最強の吸血鬼
静かに立上がったヴラドは、その顔に笑みを浮かべて言った。
「ハッ、残念だったな。さっさと心臓でも潰してりゃ、確実に殺せたのによ……三流映画みたいに語って変に演出なんかしてるから、俺の力……戻っちゃったじゃねえか」
ニヤニヤと笑みを浮かべるヴラドには、先ほどまで死にかけていたとは思えないほどの自信が溢れている。
「な、そんなバカなっ!!」
「バカは二百年経ってもバカのままだな」
ヴラドは右目の眼帯を取った。聖女の涙をくらったせいで傷を負っていたはずの右目は、怪我をする前の状態に戻り、撃ち抜かれたはずの左胸には、大きな血の染みが残るだけだった。
「ヴラドさん、っつ、大丈夫ですか!?」
「お前こそ大丈夫かかよ?」
「なんとか、生きてます……」
紅葉は顔を歪めながら答える。ブラドは内心ホッとしていた。まだ誰も死んでいない。七十年前とは違う。自分が仲間を助けることができる。
「どういうことだ!?何が起こっている!?」
マルズが半狂乱になりながら叫ぶ。
「ま、全てはアナスタシアのお遊びだ、とだけ言っておく。さあ、お前には散々遊んでもらった礼をしなければならんな」
ヴラドが全身にみなぎる魔力を惜しみなく解放した。七十年の長い月日押込められていたその力は、加減を知らず荒れ狂う。すぐ近くにいたマルズは、その圧倒的な力の前に尻込みする。
「ヒイイイイイッ!!」
「おい、復讐はどうした?お前は組織の頭なんだろ?そんなんでいいのか?」
尻餅をついて後ずさりをするマルズを、一歩一歩ゆっくり追いつめるヴラド。
「ほら、地獄の番犬を呼び出せるくらいには力があるんだろ?それで俺を遊んでくれよ。……紅葉にしたみたいにな」
「ハア、ハア、や、やめてくれ……」
「なんだ?俺はなにもしてないぜ?今のところは」
屋上を取り巻く空気が重い。そう感じるこの力は、ヴラドが魔力に乗せて放っている殺気だろう。これほどに強い力に紅葉は今まで出会ったことがなかった。フォルトゥーナにも強い力を持った吸血鬼や人狼、魔術師が多く在籍しているがその誰とも比較にならない。これが畏怖の念を抱かせるカルディアという存在かと、強く思った。
「さて、お前には聞きたいことがある。一つ、お前を蘇らせたヤツは誰だ?二つ、お前の組織のトップは誰だ?三つ、エドワードの父親は知っているか?」
「わ、私は何も知らない!!知っているのは、私を蘇らせたのは男だったということだけだ!!組織は二百年前と同じ、私は依頼されてやった!!武器や人員もすべて最初から用意されていた!!」
「そうか、二百年も復讐しようと企んでた割に、お前もどうやら使い捨てだったようだな」
「ッ!!」
ヴラドはおもむろに右手を上げる。殺されると思ったマルズがヒッと息をのんで目閉じる。
「待ってくださ!私も聞きたいことがあります。首筋にドラゴンの入れ墨を入れた男をしりませんか?」
「ドラゴン……?悪いが私は知らん!」
「そうですか」
ヴラドがもう一度手を挙げようとしたとき、マルズが言った。
「待て待て!生かしておいてくれたら、そいつのことを調べてやろう。きっとあのお方ならなんでも知っているはずだ!!」
「いえ、結構です。自分で調べますから」
今度こそヴラドは右手に魔力を集中させた。それを空中に放つと、ケルベロスが出て来た黒いもやが広がった。
「おい犬!!コイツを地獄送りにしてやれ!」
急に怒鳴られたケルベロスは三つの頭を同時に竦めた。地獄の番犬にとっても、ヴラドの魔力は恐ろしいものだったのだ。マルズに呼び出されたときは、呪文自体に拘束力があったのだ。ヴラドに逆らえない理由は、自分よりもヴラドの方が強いと判断したからだった。面白いことに、こういうところは本当にただの犬と変わらないのだ。
