白い結婚
廊下の端に寄り、頭を下げる侯爵家の侍女たちの姿に、ずしりと胃のあたりが重くなる。
侯爵家の侍女となれば、子爵令嬢の自分のドレスより仕立ての良い侍女服を身に纏うのかと、思わずため息が出そうになる。
公爵家にいた頃は気にならなかったというのに、侯爵家に来てから気になるようになった理由は気づかないフリをする。
いくら斜陽の侯爵家と言えども、爵位差による違いは、たかが子爵家の自分と比べれば大き過ぎることを改めて実感した。
気を取り直し、ウイザリオン侯爵の執務室への入室を求めるべく、私は扉を軽くノックした。
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今では唯一のウイザリオン侯爵家の直系であるアレク・ウイザリオン侯爵と、メルモット・アーマイド子爵令嬢との結婚式は神官の立ち会いではなく、国王の立ち会いのもと盛大に、滞りなく執り行われた。
子爵令嬢と侯爵では爵位差があるが、公的にメルモット子爵令嬢の父親となっているバーミリオ・アーマイド子爵はプルーファリ公爵の嫡子であり、彼が公爵位を継ぐまでの従属爵位を継いでの名乗りであることは周知の事実であり、余程のことがない限り覆ることは無い。
公爵位を継いで、公爵令嬢としての身分としての結婚ではなく、子爵令嬢の身分のままでのことから、公爵家、侯爵家共に継続的な婚姻の継続の意思が無いこと。
立会人が国王とはいえ神殿ではないことから、時期を見て離縁となる結婚であることを周知しているようなものであるため、年頃の娘を連れて結婚披露の夜会に参加する貴族家は多かった。
今回のウイザリオン侯爵とメルモット・アーマイド子爵令嬢の婚姻は、プルーファリ公爵家とウイザリオン侯爵家の政略であり、そこには王家の思惑も絡んでいる。
前侯爵である祖父が散財によりウイザリオン侯爵家の財政を大きく傾けた。
それをどうにかしようと現ウイザリオン侯爵の両親が奔走していたが、事故によって揃って永久の国へ旅立ってしまう。
爵位を頑なに息子へ譲ろうとしなかった祖父である前侯爵も、一人息子の死に精神的打撃を受け急死。
曾祖母の母国である隣国アルメリアで留学という名目で見聞を広めるために滞在していたアレク・ウイザリオンは急遽呼び戻され、若くして急遽ウイザリオン侯爵家を継ぐことになった。
だが、ウイザリオン侯爵家の斜陽は著しく、彼が才能溢れる青年であったとしても、借財が大きくなり過ぎていることと、二年前に侯爵領地を襲った水害の復興途中であることから、自力で立て直すことは難しい。
貴族家としてのプライドを捨て、発言権を失うほどの他家による介入を受け入れる道もあるが、そこまで融資ができる貴族家は限られており、それらの貴族家にとって先代が作った借財と領地の復興に掛かる費用を考えると、ウイザリオン侯爵家は旨味がない。
公爵、侯爵家である高位貴族にとっては発言権を奪うような介入は自尊心から行なうことはないが、慈善としてウイザリオン侯爵家を助ける理由もない。
伯爵位以下が、そのようなことをすれば他の高位貴族に睨まれることが分かりきっている上、領地の復興も長期的な計画を必要とすることから、財布としてお金を引き出されるだけで終わる可能性も否定できない博打になるため、手を出すことは無い。
そのような背景から、従属爵位を継ぎ侯爵位の返上を王家に申し入れ爵位と侯爵領の返上に伴う一時金で借金を返済して、侯爵領の復興は王家に委ねるのが現実的な選択肢である。
しかし、三代前にウイザリオン侯爵家へ嫁いできたアルメリア国王女の直系の嫡子であるアレクがいる状態での侯爵位の返上。
爵位返上の理由が借財だけとなると、アルメリア国王の又従兄弟であることから返上後に隣国アルメリアからの口出しは確実。
故に、国交に余計な火種を抱えることは避たいという王家の意向を受けた、ウイザリオン侯爵の亡くなった両親とも親交が厚かったプルーファリ公爵家が、友誼からウイザリオン侯爵の後ろ盾になるべく結ばれた縁組みだ。
