第二八話 紅茶という文化
ゼーベルク商会王都館に、ヴァルトマン侯爵夫人から茶会の招待状が届いた。
招待状には「ぜひ紅茶のお話を」との添え書きがあった。
居住棟の家族用居室で、フィロメナは戸惑って一旦招待状を閉じ、長椅子に身体を埋めた。
「どうした?」
ディートリヒが心配そうに聞き、フィロメナは添え書きを見せた。なるほど、とディートリヒは頷く。
「私は先生ではありませんので……」
躊躇うフィロメナに、ディートリヒは軽く肩を叩いた。
「君が普段している話をすればいい。それで十分だ」
フィロメナは少し考えて、頷く。
「調子に乗って話し過ぎないよう、気を付けます」
ディートリヒは苦笑した。紅茶のこととなると、我を忘れたように没頭するのがフィロメナの悪い癖だ。
フィロメナは準備にあたり、ウーヴェの助言を求めた。
ウーヴェはゼーベルク商会紅茶部顧問だが、フィロメナの師の側面もある。
神妙な顔で畏まるフィロメナに、ウーヴェは淡々と応じた。
「知るか」
「そんな!」
ウーヴェは面倒くさそうに手を振った。
「基本的なことを教えてやればいい。東方帝国がどこにあるか、茶の産地はどこか。そんなもんで十分だろう」
フィロメナは真顔で聞いた。
「地図とか用意した方が良いでしょうか?」
ウーヴェは呆れたように半眼になった。
「国からずっと東の方とか、東方帝国の南方の島とかで良いだろう。ご婦人方の趣味なのに、そんな厳密に説明する必要もない」
「なるほど……」
ウーヴェは深々と溜め息を吐いた。
「納得してないな」
フィロメナは少しだけ唇を尖らせた。
「精密な世界地図ではなく、簡略化された地図で見せたら良いですか? 百聞は一見にしかず。やっぱり見た方が分かりやすいですから」
「嬢ちゃん、お前さんは少しばかり真面目に過ぎる。もうちょい肩の力を抜け」
フィロメナは何度か肩を上下させ、軽く回した。
「力、入れすぎでしょうか」
ウーヴェは無言で頷いた。
晴れた空の下、小鳥は賑やかに囀る。
街路樹には白や淡紅色の花がほころび始めている。
風はまだ冷たい。
それでも、運ばれてくる香りは、確かに春のものだった。
ヴァルトマン侯爵邸は相変わらず、とてもあたたかな雰囲気に包まれている。
庭に面した大広間は、白い大理石の床が柔らかな光を反射している。
高い窓を飾る豪奢な天鵞絨の帳は柔らかな松葉色。それぞれの卓には生花が飾られている。
今回の紅茶茶器は白磁だ。
前回と違い、今回の参加者はフィロメナを含め十ニ人と随分少ない。
「本日はゼーベルク男爵夫人が、紅茶について教えてくださいます」
ヴァルトマン侯爵夫人の紹介に、フィロメナは緊張しながら礼を取った。
「宜しくお願い致します」
フィロメナはまず卓上に地図を広げた。
「まあ、世界地図?」
「私、初めて見ましたわ」
ざわめく夫人たちに微笑んで、フィロメナは地図の一点を指した。
「ここがレーヴェンライヒ。そしてここがスナハリーグルダウディ——通称、東方帝国です」
皆、額を寄せ合って囁き合う。
「随分遠いのね」
「レーヴェンライヒって、こんなに小さかったの?」
「東方帝国は随分と広いわ」
フィロメナは帝国の茶産地を順々に指していく。
「北のカムル地方、東のチャンパ地方、西のグラーブ地方、南のゲーンダー地方、皇帝領のパリジャート地方、そして、ここがチャメリー島です。この六種類が主に流通している紅茶になります」
ヴァルトマン侯爵夫人が頷く。
「地方の名前だったのね」
「はい。紅茶はすべてが同じ茶の木の葉です」
シュタインハルト伯爵夫人が驚いて声を上げた。
「すべて同じ葉なのに、育つ場所で味が全然違うの?」
「ええ。どの時期に摘むかによっても変わります」
フィロメナは微笑む。楽しくて仕方がなくて、声が弾む。
「紅茶の味だけでなく、水色——紅茶の色もそれぞれ違います。そして香りも」
フィロメナは紅茶茶碗に一杯ずつ、六種の紅茶をそれぞれ淹れた。
並べて見せると皆、驚く。
濃い赤黄色に黄金色、濃い赤褐色、黄褐色、淡褐色、淡い琥珀色。すべて違う色合いだった。
「全部紅茶なの?」
「はい。同じ紅茶でも、土地が違えば表情も変わります。香りを嗅ぎ比べてみてください」
夫人たちはそれぞれ順繰りに茶碗を取って、香りを嗅ぐ。
