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吸血鬼の葛藤1

ヴラドはえも言われぬ感覚に襲われ目を覚ました。空腹、と言えばそうなのだが、今すぐにどうにかしないと、自分が自分でなくなるような、そんな不安感があった。さらには見ていた夢も酷かったようで、内容は覚えていないが、心臓が早鐘のようにドクドクと音をたてている。


そろそろ本当にやばい。寝ている間に、まわりの人間でも食殺してしまうかもそれない。


むかしカルディアの仕事で殺した吸血鬼の中に、たしかそんなヤツがいた。自分で自分の吸血衝動を抑えきれず、夜な夜な無意識的に人間を補食していたのだ。


「ふう…」


まさかこの自分が、そこまで落ちることはないだろうが、これ以上の飢えは経験したことがない。


「いい加減にしなよ。かなり苦しそうだった。本気で血を飲まないと、死ぬよ」


チェスが少し離れたところから、こちらの様子を伺っていた。その顔は、真剣にこちらを警戒している。


「わかってる。でも、」


と、言い訳のように続けようとするヴラドを、チェスが遮った。


「キミがアナスタシアの血しか飲めないはずないよ。ボクには見えている。それはヴラドもわかっているよね?」


チェスが言っている意味が分からず、ヴラドは困惑した。わかっているとは、なんのことだ?


「……まさか本当にわからないわけ?」


チェスは驚きと哀れみが混じった難しい顔をした。これはいよいよ、アナスタシアが怪しい。


「キミには、人間の血が飲めない理由がない」


「は?」


小首をかしげるヴラドに、さらに言募る。


「ボクにはまわりに存在する魔力が見える。知ってるよね?でも、ヴラドには何の魔力も作用していない。そりゃ、複雑な魔力を持っているけど、それは内面であって、君自身に今作用している力はないよ」


少し考えてから、ヴラドにも、チェスがなにを言おうとしているのかがわかった。


「……アナが俺を騙してるってか?」


「九割そう考えてる」


一瞬、怒ったヴラドに殺されると覚悟したチェスだが、それは杞憂だったようだ。意外と冷静な顔をしている。


「まあ、そうだったとしても仕方ない。俺はあの頃、アナスタシアがいなければ、自分など生きてはいけないと思っていたからな。最初こそ嫌悪感を感じたが、慣れてしまうと、産まれてからこの方、まるで吸血鬼の血しか飲んで来なかったかのように感じたんだ」


本能的に嫌悪するはずの行為を、そこまで受け入れるほど、ヴラドはアナスタシアに服従していたのか。これは立派な共依存ではないか。チェスはやはり、アナスタシアへの疑惑を拭い去れない。


「ともかく、早急に解決しなくちゃね。ボクならまだ平気だけど、学校の子たちを殺しちゃう前になんとかしないと、後悔するのはヴラドだよ」


複雑な表情で俯くヴラドを尻目に、チェスはアパートから出た。夜道を当てもなく歩きながらチェスは思いを馳せる。アナスタシアには、どこか得体の知れないところがある。それが、その死から七十年経った今でも、自分たちカルディアはその呪縛から抜け出せないようだ。







チェスト話してからすっかり目を覚ましてしまったヴラドは、暇を持て余して外にでた。まるで早朝ランニングに励む学生にみえるが、顔色の悪さは隠せないようで、たまにすれ違う人に怪訝な顔を向けられる。それほど、ヴラドは弱っている。


しばらく当てもなく歩くと、不意に殺気を感じた。どうやら議会の連中だろう。吸血鬼の匂いと、四人ほどが息を殺し近付いてくる気配がする。


ヴラドはウンザリして溜息をこぼす。こんなときでも、相手はお構いなしだ。こっちは腹が減って今にも死にそうだというのに。


「お前らそれで隠れているつもりなら、五家の連中も随分落ちぶれたようだな」


河川敷まで誘うように歩いたつもりだが、相手はまったく気付いていなかったようだ。四人は動揺しながらヴラドのまえに姿を現した。


「カルディアの生き残り!我らが議会を代表して始末する!」


勢いに任せて叫んでいても、そこに現れている怯えは消し去れていない。


「お前らはどこの家のものだ?リオネルの下衆野郎か?それとも責任感の強いレティのところか?なんにせよ俺には勝てん。諦めて帰れ」


「レティシアン様の名をきやすく呼ぶな!!」


一人が激怒して襲いかかってきた。細身の長剣を二振りもつ剣術は、昔見たレティのそれに似ている。だが、いささか踏み込みが甘く、とてもではないがヴラドの相手になるほどの技では到底ない。