婚約を維持するのではなく、結婚となったのは、プルーファリ公爵令息であり、外交官でもあるアーマイド子爵が夫婦揃って外交のため他国へと年単位で赴かなくてはならなくなったことが要因である。
両親が国に不在の状態での婚約では、プルーファリ公爵家からの援助と後ろ盾が弱いと二家が判断しての国王の立ち会いでの結婚式となったというのが、公爵家侯爵家双方にとっての表向きの理由である。
プルーファリ公爵家との個人的な友誼と王国の外交的都合があったからこそ成り立った結婚であり、公式に何か発表があったわけではないが、メルモット・アーマイド子爵令嬢の身分での婚姻が結ばれたこと。
立会人が国王陛下であったことから、貴族社会では国策の一つだと理解され、いずれアーマイド子爵が公爵位を継ぐ前に離婚とすることによって、公爵令嬢としての婚姻歴は無いとする為だろうと、ある程度は周囲に正しく理解されていた。
だからこそ、プルーファリ公爵家の支援を受け、数年後には再興するであろうウイザリオン侯爵家の有益性に各貴族家は色めき立った。
多くの令嬢が親の意向と本人の希望から、容姿の優れたウイザリオン侯爵となったアレク・ウイザリオンの関心を引くべく行動したため、夫人となったメルモットが夜会の場から早々に退席する前から多くの令嬢の誘いをウイザリオン侯爵は受け流し続けることとなった。
※※※※※
「話は以上だ。何か気になることは?」
説明された結婚式以降の主だった貴族家と王宮の動向を頭に入れる。
「特にございません。それでは、失礼いたします」
ウイザリオン侯爵の言葉に、その場を辞する言葉を告げるが、止められた。
「私も君と一緒に行こう」
そう言って、エスコートの意味を込めた手を伸ばされたため、仕方なく手を取る。
「ウイザリオン侯爵」
今回のエスコートは受けるが、毎回このような対応は必要ないという意味を込めて呼びかければ、軽く呼び方の変更を求められた。
「アレクと」
学園で同級生として親しくしていたからといって、今は領地もない子爵家令嬢である自分と侯爵である彼の爵位差を考えれば、名前で呼びかけるのは避けたいところだ。
しかし、譲る気は無いという視線に溜息を飲み込むしかない。
「屋敷内…… 人の耳が無い場でしたら」
私の返答にウイザリオン侯爵…… アレクは少し不満そうな顔をしたものの頷いてくれた。
「昔の君が今の言葉を聞いたら、遠慮してると笑いそうだね」
アレクの言葉に、そういえば自分の学生時代は淑女とはかけ離れた生活だったなと、懐かしく思った。
程なくして、メルモット・ウイザリオン侯爵夫人の部屋の前に着くと、アレクが入室しても良いか、おどけたような笑みを浮かべ確認してくる。
屋敷の主人といえども、夫人の部屋に勝手に入ることは許されない。
入るためには許可が必要となり、その権限を持つのは私だけである。
「扉に弾かれなければ、差し支えないかと」
アレクは軽く肩をすくめる。
「メルモットを守る為に施した術式だ。弾かれたなら、それ迄だろう」
扉を開けると、公爵家から共に来た侍女と乳母の視線が、一斉にこちらへ向いた。
アレクの姿を認め、全員が軽く礼をとるが、この部屋で優先されるのはメルモット・ウイザリオンである。
「あうっ」
扉の開いた音と、私の姿を見つけたことで上がった声に、思わず顔が綻ぶ。
ベビーベッドの柵につかまり、こちらを見て笑顔を浮かべる姿は愛らしい。
「まぁ、メルモット様。つかまり立ちする姿も可愛らしいですわ」
室内に残っていた侍女が、うっとりとした様子で褒める。
今回の侯爵家への輿入れの為に同行してきた侍女は一人。
プルーファリ公爵によって選ばれた忠誠心に厚い人物であると同時に、古参の者であり年齢が高めの者。
二心を持つことは無いと考えるが、それでも万が一を考慮して、子が息子だけの者の中から、更に親しくする年頃の姪などの親類がいない者を選んだのは侯爵家への配慮だろう。
「メルモット」
