
「お知り合いですか?」
あまり仲は良さそうではないなと冷静に判断した紅葉が一応訊ねる。
「この嘘吐きヤロー!!よくも俺を騙して利用しやがったな!?」
「その時は気付いてなかったじゃないですか。事件も見事解決したことですし、水に流してはいただけませんか?」
「はあ!?意味わかんねえ!!てか、お前そんなキャラじゃなかっただろうが!!俺が近付くたびに青い顔でヒイヒイ言ってたくせによ!!」
「ちょっと、ヴラドさんこそキャラクターが変わっています!!学校でのヴラドさんはどこいっちゃったんですか!?」
紅葉に言われて少し落ち着く。しかし、腹の虫と沸き起こる疑問がおさまることはない。
「ゴホン。先に俺が挨拶をしてもよろしいでしょうか?」
後から入ってきた男がわざとらしく咳をして口を開く。その男は一見細身だが、鍛えられた肉体がスーツの上からでもわかる。何か特殊な訓練を受けているようだ。
「俺は椋本耕太。警察の特殊部隊に配属されているが、フォルトゥーナの一員だ。一週間前、あのビルに突入した部隊にいたんだが、覚えているか?」
そう言われてなんとなく見た顔だなと思ったが、あの時は意識が曖昧だったため確信はない。
「いや、あんまり……」
「先輩、あの状況で覚えてられるわけないと思うんですけど」
紅葉が指摘するが、椋本は素知らぬ顔をして黙り込んだ。
「おい、エドワード!!お前、自分の身分だけじゃなくて正体も隠してたのかよ?二百年は経ってるぜ。なんで生きてるんだよ!?」
「私は本当に人間ですよ?あの事件の後、とある悪戯好きの魔女に目を付けられてしまいまして……。その魔女は私に面白半分で不老不死の術をかけていきました。いやあ魔女とは恐ろしいものですね!一応どのくらいしたら死ぬか試してはみたんですけど、今のところ吸血鬼や人狼と変わりありません。多分心臓を潰したら死ぬと思うのですが……」
そう言ってハハハと笑うエドワードをジト目で睨みつけるヴラド。紅葉にはよくわからない話が続く。
「そりゃ当然の報いだろう」
「あ、もしかして私が身分を偽っていたことを根に持っているのですか?あの事件の次の日、私を捜しに王宮へ忍び込んだそうですね」
「う、うるさい!!俺は親切に会いにいってやったんだぜ!?結果お前みたいな使用人はいないってよ!!よくもまあ俺らカルディアを相手に騙そうと思ったな。呆れてものも言えねえよ」
「そうですよね、あの時の私は若かったですし。せっかく出来た吸血鬼のお友達も、すぐにどこかへ消えてしまいました……」
「は!!友達なんかじゃねえよ!!」
いい加減に飽きてきたのか、紅葉が口を開いた。
「もう!!お二人とも黙ってください!!」
おとなしく黙る二人だが、ヴラドは相変わらずエドワードを睨みつけ、それにエドワードは苦笑いを浮かべている。
「で、どういうお知り合いなんですか?」
「1801年の事件の話はしたね?」
エドワードが紅葉を見て言った。
「はい、カルディアの吸血鬼二人に助けてもらって解決した失踪事件ですよね」
「その吸血鬼が、彼とアナスタシアさんだったんです」
そうですよね、とでも言いたげなエドワードの視線を受け流して、ヴラドはそっぽを向く。紅葉はそんな態度のヴラドを見ていると、まるで本当に自分と同じ年の少年を見ている気分になるので不思議だなと思った。
「手伝ったんじゃねえよ。ただの仕事だったし、それに俺らは闇市の会場を潰しただけだ。聖女の涙の出所や、あの男の上の人間とかは結局わからないままだった。アナスタシアが報酬は受け取ったって言っていたから、俺もそれ以来事件のことなんて気にしなかったし」
アナスタシアはいつもヴラドに仕事のほとんどを任せていた。もちろんヴラドが魔力を使ったり、その他危険な目にあった場合を考えて、使い魔を使って状況を確認していた。しかし、大概の場合、途中でヴラドが串刺しにされようが手足を捥がれようが内蔵を抉られようが、彼女が出て来るのは最後だった。そうやって満身創痍のうちに事件が片付いていることが多く、エドワードのときも同じでその後のことなど気にもしなかった。
「その時はあなた方に話していないことがたくさんありました。私のことについてもその一つです」
そしてエドワードは、約二百年前から始まった因縁について話し始めた。
「私の父は魔術を研究していました。私自身は魔術など絵空事だと興味もなかったのですが、父はどんどんのめり込んでいったのです。原因は母の死でした。母が死んでから父はよくわからない集会に出かけたり、いわくありげな書物や道具を集めだして、書斎に引きこもることが多くなりました。私は気付いていないフリをし続けてしまった」
当時を思い出したのか、エドワードの瞳に深い後悔の念が宿る。
「働きだしたばかりの私は、父から逃げていたんです。結果、それが思わぬ事態を招きました」
そこでエドワードはヴラドをまっすぐに見つめた。ヴラドも黙って見返す。
