46:魅了の力
シャロンは離宮から帰った翌日から、毎日のように変異種に関する研究を行なっているベネット子爵の元を訪れていた。
そこにいるエミリアに会いにきているのだ。
「いつもありがとうございます。シャロン様」
「いえ、好きでやっていることですから」
すりおろしたりんごを詰めた瓶を手に、シャロンは奥の部屋にいるエミリアの様子を覗いた。
体を起こした状態で、生気のない目でぼーっと窓の外を眺める彼女の姿にシャロンは胸が痛む。
「エミリア様。今日はお食事を食べられましたか?」
シャロンがベッドのそばにあるサイドテーブルに小瓶を置くと、彼女は少し窓を開けた。
冷たい風が頬を刺す。
「寒いかもしれませんが、少しだけ換気をしましょう」
返事をしない彼女に、シャロンは優しく話しかける。
そして、サイドテーブルに置いてある記録に目を通し、ほっと胸を撫で下ろした。
流動食がメインではあるが、きちんと食べているらしい。
「りんご、食べますか?」
シャロンは小瓶の蓋を開け、スプーンでそれを救うとエミリアの口元に運ぶ。
すると、彼女は自らの意思でゆっくりと口を開けた。
その様子に、シャロンは目を細める。
「良かった。お好きだと聞いたのです」
アルフレッドから。
けれどその名はまだ口には出せない。
シャロンはもう少し待っていてくださいと呟いた。
りんごを半分だけ食べたエミリアは眠りについた。
どんな夢を見ているのだろうか。
夢の中だけでも幸せなら良いのにと、シャロンはそう強く願う。
「お茶が入りましたよ。良ければどうですか?」
「ありがとうございます。いただきます」
ベネット子爵はテーブルの上に山積みになっている論文や学術書を床に下ろすと、空いた狭いスペースに淹れたての紅茶を置いた。
シャロンはテーブルの前の1人がけのソファに腰掛けると、ティーカップを手にとる。
「いい香りですね」
「カモミールです。この間、孫が届けてくれまして」
「何だか落ち着きます」
最近あまり寝れていないせいだろうか。シャロンはカモミールの香りに癒された。
日に日にやつれていく彼女をベネット子爵は心配そうに見つめる。
「お疲れなのですね」
「そうかもしれません。色々と、ありましたから」
「経過報告、しても大丈夫ですか?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
カモミールティーに一口だけ口をつけると、シャロンはカップを置いた。
子爵は白髪の長い前髪をかきあげると、胸ポケットに入れていた眼鏡をかける。
そして、テーブルの上に積んでいた資料の一部を彼女に手渡した。
「エディ・クラークはもうほとんど正気を取り戻しています」
「そうですか」
「魔力の流れにまだ乱れはありますが、あと二日もすれば魔術師として復帰できるでしょう」
あの後、魔力封じの首輪を外されたエディは、魔力が回復してもしばらくの間、ずっとエミリアを求めていた。以前のアルフレッドのように盲目的に彼女への愛を語っていたのだ。
だが根気強く、順序立ててその感情がつくられたものであると説明し続けた結果、今ではほとんどその魅了は解けている。
まだ少し愛情は残っているものの、そこまで深いものではなく、彼女の姿を見ても『哀れだ』と思う程度だそうだ。
彼の感情の変化に伴い、魔力が安定してきていることから、魅了の効果と魔力には何らかの因果関係があると子爵は考えている。
「エディ・クラークの魔力量の高さはなかなかのものですからね。ウィンターソン公爵に比べるとやはり魅了が解けるのも早い」
「そうですか。よかったです」
「シャロン様はどうですか?」
「私は…とりあえずは現状維持ってところでしょうか」
エミリアを愛おしく思う気持ちは消えていないし、彼女のために何かしたいという衝動はずっと残っている。ただ、その感情は激しいものではなく、また加速することもない。
離宮で彼女に名を呼ばれたときよりも、ずっと穏やかに彼女の姿をその目に映す事ができている。
「でも少し、頭がおかしくなりそうです」
シャロンは自嘲するような口調で子爵にそう話した。
魅了だと深く理解する前に一瞬にして恋に落ちたアルフレッドやエディとは違い、シャロンは魅了だと理解した上で時間をかけてエミリアに恋をした。
そのせいか、魅了の事実を知ったアルフレッド達はゆっくりと魅了が解けかけているのに、シャロンだけは現状維持のままだ。
少しの魔力と理性の強さが裏目に出たのかもしれない。
彼女はエミリアへの感情が偽物と理解しつつ、エミリアに惹かれている中途半端な自分の心に苦しんでいた。
「あまりお辛いなら、ここへ来るのは控えられた方がよろしいのではないですか?」
手元のメモにシャロンの現状を記していた子爵はその手を止め、険しい顔で彼女を見つめる。
だが彼女は首を横に振った。
その姿に、子爵は胸が苦しくなる。
シャロンはあの日から毎日ここを訪れては、こうして子爵の調査に協力していた。ヘンリーは魅了の能力が未知数であることを理由にエミリアに会うことを止めたが、彼女はどうしても譲らなかったのだ。
「この間、エディ・クラークにお願いして、試しに魔力を封じた状態で彼女に会ってもらったのです」
「結果は?」
「特に感情に変化は見られませんでした」
「それはつまり、彼女の魅了は声に依存する部分が大きいということでしょうか?」
「そうです」
「ですから、ウィンターソン公爵閣下への面会許可は出せそうです。一応ヘンリー殿下に許可をとってからとなりますが、公爵閣下にお伝えいただけますか?」
「はい、伝えておきます」
子爵の言葉を聞き、シャロンは心の底から嬉しそうに微笑んだ。
彼女はエミリアとの面会が禁止されているアルフレッドをこの部屋に連れてくるために、エミリアの能力に関する調査に協力していたのだ。
魅了の能力について、もう危険がないと判断されれば彼はエミリアに会うことができる。
「旦那様に会えたら、エミリア様は笑ってくれるでしょうか?」
葉のない木の枝に積もる少しの雪が太陽の光に反射してキラキラと光る綺麗な光景にも、目の前に置かれた焼きたてのクッキーの甘い匂いにも、眼鏡をしているのに眼鏡眼鏡と探すおっちょこちょいな子爵にも、エミリアが感情を動かすことはない。
彼女が心を動かすのはおそらくアルフレッドだけだ。ならば彼に会わせてあげたい。
彼女のいる部屋の方を眺めながら少し寂しそうな笑みを浮かべてそう言うシャロンに、子爵は涙を堪えた。
シャロンがアルフレッドとエミリアを会わせたがっているのは、きっとアルフレッドのためではない。
アルフレッドと会うことがエミリアのためになると信じて行動しているのだ。
「また明日も来ます。お茶、ごちそうさまでした」
「…あまり、ご無理なさいませんように」
「はい、お気遣いありがとうございます」
シャロンはペコリと子爵に頭を下げると、静かに扉を開けて部屋を出た。




