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第二十一話 「それぞれの思惑の厄介な共演(下)」



「シャナン様と第三王子、上手く行きそうじゃねー? 俺達が毎日こっそり影で奮闘して、二人っきりになれる機会を作っている成果だな!」


 爽やかな日差しの中、シャナン王女がヴィーダル王子と仲良さげに二人で中庭を散歩する姿を眺めながら、ショーンが嬉しそうに笑った。

 テウタテスの護衛騎士であるショーンだが、テウタテスの護衛を少しの間ランスロットとキースに代わって貰って休憩中である。

 一緒に柱の影から二人を見守るテッドは、物言いたげな視線をショーンに向ける。テッドの顔に首を少し傾げた後、ショーンは軽く背中を叩いた。


「なんだよ、暗い顔して。大丈夫だって! ヴィーダル王子はどう見てもシャナン様に惚れてるって! これで、ターニャもシャナン様もケルトレアに残れるって!」

「……ショーン、鳥使い達に何かされるの?」

「は?」

 予想外のテッドの言葉に、ショーンは目を瞬かせた。


「鳥使い達がショーンに接触しているのは知ってるよ。ナーサも気にしてる」

 真っ直ぐに見詰めてくる童顔の幼馴染の視線に、ショーンは気まずげに頭を掻いた。

「……あー、バレてた?」

「……危険な事じゃないだろうね? まだ生きてるって事は、命を狙われているってわけじゃないんだよね?」

「あはは。凄い言われようだな、あいつら」

 ショーンがいつもどおり明るく笑うと、テッドは眉を寄せた。

「……だって、あいつら、何か得体が知れないじゃないか! それにグレンファー家は……」

「あー、まーな。なに、テディってば、俺のことがそんなに心配? 愛を感じるね! 愛を!」

 言葉を遮りショーンが肩を竦めておどけた様に答えると、テッドは益々眉を寄せた。


「当たり前だろ! 大体、僕もナーサもショーンがアズルガートに来るのは反対だったんだ! アズルガートにいる間、ショーンは出来るだけ目立たなくして気を付けていろと、父上からも言われただろう?」

 ショーンは少し困ったように笑ってから目を伏せ、その表情にテッドはどきりとした。

 いつもふざけている幼馴染がこういう顔をする時は、彼が複雑な気持ちを隠そうとしている時なのだと知っている。

「……アズルガートの地を踏むとは思ってもいなかったけどさ、来て良かったと思ってる」


「……なら良いけど。……くれぐれも、気を付けてよ。鳥使い達だけじゃないからね! テウタテス様だけじゃなくて自分の周囲にもいつも注意していてよ! どこにでも狂った奴はいるんだからね! 400年以上経っても、変なことを考える奴はいるだろうから……」

「ああ。……心配してくれて、ありがとな、テディ!!」

 嬉しそうに抱きついてきた大きな体を、ショーンに比べれば小さなテッドは、もがきながらなんとか振り解くと、フンッと鼻を鳴らした。 


「本当にね! 僕は今回のアズルガート滞在で寿命が10年は縮むよ! シャナン様も、テウタテス様も、ナーサも、ショーンも、リヴァーちゃんも、キースも、ランスロットも、姉さんも、皆心配だよ!! ……帰ったらサイモンしばいてやる!! 僕じゃなくてアイツが来れば良かったんだよ!! ……そうすれば、僕はミズノト様のお側にいられたのに!!」

「……後半が無ければ感動的な台詞だったんだけどな」

 ショーンのツッコミは、崇拝するケルトレア王后を想像し始めたテッドの耳には届かない。

 こっそり後を追っていたシャナンとヴィーダルの姿は、もうとっくに見えなくなっている。

 一人の世界に入ってしまったテッドは、うっとりとした目と軽やかな足取りで、テラスの柱の影から中庭に出て行くと、目の前の白い薔薇を一輪手折って口付けた。ショーンはその姿を見て顔を引きつらせる。


