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16|『フォックス・イン・ザ・ボックス』

 魔法博物館・ライラック。呪術・呪物エリアの洋館の一室に、金髪ツインテールになったアリィスがいた。ネプオン曰く、彼女を襲った赤いリボンは呪物の一種で、未練を残して亡くなった少女の霊が憑いているらしい。


 ネプオンは言う。


「リボンののろい……解く、方法。……少女の霊を……成仏させる……」


「はぁぁ? それまで私、ずっとツインテールかよ。イフに、触手に、その上、女の子の霊まで憑いてくるとか、私の体ヘンなもんの集合住宅じゃねえかっ!!」


「ふひひひひ! ありぃすのつっこみ、こめでぃあん……みたい……」


〈でもアリィス~、似合ってるよぉ! かわいい~!!〉


「かわいさなんて何の価値もないから」


 そのときだった。


 いくつも並ぶドアのひとつ。

 ハート型のドアの向こう側から、ウィンターの悲鳴が響く。


「ひゃぁああ!! こ、声がぁー!! かべの向こうから声がぁーっ!!」


 アリィスの麻酔弾で眠らされたウィンターは、そのドアの向こう側にある部屋で、二段ベッドに寝かされていた。


 そしていま、ウィンターは目を覚ましたようだ。

 起きてすぐ、彼女は悲鳴を上げながら展示室へ飛び込んでくる。しかし、部屋全体が傾いていることを知らない彼女は、その勢いのまま足を取られた。


「うぉっ、あ――」


 頭から床へ派手に転ぶ。

 ずさーっと、傾いた床を滑り、アリィスとネプオンのあいだへ突っ込んできた。腹ばいのまま、ペンギンみたいに手足を投げ出して、ウィンターは口を開く。


「いっつぅー! 頭うったぁ……。ねぇ、なんで傾いてんのー、この部屋ぁ?」


ネプオン(こいつ)の趣味だってさ」


 アリィスは、ギザ歯をのぞかせ不気味に笑う黒髪の触手女(ネプオン)を顎で指した。寝そべったまま、ウィンターは視線だけを上げる。


「は、はじめまして?」


「ど……どうも……。この、じゅちゅちゅ、じゅつつえりあ……担当の、学芸員……ネプオン、チェシア……です……」


「ぜんぜん言えてない。――アタシは、ウィンター。凄腕の魔法医師さ、きらり!」


「お……おぉ……! かっこ、いい……っ!!」


 初対面から妙に波長が合っているウィンターとネプオンの二人を尻目に、アリィスはハート型のドアへ歩いていく。――その先には、さっきまでウィンターが寝ていた二段ベッドがあり、壁際には木箱が数個積み重ねられていた。


 アリィスは目を閉じる。


 耳を澄ませた。

 すると、たしかに聞こえる。


 壁の向こう側から、かすかな声のようなものが。


「――イフ。なにか見える?」


 右眼のナスタルギアの内側、空白の世界。

 イフは両手を顔の前で交差させ、両目を覆い隠した。


 腹部の歯車が、高速で回転し始める。


〈ぴぴぴぃ~。……見える。……鼓動、息――それと、血の赤……!〉


 イフの声が、鋭くなる。


〈アリィスっ!! その木箱の裏の壁!! 誰か怪我してるよ!!〉


「ありがと、こっちね!!」


 アリィスはイフが示した木箱へ駆け寄り、力任せにどかそうとした。だが、木箱は重く、ぴくりとも動かない。その様子を見たネプオンが、展示室から小走りで駆け寄ってくる。――そして、クロークの隙間から触手を伸ばした。


