吸血鬼の探し物
ヴラドの住んでいるアパートを見たチェスは驚いた声を上げる。
「あのキミがこんなところに住んでるの?」
「どういう意味だよ?」
「いや、キミは根っからの貴族育ちだったから、こういう場所ってニガテなんだと思ってた」
確かに、ルーマニアのシルヴェストリの屋敷はかなりの広さだった。カルディアに入ってすぐのころは、環境の違いについていくのがやっとだったことを思い出す。
「よく言うぜ。洞窟で寝泊まりしているような集団と一緒だったんだぜ?」
「バカにしてるの?ボクたちはもともと、家もないような吸血鬼の出身なんだからね」
三人は部屋に入ると、思い思いの位置に座った。二人とも実に楽しそうだなと、紅葉は思った。ヴラドが自然に笑っているのだ。余程心を許した相手なのだろう。
「あ、紅葉。コイツはチェレスティーノ。家もないような出身なので名字はない」
紅葉はその名前を、どこかで聞いたような気がするが思い出せない。
「なんだか悪意のある言い方だねー」
「フン、その通りなんだから別にいいだろ。でもなんでバーに来たんだ?」
ヴラドの問いにチェスは肩を竦めて答える。
「そりゃもちろんキミに会うためだよ。キミが日本を離れられないのはわかってるからね。後は地道な聞き込みで、ヴラドが出入りしているバーを見付けたんだ。良かったね、ボクが来てるときに奇襲があって!」
「ああ、まあな」
得意げなチェスに苦い顔で答えると、思い出したように紅葉を紹介する。
「彼女は相楽紅葉。俺のクラスメイトで、フォルトゥーナという組織の人間だ」
「はじめまして!ボクのことはチェスって呼んでね!」
「あ、はい。私のことも紅葉でお願いします」
「了解!で、フォルトゥーナのことは知っているけど、ヴラドとはどういう関係なの?」
ヴラドと紅葉は、チェスにフォルトゥーナに入るまでの経緯を話した。こういう説明が苦手なヴラドは、ほとんどを紅葉に任せた。ヴラドの魂胆に気付いた紅葉は、鋭い目つきで睨んできたが、気付かないフリでやり過ごす。
「へえ。あのヴラドがまたも組織に入ることにしたんだ」
「まあな」
「しかも世界平和なんてさあ……あの人が言っていたことと同じだよね」
急にヴラドの表情が険しくなる。チェスは口元を厭らしく歪めて言募る。
「それはキミの意思なのかな?紅葉ちゃんのため?それとも、」
「黙れ!!」
一瞬、鋭い刃のような殺気が部屋を駆け抜けた。紅葉は驚いて息をのむ。チェスはまだ余裕そうだ。
「フフン、ごめんよ。それはキミの地雷だったね」
ヴラドは唇を噛んでチェスを睨む。
「そんなことより、だ。お前はどうして生きているんだ?七十年前、俺は確かに死んでるお前を見たぞ」
「七十年前……?」
紅葉はハッとした。チェスはもしかすると……
「カルディアの方なんですか!?」
「そうだよー!カルディアの頭脳、チェレスティーノはボクのことだよ!」
フォルトゥーナの所持するカルディアについて記されたファイルに、たしかその名前があった。魔術について研究し、その功績は数知れないと聞く。もっとも、実際に何をしたのかは書かれていなかったが。
「そんな!?なんで生きているのですか?」
「もう、二人ともそれしか聞けないの?ボクは魔術師だよ。人形に型を移すくらい簡単だよ」
人形に型を移す、というのは、己の魔力を特別に作った人形に入れて、自分の代わりを作るという魔術だ。繊細な調整が必要なため、大きな力と、それを意のままに操る技術が要求される高度な技のため、ヴラドはチェス以外にそれを見たことがない。
「じゃああの時も入れ替わってたって言うことか?」
「そう。というか、ボクはあまり戦闘は得意じゃないからね。人形の方が都合がいいのさ」
戦闘中に死んでも、人形が壊れるだけで実体に影響はない。人形に入れた分の魔力を失う程度だ。
「じゃあなんで隠れてたんだ?七十年も何してた?」
「ボクはね、ボクたちを殺した犯人を見たのさ」
ヴラドと紅葉は言葉を失った。
「だから、死んだと思われてるうちに、いろいろ調べとこうと思ったんだけど……」
「なにかわかったのか!?」
掴み掛かるヴラドを制止ながらチェスは言う。
「んー、それがさ、なんにもわからなかったんだよね。不思議だよね」
「はあ!?七十年もあってなんもわかんねえとかお前何してたんだよ……」
そう言いながら、きっと別のことに興味がわいて、本来の目的を忘れていたんだろうなと、ヴラドは思った。昔からチェスにはそういうところがある。それで何度痛いめにあったことか。思い出すだけで溜息が出る。
「まあいい。それで、どんなやつだったんだ、そいつ?」
「一瞬で首をはねられたから、あんまり見てないんだけど。たしか、首にドラゴンの入れ墨が入った男だったよ」
