29:夕陽に誓う(1)
最近は初めて出会った時より、心を開いてくれていると思っていた。
だから自分も心を開けた。
そこに恋愛的な感情はなくとも、家族としての情は互いに持っていると思っていた。
愛はなくとも、仮面夫婦でも穏やかに互いを思いやり暮らしていけていると思っていた。
それくらいの関係は築けていると思っていた。
(まさか、ここまで信用がないとは思わなかった…)
困惑の表情で自分を見つめるアルフレッドを、シャロンは冷めた目で見下ろす。
自分の言葉が信用出来ない程度にしか関係を築けていなかったという事実が、シャロンには何より重い。
恋愛関係に疎い彼女は、アルフレッドの嫉妬に気づけずに悪い方へと考えを巡らせてしまう。
そんな後妻の心情を察することができないアルフレッドは、ゆっくりと立ち上がると腕を組み、キョトンとした顔で首を傾げた。
「…えーっと…え?離縁したいの?何故に?」
「別に今すぐ離縁してほしいわけじゃありません。私が子どもを産むという役割を果たしたら離縁してほしいのです」
「え?え?子ども?子どもつくるの?」
「あ、子種は他からもらってくるので安心してください」
「いやいやいや、安心できる要素ひとつもないんだが…」
「確かに私は陛下の命で旦那様の元に嫁いできましたが、子を産めば目的は果たされますから離縁も許してもらえると思いますよ?」
シャロンがアルフレッドの元に嫁がされた理由は彼の子を産むためだ。
目的を果たせば、王命だろうと離縁できるのではないかとシャロンは言う。
会話が成立していそうで全く成立していないのに、アルフレッドは彼女の話をふむふむと聞いていた。
「なるほど、確かにそう言われると…って、そうでなく!そもそもなぜ離縁せねばならない!?」
「だって地獄じゃないですか」
「え!?地獄なの!?私との結婚は君にとって地獄だったの!?さっき好きだって言ったのに!?」
「好き『かもしれない』です。あなたを好きになるなんて正気の沙汰じゃない」
「ひどい言われようだ!だが納得しかできない!」
「自覚あったんですね」
「最近自覚したというのが正解だ!」
前妻の話しかしない旦那を好きになるなんて確かに正気の沙汰じゃない。
一応『好かれるわけがない』という自覚が彼の中にあることに、シャロンは少し驚いた。
「『かもしれない』くらいの感情のうちに離れた方が賢明でしょう?ただ一緒に暮らして情が移っただけ、と言い訳できるわ」
遠い目をしてアルフレッドの背後に見える夕陽を眺めるシャロン。
一方のアルフレッドはというと、手元をいじりながら数秒考えていた。
そして、『意を決して』という言葉で装飾する事が相応しいような表情と口調で彼女に告げる。
「そ、その情が愛情に変わるかもしれないのなら、私は別れたくない。君にはその、そばにいて欲しい」
シャロンが自分に少なからず好意を抱いている事を知って少し浮かれているのだろうか。素晴らしいほどにポジティブだ。厚顔無恥という言葉がよく似合う。
自分の発した言葉が何を意味するのかということに気づいていないアルフレッドを、シャロンは「何を言っているんだコイツは」とでも言いたげな目で見ていた。
「旦那様は私に不毛な片思いを永遠に続けろとおっしゃるのですか?」
普通の恋愛小説ならここで『私も好き』となり、ひしっと抱き合うところなのだろうが、アルフレッドとシャロンの関係ではそうはいかない。
シャロンは彼の言葉に寒気がした。
何故なら彼の発言は『自分はエミリアを愛していて、シャロンを愛せない』と公言しているのに、シャロンには『自分を愛して欲しい』と言っているのとほぼ同義である。
そのことに気づいたアルフレッドは気まずそうに目を逸らせた。
(…こんなこと言って困らせて。何してるんだろう)
目を泳がせながら必死に自分を傷つけない言葉を探す彼を眺めながら、シャロンは自嘲するように小さく息を吐いた。
ここ数日、シャロンは結婚式の日に『愛せないことを受け入れろ』という誓約書にサインしたことを後悔していた。
アルフレッドは未だにエミリアを忘れられずにいる。
彼の根底にはずっと彼女がいる。
暇を見つけては、そのまま残してあるエミリアの部屋を自らの手で掃除していること。
思い出の青い薔薇を愛おしそうな目で見つめていること。
時々、エミリアの日記を金庫から出しては読んでいること。
日記を読んだ次の日には目が赤いこと。
シャロンは全部知っている。
エミリアを忘れて欲しいわけじゃない。
シャロンが少なくない好意を持ったのは、少しナルシストで変人で、でもとても優しく素直で…。そして今も亡き前妻を想い、初めて恋を知った少年のような目で彼女のことを語るアルフレッドだ。
愛されないことは始めからわかっていた。わかった上でそれを承諾した。それなのに彼からの愛を求めるなど契約違反だ。
(何と傲慢なことか)
けれど、どうしても彼の目が自分に向かない事に耐えられそうにない。
『その先は地獄』
シャロンはサイモンの言葉が頭から離れなかった。
「私は地獄に行きたく無いよぉ…」
か細い声でそう呟くシャロン。
好きかもしれないなんて、きっと何かの間違いだと、そう自分に言い聞かせた。
「シャロン…。私は…」
「申し訳ありません、旦那様。誓約書まで書いたのに、私はエミリア様を思い続ける貴方と一生添い遂げることなど出来そうにありません。勝手なことを申している自覚はあります。ですがどうか離縁してください」
深々と頭を下げるシャロン。表情は見えないがその肩は少し震えていた。
その姿にアルフレッドは、低い声でポツリとつぶやいた。
「…エミリアを忘れたら、君は私のそばにいてくれるのか?」
その言葉に、シャロンは勢いよく顔を上げる。
すると、彼は真剣な目でこちらを見ていた。
「君がそばにいてくれると言うのなら、これから先、君だけを愛すると誓うよ。あの夕陽に」
はっきりとそう言い切った彼の姿に、シャロンは思わず目を見開いた。
「旦那様…」
その言葉は嘘ではない。直感的にそう思った。
彼の強く握りしめた拳と少し紅潮した頬は、強い決意を感じさせたからだ。
「私はエミリアを忘れると誓う。だから…」
「…あの、夕陽…雲で隠れてますけど」
シャロンの言葉を合図に、ゆっくりと静かに部屋は暗くなった。
微妙な沈黙の後、アルフレッドの頬はさらに赤みを増した。夕陽の代わりと言わんばかりに。
つくづく決まらない男だ。シャロンはなんだか可哀想になってくる。
そもそも、何故に夕陽に誓うのか。
見えない夕陽に誓う程度の決意と解釈すれば良いのだろうか。
夕陽に誓うなんてキザな台詞を言わなければいい感じに決まっていたのに。
「どんまい」
「言うな…」
アルフレッドは両手で顔を隠した。