「聞いてんのかこの犬が!さっさと帰れ!!」
一括されたケルベロスは、やめろ、離せ、と叫ぶマルズを真ん中の首で咥え、地獄へと帰っていった。
フン、と鼻を鳴らすヴラドは軽く手を振って、ケルベロスが消えた穴を閉じる。
「紅葉、怪我は?」
紅葉のもとに駆け寄ったブラドは、起き上がろうとする彼女に手を貸した。幸い全身の打撲だけで済んだようで、ふらふらとしているが問題なかった。
「ヴラドさん、月島さんをっ!!」
立上がった紅葉はそう言ってレイラに駆け寄る。レイラは縛られていた腕を解かれ、自力で立上がった。顔色はいいとは言えないが、怪我はないようで紅葉は安心して一息つく。
「……説明して」
「え?」
「説明してよ!!なにがどうなっているの!?あんたは何者なのよ!?あの男は?さっきのバケモノはなんなの!?」
「それは……」
紅葉は言い淀む。レイラが取り乱すのも無理はない。紅葉はヴラドに、”みんなが正体を黙っていればいい”と言ったが、現実は違う。レイラの反応が当然なのだ。
「月島さん……私たちは、」
「ちゃんと説明してよ!友達なんだから!!」
紅葉はハッとした。自分は勘違いをしている。レイラが怒っているのは、巻き込まれたことではないのだ。きっと、このまま何も伝えられず、なかったことにされてしまうだろうと思って怒っているのだ。紅葉はレイラも、ヴラドのことも巻き込んだ負い目が拭いきれない。それをわかっているから、紅葉は黙ってここからいなくなることもできるとレイラは思っていた。
「だから言っただろ?レイラは巻き込まれたかもしれないが、紅葉のせいじゃない。お前も友達だろ?俺にはよくわからんが、お前が俺に手伝えと言ったのは、レイラのことを友達だと思ってのことだろ?正体がバレようと、守らなければと思ったんじゃないのか?」
「それはそうです。でも、話してしまったら……」
「また巻き込むかもって?余計なお世話よ」
紅葉にはこうして人と付き合った経験があまりなかった。だから、危険かもしれないとわかっていて知りたいというレイラの気持ちが素直に嬉しかった。
「わかりました。私のことも、ヴラドさんのこともちゃんと話します」
「その前にここを離れた方がいいな」
ケルベロスを呼び出したときに充満していた黒い霧が、徐々にはれ始めていた。頭上には報道ヘリと、そこに紛れた敵のヘリがまだいるかもしれない。ヴラドとしては、また撃たれるのはごめんだ。霧が完全に消える前に校舎に戻るのが得策だろう。
「いいわ。行こ」
レイラと紅葉が出入り口へ向かって歩き出した。ヴラドがその後ろをついていこうとした時。体にあの激痛が駆け巡り始めた。
「ガハッ!!」
「ヴラドさん!?」
「純平くん!?」
紅葉もレイラもビックリしてヴラドのもとへ駆け寄った。その場に倒れるヴラドは血反吐を吐いてのたうつ。
「ねえ、純平くんどうしちゃったの!?」
駆け寄ったはいいが、二人に成す術はない。これがヴラドが言っていた魔力による反動なら、治せるのはアナスタシアだけだ。
「ヴラドさん!!大丈夫!!気をしっかり持ってください!!きっとなんとかなりますから!!」
自分の名を呼ぶ紅葉の声がかろうじて聞こえるが、答えることができない。魔力を使った時、この呪いを忘れていたわけではなかった。が、紅葉を助けるために無我夢中だったのだ。
「ウガアアアアッ、ハア、ハア……」
苦しそうなヴラドを見ていることができなくて、レイラは目を伏せてしまった。状況が全く飲み込めないがかなりまずいのだろう、紅葉の顔色が悪い。
「ヴラドさん!聞こえてますか!?ヴラドさん!!」