アレクの呼びかけに、メルモット様はキョトンとしたあと、泣き出すことはなかったが、顔を赤くしながら唸った。ベビーベッドの柵を握る小さな手にも力が込められている。
「みゅっぅ」
その変化に、隣に立つアレクが狼狽えるのがわかる。
「メルモット嬢。何度か会ったことがあるのだが、覚えていないだろうか?」
高位貴族らしくなく、声を動揺から震わせて、腕を上げたり広げたりと害意がないことを示そうとしたのか、妙な動きをするアレクの様子に部屋に居た侍女は笑いを堪えるように下を見て、乳母は「生理現象です」と笑顔で伝える。
スッキリした顔のメルモット様はご機嫌に喃語を喋りながらアレクへと聖紋がある手のひらを伸ばすが、乳母が彼女を優しく抱き上げた。
「さぁ、大変よく頑張りましたね。侯爵様とお話する前に寝室で綺麗にいたしましょう」
乳母と侍女は侯爵と私に礼をとると、寝室へと移動した。
結婚後も侍女として働くとなると、結婚相手が騎士爵家や公爵家に代々仕える従者家系に嫁ぐことになった下位貴族家の令嬢が殆どなので、家庭教師として爵位を気にしないでいられるのは、少し助かっている。
もっとも、身内の不始末から伯爵位と領地の返上をすることとなり、従属爵位として持っていた子爵位だけが残った状況なので、内心どう思われているかは分からないが、表面上は穏やかに過ごせているし、最優先であるメルモット様に影響が出ることがなければ、それで良いと気にしないようにはしている。
帯剣貴族として子爵位から伯爵位として陞爵して無名とする領地を賜った経緯から、伯爵位を手放しても家名と爵位名が同じとすることができたため、返上後も名前が変わることが無かったのが利点となった。
おかげで、同級生という伝手を使って、メルモット様の家庭教師としての仕事をプルーファリー公爵家で得られたのだから。
もっとも、家庭教師としての能力を認められたのではなく、信用できるという理由だけでの採用なので、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないが。
「いくらなんでもタイミングが良すぎないか?」
アレクの言葉に思わず笑いが漏れる。
「健康な証拠でしょう。このまま健やかに育って頂きたいです」
ソファーに腰掛けたアレクの前に紅茶を出す。
「聖紋に変化は無いようだな」
先ほど伸ばされた手を見て確認したのだろう。
聖女や聖者。聖騎士の聖紋を持つものは、あらゆる意味で狙われやすい。
裕福であれば守ることもできるが、貧しければ子の身を守るために親子の縁を切り教会へと預けて護って貰うことになる。
メルモット様を完璧に護りたいプルーファリ公爵家と金銭的支援を受けたい結界魔術の使い手としては最上位に居るウイザリオン侯爵。
そして、アレク・ウイザリオン侯爵とプルーファリ公爵家嫡男のバーミリオ・アーマイド子爵が親友だからこそ組まれた今回の赤ん坊との結婚である。
過去にも数少ないが他家で同様の結婚はあった。
資金を援助する為であったり、貴族家のバランスを取るためだけの、離縁を前提とした形だけの婚姻のため、赤ん坊や幼い子供はそのまま婚家に行くことなく生家で過ごす。
もっとも通常は婚約までで済ませるため、婿入り嫁入りの結婚までを行う場合は事情が複雑な場合となる。
今回は、バーミリオが外交官の任に就き、夫人と共に他国へ渡るのを理由に、資金援助が巨額となるためアレクと友誼を結ぶバーミリオが不在の間の、公爵家との関係を対外的に明確にするという理由をもってウイザリオン侯爵家で過ごす形としたということになっている。
バーミリオが拒否しようと思えば拒否できた外交官の任を受けたのは、防護結界に優れたアレクの元でメルモット様の身を護ってもらい、その間にアーマイド夫妻が他国で人探しをするためでもある。
公爵家の守りも堅牢であるが、状況によっては間者の侵入を許容していた部分もあるため、いくらプルーファリ公爵家の直系の孫が誕生したからといって、一歳の祝いを迎えてからも全ての侵入を拒めば怪しまれる。