「あの聖女の涙を作ったのは父です。全てはアナスタシアさんを誘き寄せるためでした」
ヴラドは少しわかってきた。エドワードの父親が、アナスタシアに何を求めたのか。
「……アナスタシアの癒しの力で、母親を蘇らせようってか」
「その通りです。ヴラドさんも知っての通り、魔力で死人を蘇らせることは出来ません」
ヴラドは大昔、アナスタシア本人に聞いたことがあった。死人を生き返らせることはできるか、と。それに彼女は悲しげに笑って言った。”そんなことはどんな力にもできないよ。だから、ヴラドは死んじゃダメだからね!”と。ヴラドにとって懐かしい大切な思い出の一つだ。
「あの、聞いてもいいですか?」
紅葉がおずおずと手を挙げて言う。
「なんだ?」
「アナスタシアさんの癒しの力って、そんなにすごいものだったんですか?」
魔力を持たない紅葉は、それこそ魔力は万能で自由自在になんでも出来ると思っていた。アナスタシアのことを探してはいたが、それは組織のためだ。
「魔力はなんでもできるわけじゃないんだ。大抵のヤツは自分を守るためにだけ使える。傷が勝手に治ったり、身体能力を強化したりな。その魔力が強いほど長く生きられるし弱点も少ない。それよりも上、ちょっと魔力が多いヤツは、自分の身の回りの物を魔力だけで動かしたり操ったりできる。まあ、その間魔力を流し続けなきゃなんねえから、使いこなすのは難しい。ここまでは結構いるんだが……」
「カルディア位になると、手から火を出したり幻覚を見せたりできますね!」
エドワードが嬉しそうに言った。それをヴラドが睨む。
「まあ、そういうこともできるけど。制限と制約ばかりで不便なことも多い」
「どういうことですか?」
「魔力で操れるものは精霊の宿る四大元素か、もしくは構造のわかっているものだけだ。火、水、風、地に作用して、物を発火させたり強風を起こしたりなんてのは簡単だ。自分の魔力をエサに精霊の力を奪うだけだからな」
ヴラドは簡単に言うが、四大精霊は原始の存在であるために傲慢で貪欲だ。そのため引き換えとなる魔力も膨大だ。四大元素を操れるということは、それだけで偉大なことなのだ。
「もう一つ、魔力を作用させるには作用させたい物の仕組みを理解する必要がある。例えば車を動かす場合、車が動く仕組みに魔力を作用させるために、エンジンの構造から知る必要があるんだ」
何かを動かすために、それについて学んでいてはきりがない。紅葉はヴラドのいう制限と制約の複雑さがわかった気がした。
「ま、車を動かすくらいなら、魔術師の使う探査呪文で内部を調べながら動かすって方法も出来なくはないしやりようはある。俺なら……石ころでも拾って、鍵の形に変形するかな」
なるほど、という顔をして紅葉は頷く。魔術師の言葉にはそれ自体に力がある。普段そういった力とともに生きている存在にとって、魔術師の使う呪文なども容易く使いこなせるのだろう。ふと、そこであることに気付いた。
「だったら、人体を甦生することも難しいんではないですか?」
「そうなのです」
ヴラドのかわりにエドワードが答える。彼は魔術師ではないが、彼なりに調べたのだろう。父親のためなのか母親のためなのかはわからない。
「人体の構造を完璧に理解することは難しいのです。探査魔術をかけ続けても理解する前に魔力が枯渇する方が速いでしょう。他人の怪我は治せないのが基本なんです」
「昔の俺なら、止血くらいはできたけどな。それでも応急処置にしかならない」
出血しているところを塞ぐだけの行為だ。手で押さえているのと大して違わないという程度だったが、それでも戦場では役に立つことも多かった。そしてそれくらいの魔力なら、ヴラド自身にもあまり影響はなかった。
「アナスタシアの癒しの力は、それこそ手を触れて魔力を流すだけでほとんどの怪我が治ったんだ。特殊な力だけに、消耗も激しく完全に治すためにはそれなりに時間がかかったが」
それでもヴラドよりも魔力量が多かったアナスタシアのことだ。ヴラドは彼女がへばっているところをあまり見たことがなかった。
「二百年まえの事件の時、私の父は聖女の涙を使ってアナスタシアさんを誘き寄せようとしました。仲間が無差別に殺されれば動くだろうと思ったのでしょう」
「で、まんまと引っかかったんだな、俺たちは」
ヴラドは舌打ちをした。あの事件のとき、エドワードにも言ったように、いずれはカルディアが動くべき事件だった。アナスタシアとヴラドはその下見の最中にエドワードからの依頼を受けた。
「でも絶対にアナスタシアが来るとは限らなかったんだぜ」
「え、そうだったんですか?」
エドワードは驚いた顔をした。
「俺らはいつもくじ引きで誰が仕事するか決めていた」
室内に微妙な空気が流れる。カルディアのような伝説的集団が、まさかくじ引きで物事を決めているなんて思わなかったからだ。しかしヴラドにとってそのくじ引きほど過酷な戦いはなかった。毎回毎回、五人が五人魔力を惜しみなく解き放ち、ハズレくじの操作をしようと躍起になっていた。間違いなく小さな戦争が起きていたのだ。くじだからといって気を抜くと、どんな遠いところの仕事にもいかなくてはならない。
