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それでも、歩き続ける

イタイながらも進んで行く私の道のり。

高校へ進学して、私は中学とはまったく違うこれが本当の学生生活なんだというものをやっと体験することができた。


中学時代、部活に精神面で入部できなかった私は高校でとっても楽しい部活に入ることができた。

珍しい人形浄瑠璃(にんぎょうじょるり)の部活で、部長ともう一人の先輩と私しか正式部員がいなかったけれど、老人ホームや公民館で舞台にあがらせてもらえてとても嬉しかった。


高校に入って成績も急上昇してトップクラスになり、父との不仲は一応おさまったように見えたけれど、まだ精神安定剤の服用をやめることができない私に内心はまだ許していないのが分かっていた。

母とは中学のあの一件から、私が聞いたことを忘れたくなくても忘れてしまうことがあること

主治医の先生が脳波を調べたら、そういうことを記憶する所に異常な波形があったので先天的なものだと母に説明してくれたので理解してくれて、イジメについても抱え込まず(しぶん)と一緒に悩んでほしいと私を支えていた。



けれど、良くなった成績のせいでまた新手のイジメにあうことになり物隠しではなく、下駄箱を破壊されたこともあって相変わらず学校ではイジメの影におびえていた。

抱え込むなと言われても、小中と続けていてきたそれはもう習慣のように染み付いていて私は耐え切れなくなると身体を傷つけて母や家族を困らせていた。


高校二年、またしても同じ五月。

進級した新しいクラスはあの中学の陰惨(いんさん)なイジメがあったクラスとなんだが似ていて嫌だった。

そのクラスで仲の良かったEさんが、その内気な性格からのけ者にされていて私も彼女を放っておけず一緒にのけ者として扱われていた。

日に日に昔のような心境に近づき、進級してすぐの五月の夕暮れ時。私は昼間のイジメについに耐え切れず、また同じように飛び降りてしまった。

今度は前の病院が入院施設がなくなっていたので、私はすぐに家に帰されたがもう飛び降りの常習者(じょうしゅうしゃ)ということで精神病院の閉鎖病棟(へいさびょうとう)に入院した。



そこは生きているのに生きていないような人の集まる所だった。

ぶつぶつと何かを呟いているばかりの女性、永遠と数字を叫び続ける男性、家族の所へ帰ると毎日決まった時間に荷物を持って出て行こうとする老人。

そんな環境で、私は強烈な想いが心の中にあることに気づいてしまった。


「私はもう死んでる。三年前にはじめて飛び降りた時に本当の私は死んでしまって、今考えている私は私じゃない!!」


心がバラバラになった瞬間だった。

閉鎖病棟から逃げ出したい一心で、入院時の書類に書かれていた文章を思い出した。

「身が危険な状態になったら、拘束(こうそく)するか退院」

この文章にすがって(おろ)かにも、私は首吊り未遂(みすい)をしてあえなく拘束された。

今までいろんな病気でいろんな病室にはいったが、あそこは別物だった。

ただ広い個室の真ん中にベットがあって、私はそこに寝かされて両手両足をベルトで拘束された。

用がある時はナースコールを押すと看護婦さんが来てくれるが、そうでないかぎり日に三度の食事以外人は誰も入ってこない。

部屋の窓は絶対に開かないし、部屋の隅には便座があってトイレも部屋から出る必要がないようになっている。

拘束は確か一週間くらいで外れたけれど、私はその部屋から出ることを許されなかった。

拘束がとれてからはじめて気づいたが、監視カメラまであって部屋のドアには内側にノブが存在しない。


そんな状況下で、私はただただ自分だけをなじって()めて責め続けた。

そのうちその責めている感情さえいらない、そもそも感情があるから苦しいんだと何度も何度もうわごとのように繰り返して、その部屋から出られるようになった時には心から笑顔を浮かべることも怒ることも希薄(きはく)になっていた。


