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「旅行しようよ」
と、エイルが言ったので、ボクたちは三日程休みをもらって三人で隣国の温泉巡りをすることに。
「へぇ、これが温泉か……」
ドリィが温泉に手を入れて感心したような声を出した。ボクとエイルは温泉によく来ていたけれど、ドリィは大衆浴場すら知らなかったらしい。服を脱いで熱めの湯に浸かる。
「エイルの肌は柔らかいな」
「ちょっと、何すんのさ。えい」
「ひぁっ」
二人が戯れるのを眺めながら、ぼんやりとクラインのことを考える。彼は随分とエイルを敵視していたけれど、それ以上にボクを敵視しているように見えた。ボクも『魔人』だと思われているのだろうか。基礎魔力を考えると有り得ない話ではないかもしれない。
「フィー、どうしたの?」
「大丈夫か?」
「大丈夫。心配かけてごめん」
ボクはみんなと離れるべきなのだろうか。不安は拭えない。だけど、それ以上に。
少なくとも、エイルとドリィの二人とは離れたくないな。
「そういえば、二人は入学する前からギルドに登録してたよな。どうしてだ?」
「ボクは国からの命令」
「エイルが入るから、かな」
エイルは少しでも周囲に溶け込めるようにとギルドや学園に入ることを命じられている。ボクは彼と離れるのが嫌で入っただけだ。無事に入ることができたのは全部エイルのおかげ。彼もボクといたいと思ってくれていたのはとても嬉しい。
「それにしても、いい身体だな」
「ドリィの変態。フィーに近付かないで」
ボクの身体をじっと見つめてくるドリィにエイルが噛み付く。一応鍛えているので見られて恥ずかしいとは思わないけど、あまり見つめられると少し緊張する。
身体が温まったところで宿に向かう。ギルドカードを提出しているのでタダで泊まれる。
「川の字で寝ようか」
「川の字? 何それ」
ああ、そうか。この世界には漢字がないから伝わらないんだ。
「三人で並んで寝るんだよ」
「ボク、フィーの隣がいいな」
「オレも」
「じゃあ、ボクが真ん中で寝るね」
三人で布団を敷いて横になる。すると、二人でこちらをじっと見つめてきた。
「な、何?」
「フィランはかっこいいな」
「ありがとう……?」
抜け駆け禁止、と怒鳴ったエイルがドリィに枕を投げる。これは、所謂。
「この野郎!」
「へぶっ」
枕を投げ返されて顔面に直撃したエイルが声を上げる。これってあれだよね。修学旅行とかでやたら盛り上がる枕投げだよね。
「えい」
「近い!」
エイルに枕を投げつけてみると、今度は見事にキャッチして投げ返される。そこからしばらく枕を投げ合って盛り上がった。
「……疲れたぁ」
「同意」
エイルとドリィはパタンと布団に倒れ込む。というより、ボクの上に。いくら華奢だとはいえ、二人にのしかかられるとさすがに重い。
「ねえねえ、フィー。ボクとドリィ、どっちが可愛いと思う?」
「何だ、その質問は……」
ドリィが呆れている。ボクは少し考えた後に答える。
「容姿はエイルもドリィも可愛い方だと思うけど、性格はエイルかな。ドリィはかっこいいって言った方が合うよね」
「っ」
二人が息を詰まらせたのがわかった。何か変なこと言ったかな。
「これだからフィーは……」
「全くだ。ホントにフィランだな」
「ボクの名前を形容詞みたいに使わないでよ。どういう意味なの」
二人はやれやれと首を振っているけど、そうしたいのはこっちの方だ。ホントにフィランって偽物のボクでもいるの? まあいいか。
「明日はどこに行こうか」
「デスマウンテンがいいな」
「魔物狩る気満々だね」
デスマウンテンというのはこのスフィア王国の西方にある魔物の多い山のこと。
「経験を積むにはいいな。ここの温泉には癒しの効果もあるようだし、疲れたら戻ってくればいいだけだ」
「デスマウンテンの魔物は最低でもCランクだけど大丈夫かな?」
「ボクたちなら大丈夫でしょ」
確かに、ここは国外なのでエイルの強さを隠す必要もないし、そうなるとボクも思い切り戦える。ドリィも『魔剣』があるし、三人でなら踏破もできるかもしれない。
「じゃあ、明日は魔物狩りだね」