「ああ、麗しのミズノト様!! 遠い地でも僕はあなたを毎日想っています!! ……は! 帰ったら労いの言葉をいただけるかも! 『テッド、そなたの働きは見事なものじゃったのう。暫く見ない内に頼もしゅうなって。苦しゅうない、近こう寄りや。愛しいそなたの顔を、わらわにとくと見せてたもれ……』とか仰って、頬を撫でられたりして!! 耳に息とか吹きかけて下さったりして!!」

「妄想し過ぎだろ。……耳に息って、寧ろ嫌がらせだろ。っつーか、お前の童顔は一ヶ月や二ヶ月じゃ直んねーし」

 どうせ聞いちゃいないだろう、と思いつつもショーンがツッコミを続けると、「童顔」という言葉に、テッドは反応してショーンを睨んだ。 

「煩いな!! ダグ王子よりマシだろ!!」

「……お前、かなーり失礼なこと言ってるんだけど……自覚ある?」

「ない!」 

 ミズノト王后のことを考えている時のテッドは、その他の事に考えが回らないということを良く知っているので、ショーンは軽く溜息を吐いた後、肩を竦めた。


「……まー、どっちもどっち、じゃねーの? テッドなら、ダグ王子と同じ28歳になった時も今と変わらなそうだし。っつーか、お前、ここ5、6年前、全然変わってねーよな? 老化止まんの早くねぇ? その童顔はある意味武器だよなぁ」

「僕はまだ成長期だよ! 童顔童顔って人を馬鹿にして! どうせ僕は男の癖に母上似で男らしくないよ! 背だって姉さんと同じくらいしかないし! ショーンばっかり図体がデカくなってズルイよ!! ショーンなんか、心配した僕が馬鹿だったよ!! 勝手に鳥使いの鳥に食べられちゃえば!?」


 怒って捨て台詞を吐いて立ち去ろうとするテッドの後を、ショーンが慌てて追いかけて引きとめようと肩を掴もうとすると、サッとかわされた。

 プイッとショーンから顔を背けて無言でテッドは走り出す。 

「お、おい! テディ!! 悪かったってー!! 5、6年前は言い過ぎだったって!! その内きっと成長して、チャーリー様みたいになれるって! おーい!! ……あーあ、怒らせちったよ。アイツ根に持つんだよなぁ……ナーサに助けを求めるか……はぁ」





 ショーンが溜息を吐いて中庭から立ち去った頃、シャナンはヴィーダルと別れて自室に向かう途中で、ナサニエルが向こうから歩いて来るのを見つけた。

 いつもどおり微笑を湛えた次期騎士長最有力候補の顔を見て、彼の機嫌が宜しくない事を察すると、その理由の思い当たるシャナンは憂鬱になった。

(まずいわ。絶対バレてる。っていうかちょっとキレてる? ……どうしよう) 


 ダグ第一王子と結婚すれば、アズルガート王国に嫁がなければならないシャナン王女は、ヴィーダル第三王子を「たぶらかして」ケルトレア王国に連れ帰るという計画を実行中である。

 今日も「可憐ぶりっ子全開でヴィーダル王子と中庭をラブラブお散歩」という課題に挑んだシャナンは、彼の心を掴んだ手応えがある。 

 今までは、兄の妃になる人だという分厚い壁をヴィーダルが作っていて反応がいまいちだったのだが、今日は勝手が違った。ヴィーダルが初めて、遠慮と戸惑いを見せつつもシャナンに気があるという事を示してきたのだ。

 どういった心境の変化だかわからないが、兎に角、もう一息で壁を壊せる気がする。


 このまま誘惑して既成事実を作って出来たら子供を孕んでしまいたい、などという、王女らしからぬ捨て身の計画は、他国の王子に嫁いだ親友イーディスにしか打ち明けていない。

 しかし、宰相サイモンには見透かされていた。ということは、ナサニエルにも伝わっているのだ、とシャナンは推測している。

 ナサニエルのみならず、他の同行した騎士達も知っているのかもしれないと思うのだが、誰も何も言ってこない。自分の計画を潰す気でいる宰相が、何も手を打っていないはずが無いので、シャナンも軽率にこの事について口を開くつもりは無く、誰にも言わずに一人で実行している。


(でも、ショーンとテッドは、私とヴィーダル王子の仲を取り持とうとしてくれているみたいなのよね……。ターニャは、私がヴィーダル王子を誘惑しているのを少し離れた所でいつも護衛しながら見ているのだから確実にバレているでしょうに、全く何も口に出さないし。……どういうことなのかしら?)