紅葉の声がどんどん遠くなっていく。ここで自分は死ぬのか。アナスタシアと交わした生きるという約束はどうやら守れそうにない。ここまで反動が強いとは想定していなかった。きっとこの魔力の前の持ち主が、長く封じられていたことを怒っているのだろう。
そういえば、とヴラドはさっき魔力が戻ったときのことを思い出した。アナスタシアとの最後の記憶。たしか彼女は”あたしの力をあげる”と言っていなかったか。それはどういう意味だったのだろう。
”ヴラド、あたしのお願いを聞いて”
まただ。またアナスタシアの声が脳裏に響く。忘れていたあの日の記憶。死にかけていると聞こえるのだろうか。そうだとしたら本当にあの人らしいなとヴラドは思う。いつも状況を知っていて、ヴラドが死にかけるまで助けにこなかったのだから。
”生きて”
その瞬間、ヴラドを包み込むように一陣の風が吹いた。紅葉とレイラは驚いて腕で顔を隠す。勢いとは裏腹に、その風にはどこか暖かい優しさがこもっていると紅葉は思った。
「ヴラドさん!」
風が弱まると、あんなに苦しそうだったヴラドの表情は穏やかになっていた。紅葉は今だ、とヴラドの肩を担いで校舎へ向かおうとする。意図に気付いたレイラも、反対側にまわって肩を担ぐ。
やっと室内に辿り着く頃に、黒い霧が晴れ始めた。ギリギリ間に合ってようで、二人は深く息を吐き出す。
「さっきの何が起こったの?」
「私にもわかりません。少なくともさっきよりは落ち着いたようです」
二人はヴラドの傍らに座り込んだ。その間に紅葉はこの二人を連れてどうやってここから脱出しようか考える。このままここで椋本の部隊が救助に来るのを待つか。いや、待っている暇はないかもしれない。校内には武装したテロリストの集団がいるのだ。彼らがマルズの失踪を知ったら、ここまで来るかもしれない。やはりここに留まるのは危険だ。
しかし紅葉の考えは杞憂に終わった。ヴラドが目を覚ましたのだ。
「ん……?」
「ヴラドさん!!大丈夫ですか!?」
「ああ、何ともない……」
意識戻ると、さっきまで感じていた全身の痛みがなくなっていた。内蔵が焼けただれるようなあの痛みが跡形もなく消えるなど、アナスタシアの治癒の力でしかあり得ない。
「なにがあったんですか?急にヴラドさんのまわりを風が取り囲んで……」
「俺にもわからん」
険しい顔をするヴラドに、紅葉が言う。
「なんて言うか、優しい感じの風でした」
それを聞いたヴラドは少し表情を緩める。頭の中で聞こえた声は、きっとこのことを言っていたんだろう。アナ、という小さなヴラドのつぶやきは、紅葉の耳に少しだけ届いた。
「ね、ねえ、足音がするよ」
レイラが慌てたように言った。ヴラドはすっかり状況を忘れていた。紅葉もハッとした表情で顔を上げる。階段を駆け上がる数人の足音。どうやらマルズが消えたことがバレたようだ。
「ヴラドさん、どうしますか?敵はかなりいるようですが、私は弾切れが近いです。ヴラドさんの銃は……」
「……あれ、そう言えばどこやった?」
「私に聞かないでください!!」
ヴラドはこうして時々とんでもなく間抜けなときがあることに紅葉は気付いていたが、今はそれどころではない。
「月島さんを守りながらの戦闘は不利ですが……やむを得ませんね」
紅葉はそれなりに対人戦闘に自信がある。たとえ銃が相手であっても、だ。ヴラドの実力も最近目にした。狭い空間で上手く立ち回れば、椋本が来るまでなんとか持つかもしれない。
「おい、紅葉。お前なんか物騒なこと考えてね?」
「いえ、どうしたら犠牲を出さずにここから出れるか考えていただけですけど」
「はあ。俺のこと忘れたのか?」
ヴラドの含みを持たせた言い方に、紅葉はやっと気付いた。
「俺はな、吸血鬼だ。それも世界で一番最強で最凶のな!!」
この時のヴラドの顔には、紅葉が今まで見たどれよりも不敵な笑みが浮かんでいた。