「……それってまさか」
ヴラドは紅葉の方を見た。彼女は両の拳を握りしめている。力が入り過ぎているのか、小刻みに震えているようにも見える。
「その人について、他になにか知りませんか?」
「なに?曰くありげなの?」
紅葉は小さな声で言った。
「私の両親を殺した犯人です」
「……」
ヴラドは息をのむ。一ヶ月前の事件の時、紅葉がドラゴンの入れ墨をした男を捜していることを知った。だが、それ以来紅葉は何も言わないし、ヴラドはそもそも興味がなかった。それがこんな形で繋がるとは。
「キミ、もしかして敵討ちしようとか思ってるの?」
なんとなく察したチェスが紅葉に問う。紅葉は力強く頷いた。
「やめときなよ。万が一にもキミに勝ち目なんてないよ」
チェスが欠伸をしながら言った。
「なぜです?やってみないとわからないじゃないですか!」
「やってみなくてもわかるものはわかるの。キミはボクたちをなんだと思ってるの?ただの吸血鬼の集団じゃないのは知ってるよね?ボクらはそれぞれ、他にはない特別な力を持ってるし、それを使いこなすためのものすごい量の魔力を持ってる。それは、今ボクたちが本気を出せば、こんな島国なんて一瞬で焦土にしてしまえるような力だ。それを一気に五人も戦闘不能にしちゃうんだから、キミなんか敵いっこないよ」
そう言い切ると、チェスはその場に横になった。
「ふああ。ボクしばらく寝てないんだ。おやすみ。あ、もし本当に敵討ちするつもりなら、ヴラドに頼みなよ。ボクたちの中ではダントツで強いから」
いうないなやすぐに寝息を立てはじめた。紅葉はいつもの無表情だが、虚空を見つめる瞳は険しい。
「……よく言うぜ。俺はアナスタシアに勝てたことねえのによ」
ヴラドは呟いた。
「あの、私、そろそろ帰りますね」
紅葉はそのまま玄関へと向かう。
「送っていくよ」
「いえ、椋本先輩が近くまで来てくれるので大丈夫です。では、また明日迎えにきます」
「ああ」
ガチャンと扉が閉まると、部屋にはチェスと二人だ。そういえば、チェスは寝言が酷いことを思い出して、ヴラドは一人溜息をついた。
「ヴラドさん、おはようございます」
紅葉の声が聞こえたと同時に、ヴラドは部屋から飛び出した。珍しく準備万端だ。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
怪訝な顔をする紅葉の背中に隠れる。
「なんでもなくない!!ヴラドさ、本当に死んじゃうよ?」
部屋から出てきたチェスは両腕が血まみれだ。紅葉が少し後ずさりした。
「や、やめろって!お前といいルニといい、そんなに俺に血を飲ませたいのか!?」
「そりゃキミに全力で戦ってもらうためだったら、ボクは恥も外聞も捨て去ってキミに血を提供するよ?正直飽きるほど生きてるけど、まだまだ命は惜しいからね」
チェスはすでに傷だらけの自分の手首を爪で切り付けて、流れ出てくる血をヴラドに見せつける。辺りに血の匂いが充満して気分が悪くなった。
「わかったから今はやめろっ!吐きそうだっ!」
「アッハッハ!!キミ吸血鬼なのに血の匂いで吐きそうとか面白いことをいうね!!」
「う、うるせぇ……」
確かに、自分でもかなり笑えると思う。
「まあ、同情はするよ。アナスタシアもずいぶんと酷なことをするね。キミは何も悪くないのに」
「……」
何も答えないヴラドに、チェスは溜息をついて差し出した腕を引っ込めた。その腕にはすでに傷跡はなく、血の跡だけが残っている。
「ヴラドさん、時間がないので行きますよ」
紅葉の言葉で、学校へ行くことを思い出した。チェスのせいですっかり時間を忘れていた。
「チェス、お前はここから出るなよ!」
「ハイハイ」
チェスは片手を振って返事をする。どうにも信用ならない返事だ。
「行きますよ」
先に歩き出した紅葉の後を追う。チェスはさっさと部屋に入ってしまった。まだ始まったばかりの一日だが、ヴラドの足取りは自然と重くなる。なんとなくイヤな予感しかしないのだった。
昼休み、紅葉はいつものように屋上に来た。扉を開けると、まだ誰もいない。自分が一番乗りだったようだ。日陰になっている壁際に腰を下ろす。気持ちのいい青空が広がっていて、なんだか眠くなりそうだった。
「ねえ、学校ってどんなところ?」
急に話しかけられて紅葉は心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。慌てて上を向くと、建物の屋根からチェスが顔を覗かせていた。
「チェスさん!!どうしたんですか?」
「どうもこうもヴラドの部屋はヒマでさー。アイツ、ご丁寧に玄関に魔封じの呪とか封印呪文とかいっぱいかけていくから、出るのにちょっと手間取っちゃった」