帰宅して学校に再び戻ると、私の感情は完全にバラバラになっていた。

楽しくもないのに友達と円満に過ごすために笑う、しゃべる酷く友好的な私。

苦手な勉強でもすんなりできてしまう理知的な私。

男子にからかわれて、怒りにまかせてその相手を殴り(ののし)る私。

私のはずなのにその時の記憶はどこか他人のような感じがして、自分の中に自分じゃない自分がたくさんいて、混乱した。



解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがい

俗にいう多重人格と呼ばれる症状に近い状態に、私はなっていた。

漫画やアニメで面白おかしく描かれるような面白さなどありはしない。ただ一日の記憶が繋がらず、なのにノートはしっかりとられていて体育ではサッカーで見事にゴールしてみせたという。

ありえない。私にはこんな綺麗な字でノートとるなんてしないし、サッカーなんてろくにドリブルもできないのが本来の私だ。



完全に人格が分裂するのをなんとか防げたのは、友人の存在と部活のおかげだった。

友人といってもバラバラに現れる分裂しかかった私と本来の私を見て分かってくれる親友と呼んでもいいかもしれない存在だった。

そう呼べないのは彼女が実は分裂しかかった私の別人格に惹かれていたことが分かったからだ。

その人格はとても紳士的で彼女に優しくしていたのだ。


ちょうどその頃、主治医の精神医が変わって分裂する前に統合する治療が始まりかなりの月日をかけて一つ一つ繋ぎ合わせて、やっと記憶が戻ってきた頃にはもう二年生も終わりに近づいていた。


三年に進級する前に、コースの選択があったので文系好きな私は迷わずそれを選び三年時のクラスはほとんど仲良しばかりでイジメ皆無(かいむ)の本当に幸せな一年になった。

もちろん、受験生なのでその悩みはあったがはじめて好きな異性ができたり、勉強面ではよいライバルに恵まれて落ち着いていた。


大学に進学するのは中学からの夢だったので、二年の悪い成績を挽回(ばんかい)するべく三年は頑張って、テストでライバルには負けたがそのライバルと学年ワンツーを独占することも何度かあった。

志望の大学も決まると、三年の夏休みにAOで早々と合格を勝ち取って後半を結構楽しく過ごして高校を卒業した。

はじめて本気で卒業したくないと思ったのは高校だけである。



さて、大学生活が始まり今まで許可がおりなかったバイトも始めたのだがまたしても私は友人関係でつまづき、せっかく受かった大学にも一年の後半からほとんど行けなくなっていた。

この時、鬱の症状が激しくでて朝は起きれず物のろくに食べれない拒食症になってしまった。

留年が確定し、来年はと意気ごんで見たもののその来年も前半だけで留年が決まりそうな勢いで、私はもうしまいと誓ったことを破ってしまった・・・今まで一番大きな形で。



どういうわけか、またしても同じ五月の雨の日。

散歩に行くと置手紙をして、家を出た私の足は近所のマンションに向いていた。

そのマンションは中学高校時代の友人が住んでいたマンションで、私はそこの四階から飛び降りた。

落ちた瞬間に意識が消え、おろらく失神したのだろう。

気づいた時には緊急手術をおえて、集中治療室のベットの上だった。

複雑骨折で、何度も手術して半年以上入院した。


その入院の間に、Oさんという友人ができた。彼女も職場のイジメで飛び降りて入院していた。

彼女は私より軽傷だったので先に退院したが今でも連絡は欠かさない。



もうしない、もうしないと何度も言ってきたが今回の件で心底骨身に染みた。もっともその代償は高くついて私の片足はもうまともな状態には決して戻らない。




取り返しのつかない代償を払って気づかされたのは、まだ私は死ぬべきではないという当たり前のこと。

人間死ぬ時が来たらどんなにあがいても死ぬ。大統領だろうが、ホームレスだろうが、犯罪者だろうが死は平等に振り注ぐ。

その死が来る日まで、私がいくら死のうとしても死ねないのだと・・・それが寿命(じょみょう)というものだと悟った。



今、過去をふりかえりこうして書きとめて人目にさらしたのは過去の私への引導です。

そして、もしも同じ想いしている人が見てくれたなら何かの意味もあるかもしれないと思っています。

やっと書き終わりました。

余りに急ピッチ執筆の為書いてて腱鞘炎気味です。

執筆時間約半日ですよ、誤字脱字ありそう。

ストップかかったので、後でよく調べます。

お付き合いいただいてありがとうございました。


と思いきや続いてしまいました・・・。

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