 触手の吸盤が木箱の側面へぴたりと張りついた。

 ずず、と重い音を立てて、木箱が少しずつ横へ動いていく。


「う……うぁ……おも、い……!!」


 やがて、ネプオンの触手によって、

 壁の前からすべての木箱が取り除かれた。


 そこにあったのは、カビがびっしりと生えた木の壁だ。


「助かった。さすがは触手の魔序だな!」


「ちがぁう……私、は……のろいのまじょ……」


「まぁ、どっちでもいいけど。――ネプオン、ちょっと離れて!」


 アリィスは魔導書をホルスターから引き抜くと、

 自分の右足のふとももに触れ、強化魔法を唱えた。


 一歩下がり、アリィスは強化した右足を振り上げる。


「どっせいやぁ――っ!!」


 轟音。

 カビだらけの木壁が、爆ぜるように蹴り破られた。


〈木箱を動かす時もそれ使えばよかったのでは~?〉


「イフ、それは言っちゃだめだよー。ねー?」


〈しゅみません。もう言いませぬ〉


 破壊された壁から、無数の木片が飛び散った。

 そして、壁の向こう側に隠されていた空洞があらわになった。


 幅二メートルもない、狭い石の空洞。

 壁は荒削りで、最近掘られたばかりのような跡が残っていた。


 アリィスは、その空洞の奥に横たわる人物を見て、息を呑む。


「――、ユズリハ……?」


 ローズピンクの髪と、ミミズクのフード。そこに血まみれで倒れていたのは、最初に小人エリアでアリィスたちを迎えた、館長のアン・リ=ユズリハだった。


 彼女の全身には、深い切り傷が無数に刻まれている。

 もはや、辛うじて息があるのも奇跡なくらいの重傷だ。


 壁面には、ユズリハの血を使って、

 キツネ耳が生えたドクロのマークが描かれていた。


 


   ―― 16.『フォックス・イン・ザ・ボックス』 ――




 ウィンターは、すぐに魔法の準備へ取りかかった。


 洋館の中を歩き回り、使えそうなものを片っ端から集めていく。

 ――数種類の薬草とハーブ、花、キノコ類、ワイン、蜂蜜、塩、砂時計の砂、宝石の粉、澄んだ水。さらに、近くにあった魔法起動式の機械を手早く分解し、内部から魔力血液の入ったカートリッジを回収した。


 ウィンターは、それらをすべて三角フラスコの中へ放り込む。そして、片手でフラスコを振りながら、もう片方の手でブックホルスターから魔導書を引き抜いた。


 静かに魔法を唱える。


「……精霊の小瓶(ディーア・フィーラ)


 フラスコの中で、集められた素材が混ざり合う。濁った色がほどけ、泡が弾け、やがて液体は淡い緑色の光を帯び始めた。


「それは?」


「治療用のポーション。とは言っても、浅い傷を治すくらいの効果しかないから、あとはアタシの腕次第ね……」


 アリィスの問いに答えながらも、ウィンターの手は止まらない。


 次に、ユズリハの衣服をハサミで切り開く。切り傷が刻まれた皮膚を露出させ、生成したポーションを少しずつ傷口へ垂らしていった。淡い緑の液体が皮膚に触れる。すると、じゅっ、と小さな音を立てて、血が止まった。

 

 浅い傷がたちまち塞がっていく。


 アリィスとネプオンは邪魔にならない位置に下がり、魔法医師ウィンターの処置をじっと見守っていた。


「……すごうで……ほんもの、だ……!」


「ウィンターって本当に医者だったんだな!」 


「ずっとそう言っとるじゃんね。っと。ではでは、あとは深いところを――」


 ウィンターは袖をまくって、右手首を左手の親指で強く押し込む。その瞬間、彼女の右腕の皮膚が縦に裂けた。その裂け目から、銀色の糸のようなものが溢れ出す。


 ――数億本のナノマシン繊維だ。


 それらは瞬く間にウィンターの皮膚と筋肉を覆い、指先までの組織を、鋼鉄の機械へと組み替えていく。生身だった右腕が、カチ、カチ、カチ、と音を立てながら、精密な医療機械へ変形した。


