涙の理由とあなたの左側
私は瞼を開けた。
焦点がゆっくりと合い、見知らぬ天井が見える。
ここは……?
ああ……。ひろやさんの、へや。
私は半分寝ぼけながら、視線を右側へ移した。
ひろやさんだ……
私はヘニャリ、と笑顔になった。
前髪が顔にかかって。
瞼を閉じて。
体の左半身を下に向け、うつ伏せ気味に横たわり、すぅすぅと、穏やかな寝息を立てている。
二人が眠りにつく前。
まるで雨のように、私に降り注いだ、たくさんの優しい言葉。
みゆ
みゆ かわいい
みゆ すきだ
みゆ あいしてる
心が、満たされて。
あなたに愛される自分の体が、愛おしくて。
私の瞳から、ハラハラと、涙がこぼれた。
あれれ。どうしてだろう。
泣くつもりなんてないのに……
不思議……
瞼がだんだん重くなってきたので、私はススス……と右側へにじり寄り、弘也さんの胸の中にもぞもぞと潜り込み、ピタリとおさまった。
あったかい……
今私がいる、この、あなたの左側が、私の世界で一番大切な場所になりました。
これからも、ここに、いてもいいですか……?
ひろやさん……
だいすき……
私は穏やかな微笑みを浮かべながら、再び眠りに落ちた。
……
……
……
……胸の中の温もりに気付き、目が覚めた。
再び眠りに落ちそうな彼女を起こしたくなくて、目を閉じたままでいる。
やがて彼女の呼吸が規則正しい寝息に変わったのを感じて、目を開けた。
彼女の顔を覗き込むと、涙の跡があった。
表情はとても穏やかなのに。
なぜ……?
思わず指先で彼女の目元を拭うと、彼女は微かに身じろいで、俺の胸にすりすりと額を擦り付けた。そしてまた、安心したように寝息を立てている。
俺の心がじわじわと温かく、満たされて。
なんだか、泣きたくなって、ああ、そうか……と思う。
だから、君は泣いていたんだね。
こんなふうに、幸せすぎると、涙がこぼれるんだね……
俺は胸の中の温もりを愛おしく感じながら、
優しく、抱きしめて、思う。
明日の朝になったら、コーヒーを淹れよう。
彼女が目覚めた時に、コーヒーの香りがすると、いいな。
あの赤と濃紺のカップを見て、嬉しそうに笑う彼女を思い浮かべながら……
俺は再び、目を閉じた。
***
「けっこうなお手前でした」
私は赤いマグカップに注がれたコーヒーを飲み干し、テーブルの上に手をついて深々と頭を下げた。
「どっちの話かな?」
……何と何の二択ですか。
コーヒーと、……あちら、ですよね。ハイ。
「両方……ですよ」
私は赤くなりながら、ボソボソッ、と呟いて、ふいっ、と横を向いた。
弘也さんはそんな私を、テーブルに頬杖をつきながら眺め、クスクスと笑っている。
「こちらこそ、プレゼント、ありがとな。こんなに嬉しいプレゼントを貰ったのは、初めてだった」
どっちの話ですか?
マグカップではない方、だろうな、やっぱり。
「いやー、昨日の夜はてっきり、じぇんがの時の、美由のあの衝撃の台詞をリフレインしながら、寂しい独り寝だと思っていたからな~。まさかの大どんでん返し。俺、マジ、神様に感謝する」
弘也さんの言い回しが若干古いな、ジェネレーションギャップを感じるぜ! ……と突っ込みを入れたい欲求よりも、私の動揺の方がはるかに勝る事態!
「ああああの台詞は! 忘れてくださいっ。いますぐに消去で! あと神様に感謝するのは素敵ですが、今回の企画発案者は山口さんなので。よろしければ彼にも感謝を述べてください」
「なんと。まさかの山口?」
弘也さんは少し驚いたようだが、すぐに「ふぅ~ん……」と考えを巡らせている。
「そんな生々しい発案が出来るとか、着々と内側に進入してるじゃねーか、山口。だがしかし、その発案がグッジョブ過ぎて、今回ばかりは山口には頭が上がらねぇ。完全に一本とられた。ホント、天晴れな男……」
ブツブツとなにやら呟いているが、山口さんのことは弘也さんなりに評価しているようだ。案外、仕事で二人が組んだら、面白そう……。
「まぁでも、いい意見は取り入れて、すぐに行動するのは、やっぱり美由の凄いところだな。さすが俺の部下。上司として鼻が高い」
弘也さんが満面の笑みで私を見つめた。
上司に褒めて頂けるのは、私も嬉しいです。
でも、部下として、だけですか?
「もちろん、恋人としても、可愛い可愛い自慢の恋人、だぞ?」
私の考えを正確に読んでしまう弘也さんは、そう言って、ニッと笑った。
「ところでさー、これ、もっかいやってみない?」
なにやらじぇんがの箱を持ってきて、ニコニコしている。
こらこら。
絶対なんかまた、期待してるだろ。
「二度とやらない。と、昨日心に固く誓ったばかりです」
「えー。やろうよー。上司命令だぞー」
「課長、パワハラ及びセクハラです」
「やーろーうーよー。たーかーがーきー」
なんだこの、うざい生き物は!
爽やか美形上司どこ行った⁉︎
何故かここにエロオヤジ31歳が一人居るんですけど⁈
ええい!
「そんなまわりくどいことしなくたって、この先実地でいくらでも聴けるでしょーが!」
だから、じぇんがはもう、やりませ……
え?
なんでまた寝室に?
いやいやいや。
無理無理無理。
「では、実地で、聴かせてもらおうか?」
そう言ってスチャリ、とメガネを外し、サイドテーブルに置いた。
うわ! でた!
確信犯! ですね⁈
私がメガネを外した時の顔に弱いことを知って、わざと外してきましたね⁈
わかっててやる人はわからずにやる人より性質が悪いんですよ!
お姉さん!
お姉さーーん! 事件です!
弟さんがふぇろもん悪用しておりますですよーー!!
澄み渡る青空に、今日もまた、私の叫びが響き渡る。
「メガネを、かけて、ください!!!」
完結しました〜。<(_ _)>
小説を書いて投稿するなんて初めてだから、短編にしよう! と思って書き始めたら、なぜか四話になり。その後感想で続編のリクエストを頂けたり、とにかく皆様に読んで頂けたことが、嬉しくて嬉しくて。十二話まで続けて書くことが出来ました。
美由と課長が結ばれるところまで書けたので、これでホントの完結になったかなぁ、と思います。
改めて、全ての読者様に感謝いたします。
このお話を発見して頂いて、ラストまでお読み頂き、ありがとうございました。ペコリ。