「シャナン様、どちらにおいでだったのですか? ダグ王子からのお茶のお誘いの使いが、シャナン様を探しておりましたよ」 

 優雅に礼をとってからそう言ったナサニエルに、シャナンは平静を装って微笑み返した。 

「ちょっと、中庭を散歩していたの」 

「ヴィーダル王子を誘惑しているように見受けられましたが?」

「……気のせいよ、気のせい! いつもの可憐ぶりっ子をしていただけよ。……っていうか、見てたのね?」

「はい。こっそりと」

「何が『どちらにおいでだったのですか?』よ……本当にナサニエルは!」 

 騙されてむっとしたシャナンに睨まれて、ナサニエルは「申し訳ありません」と笑みを見せて頭を垂れた後、真剣な顔をしてシャナンを見詰めた。 


「……そんなにお嫌ですか? 他国に嫁ぐのは」

 声を小さくしてナサニエルが言った言葉に、シャナンははっとして顔を上げた。ナサニエルの柔らかな緑の瞳を見詰め返すと、サイモンの鮮やかな緑の瞳が思い出され、シャナンは慎重に口を開いた。 

「……王女として、最低限の仕事はするわ。第二王子や第三王子でも、同盟を結ぶのに十分でしょ? どちらも優秀な人材なのだから、ケルトレアに連れて来た方が良いじゃない」

 勿論、サイモンの言葉は覚えている。

 若く有能な宰相は、「アズルガート王国次期王位継承者」とシャナンの婚姻が必要なのだと言った。

 次期王位継承者の子をシャナンが産み、その子が二代先のアズルガート王にならなければいけないのだと。

 それは詰まるところ、「ケルトレアには帰って来るな」と言われたも同然だ。しかし、既成事実を作って子を孕んでしまえば、それを盾にアズルガート側とも自国の宰相とも戦えるだろうと思う。ケルトレアに残るという勝利を、自分の手で勝ち取らなければならない。


「……アズルガート王国はシャナン様が嫁がれるのに条件の悪い国ではありません。エト王国から嫁いで来られたミズノト様は、ケルトレアでお幸せでしょう?」

 ナサニエルが言い聞かせるように優しく言った。

 確かに母は幸せだ、とシャナンは思う。 

 だからと言って、母は遠い祖国を忘れた日など一日たりとて無いだろう。

 その証拠に、国民的な行事や他国の貴賓を迎える公務以外は、王后は大抵エトの服に身を包み、エト風に髪を結い、部屋はエトの王城に真似て改造されている。そして、ケルトレアの王城には王后が連れて来たエトの料理人や職人が多く働いている。

 

 当初はそれを良く思わない者も数多くいたらしいが、ケルトレア王国よりも遥かに広大で強力で歴史の長いエト王国という後ろ盾のある王后に、表立って逆らう者はいなかった。

 何よりも、王后は彼女を命がけで愛する国王に守られているのだ。そして、王后は自らの働きによっても周りを認めさせ、ケルトレア国内に「エト風」を流行らせさえした。

(あの何を考えているのか解からない「のほほん笑顔王子」が、お父様がお母様にしたように私を愛して守ってくれるとは到底思えないわ)



「ミズノト様がケルトレアにもたらした利益と影響は素晴らしいものです。ミズノト様が嫁いで来られた事によってケルトレアがどれだけ豊かになったか、ご存知でしょう?」

 エト王国までの貿易路の拡大は、ケルトレアの国民の生活の豊かさと国力を大きく向上させた。内政を安定させ、それまでの戦乱を平定した王と王后は国民に絶大な人気がある。

「ディアン陛下はミズノト様とご結婚なさる以前から賢王であらせられましたが、ミズノト様がお支え下さっているからこそ、今までの長きに渡り国をお守り下さっているのです。シャナン様には、ミズノト様と同じだけの事がお出来になるのです。アズルガートに嫁がれれば、アズルガートの民を守るだけでなく、間接的にはケルトレアの民の幸福を守ることが出来るのですよ?」