しかし、切っ先が触れる瞬間、ヴラドは激しいめまいと吐き気に襲われ、その一瞬の隙が仇となってしまった。これでは避けられるものも避けられない。相手の二振りの剣が、ヴラドの左の脇腹と右の肺を突き刺した。冷たく鋭い鋼に、一瞬我に帰る。しかし、その後に来る熱い痛みと、傷を負ったことで急速に沸き起こる乾きで、ヴラドは意識を飛ばしそうになる。


「貴様、手を抜いているのか?」


人の腹に武器を突き刺しておいてなんて言い草だと内心思うが、言い返している余裕もない。ヴラドはニヤリと不敵な笑みを浮かべて、刃が刺さったままの自身をものともせずに立ち上がる。


相手は実戦に慣れていないのか、剣を引き抜くことも忘れているようだ。


「フン、お前ら程度に真剣になるわけないだろう」


ブシュ、と血が噴き出すのも気にせず、ヴラドは引き抜いた相手の剣を奪い、それを無造作に構えた。剣を取られた敵は、訳が分からずヴラドから後ずさる。


「いいだろう。このヴラド・シルヴェストリが相手をしてやる」


不敵に笑ってみせると、四人は些か震えながらそれでも剣を構え直す。


「俺は今機嫌が悪いんだ」


飢えた獣ほど手に負えないというが、まさに今の自分のことだろうなと思う。そう、確かに自分は、腹が減っている。


「うおおおお」


雄叫びとともに、四人が一斉に飛びかかってくる。上手く連携がとれているのがわかる。四人で相当な訓練をしたのだろう。しかし、ヴラドは難なく四人の攻撃を受け流すと、流れるような身のこなしで一番近くの敵の首を切り落とした。頭をなくした胴体はドサッと音をたてて地面に倒れた。


息をのむ残りの吸血鬼たちは、恨みの籠った目でヴラドを見る。


「戦場に死はつきものだろう?これ以上死人を出したくなければ大人しく引け」


ヴラドの言葉に、完全に戦意喪失した三人は、唇を噛み締めながらも踵を返して立ち去った。


「フン、糞ガキが」


首のない死体と、奪った剣を川に投げ捨てる。流れが速くそこそこ深いようで、あっという間に見えなくなる。


「ヤバいな」


普段なら何ともないような怪我だが、これも血を飲むことを拒み続けているせいだろう、なかなか血が止まらない。深夜の月明かりに光る水面を見つめながら、どさりとその場に座り込む。


「はあ」


ため息が溢れた。


『そんなに私が恋しい?』


ふと耳元で、吐息のように囁かれた言葉に、ヴラドの背筋が凍りついた。


『キミはほんと、私なしでは何もできないガキよね』


よく知ったその声は、死んだはずのアナスタシアの声で間違いない。その声を、聞き間違えるはずもない。辺りを素早く見回してみるも、付近には人っ子一人いない。


「誰だ?」


『失礼ね、わからないわけないでしょう?どれだけ私が、キミを可愛がってあげたか忘れるはずないでしょ』


声は確かにアナスタシアだが、なんだかヴラドの知っているアナスタシアの声には思えない。いつも元気で、人をというか主にヴラドをバカにしたような憎たらしくも可愛らしい雰囲気だったと記憶している。しかし、今自分に話しかけてくるアナスタシアはどこか悪意を感じる。


『ふふ、いいわ。キミがどれだけ逆らおうと、もう何も変わることはないんだから。そうやって全てを忘れたまま苦しむといいわ』


そんな言葉を最後に、その声は聞こえなくなった。それと同時に、今までにないような恐ろしいほどの空腹がヴラドを襲う。


「うぐっ、はあ、はあ」


まるで心臓を素手で鷲掴みにされたような苦痛と乾きに、ヴラドはのたうちまわった。


「っ、クソッ……」


一通り転げ回ると、幾分マシになってきた。もう体力も何もかもが限界だ。


「お兄様!?」


そこへ、聞き知った声が駆け寄ってくる。


「一体何があった?」


混濁する意識の中で、その声がルーニエとルーカスだとかろうじてわかる。が、答えてやれる元気がない。


「とりあえず運ぼう」


「そうね。お兄様、私たちがお助けします!」


そんな言葉を最後に、ヴラドは意識を手放した。

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