34:壁の向こう側
冷たい空気と後頭部の痛みで目を覚ましたエディは、魔力封じの仕掛けが施された手枷をじっと見つめ、ため息をついた。
そして、今度は目の前の鉄格子を見つめ、またため息をつく。
「全然助けに来てくれないんだけど…」
『何かあったらすぐに迎えに行く』と言っていたのに…。本当に迎えは期待できるのだろうか。
不安になったエディが三度目の深いため息をついた時、ガチャっと重い鉄の扉が開く音がした。
「ひぃぃい!」
突然の大きな音に驚き、牢の隅で膝を抱えて怯えるエディ。
恐る恐る入り口の方に視線を向けると、そこにいたのはダンディに髭を生やし、所々に白髪が見え隠れするオールバックの髪型の50代半ばのおじさんだった。
それなりに整った造形の顔立ちをしているおじさんは、人の良さそうな笑みを浮かべてエディに話しかける。
「ああ、起きたのかい」
「貴方は…ジルフォード侯爵?」
「そうだよ。後頭部のコブを見るからこちらにおいで」
人畜無害そうな侯爵の笑みに、すぐに警戒心を解いたエディは鉄格子越しに背を向ける。
侯爵は彼の霞んだ金髪をかき分け、コブの状態を見て、「大丈夫だ」と笑った。
「いやぁ、すまないねぇ。本当は少し意識を奪うだけのつもりだったんだけど、君の姿を見た途端に何故か手加減を忘れてしまって」
「…え?」
「だってほら、うちの娘は君にすごくお世話になっていたみたいだからさぁ。つい、ね?」
ほっほっほ、と穏やかに笑うジルフォード侯爵。
その笑顔が逆に怖い。
エディはザザザーっと再び牢の端に寄り、身構えた。
「そんなに怯えなくとも、何もしないよ?まだ」
「….まだ…ですか」
「うん。まだ」
にこーっと爽やかな笑顔の侯爵につられて、エディもにこっと笑う。
そして…。
「誰か助けてぇえええ!」
力一杯叫んだ彼の声が地下牢でこだました。
***
「今、何か聞こえませんでしたか?」
地下へと続く階段を降りるシャロンは、あたりを見渡す。
アルフレッドは『そういう冗談はやめてくれ』と言いながら、彼女の手を引いた。
「気のせいでしょうか?」
「気のせいだよ。暗いから足元気を付けて」
「ありがとうございます」
暗闇の中で手持ちのランプだけを頼りに、一歩一歩確かめるように階段を降りる一行。
肌寒い冷えた空気とコツコツと反響する足音が不気味さを醸し出す。
若干非科学的な生物に遭遇しそうだと心配しつつ、地下へと続く螺旋階段を降り切った彼らを待っていたのは煉瓦造りの壁だった。
「…え?行き止まり?」
「…これ、道合ってますよね?」
「多分…」
尋ねたシャロンも答えたアルフレッドも、その後ろに続くハディスやヘンリーも自信がない。
腕を組み、うーんと考え込むように唸るアルフレッドの横で、ハディスは懐から離宮の設計図を取り出した。
少し準備が甘かったのだろうか。自分たちは誘い込まれたのだろうか。
そんな不安が一行の脳裏によぎる。
「なんかワクワクしますね」
その場にいる皆が不安げな表情で煉瓦造りの壁を眺める中、シャロンはポツリと呟いた。
表情こそ無だが、その目はキラキラとしていた。
肝が座っているのか、危機感がないのか…。
ヘンリーが呆れたような目で彼女を見ていると、シャロンは不意に彼がもたれ掛かっている壁に触れた。
「どうした?」
「いえ…。そこのレンガだけおかしくないですか?」
「ん?ここか?」
「あ、多分押さない方が…」
シャロンがそう注意する前にヘンリーは少しだけ色の違うレンガを押してしまう。
するとその瞬間、シャロンとヘンリーは壁に吸い込まれるように消えた。
「…へ?」
「わお、よくあるお約束の展開だ」
「…シャロン?」
呑気なハディスに対し、アルフレッドは急いでランプで壁の方を照らす。
だがそこには何もない。
「…消えた?嘘だろ?」
ハディスは呆然と立ち尽くす彼からランプを回収すると、二人がいたあたりの壁を調べ始めた。
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ…確か二人はこの辺を触ってたから…」
「わかるのか」
「わからないけど、何か仕掛けがあるのはわかります」
煉瓦造りの壁を確かめるように触りながら横へと移動するハディスは、少し色の変わっているレンガを見つけると「これか」と呟き、それを押した。
すると目の前の壁が薄く透けて、奥に通路が見えた。
「ほら、ありましたよ。通路」
「…え?」
「え?」
アルフレッドはハディスの指差す箇所を見るが、彼の目には煉瓦造りの壁しか見えていない。
「何を言っているんだハディス殿。そこにあるのはただの壁だぞ?」
「…なるほど。そういう仕掛けか」
「そういう仕掛けってどういう仕掛け?一人で納得しないで…」
「これ、魔力持ちしか通れない壁です。多分」
「…それはもう詰んでるじゃないか」
ハディスの説明に、魔力を持たない騎士団一行には絶望感が漂っていた。
「もう物理的にいきます?」
騎士の一人が提案する。
煉瓦造りの壁の向こうに、通路があることはわかっている。
だが、それは魔力がないとすり抜けることはできない。
となれば、あとはもう壊すしかないとその騎士は提案した。
「まあ、妥当でしょうね」
「さっきしたみたいに、ハディス殿の魔術でこの壁を壊すことはできないのか?」
「うーん。試しにやってみますけど…多分無理ですよ」
ハディス曰く、この隠し通路にかけられた術の方が高度なために、自分では壁を壊せないらしい。
念のため、先ほどと同じ術をかけてみたが、少しヒビが入っただけでびくともしなかった。
時間をかければ壊せそうだが、先にこの壁の向こうに行ったのはシャロンとヘンリー。非戦闘要員だ。
二人だけにするのは危険と判断したハディスは、部下を残し先に行くとアルフレッドに告げた。
「俺の部下がこの壁を弱らせますので、騎士団の皆さんはその腰にある剣でどうにか壊してください」
「おい、簡単に言うがかなり時間かかるだろう。あと、多分剣が使い物にならなくなる」
「でしょうね」
「でしょうねって、騎士にとって剣は命も同然だぞ」
煉瓦の壁を剣で力任せに壊そうとするなど、明らかに刃がダメになる。
しかし、そう主張するアルフレッドをよそに、ハディスは笑顔で「頑張ってください」と言い残し、一人で壁の向こうへと消えてしまった。
「まじか…」
彼が消えた煉瓦造りの壁を見るアルフレッドは、わしゃわしゃっと頭をかいた。
そして、ふぅ、と小さく息を吐くと、残された騎士団にハディスの部下は申し訳なさそうにしながらも、とりあえず物理的に壁を壊すことにした。
***
先にシャロンとヘンリーを追ったハディスがしばらく真っ暗なレンガの道を歩くと、突き当たりには灯りが漏れている部屋が一つあった。
光の方へ近づくと、その扉の前で呆然と立ち尽くすシャロンとヘンリーの後ろ姿が見えた。
「あ、いたいた。大丈夫ですか?」
「…ハディス…大丈夫じゃないかも」
「…へ?」
恐る恐る扉の向こうを覗くと、白骨化した遺体が転がっていた。