そうと決まったら早めに寝よう。ボクは二人にのしかかられたまま目を閉じた。
翌朝、ある程度の装備を整えてデスマウンテンへと向かう。道中の魔物は割と弱いものが多かった。山中の強い魔物に追い出されてしまったもの達なのだろう。
「やった、虎見っけ」
強い魔物を見つけると同時に飛びつくエイル。ドリィは呆れてため息を吐いた。ボクはというと、こんな事には慣れっこなので何も言わずに援護の用意だけしておく。
「あわわ、こいつ強いよ!」
軽めの一撃をかましたところで標的にされて慌てるエイルに、もう一度大きくため息を吐いたドリィが駆け寄る。
「動くなよ」
「りょうかーい」
魔物の牙が迫っているというのに、エイルは緊張感のない声で答えてじっと立っていた。もう随分とドリィを信頼しているらしい。ドリィが魔物の首に剣を突き立てると、魔物は呆気なく魔核を残して霧散する。ボクの仕事がない。
「エイル、ドリィ。ボクも戦いたいんだけど」
「すまない。魔物があまりにも雑魚過ぎて」
「フィーに頼る程じゃないっていうか」
「じゃあ、次はボクが……っ」
言いかけたところで恐ろしい魔力量を感じ取る。二人も気が付いたようで辺りを見回していた。これだけ大きな気配、おそらく『魔人』が側にいる。
「気をつけて」
「言われなくてもわかってるよ」
「これが『魔人』か……嫌な気配だ」
「あら、気付かれちゃいました?」
背後から少女の声が聞こえた。慌てて振り返るとそこには。
「ふふ。怖い顔ですね」
一瞬、天使が舞い降りたのかと思った。少女はそれ程までに美しかった。しかし、瞳の奥に燃える憎悪の念はやはり『魔人』特有の濁りだった。何故『魔人』が人間を憎むのかはわかっていない。
「戦うつもりはない、とでも言いたそうだね」
「ええ、その通りです。わたしにあなた方と戦うつもりはありません」
「どうして?」
「それは、あなたが」
言葉の途中でエイルの血の鎌が少女を襲う。少女は難なくそれを避け、「お喋りはここまでですね」と笑いながら去っていった。ボクがなんだというのだろう。
「逃げられちゃったね」
「エイルの攻撃を避けるとは。敵ながら感心する」
二人は武器を収めてのんびりとした口調で言った。緊張感がないなあ、と考えるボク自身も、誰かがいれば緊張感がないと言われるだろう。そういえば。
「ねえ、エイル。ボクに隠してることない?」
「どうしたの、急に」
「さっきの攻撃、わざとでしょ」
少女が何かを語ろうとした瞬間にエイルは攻撃した。「あなたが」の後に続く言葉を聞かせないようにしているかのようだった。
「別に。仲良く話してるのが気に食わなかっただけだよ」
「仲良くって」
出会ったばかりで仲良くも何も無い。だけど、エイルにそう見えたなら攻撃するのも納得だ。いつもそれでドリィが攻撃されているから。
「おい、次が来るぞ」
「よゆーよゆー!」
「ちょっと、エイル」
またまた出番がない。ストレスでも溜まっているのか、今日はエイルがやたらと前線に出る。高く飛び上がって剣を突き立て、すぐにこちらに戻ってくる。
「囲まれたな」
「ようやくボクの出番かな」
両手を広げて燃え上がる炎をイメージする。周囲に燃え広がるように魔術を放ち、魔物が焼けていく様を眺める。
「あ、焼き鳥」
「あの牛美味そうだな」
魔物を殲滅したところで火を消すために水をかける。
「冷た……っ」
「あ、ごめん」
ついやり過ぎてエイルにかかってしまった。目にかかった髪をかき上げる仕草にドキッとする。水も滴るいい男。
「乾かそうか?」
「フィー、乾かしてー」
「おい、無視か」
ドリィの言葉をガン無視している。やったのはボクなのでちゃんと乾かしてあげる。ふわふわした髪が風に吹かれて揺れる。
「さて、そろそろ戻ろうか」
今日は宿に戻って明日学園に戻る。魔核や素材が多く手に入ったので『異空間収納』に放り込んでおく。
翌日、学園に戻ると何やら騒がしかった。
「何かあったの?」
近くにいた女生徒に問いかけると、彼女はひどく怯えた様子で答えてくれた。
「実は、魔物が現れて……Sクラスのみんなが退治してくれたんだけど」
「そっか。怖かったよね」
大丈夫だよ、と頭を撫でてあげる。つい癖でそうしてしまったけれど、彼女は気を悪くしたようではなかった。