妊娠の判明から一歳の祝いまでは、王族や高位貴族であるほど敷地内の侵入はもちろん、限られた人間以外が母体や赤子と接触するようなことが無いように警戒を強めることは慣習のため訝しまれることもないが、一歳の祝いを過ぎても理由なく緩めなければ、なにかあると邪推される。
それを防ぐために、結婚を結び、婚家であるウイザリオン侯爵家で過ごすことが最善となったのは偏にメルモット様の手のひらにある聖紋が聖者紋だからである。
聖女紋や聖騎士紋であれば、たとえ、聖紋持ちだと判明してもメルモット様本人は守り切ることができるので、ウイザリオン侯爵家への援助は婚約の状態で行われ、バーミリオは外交官の任を断っただろう。
しかし、メルモット様は女の子なのに聖女紋ではなく男の子の手のひらに現れる聖者紋がしっかり、くっきりとあるのである。
その秘密を守る為、代替わりして間もないウイザリオン侯爵家であれば、防護結界に優れたアレクが当主を継承したこともあり、違和感なく間者を全て弾くことができるので、婚姻を行い理由を作り婚家で過ごせるようにしたのである。
聖者紋が聖女紋に変化するのなら、変化まで待てば良い。
性別が聖者紋に合わせて変化した場合は、多少ゴタゴタするが、性別と聖紋が一致するのだから貴族的には問題は無い。但し、性別の変化の時期が遅くなるほど、本人の性別の自認や、周囲からの認識にメルモット様が悩むことになる可能性が出てくるが、そのことについて現時点で対処できることはない。
問題になるのは、これが妖精のイタズラ取り替え子だった場合である。
聖紋を入れ替えられたのなら、入れ替えられた二人を揃えれば良いため、褒賞金を提示して捜索すれば良い。メルモット様がプルーファリ公爵家の直系なのは容姿からして疑いの余地は無いのだが、血縁関係の確認も正式に済ませている為、ここ迄の可能性であれば、好奇な目で見られるぐらいであり、褒賞金目当てに入れ替えられた相手の身の安全は保証されるので公爵家で十分に守れる。
プルーファリ公爵家が危機感から、今回の動きとなったのは、聖紋を持った男女の双子の聖紋を入れ替えた上で、産まれる寸前に腹の中から一人を攫われたことが分かっているからである。
双子だと誕生前から分かっていたのに、実際に産まれたのは一人だけ。
急遽、双子の一人は死産として埋葬という形をとることになった。
高位貴族の出産だからといって死産と縁遠いことはないため疑問に思う者はいないが、聖紋が入れ替わってるとなれば話は別となってくる。
確信はないながらも、後ろ暗い理由からプルーファリ公爵家の直系を確保するため動く者は少なくない上、身の安全も、公爵家への帰還も保証されない。
取り替え子されたメルモット様の双子の弟が既に聖紋持ちの赤子として裏市場の取引に出たということもなく、現時点で裏市場に聖紋持ちの赤子が取り扱われる予定があるという情報も一切無い。
守り切ることが可能な裕福な他国の平民も公爵家の総力を挙げて探ってみたものの、現時点で有力な情報を掴むことができない。
そのような経緯から、聖女紋を持つメルモット様の双子の弟の身の安全を考えて、公にすることは得策ではなく、我が子を取り戻すために、一歳のお祝いを迎える前にメルモット様をアレクに任せて、バーミリオは夫人のユーリナと共に外交官の任で他国を周ることを決めたのだ。
聖紋には、聖女紋・聖者紋・聖騎士紋があるが、どれも希少な為、他国の貴族家や教会となると、次期プルーファリ公爵家当主であるバーミリオ本人と夫人のユーリナが動かなければ情報を手に入れられないからである。
そのため、当然ながら、メルモット様とアレクは白い結婚であり、それは周知の事実なのである。
軽いコメディを書くつもりが……
ちょっと予定してたのとかなり違う方向に話が進んだ。
赤ちゃんと婚姻する設定を煮詰めたのがまずかったかな……
長編の導入部みたいになってしまった。