「それは……」

 わかっている。

 けれど、祖国を離れて、愛着も無い他国で生きて行くことなど、想像もつかない。

 幸せにしたいのは祖国ケルトレアの民だ。

 遠くから間接的にではなく、直接この手で守りたいのだ。

 言葉に詰まるシャナンを見てナサニエルは静かに目を伏せ、そっと耳元で囁いた。


「アズルガート王国に嫁ぐのがどうしてもお嫌ならば、どうにか致しましょう。ですが、シャナン様が本当に、どうしても無理だと思われた時の最終手段ですのでお勧めは致しません。どうか、軽率な行動は取られませぬよう」

 シャナンは驚いてナサニエルの顔を見詰め、直ぐに斜め後ろに控えているターニャを盗み見た。ターニャには聞こえなかったようで、真面目な顔で様子を伺っている。

 ナサニエルは、礼を取り、「ダグ王子のお茶のお誘いをお忘れになりませぬよう、お願い致します」と普段どおりの笑顔で言って立ち去った。


(……どうにかするって、どうするのよ? 一体、何を考えているの? ……これもサイモンの仕組んだ罠だって可能性は十分にあるわ。……本当に、もう、どうしたら良いの?)




 シャナンは部屋に戻ると侍女を捕まえ、体調が優れないのでお茶の誘いを辞退する旨をダグ王子に伝えるよう頼んだ

 色々と悩み、ここ一ヶ月の疲れが出たのか、本当に気分が優れず、夕食も食べずに寝台に横になった。ターニャがとても心配しているのが分かったが、洗いざらい話すことも出来ずに、「旅の疲れが出ただけで、大丈夫だから」と言って下がらせた。

 ターニャに事情を話せない事も辛い。彼女は、アズルガートに嫁ぐ際には、一緒にアズルガートに付いて行くと言ってくれているのだ。そんな腹心の騎士に隠し事をする事は、酷く胸が痛む。


(一晩寝れば、きっと気持ちもすっきりするわ。頑張らなきゃいけないのだから、しっかり寝なきゃ!)





 シャナンの部屋に直接繋がった護衛用の部屋で、ターニャは湯を浴びた後に、寝台に腰掛けた。

 何かあれば直ぐに駆けつけることの出来るような服を着て、愛剣は寝台の横に置き、魔石を身に着けている。シャナンの部屋の扉前には護衛がいるし、場内には巡回の警備もいるのだが、他国であるという事もあり、気が抜けない。


 ターニャに宛がわれた部屋は、中々上質な家具が備え付けられており、寝台の寝心地も良い。浴室も清潔で広々としていて、貴賓の護衛の身分の高さを考慮して作られた部屋に、ターニャは満足していた。

 だが、湯上りのほんのり赤くなっている滑らかな肌の彼女の薔薇色の唇から漏れるのは、深い溜息。

 主の悩みを軽く出来ない自分が、もどかしかった。

(シャナン様は、ヴィーダル王子の方がダグ王子よりもお好きなのだろうな。シャナン様の今までの恋愛歴を振り返っても、片思いのお相手はああいう武人らしい男ばかりだったからな。今までは私に何でも話して下さっていたのに、今回は何も仰って下さらない。……私から口に出すのは憚るだろう。御結婚相手はダグ王子なのだし……) 


