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第67話 走った結果、噂が増える

 朝の角は、静かだった。

 板は板。釘は少し。木片は一枚。箱は閉じてる。欠けの石は欠けたまま。

 静かだと、安心する。安心すると、人は“言葉を足さずに済む”……はずだった。


 今日は逆だ。

 静かだから、余計に「何か出た?」が出る。


「ねえ、掲示が出たって」

 通りの端で、誰かが言った。

 言い方が軽い。軽いのに、耳が勝手に重く受け取る。


「掲示?」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。

「言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で掲示」

「胸の中なら勝手にしろ」


 掲示板は、ある。

 落とし物箱の隣。箱のふたの横。木の板が一枚。

 そこへ行く途中の道が、すでに“行きたい背中”で太っていた。


 太るって言うな。胸の中で太る。

 太った背中は、だいたい走り手を呼ぶ。


 走り手の子が、角に立っていた。

 足が早いのに止まれる子。

 昨日、叫ばないで指で示すのを覚えた子。

 今日は、その“覚えた”が逆に火種になっている。


 子は、通りの人に向けて、指を一本だけ立てた。

 板の方向を示して、口を押さえる。

 動きだけ。声は出ない。

 出ないはずなのに、周りの口が勝手に続きを作る。


「ほら、見ろって!」

「何か出たんだ!」

「朝市、早い?」

「井戸、欠けまで固定?」


 固定って言うな。胸の中で固定。

 固定が出た時点で、もう“決まりっぽい”が生まれている。


「確定って言うな」

 ユリネが短く言った。

 短いから刺さらない。刺さらないのに、周りの口が一拍止まる。

 止まったところで、ミナギが余計なことを言う。


「でもさ、“掲示が出た”って言い方、便利じゃん」

「便利って言うな」

「……助かる?」

「助かるのは口が減った時だ」


 結び家は、掲示板の前へ着いた。

 板は、すっきりしていた。

 紙は一枚も増えていない。

 木札が一枚だけ、ちょこんと掛かっている。


 見る


 それだけ。

 それだけなのに、周りの人が「え?これだけ?」の顔になる。

 顔がなると、口が増える。


「見るって、何を?」

「掲示の内容が無いじゃん」

「書いてないってことは、隠してる?」


 隠してるって言うな。胸の中で隠してる。

 胸の中で疑って、口に出すと増える。増えると噂になる。噂は太る。


 タケルが真顔で板を指した。指先だけ。増えない。

「見れば分かるやつだけ書く」

「分かるやつ?」

「準備中とか。欠けまでとか」

「じゃあ今日は?」

「……今日は、ない」


 ない、は強い。

 強いけど、刺さらない言い方で置くと、場が落ち着く。

 落ち着く前に、別の口が割り込んだ。


「でも走り手が“板”って言ってた!」

 言ってた。

 言ってた、は危ない。

 言ってたが増えると、言ってないことまで増える。


「板って言われたら、掲示が出たって意味じゃん」

「意味じゃない」

 ユリネが短く切る。

「じゃあ何」

「見る」

 ユリネは同じ言葉をもう一回だけ置いた。二回目は増やす二回目じゃない。戻す二回目だ。


 ここで、噂の芯が出た。

 芯はいつも、善意だ。


「掲示が出たって言えば、みんな走らなくて済むと思って」

 言った人が、困り顔で笑った。

 困り顔は刺さる。刺さると「責めたくない」が増える。増えると曖昧になる。曖昧になると、また噂が太る。


 コトが柔らかく言い換えた。

「走らせないために、言葉を足したんだね」

「そうそう」

「でも足すと、別の足が走る」

 コトの言い方が、生活の循環だ。刺さらない。


 ハルが小さく言った。

「……口の掲示」

「言うな」

 ユリネが反射で刺して、すぐ直す。

「……口を掲示にするな」

 言い直すと、周りが少し笑った。刺さらない笑いは助かる。


 問題は、笑ってる間にも噂が走ることだ。

 掲示板の前に人が溜まると、朝市へ行く人が「何かある」と思って寄る。

 寄ると、また口が増える。増えると、朝市が薄く前倒しになる。

 前倒しになると、洗い籠が混ざる。混ざると、また豆が転がる。


 ころん。


 案の定、掲示板の足元で、小銭が転がった。

 転がった先が、欠け石の近くだ。

 拾う手が出ると、また背中が詰まる。


「拾う!」

 ミナギが言いかけて、

「拾うな」

 ユリネが刺す。

「えっ、でもお金」

「本人が拾え。周りは動くな」


 タケルが真顔で、小銭の逃げ道だけ足で止めた。

 手を出さない。足だけ。足は偉い。

 落とした人がしゃがんで拾う。