口元しか見えていないが、まるで冗談のように言って退けるところは、さすがカルディアの一人だ。弱っているとは言え、ヴラドの力は並ではない。
「はあ」
「ところでさ、キミに聞きたいことがあるんだけど」
紅葉は首を傾げる。さっと飛び降たチェスが、紅葉の横に座った。
「なんですか?」
「ヴラドがカルディアに入った経緯は聞いたんだよね?」
改まって問う口調は、普段の印象とは違って真剣だ。
「はい、聞きました。それがどうかしたんですか?」
「キミは、どうしてヴラドが人間の血を飲めなくなったかも聞いた?」
紅葉の心がざわざわと嫌な感覚に捕われた。なにか知ってはいけないことを、チェスは自分に言おうとしている。そんな気がした。
「グレゴールと言う吸血鬼の魔力を取り込んでしまったせい、と聞きました」
「そっか」
チェスは顎に手を添えて頷いた。
「本当のことを知りたいとは思わない?」
「本当のこと、ですか」
「ボクはアナスタシアの癒しの力で、ヴラドの体を救えると言ったのは事実だ。そして定期的にアナスタシアの血を飲むことで、ヴラドの魔力とグレゴールの魔力の反発による体への影響を最小限にできるとも言った」
ゴクリ、と喉が鳴った。紅葉の中に、黒い影が生まれる。それはきっと、疑惑という名の影だ。
「でも、人間の血が影響するなんてことは、誰も言っていないんだよね」
「え……?アナスタシアさんの血しか飲めなくなったんじゃ……。現に昨日、ルニさんのことを拒んでいましたし」
「だからさ。そこがどうもおかしいんだよね。ボクたちの吸血衝動って、簡単に抑えられるもんじゃないんだよ。人間だって、水がなくちゃ死んじゃうでしょ?それと同じことのはずなんだ。例え吸血鬼の血を飲む行為が、嫌悪感を抱く行為であっても、乾きという絶対的な欲求には逆らえないんだよ」
昨日のヴラドの反応は紅葉も少し不思議に思っていた。手の震えや動機、めまいに吐き気を催すその症状は心的外傷後ストレス障害、つまり、過去に何らかのトラウマがあるのではないかと思ったのだ。ヴラドは人間の血が飲めないのではなく、誰かにそう思うように強制されていたのではないだろうか。それが可能なのは、紅葉の知るところでは一人しかいない。
「キミが今考えていることは当たっていると思うよ」
紅葉は青い顔をしてチェスを見た。
「アナスタシアさんが、ヴラドさんを洗脳したってことですか?」
洗脳、と自分で言っておきながら、馬鹿げているなとも思う。あれほど強く自信に満ちあふれていて、傲岸不遜なヒトが、洗脳などされるのだろうか。しかし、チェスは紅葉が知らないヴラドのことを知っている。
「アナスタシアは、世界平和のためにとカルディアを作った。そこに共感してボクたちは仲間になった。でも、あの人が本当に世界平和を望んでいたかなんてわからない。もし本当に世界平和を望むなら、大多数を助けるために、個を犠牲にするやり方や、カルディアのような力で抑えつけるような、そんなやり方はしないと思うんだよね」
紅葉は言葉を失った。確かにフォルトゥーナも世界平和をうたっていて、それがどれだけ綺麗ごとかなんてこともわかっている。力は絶対的な強さで、人を従わすことができるし、誰かのために誰かが犠牲になることだってある。そこから復讐という、負の連鎖が生まれることは避けられない。戦わず、誰も死なない戦争などどこにもないのだ。しかし、それを追い求めることが、真の世界平和へと繋がると信じて、紅葉たちは日々奔走している。
「キミがどう思ってるかは知らないし、正直興味もないけど、カルディアはなんで存在して、どうしてアナスタシアはヴラドに執着していたんだろうね」
ヴラドに自分の血だけを飲ませ続けた、その目的など、紅葉にわかるわけがない。紅葉の中で、アナスタシアの印象が少しずつ変わっていく。ヴラドが親しみをこめて話すアナスタシアの姿と、カルディアの他のメンバーが語る姿は、そもそもが別人のように思えてきた。
「あの、アナ……」
言いかけたところで、チェスが紅葉の唇に人差し指を押し当てた。
「この話はボクたちだけの秘密ね!!」
そう言ったと同時に、屋上の扉をヴラドが勢いよく開けた。その後ろにはルーニエとルーカスもいる。
「てめえ、チェス!!なんかアホみたいな魔力の気配がすると思ったら!!」
「アホって、それどんな気配だよ!?」
チェスが悲しげな声で言う。ルニとルカは警戒心剥き出しのままだ。
「あのチビ!!生きてたのかよ!?」
ルカが珍しく怒りをあらわに怒鳴る。
「チビって、キミも小さい方だよね?そうでしょ、ルニちゃん?」
「私に振らないでください!!」
そんな吸血鬼たちのやり取りを尻目に、紅葉は一人考える。チェスは、思いも寄らない言葉の爆弾を、紅葉の頭の中に投下していった。