 悩みながら、茶色がかった明るい橙色の長い髪を乾かしていると、ふと扉の向こうに気配を感じた。

 ターニャは素早く剣を手に取り、扉の横に立つ。慎重に扉の向こうに意識を集中させると、読み取れた気配は一つだけで、殺気立ってもいない。

 仲の良い弟のテッドは、何度か部屋を尋ねてきたが、弟の気配ならば直ぐにわかる。

 弟以外の同行している騎士の中でターニャの部屋を訪ねて来る可能性のある者は皆幼馴染なので、その気配は言い当てられる。これは、知らない者の気配だ。

 ターニャの部屋の扉も、シャナンの部屋の扉前の護衛の目が届くようになっているので、彼らが止めないような相手だとは思うが、念の為、愛剣を手にする。

 トントンと、控え目に扉が叩かれ、ターニャは剣を構えながら扉を勢い良く開けた。


「何者だ! シャナン王女の寝室と知ってのことか!」

 開けながらそうターニャが言い放つと、言われた相手はするりと部屋に入り、艶やかに微笑んだ。

「おや、ここは王女の寝室ではなく、その護衛騎士の寝室だったはずですが?」

 大きな布を被り、頭と顔半分を隠しているその人の、口元と声の優美さに、ターニャは眉を寄せた。裾が長く袖の大きな上質の服は、暗殺者や強盗には似つかわしくない。

 暗殺者や強盗だとしたらシャナンの部屋の扉前の護衛が止めているだろうが、扉から顔を出して不審に思って彼らを確認すると、なんとも微妙な顔をして無言でターニャを見て目礼した。



「シャナン王女の寝室と扉一つで繋がっている! 何者だ!?」

 ターニャは護衛達の反応の意味がわからず、部屋の中に入った訪問者を睨み付けた。

「そんなに怒らずに。……私が誰か分からないのですか、ターニャ?」

 楽しそうな声で訪問者は半開きの扉を閉め、美しい刺繍の施された布を頭から取ると、寝台の横の明かり以外は消えている部屋で、その麗人の周りだけに柔らかな明かりが広がった。螺旋を描く見事な長い金の髪が揺れて、ターニャは息を呑んだ。


「デリング第二王子殿下!? ……何故、貴殿がシャナン様の寝室に!?」

 正体を知られても尚殺気を消さぬターニャに、デリングは驚いて目を瞬かせた。

「……ですから、ここは王女の寝室ではなく、貴女の寝室です。私はシャナン王女ではなく、貴女に会いに来たのですよ、ターニャ?」

 艶やかな声でそう言いながら、優雅な足取りでデリングはターニャの横を抜けて寝台に腰を下ろした。

「悪くない寝台ですね。これなら疲れも取れるでしょう」 

「……何の御用でしょうか? シャナン様に危害を与える気ならば、王子であろうとも、容赦は致しません!」

「私が興味があるのは、王女ではなく貴女ですよ、ターニャ。さぁ、剣を下ろして、こちらにいらっしゃい」

 眉間にしわを寄せて睨んだままデリングに近づいたターニャを、デリングはぐいっと腰を掴んで引き寄せて自分の隣に座らせた。

 ターニャは意図を理解できないと、益々眉を寄せる。


 デリングは甘く微笑んで、ターニャの手の甲をそっと撫でた。

 こうすると女はそれだけで、気絶しかねない程興奮することをデリングは良く心得ている。

 しかし、目の前の女は、不思議そうな顔で自分を見ているだけだった。

 もしや、男か? それとも、同性愛者か? どちらにせよ、自分の美貌ならば請けが良いはずだ。そう思いながら、掌を触ると、驚くほど硬かった。指を絡めると、淑女の柔らかな細い指とは全く別のものだった。

 騎士なのだな、と思い出してデリングは微笑んだ。

 この女は、忠義心に溢れた頭の固い騎士なのだ。そう思うと、何故だか妙に嬉しくなった。



 ターニャは自分の手を取って撫でているデリング王子の手を凝視した。

 自分より大きな手と長い指に、女より綺麗な顔をしているのに、やはり男なのだな、と思い、顔をまじまじと眺めた。

 目が合うと、恐ろしい程に美しい顔で艶やかに微笑まれ、ターニャは益々眉を寄せた。

(それで、一体どうしてこの王子は、こんな所で私の手を撫でているのだ? 意図がさっぱり解からないぞ?? シャナン様に危害を加えぬのならば、無礼を働かないようにしなくては。手を撫でるのが趣味なのかもしれない。シャナン様の手を撫でるのを阻止する為にも、私の手を撫でさせておこう)