 ぴょん、と外に飛び出してきたイフが、ウィンターの機械化した右腕へ顔を近づける。おでこがくっつきそうな距離まで覗き込んで、目を輝かせた。


〈ねぇ、見てアリィス! カッコいいっ!!〉


「もしかして、それも魔導エクスマキナ?」


 ウィンターは右手の指を動かす。

 カチャカチャ、と繊細な金属音が鳴った。


「そ。まさにアタシの“腕”次第ってねー。ひっひ!」


 いつもの調子で言葉を弾ませながら、ウィンターはユズリハの腹部に刻まれた深い傷口へ、機械の右手をかざした。そして、その指先から肉眼では見えないほど微細なレーザーを傷口に向かって照射する。不可視な光が傷口を走査し、断面をなぞるたび、ばらけていた細胞構造がわずかに引き寄せられていく。


 ウィンターの表情から、酔いも軽口も消えていた。


 ただ静かに、正確に、傷を見ている。

 患者の命を、指先でつなぎ止めている。


 数秒後。


 裂けていた皮膚は何事もなかったかのように滑らかに閉じた。

 ウィンターは同じように、他の深い傷もひとつずつ塞いでいく。


 やがて、最後の傷口が閉じた。


「――よし。パーフェクトぅ!」

 

「おわった……? ……館長、は……いきてる……?」


 おずおずと尋ねるネプオンに、ウィンターは大きなあくびをしながら答える。


「ふぁいふぉーぶだよー。手術はばっちし大成功ぉー! どやぁ!」


 その言葉を聞いて、ネプオンの肩から力が抜ける。

 アリィスも小さく息を吐いた。


「……よかった。にしても、誰がこんなことを――」


 アリィスは、空洞の壁へ視線を向ける。

 そこには、キツネ耳が生えたドクロが描かれていた。


 *


 消えたサナの行方。

 結界魔法が解かれた呪いのビール。

 何者かに襲われた館長、ユズリハ。


 アリィスたちは木箱に腰かけ、いったん状況を整理していた。


「あのドクロのマーク。ウィンドストリート・ブリッジで襲撃してきたギャングのだよな。名前はたしか……」


「コーフツェンだね。ちょっと鉛筆借りるよぉー」


 ウィンターは近くにあった鉛筆と紙の切れ端を取って、

 さらさらと漢字を書き並べはじめた。


 そして、書いた文字をアリィスとネプオンに見せる。


「――これで、狐凮陣(コーフツェン)。一文字目の意味は、まさにキツネだねー。こんこん」


「……でも……なんで……ぎゃんぐ、が……?」


 そこでアリィスは、ウィンドストリート・ブリッジを襲撃してきたカルディアのパイロット――あの緑髪の男の言葉を思い出す。


「ナスタルギアを奪ってこい、そう上に命令された。ってあいつは言ってたけど」


〈言ってたねぇ~〉


「あの――話の途中ですまん。そもそも、そのナスタルギアってなにさ?」


 首をかしげるウィンター。

 アリィスは自分の右眼を指して言う。


「私のこの赤い眼がそうだよ。まぁ、形状はナスタルギアによって違うんだけど」


「……はい?」


「簡単に言えば、聖ユポルっていうすごく偉い人が遺した、禁術レベルの強力な魔法が使える魔道具。それがナスタルギアだ。全部で十数個しかないって話だな」


「ほほぉーん。って、ん? アリィスくんさ。いまさらっと明かしたけど、え? そうなの? その右眼がその、ナスタルギアなの?」


「あぁ。正式には、ナスタルギア・晴の歯車っていう名前だ。あと、そうだ。この中にはイフっていう私の相棒もいる。いる、というか居候してる」


〈誰が居候じゃい!〉


「は、はぁい? たしかに、アリィスってよく一人で誰かと会話してるみたいだったけどさ。触れたらまずいのかなぁー、って。あのさぁ。もっとはやく言いなー?」


「ごめん。普通に、忘れてた」


 もちろん、嘘だ。

 アリィスは厄介ごとを招かないため、ナスタルギアのことはあえて隠していた。だが、ウィンターであれば、もう話しても問題ないと判断したのだった。


 一方で、アリィスの右眼に埋め込まれたナスタルギアのことも、イフの存在も、アリィスの本心もすべて知っているネプオンは、困惑するウィンターを見て静かにくすくすと笑っていた。展示室では、振り子時計の針の音がやけに大きく響いている。


