第111話『海辺のバジル畑と、消えたレシピ帳』
雲の上の街ソレリスを後にし、レンたちは再び地上へ。
向かう先は、香草の産地として名高いアクアレッタ――海辺の町。
そこでは“幻のレシピ帳”をめぐる、少し切なく、心温まる出会いが待っていた。
潮風が吹き抜ける。
青い海に沿って続く一本道。
その先に、白い壁の家々が点在する小さな町があった。
アクアレッタ――
海とバジルの町として知られるこの場所では、丘の斜面一面にバジル畑が広がっていた。
「うわあ……いい香り」
リリィが鼻先をくすぐる緑の風に、目を細める。
「風に乗って広がる香り……ピザに使うには、理想的なハーブね」
ヴァレッタもその豊かさに感心した様子だった。
「ここにはね、“海風バジル”っていう、この土地にしかない品種があるらしいよ」
そう説明したのは、道中で出会った青年・ミロだった。
ミロは町の農家のひとりで、先代の祖母から畑を継いだという。
「でも、肝心の“レシピ帳”がないんだよなあ……」
「レシピ帳?」
「ああ、バジル料理の元祖とされる、曾祖母の手書きの本なんだけど……どこかにしまい込んじゃって、見つからなくてさ」
その話を聞いたレンたちは、ミロの家の蔵でレシピ帳を探すことにした。
「これ全部……ノート? 本棚3つ分あるけど」
リリィが目を丸くする。
「うちのばあちゃん、記録魔だったから……農作業、収穫量、潮の満ち引き、バジルの葉の向きまで、なんでも書いてたらしい」
数時間後――
「……あった!」
ヴァレッタが埃だらけの箱の中から、革の表紙に『BASILICO』と刻まれたノートを取り出した。
レシピ帳には、驚くほど繊細な手描きの挿絵と、風景の描写、そして料理の記憶が綴られていた。
“昼下がり、南の風。潮の香りが強い日は、バジルを一晩寝かせると良い”
“ピザの生地は、決して急がず。香りが息をする時間を与えること”
“最後に載せるオイルは、家族が笑っている日だけ、少し多めに”
「……料理のレシピっていうより、詩みたいね」
ヴァレッタがそっとページをめくりながら呟く。
「でも、ちゃんと料理の本だよ。おばあちゃん、料理って“想いの継承”だって言ってたから」
レンはそのレシピ帳を元に、ピザを焼くことにした。
名前は――
『風の詩ピザ ~アクアレッタ風~』
海風バジルをたっぷり使ったグリーンソースを、オリーブとレモンピールの香りで引き立てる。
生地には、地元産の麦と少量の塩を混ぜた“潮風ブレンド”。
焼き上げた後に添えるのは、バジルの花と、ひと雫のバジル・オイル。
「……香りだけで幸せになるね、これ」
リリィが、目を閉じて深く吸い込む。
「味も……風みたいに、どこまでも広がるわ」
ヴァレッタも、しみじみと呟いた。
「これ、おばあちゃんに食べさせたかったなあ」
ミロが、少し照れながら言った。
「……でもきっと、どこかで見てると思うよ」
レンがそう答えた時、ちょうど海風が店先を通り抜けて、レシピ帳のページをめくった。
そのページには、こう記されていた。
“風の来るところに、また人は集まる”
“笑い声があるところに、料理は生まれる”
香りは、記憶を呼び覚ます。
消えたレシピ帳に綴られていたのは、味だけでなく、家族の想いと、土地の風だった。
レンはまた一つ、“物語のあるピザ”を焼き上げた。




