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2-end

「――追いついて、良かった」


 馬はやや距離を置いたまま停止する。馬上の青年が地面に下り、漆黒のマントがひらりと揺れた。


「二人に、確認し忘れたことがあって」


 何度見ても、美しい青年だと思う。令嬢たちの間で話題になるのも頷ける。立派な衣服で着飾っていなくとも、つい目を惹かれてしまう。


「デストロイさん……驚いたわ。確認、し忘れたことって?」


 夜空色の瞳に静かに見つめられ、思わず視線が惑った。アナの様子に気づいたコリーが、手を握る力を強くする。


「アナ。演技は、もういいよ」


 青年は警戒されていることに気づきながらもほほえむ。初めて会った時とまったく同じ、王子らしい笑みだ。


「君は初めから、フィーの正体に気づいていたんだろう? 知っていて、ヘーゼル司祭を失脚させるために利用しようとした。うまくはいかなかったようだけど」


 やはり悟られていたのかと、アナは思った。エフェメラとは違い、ディランの態度には、再会した時からずっと隙がなかった。


「騙したことへの罰のために、戻って来られたのですか」

「いや。そのことについては、私たちのことを口外しないと約束してくれるなら、不問にしようと思ってる。こちらとしても、王城を自由に出歩いていることを公にはしたくないから」

「それは――寛大なご配慮、心より感謝いたします、ディラン王子殿下」


 アナはコリーの手を離し、服の裾を持ち上げ正式な礼をとった。


「何があっても口外しないと、お約束いたします」


 声が震え、喉が渇く。このまま彼が去ってくれたらいいのにと思う。


「ありがとう。――……それで、実はもう一つ確認したいことがあるんだ」


 ディランはアナとコリーに近寄って来た。


「沼で私がしたことについて、何かに気がついたんじゃないかと思って」


 武器を構えているわけでもないのに、怖いと感じた。膝が震えないよう力を入れる。


「なんの、ことでしょうか。わたくしは、何も」

「アナ。顔を上げてもらえないか」


 俯かせていた視線をゆっくりと上げる。もし触れずに殺すことができるのなら、顔を上げた瞬間、リリシャのように自分も殺す気なのか。目を合わせるのが怖かった。


 完全に顔を上げる前にコリーが動いた。アナの手を引き、ディランから逃げるように街道を走り出す。アナは肩から力が抜けるのを感じた。


(ばかコリー)


 これではディランの行為に勘づいたと認めているようなものだ。だが震えるアナを必死に守ろうとするコリーの姿は、いつもより頼もしく、アナの中からは恐怖が消えていった。


 しかし、二人の行く手に一人の少女が現れた。真っ直ぐな黒髪を肩まで伸ばした、清廉な雰囲気の少女だ。思わず立ち止まったコリーの胸元に、その少女は持っていた槍を躊躇いなく突き刺した。


 少女の悲鳴が聞こえた。現れた少女のものではない。アナが上げた悲鳴だ。


 コリーは何が起きたのかわからないまま、震える手で胸を貫く槍を触る。鮮血が腕と腹部を滴った。コリーが少女の顔を見る。そしてすぐに、コリーの手はがくりと槍から滑り落ちた。


 少女は胸から槍を抜く。コリーは人形みたいに地面に崩れた。アナはふらつく体でコリーのそばにへたり込んだ。


「コリー……?」


 コリーは動かない。やがてディランもそばに来た。アナは顔を上げた。起こったことが現実とは思えず、涙を流すことすらない。ディランの瞳をただ見上げる。


(きれいな、色……)


 夜空を覆う闇は恐ろしい。けれど見上げれば、吸い込まれるように魅入ってしまう。


 自分がどう死ぬのか想像したことは何度もあった。だがそれは、想像していたよりもずっと痛みがなく、息を吐く瞬間には終わっていた。


   ×××


 二つの亡骸を片付け、ディランは宿へと戻るため、細い街道に立っていた。


「――目を使うなんて珍しいわね。こういうことがあるから、いつもあまり使おうとしないのに」


 下山してすぐ、アナとコリーを逃さないためにシーニーと連絡をとった。カルケニッサの町から道をさかのぼってくるようシーニーに頼み、結果として、ディランが少しだけ早く二人に接触できた。


「フィーが、殺されそうになったんだ。……ほかに方法がなかった」


 体がひどく重かった。海に沈んでいくいかりのように、どこまでも深く暗闇に落ちていく気がする。人を殺した後はいつもこうだ。ついいままで動いていた人間が、自分が手を下したことにより動かなる。長く接した人であればあるほどに残酷にのしかかる。


 遺された家族や友人は、彼らが帰って来ないことをどのように哀しむのだろう。一体何度涙を流すだろう。孤児院の誕生会は、またちゃんと開かれるだろうか。妻だけでなく娘まで亡くしたスケッルス子爵は、はたして気丈に立ち上がることができるだろうか。


「ディラン?」


 シーニーが気遣わしげにディランを見ていた。ひどい顔をしていたのかもしれない。


「あなたが気に病む必要ないわ。これは、仕方のないことだもの。渓谷のみんなの命が――私たちの故郷がおびやかされることのほうが、ずっと問題だわ」


 シーニーは当然なことと疑っていないように言う。


 渓谷で暮らす者たちは全員、目を合わせただけで人の命を奪う力を持っている。産まれつきで、原理も理由もわからない。手を挙げるように自然に、殺そうと思うだけで人を殺めることができる。