 カチ、コチ。

 カチ、コチ。


 アリィスはぽつりと呟く。


「なぁ、ネプオン。このエリアってさ、来場者が一人もいないのか?」


「……ふにんき、えりあ……なので……」


〈そりゃそうだ~! だってお化けとか出そうだもん~!〉


「にしても静かすぎる。――じゃあさ、ネプオン。リラ・ガーデンメイドって名前に聞き覚えあるか?」


 それは、小人エリアでユズリハとともに現れた、メイド服の環境デザイナーの名前だ。アリィスは薄々、気づき始めていた。リラの正体が何なのかはまだ分からない。

 だが、傭兵としての勘が、彼女の存在に違和感を覚えていた。


 ネプオンは思い出すように、しばらく天井を見上げる。

 それから、ゆっくりと首を横に振った。


「しらない……。……りら、って……だれ……?」


「このライラックシティの設計を担当した環境デザイナーだって、館長のユズリハが言ってたけど。学芸員のネプオンでも知らないのか?」


「……それは……おかしい……。この街、の……でざいん……ぜんぶ、館長のユズリハがした……と、聞いてる……」


 その言葉を聞いた瞬間、アリィスの表情が変わった。彼女は自分の腕に装着されたブレスレットへ視線を落とす。そして、取り外そうとした。


 しかし、外れない。

 

 どれだけ力を込めても、ブレスレットは肌にぴたりと張りついたまま動かなかった。ウィンターも同じように外そうとする。だが、皮膚まで剥がれそうになり、慌てて手を止めた。


 アリィスは勢いよく立ち上がり、舌打ちする。


「ちっ。小人エリアで私たちの前に現れたあのユズリハはたぶん偽物だ。目的は分かんねぇけど、あのリラって女に騙されたんだ。――サナの身も危ないかもしれない」


 ウィンターも、小人エリアでの会話を思い返して声を上げる。


「アリィス。このブレスレット、魔法を使ったら通知が届くって言ってなかった?」


「……ここでユズリハを治療したことがバレてる。そのコーフツェンっていうギャングか、それともまったく別の何者か知らねぇけど。急いで離れた方がいいかもな」


〈ねぇアリィス、館長はどうするのぉ~?〉


 二段ベッドに寝かされたユズリハの姿を見ながら、アリィスは頬を膨らませた。

 ユズリハは治療を終えたばかりで、まだ意識を取り戻していない。連れて動くには危険すぎる。かといって、ここに置いていくのも危険だ。


 アリィスは目を閉じ、脳内で作戦を組み立てる。


 そのときだった。

 チャイムの音が鳴る。


 直後、天井のスピーカーから館内放送が流れ始めた。


「――みなさま。本日は、魔法博物館・ライラックにお越しいただきありがとうございます。当博物館は現在、明日開催される『魔序のお茶会』に向け、一時的に都市全体を結界で封鎖しております」


 その声は、間違いなく小人エリアで聞いたリラのものだった。

 リラはスピーカーの向こうから、さらに言葉を続ける。


「また。イベントが始まる明日の朝、参加者のみなさまを当博物館の職員が迎えに参ります。それまで我々の方から接触することはございませんので、ご安心ください」


 まるで、アリィスの考えを見透かすような言葉だった。


 やがて、館内放送が終わる。

 展示室に静寂が戻る。


 カチ、コチ。

 カチ、コチ。


 振り子時計の針の音だけが、やけに煩く鳴り響いていた。

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