 拾ったら終わり。終わると、掲示板の前の背中が一段薄くなる。


 薄くなったところで、ユリネが線を置いた。

 言葉の線。短い。増えない。


「“掲示が出た”って言うな」

「えっ」

「見たなら“見た”。聞いたなら“聞いた”。終わり」


 終わりがあると、噂が太りにくい。

 太りにくいって言うな。胸の中で太りにくい。


 レンカが息を吸って、言い直した。

「……聞いた、って言う」

「よし」

 ユリネが短く頷く。

 レンカは止められる。止められる人が一人いるだけで、場が戻る。


 走り手の子が、困り顔で近づいてきた。

 子の困りは、今日の困りだ。

「ごめん。俺、板って言った」

「言ったって言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で言った」

「胸の中なら勝手にしろ」


 コトが子の目線に合わせて、しゃがまないで首だけ落とした。

 しゃがむと増えるから、今日は首だけ。

「次からは、声じゃなくて指だけでいいよ」

「指だけ」

 子が復唱して、口を押さえた。止まれるなら勝ち。


 タケルが真顔で補助する。

「言うなら一語。“見る”だけ」

「見る」

 子がもう一回復唱して、今度は自分から一歩下がった。下がれるなら勝ち。


 掲示板の前の人の一人が、照れくさそうに言った。

「じゃあ……さっきのは“聞いた”でした」

「そう」

 ユリネが短く返す。

「掲示が出たって言い方、やめる」

「言うな」

 ユリネが刺して、すぐ直す。

「……やめるなら、よし」


 これで終わる、はずだった。

 噂は、しぶとい。しぶといって言うな。胸の中でしぶとい。


 背中の外側で、別の口が小さく漏れた。

「でもさ、掲示板に“合図で朝市”って書くと分かりやすいよね」


 分かりやすいは増える入口だ。

 増える入口は、次の話を呼ぶ。


「書くな」

 ユリネが短く言った。

「えっ」

「書くと決まりに見える」

「決まりは守れない」

 タケルが真顔で続ける。

「守れないと揉める」

 真顔の列挙は怖い。怖いのに、想像できる怖さは止まる。


 止まったところで、掲示板の板番のおばさんが、木札を一枚だけ指でとん、と叩いた。

 見る。

 それだけ。

 板番のおばさんは言わない。言わないのが上手い。


 結局、人は散った。

 散り方が静かだ。静かだと、朝市が朝市の順番に戻る。

 匂いが立つ。声が後。小銭が最後。

 戻ったなら、今日は勝ちだ。勝ちって言うな。胸の中で勝ち。


 ……でも噂の芽は残った。

 残るって言うな。胸の中で残る。


 帰り道、ミナギがぽつり。

「走り手が走ると、噂も走るんだな」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で走る」

「胸の中なら勝手にしろ」


 レンカが口を押さえたまま、真面目に頷いた。

「見た、聞いた、で止める」

「よし」

 ユリネが短く言う。

 タケルは真顔で、少しだけ目を伏せた。

 反省は暗くしない。一回で終わるのがいい。


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 湯気が上がる。

 湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「今日、走った結果、噂が増えた」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、増える」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ハルが小さく頷く。

「……口を掲示にすると、太る」

 シノがぼそり。

「……指だと、太らない」

 コトが笑う。

「走るのを止めるんじゃなくて、言葉を太らせない」

「言うな」

「……胸の中で太らせない」

「胸の中なら勝手にしろ」


 レンカが小さく宣言して、すぐ口を押さえた。

「今日、掲示が出たって言わなかった!」

「言いかけた」

 ミナギが真顔で言いかけて、

「未遂って言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で未遂」

「胸の中でも言うな」


 刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。

 噂は残った。残るって言うな。胸の中で残る。

 でも今日は、生活で沈めた。沈めたなら、明日も回る。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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