 この力ゆえに、渓谷の民は普通の人との接触を避けている。明かして人に馴染むのは難しく、また、子どもから大人まで全員がうまく隠し通すのもやはり現実的ではないことが理由だ。幸いなことに、渓谷の民同士では瞳による効果がなく、小さな平和は長く続いている。


「……二度と光を見ない覚悟があるか、か」

「え?」


 いままで何度も命を天秤にかけてきた。自分たちにとってどの命が一番重いかを量り、軽いほうを切り捨てる。自らの利益のために他者を排除する。ディランだって、リリシャと何も変わらない。


 生きているならば、アナとコリーはずっと仲良く暮らしていただろう。そんな二人の未来を奪った。ならばいつか、ディラン自身も永遠とわの闇に閉じ込められる時が来るはずだ。


「……ディラン。私たちは、間違っていないわ」


 シーニーの表情は暗い。


「幸せに暮らすためだもの」


 いつまでも考え込むディランが気になって仕方がないらしい。ディランはシーニーの額を指で弾いた。シーニーは額を押さえ、少し赤くなりながら驚く。


「ありがとう、シーニー。俺は大丈夫だよ」


 ディランはちゃんと笑ったつもりだった。だがシーニーは何故か泣きそうな顔をする。


「どうしたんだ?」

「……敵わないなって、思っただけよ。ディランって、そういう、誰かを安心させる笑顔が上手なんだもの」


 十三年前のデケンベルのことだってそうだ。ディランの誕生日にも、シーニーはすっかり騙された。すぐに帰って来るのだとすんなり信じてしまった。いまの笑顔はあの時の笑顔とまったく同じだ。


 ディランはよくわからないながらも返す。


「安心してくれたなら、良かった。――じゃあ、俺は戻るよ。アーテルが怪我をしたんだ。そうなると、アルブスが本調子じゃなくなるから、早めに戻らないと」


 シーニーは馬に乗るディランを真剣に見上げた。


「ディラン。その二人についてだけど、私たちの目のことを知っていて、本当に大丈夫なの?」

「だから、大丈夫だって。この前話したばかりだろ」

「まじめに答えて。秘密が漏れたら、私たちはまともに暮らしていけないのよ?」


 渓谷の民以外で瞳のことを知る者は、国王アイヴァンなどごく一部の数名だ。


「たとえ、アーテルとアルブスが誰かに言いふらしても、あの二人の言葉が社会的に大きく影響することはないよ。ほら話だと一蹴されるだけだ」

「でも」

「大丈夫。もし渓谷のみんなに少しでも迷惑がかかると思ったら――俺がちゃんと殺す」


 その言葉を聞き、シーニーは初めて肩の力を抜いた。


「シーニーは心配し過ぎだよ。俺にとって、渓谷のみんなが第一なんだ。何のために王子になったと思ってるんだ?」

「だって、ディランは時々、サンドリームやスプリアや、……あの子のことを守るのが、一番になってるように見えるから」

「そんなわけないだろ。フィーのことだって、王子になったおまけみたいなものなんだ。渓谷が一番じゃないなんて、あるわけない」

「そっか。……そうよね」


 シーニーがほほえんだ。心の底から安堵した笑顔だった。


 しっかりと言葉にして良かったと、ディランは思った。シーニーのためになったし、何より自分に言い聞かせることができた。――言い聞かせていると、自覚することができた。


   ×××


「どうして戦わなければならないの? 話し合うという道はないの?」

「東の国は、南の国のすべてを欲してる。でも僕たちは、この国を譲る気はない。互いの利益が重なるところがないのだから、話し合いという道はないんだよ」

「でも、戦争なんて哀しいだけだわ。築き上げた町も田畑も、あっという間に焼け焦げて、大切な人とも離れ離れになってしまう。いまこうしている間にも、何人が苦しみ命を失っているか……考えただけでも苦しいわ」


 少女ははらはらと涙を流した。いまこうしている間にも、父や弟、そして幼なじみの少年の命が尽きているかもしれないと考えると、堪らなかった。


「何をしても、戦争をやめることはできないの? いっそ降伏してしまうべきだわ。犠牲の上にある幸せなんて、何の意味があるというの?」

「……降伏してしまったら、きっと君はもっと苦しい思いをするよ」

「みんながいるから、幸せなの。たとえどんなに苦しくても、みんながいるなら、きっと笑って生きられるわ」


 王子は一度目を閉じた。どちらを選んでも哀しいのなら、いま、少女の笑顔が見たいと思った。


「――ねえ。初めて僕と会った時のことを覚えてる?」

「え?」

「風のない、晴れ渡った夜だった。いだ湖に星空が映っていて、その中央に、君が裸で立っていた」


 少女は赤くなった。


「み、水浴びをしていたのよ。仕方がないでしょう?」


 王子の金色の前髪の奥で、青い瞳が優しさとともに少女を見つめる。少女は恥ずかしさで王子を睨んだ。


「もう。忘れてと言ったのに」

「忘れるなんてできないよ。あの時の君は、僕には一輪の花に見えた。夜空に咲く、真っ白な花。この世にこれほど美しいものはないと思ったよ」


 目も逸らさず大真面目に言うものだから、少女は額まで真っ赤になった。気づけば涙は引っ込んでいた。


「大丈夫。僕に一つだけ考えがあるんだ。安心して。少し時間はかかるかもしれないけど、きっと君が望む幸せを贈ろう。僕はこの国の王子だけど、本当はずっと君の――君だけの王子さまになりたかったんだ」










――「銀の羽 夜空の瞳」end ――



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