「学園には結界があるのに、どうして」
エイルの疑問は尤もだ。学園には外の魔物が入ってこられないように結界が張ってあるはず。地下にあるダンジョンも同様だ。魔物が現れるはずなんてないのに。
「結界は張ってあるままだよ」
学園全体を覆う結界は七日もの時を要する。破られた形跡がないということは。
「誰かが魔物を召喚したということか」
「それでピリピリしてるんだね」
普通の人間に魔物の召喚なんてできない。出来るのは『魔人』だけ。学園に『魔族』はいれども『魔人』と呼ばれるものはいないので、誰かが入り込んで来たのだろう。結界をものともしない強い『魔人』。警戒するのは当然だ。
「あの『魔人』がやったんじゃないのか?」
「何のために?」
例え魔物を大量に召喚したとしても、結界内部では本来の力がないただの雑魚でしかない。蹂躙されるだけのために魔物を召喚する意味がわからない。結界を破らなかったのは、バレないためか、それとも。
「宣戦布告、てこと?」
「だとしたら『魔王』の復活も遠くないよ」
「不安を煽るようなこと言わないでくれ」
エイルの言葉にドリィが苦い顔をした。事実だもん、と悪びれもせずに言うのはいつものこと。
「よかった……二人が来てくれたら百人力だ」
「万人でもいいんじゃない?」
「調子に乗らないの」
アレンの言葉に茶化すように返したエイルの脳天を小突く。うるうるした瞳で睨みつけられても怖くない。それにしても『魔王』の復活かぁ。
「怖いなあ……」
「ボ、ボクが守ってあげるからね!」
「オレだって!」
「うん、二人ともありがとう」
しっかり守ってね、なんてお願いをすると二人は頬を赤らめてそっぽを向いてしまった。ちょっと厚かましかっただろうか。
「『魔王』が復活するとしたら、『魔人』も魔物も増えるよね」
「しっかり気を引き締めていかないとな」
どちらもやる気に燃えているけれど。
「『魔王』の討伐はクラインの仕事でしょ」
半覚醒状態だとしても『勇者』の力は『魔王』に対して有効だ。ボクらの出る幕じゃない。
「あんな雑魚に命運を委ねるなんて冗談じゃないよ。ボクたちで行こ、ね?」
「行こ、って……」
エイルはすっかり『魔王』討伐に行くつもりになっているらしい。
「おいおい。授業はどうするんだよ」
「そうだよ。ボクたち学生なんだよ」
「だってあんな奴らに任せておくわけにはいかないじゃない。弱いし」
ちょくちょくクラインを罵るのは可哀想だからやめてあげて。ボクたちが『魔王』討伐なんてできるはずがない。ボクたちにはそれだけの力がないのだから。
「もういっそ『勇者』を食べちゃうとか?」
エイルの提案にちょっと賛成しかけた。素知らぬ顔をして寮に戻る。ドリィが不安そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「オレたち『魔族』は一歩間違えれば『魔王』の手下だと思われるんだよな、と思って」
エイルの故郷が人間に滅ぼされたように。一歩間違えれば彼らは人間の敵と見なされてしまう。それはわかっている。だからこそ、ボクは。
「二人のことはボクが死んでも守るよ」
「……死ぬなよ」
真剣な眼差しに息ができなくなる。大きく頷いてみせると、ドリィは安心したように布団に入っていった。ボクの布団に。
「ちょっと、ドリィ」
「いいだろ、減るもんじゃなし」
「いいけどさ」
「いいんだ」
カラカラと笑うドリィ。
ボクはこの時、『魔王』の復活が何を意味するかを知らなかった。
朝になって目が覚めると、ドリィの姿が見当たらなかった。
「どこ行ったのかな……」
妙に静かな学園内。なんだか嫌な予感がする。そういえば。
「なんで気付かなかったんだろう」
部屋の扉は開閉の度に大きな音がする。ドリィが朝の訓練に出る時はいつもその音で目が覚めていた。それなのに。
「あら、起きちゃいました?」
先日出会った『魔人』の少女が横たわったドリィの背に腰掛けていた。
「何でここにいるの。ていうか、ボクの友達を椅子にしないでくれる?」
「あなたに会いにきたんですよ」
立ち上がった少女が近付いてくる。身体が石のように固まって動かない。
「こんにちは、『魔人』さん」