 怪訝そうな顔で手を見詰めているターニャに、デリングも眉を寄せた。

 自分に触れられて、頬を染めてうっとりしない人間など、家族や彼の鳥使い以外に会った事がない。


「あなたの髪と目の色は暖かくて良いですね。まるで夕焼けに照らされた大地の様だ。触れているだけで癒されそうですよ」

 先程から手応えが全く無いが、とりあえず口説き文句を言いながら、今度は髪を撫でてみる。女は頭を撫でられるのにも弱い筈だ。

 ターニャは首を傾け暫く考えた後、何か思いついたように、ポン、と手を打った。 

「そうか!! それでショーンは、テッドの頭をいつも撫でているのか! 癒しが必要だからなどと言って、テッドを連れて来たのもそれが目的か! ショーンは、我が弟を私欲の為に使っているのか! やはり、あの男の腐った根性は私が叩き直さねば!!」

 立ち上がって拳を握っているターニャを暫く唖然と見上げていたデリングは、狼狽しながら立ち上がった。

 色々と精神的ダメージが大きい。


「……又、お会いしましょう……」

「は? 帰られるのか?」

 驚いて目を見開くターニャに、デリングは弱々しく頷いた。 

「ええ……少し、甘く見ていたようです。……勉強して出直して来ます」

 どうにかそれだけ言い残すと、デリングはフラフラした足取りで部屋を出て行った。

「……一体何だったのだ? ……何をしに来たのだ?」





 自室に戻ったデリングは、ばたり、と寝台に倒れこんだ。


(私を目の前にして、あまつさえ、手を握られた状態で、他の男の名を呼ぶとは……)

 初めての体験に、頭が混乱する。

 シャナンの思惑を探るためにターニャに近づくようにダグに言われて、初めてターニャと接触を取ったのだが、こんな結果になるとは思っていなかった。王女の話題に辿り着く程に自分に心を開くまで、相当な時間を要しそうだ。

 散々だった。意識されてもいない。あの騎士は盲目か? 美的感覚が欠如しているのか?

 こんなことでは、百戦錬磨の傾国の美姫の名が廃る。いや、そんなもの廃って良いのだが。寧ろ、廃るのは大歓迎なのだが。

 そんな事を考えながら、デリングは寝返りを打った。 


(シャナン王女のヴィーダルに対する態度は、まるで恋をする女のようではないか。あれは絶対に悪女だ。可愛い弟を悪女の毒牙にかけてたまるものか。シャナン王女は何を考えているのだ? そもそも、王位に付く兄上でも、美貌を讃えられている私でもなく、第三王子という立場の一番低いヴィーダルを標的にしているのが分からない)


 恋をして潤んだ瞳でシャナン王女を見詰めている純粋な弟を思い浮かべて、デリングは舌打ちした。

(王女が本当にヴィーダルに恋をしているとでも言うのか? 違うだろう。騙されて、可哀想に。……ヴィーダルをケルトレアに迎えに行かせるべきではなかった。兄上は、結局のところ何をされたいのだ? 本当に、私がシャナン王女を娶る事をお望みなのだろうか……?)


 考えを巡らせたところで、混乱するばかりだった。

 とりあえず、ターニャを通してシャナン王女の様子を探ろう。下手に王女に近づいて彼女の策に嵌るわけには行かない。そう思い直し、デリングは心を落ち着かせる為に深呼吸をした。

(下手に王女本人と二人きりになって、何もしていないのに、私に襲われたなどと言及されては困るからな。……しかし、あの騎士……一体どうなっているのだろう? あれに比べれば、リヴァー殿の方がまだ容易に意思疎通ができる。……あの守りの堅さは騎士独特のものかもしれない)

 美貌の王子は、美しい唇から悩ましい溜息を吐いて、小さく呟いた。


「騎士、か。……手強いな。さて、どうしたものだろうか……?」

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