「こちらは花の香りかしら」
「こちらは少し重たい気がするわ」
「これは甘いわね」
隣同士盛り上がり、若い娘のようにはしゃいでいる姿は可愛らしい。
「比べてみると、違いがわかるかと思います。お好みの物を探してみてくださいね」
フィロメナは茶器を手に取った。
「次は、淹れ方についてです。今回はチャンパを選びました。一番癖のない紅茶だと思います」
フィロメナはにこにこと茶器を並べていく。
「これが茶匙。最重要品と言っていいでしょう。美味しい紅茶は計量が大切です」
初心者用の冊子を取り出し、指さしながら淹れ方を教えた。
「茶碗は温めておいた方が良いと言われています」
「はい、先生、何故ですか?」
一人の夫人が手を挙げた。フィロメナは頷く。
「紅茶は熱い程、香りが広がります。ですので、茶碗が冷えていると香りが逃げてしまいます。味と風味も同じく、温度が高い方が美味しい。冷たい茶碗に紅茶を注ぐと、温度が急に下がってしまいますが、茶碗を温めておけば、注いだあとも温度が下がりにくくなりますから」
ヴァルトマン侯爵夫人が嘆息した。
「大変なのね。難しいわ……」
「いいえ」
フィロメナは首を横に振った。
「難しくはありません。少しだけ、丁寧にするだけです」
フィロメナはそう言いながら茶匙に一杯、チャンパを掬った。その所作に雑な所は一切見られない。
「茶壺に茶葉を入れていきますね。六配分で六回。量が多過ぎるとムラができますから、今回は茶壺は二つにします」
二つの茶壺で計十二杯。
「沸騰したての湯を注ぎます。茶碗に六杯ずつ。これはあらかじめ計っておいてください。沸騰する分も含めて、少し多めに」
そしてフィロメナは、慣れた手つきで砂時計をくるりと引っくり返した。
「あとは砂が落ち切るのを待つだけです。その間に茶碗を温めたり、茶漉しの準備をしておきましょう」
砂が落ち切った。
「茶漉しで茶葉が落ちてくるのを捕まえます。跳ねますから、気を付けて」
茶碗に黄金色の紅茶が注がれる。淡く柔らかい香りが広がった。
シュタインハルト伯爵夫人がうっとりと目を細める。
「さあ、召し上がれ。熱いですから火傷に注意してくださいね」
紅茶を楽しみながら、皆が矢継ぎ早に質問をする。
「茶葉の量が一杯より多いとどうなりますの?」
「苦さと渋さが増します。その方が好みという方もいらっしゃいますので、基本は茶碗一杯分が茶匙に一杯と覚えてください」
「水は沸騰したてが良いのは何故?」
「茶葉が良く跳ねるからです。良く跳ねると、成分が十分に抽出されますので、味や風味がしっかりします」
「茶器はどんなものが良いのかしら」
「お好みの物で大丈夫ですよ。金属製でも、陶器製でも、扱いやすいと感じた物をお使いください」
「茶葉の保存はどうしたら?」
「缶で密封しておくのが基本ですが、なるべく湿気の少ない場所に置いてください」
幾つもの質問に、フィロメナは丁寧に答えた。
茶会の終わりに、ヴァルトマン侯爵夫人は感慨深げに言った。
「今日は紅茶をいただいたのではなく、紅茶という文化に触れた日でしたわ」
帰り際、夫人たちは口々にフィロメナに告げた。
「今度は主人にも飲ませたいわ」
「家でも淹れてみますわね」
「ゼーベルク商会へ、茶葉を注文しなくてはなりませんわね」
フィロメナは上気した頬でにこやかに応じていたが、嬉しさが隠しきれないようにこぼれていた。
その日の夜、ディートリヒはフィロメナに顛末を聞いた。フィロメナは満面の笑みで答えた。
「皆様、本当に熱心に聞いてくださいました。紅茶のお話をするのは、楽しいですね」
きらきらと輝く笑顔に、ディートリヒも笑みを深めた。
「それは良かった。教えるのが楽しいなら、次は本当に紅茶教室を開くか?」
それはそれで評判を呼びそうだなと、ディートリヒは思う。
フィロメナが楽しく、商会も潤う。一石二鳥だ。
「いずれ、そうできたら素晴らしいですね。……今は少し手一杯に過ぎますが」
ディートリヒはフィロメナを腕の中に収めると、優しく抱き締めた。
「無理はさせられないからな」
「ディートリヒ様こそ、無理なさらないでください。あなたはいつも、忙し過ぎますわ」
ディートリヒは微笑んでフィロメナに接吻をした。
「気を付ける」