「あの事件は俺がハズレを引いたんだ。まあ、実質俺とアナはコンビみたいな物だったから、二人でロンドンに向かった」
「なるほど……もし他のカルディアのメンバーが来ていたら、父はどうするつもりだったのでしょうか。それに、あの紳士服の男は単に人間以外の存在を殺すために動いているようでしたし、父がどのように関わっていたのか真相はわからないままでしたし」
エドワードのつぶやきにその場が沈黙した。それは誰も知る由もないことだった。
「とりあえず、その時の関係者は火事で死にました。残っていた聖女の涙は邸と一緒に燃えたと思われます。ロンドンに住む闇の住人達は平和を取り戻しました。ヴラドさんとアナスタシアさんのおかげです」
あの時、翌日の朝刊に資産家の屋敷で火事が発生したことが載っていた。しかしあれだけの規模の火事にも関わらず、小さな記事しか載っておらず、死者多数としか書かれていなかった。それは国政に関わる嫡子や現役議員といった大物達が犠牲になったからだろうか。隠れて闇市に参加していたものも多く、表沙汰になると、その一族までもが被害を被る。
「結局エドワードさんのお父様はどうなったんですか?」
紅葉が聞いた。
「それが、あの事件の後姿を消したみたいなんです。私は父の後を追い、その間違いを正そうと父に対抗してフォルトゥーナを創設したのですが。生きているのか死んでいるにかもわからないまま、二百年経ってしまいました。今回のテロ事件も、父に関わりのあった組織が関係していることは間違いありません」
それはヴラドも思い当たるところがあった。商社びるテロ事件の時の黒ずくめの男は、紳士服の男マルズと似たようなことを言っていたからだ。
「要するに俺はまたお前に巻き込まれたってわけか」
ヴラドはうんざりして言った。長い年月の中で、同じ人間に二度も厄介ごとに巻き込まれたのは初めてだった。
「そうなりますね。そのついでと言っては何ですが、また私たちを助けてはくれませんか?」
ヴラドはその提案を鼻で笑って一蹴する。
「アホか。どう見たって俺に出来ることなんてないだろ?お前らが当てにしてる魔力なんかもう七十年も封じたままだし、解放すれば俺は死ぬ。自分の魔力に食殺されるか、他の吸血鬼に殺されるか、どっちにしても俺にはなんのメリットもない」
いくら最強と言われようと、仲間を、アナスタシアを守ることが出来なかった力だ。そんな力など封じたまま惨めに生きていくのが、自分にとって一番いい罰なのだ。ヴラドそう自分を納得させながら、七十年という月日を孤独に生きてきたのだった。
「……そうですよね。すみません、あなたにこんなお願いをするべきではありませんでした」
「……じゃあ、俺はもう行く」
ヴラドがベッドから降りて言った。
「待ってください!まだまだ怪我が治っていないじゃないですか!」
「そうですよ。せめて怪我が治るまでいたらどうですか?昔話でもしましょうよ」
立上がったヴラドは伸びをしながら、うんざりした顔をエドワードに向ける。
「絶対ヤダ」
「そんなこと言わないでくださいよ。あ、着替えはそこのロッカーにあります。それと、この病院はフォルトゥーナの本部もかねていますので、何かありましたら気軽に来てくださいね。それでは私は失礼します」
エドワードは来たときと同じように椋本を後ろに従えて病室を出て行った。紅葉だけが残される。
「ヴラドさん……」
紅葉が何か言いかけるがヴラドはお構いなしに着替えをはじめる。
「あ、ちょっと、急に脱がないでくださいよ!!」
「はあ?じゃあさっさと出てけよ」
紅葉はさっと壁の方を向いた。そういうところは女らしいんだなとヴラドは思う。
「その前に聞いておきたいことが……」
「なんだよ?」
背中を向けたまま紅葉はつぶやくように言った。
「学校には今まで通り行きますよね?」
「……」
こんなことがあっては学校などもはやどうでもいいというのが、ヴラドの正直な考えだった。
「明日は月曜日です。私もこの一週間は学校には行っていなかったので、みなさんがどうしているかはわかりませんが……」
ヴラドはその時、自分が一週間も意識がなかったことを知った。これではますます学校など行きにくいものだ。
「お前はどうするんだ?そもそもの任務は終わりだろう?」
「私はそのまま通学してもいいと言われました。学校というところに行くのは初めてなので……」
「そうか」
紅葉はそこで一度言葉を切った。それから思い切って、自分の気持ちを話そうと振り返る。
「あの、私は初めての学校生活で出来た友達を一人も失いたくないですっ!!……っ??」
一気にまくしたてた先にはもう誰もいなかった。病室の扉がパタンとしまる音が紅葉の耳に嫌に大きく響いた。




