10:アルフレッドの決意
用意を済ませたアルフレッドは、エントランスホールにある花瓶に生けられた青薔薇を愛でていた。
「…エミリア」
いつの日だったかエミリアが『物語の中に出てきた青い薔薇を見ていたい』と言っていた事を思い出し、彼は愛おしそうに目を細めた。
この青薔薇はシャロンがたまに作っているものだ。
アルフレッドがしたエミリアの話の中に青薔薇が出てきたのを覚えていた彼女は、これなら公爵様も文句言わないだろうと偶にこの花を作っては飾っている。
だが、アルフレッドはそんな事など知らないので、当然の如くこれを彼女からの優しさだと思って受け取っていた。
アルフレッドはふと、王の言葉を思い出した。
『シャロン・ジルフォードはやさしく誠実で、年の割には落ち着いているが気立が良い。良い妻となるだろう』
一緒に過ごして数ヶ月、確かにその通りだったなと彼は思う。
シャロンはさりげない気配りのできる優しい女性だ。
もうこの屋敷の女主人なのだから好きなように模様変えしても構わないのに、エミリアの痕跡を残したままにしてくれている。それどころか、思い出の青薔薇を飾ってくれる。
それだけではない。エミリアの話がしたい自分に気づき、聞きたくもないはずの前妻の話を聞きたいと言ってくれた。
それが嬉しくて、ついついエミリアの話ばかりしてしまうが、彼女はそんな自分の話を嫌な顔一つせずに聞いてくれる。
この屋敷に来てからずっと、彼女は何も求めず、エミリアを想う自分を優しく受け止めてくれた。
(…もしかして、私は酷なことをしているんだろうか?)
シャロンが嫁いできてからの自分の行動を思い返したアルフレッドは、今更ながら気が付いてしまった。
「最低だな、私は」
アルフレッドがボソッとそう呟く。
すると、エントランスホールの柱の影からヌッと執事のセバスチャンが顔を出した。
「わかっておられるなら誠意を示されるべきではないかと具申いたします。坊ちゃま」
「急に出てくるな、セバスチャン」
「急ではございません。ずっとここにおりました。坊っちゃまが周りが見えないほどに、未だエミリア様を想うご自身に陶酔なさっていただけでございます」
「別にそういうのじゃない。あと坊ちゃまはやめてくれ、セバスチャン。私はもう四十路近いんだぞ」
「いいえ。ここはあえて坊ちゃまと呼ばせていただきます。シャロン様のご好意に甘えて、延々とエミリア様の話を聞いてもらっている甘えん坊の貴方様を坊ちゃまとお呼びせずになんとお呼びすれば良ろしいのですか」
「旦那様で良いだろう、別に。というか何故その事を知っている」
「『なぜ知っている』と返ってくるということは、図星という事ですかな?」
ニヤリと口角を上げるセバスチャンに、アルフレッドはカッと顔を赤くした。
「計ったな、セバス。使用人の前ではエミリアの話をしないようにしていたのに」
「使用人の目は誤魔化せてもこのセバスの目は誤魔化せませぬぞ、坊っちゃま」
セバスチャンは眼鏡をキュッと上げた。
長くこの家に仕える彼は、幼少の頃から見てきたアルフレッドのことなど全てお見通しである。アルフレッドもこの執事にだけは頭が上がらない。
「坊っちゃま。私は坊っちゃまがエミリア様を想う気持ちを否定するつもりはございません。しかし、いつまでもシャロン様のご好意に甘えていてはなりませぬ。坊っちゃまはこのご結婚がご不満なのかも知れませんが、それはシャロン様とて同じ事です」
「言われなくともわかっている」
「シャロン様は文句ひとつ言わず、今のままの坊っちゃまを受け入れてくださる稀有な方です。どうか大切になさってください」
「大切にはしてる…つもりだ」
「つもりではいけません。女にとって、愛されないとわかりきっている結婚ほど虚しいものはないと妻が申しておりました。愛せずとも、愛せないという事を態度で示すのはいかがなものでしょうか」
それは、既に『愛せない』という事を承諾させる旨の誓約書を書かせているアルフレッドには痛い言葉だった。
アルフレッドは不貞腐れるように顔を伏せる。
セバスチャンの言う通り、望まない結婚だったのはお互いに同じだ。けれど、歩み寄ろうとしているのはシャロンの方だけ。
そろそろキチンと向き合わねばならない。シャロンは自分を見ているのに、自分はまだ彼女をちゃんと見ていない。
アルフレッドは決心したようにキュッとネクタイを締め直した。
「よし。このデートではエミリアの話をしない!」
アルフレッドは自分自身に誓いを立てた。
セバスチャンはそんな主人を見て嬉しそうに、穏やかに微笑んだ。
「お待たせしました、旦那様!」
赤絨毯の敷かれた階段を降りてくるのはシノアとリサに手を引かれたシャロン。
彼女は恥ずかしいそうに俯きながら、「お待たせしました」と小さく呟いた。
「こんな感じでいかがでしょう?」
リサが自信満々にシャロンを見せびらかす。
シャロンは透け感のある花柄のパフスリーブが特徴的なワンピースを身に纏い、髪は緩く巻いていた。
濃紺のサテン生地のワンピースは彼女の艶のある黒髪と相性が良く、袖に施された花柄は華やかな印象を与える。
首元が詰まっているタイプのワンピースなのに、透けた袖とミモレ丈の裾から垣間見える白い肌は大人の色香を漂わせており、すれ違う男たちが思わず振り返ってしまうこと間違いなしだ。
そして何より全身真っ黒なアルフレッドの隣にいても違和感がない。
アルフレッドは無言で親指を立て、リサとシノアの仕事ぶりを褒めた。
「とても可愛いよ、シャロン」
「ありがとうございます…」
「では、行こうか」
「…はい」
シャロンは既に若干疲れた表情で、アルフレッドの手を取った。




