第二十話 「それぞれの思惑の厄介な共演(中)」
BLではありませんので……念の為!(汗)3兄弟の関係がおかしいのは彼らを取り巻く環境故。後ほど背景が出てきますのでお待ちください。
ケルトレアの面々との晩餐会を終えた後、ダグの私室で三兄弟は食後の酒を飲みながら寛いでいた。
ヴィーダルが興奮しながらするケルトレアの話に、ダグとデリングは微笑ましく興味深く耳を傾ける。
「それにしても、シャナン王女は予想以上に可愛いねぇ。困ったなぁ」
唐突なダグの台詞に、デリングは眉を少しひそめ、ヴィーダルは驚いた顔で身を乗り出した。
「え!? どうして可愛いのが困るんですか!?」
ダグはいたずらっぽく笑って、ヴィーダルを見る。
「我慢出来ないかもしれなくて困っちゃうよ。ふふふ。いいねぇ、あの立派な胸! 尻も丸くて可愛らしいよね。思わずムラムラッときちゃったよ」
デリングは飲んでいたクロスグリ入りの小麦の蒸留酒を噴出しそうになり、げほげほと咽ている。隣に座っている末っ子は、お約束どおり手にしていた大麦の蒸留酒を豪快に溢して真っ赤な顔で立ち上がった。
「だ、ダグ兄!! いけません!! そんな、無理やり!! ああ、羨ましい!!」
美貌の次男は呼吸を整えて、手にしていたグラスをテーブルに置く。
「……ヴィーダル、何を妄想しているのですか。兄上も、ヴィーダルをからかうのも大概にして下さい」
「ふふふ。嫉妬しなくても大丈夫だよ、デリング。美しさならシャナン王女より君の方が勝っているから」
美貌の弟ににっこり微笑むダグに、ヴィーダルは思わず立ち上がった。
「そんな馬鹿な!! シャナン王女の方が可憐で美しいじゃないですか!! っていうか、そんな台詞を聞いたら城内の女達が『やっぱりお二人はそういう関係!?』とか言って喜びますよ!! 止めて下さい!!」
「あははは。そういう噂を立てておいた方が、害虫駆除になるだろう?」
楽しげな兄に、デリングは溜息を吐いて嫌そうな顔をしながら酒を呷った。
「良くありません。そんな噂を立てれば、害虫は余計群がって来ますから止めて下さい」
「たまには害虫を誘き出す事も必要だからね。踏み潰すのは、私に任せておきなさい」
デリングが不満そうに眉を寄せたので、ダグは肩を竦めて話を変える。
「シャナン王女の護衛騎士の子、ちょっと面白いよね」
折角座り直したヴィーダルは、再び勢いよく立ち上がった。
「ダグ兄!! 駄目ですよ!! 確かにターニャ殿も可愛いですけど!! そんな!! ダグ兄にはシャナン王女がいるじゃないですか!! 浮気はいけません!!」
興奮するヴィーダルに溜息を吐いてから、デリングは訝しげにダグを見た。ダグはその視線を受けて、意味深に微笑み返す。
「浮気するなんて言ってないよ。ただ、可愛いなぁって思っただけ。女騎士というのも、凛々しくて中々素敵だね。何より天然で面白いし。そう思わないかい、デリング?」
「兄上……あの騎士を何かの策に使うご予定が?」
急に上げられたシャナンの護衛騎士の話題に、デリングは兄には何か考えがあるのだろうと理解する。
「ふふふ。どうかな? とりあえず、ちょっと仲良くなって様子を探ってみてくれるかな?」
「王女が何を企んでいるのか、あの護衛騎士から聞き出すのですか?」
「うん。程々にね?」
兄達の会話を聞いて、ヴィーダルが再び勢いよく立ち上がる。立ったり座ったり落ち着かない。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 仲良くって!? 程々に仲良くって!? デリング兄に誘われて落ちない女なんかいないんですから、程々なんて無理でしょう!? そんな、駄目ですよ!!」
何やら可笑しなことを口走っている弟を横目で見て、デリングは首を横に振った。
「……閨に誘って話を聞き出す、というわけではありませんよ。必要ならばそれも構いませんけれど、兄上は私がそういう浅ましい行為をすることは好みませんから。まぁ、私があの女騎士に欲情して、事情徴収とは別に一人の男として抱きたいと思えば話は別でしょうけれど」
「欲情したらって、そんな!! あれだけ可愛いんだから、しますよきっと!!」
真っ赤な顔で必死に言う弟に、兄が弟をからかって楽しんでいる理由をデリングは少し理解する。
可愛い。可愛いと、ちょっと虐めたりからかったりしたくなるものなのだ。
「まぁ、溜まっていればするでしょうね」
デリングが艶やかに笑うと、ヴィーダルが叫んだ。
「凛々しく美しく可愛い騎士の純潔が、デリング兄に汚される!! あんなことや、こんなことや、あまつさえ、そんなことまで!?」
「……どんなことですか」
弟は、絶対自分を誤解している、そう思いながらデリングはむすっと不機嫌に酒を呷った。可愛いと思ったのに可愛くない。
「あははは。それにしても、シャナン王女の見た目は、ヴィーダルの好きな騎士伝説の姫みたいだね?」
「え!? ……は、はい」
急にダグに言われて、ヴィーダルはギクリとした。ギクリとしたことに、自分でも戸惑い、焦る。別に疚しい事などないのに、何故こんな気持ちになるのだろう。
「君の理想そのものじゃないか。欲しくはないかい?」
じっと目を見詰められて、ヴィーダルは一気に酔いが醒めた。冷たい汗が背中を伝う。
確かに、シャナン王女には憧れている。こんな姫が自分の妃になってくれたらと思う。
でもそれは、疚しい気持ちなどではない筈だ。王女は兄の妃に、つまりは自分の義姉になる人なのだから。後ろめたくなるような気持ちなどは持っていない筈だ。
そう、自分に言い聞かせる。
「……俺は、そんな……シャナン王女はダグ兄の妃ですから……」
「まだ妃ではないよ?」
ダグはあっさりと、事も無げにそう言った。
ヴィーダルは不安げに、長兄の緑がかった薄茶色の瞳を見詰めた。何を言っているのか、わからなかった。
「……それは、どういう意味ですか……?」
「事実を述べているだけだよ。シャナン王女は、まだ誰のものでもなのだから、君のものにしても良いよ。アズルガートに嫁いで来てくれさえすれば、良いのだからね?」
「……そんな……ダグ兄……俺……」
思いもよらなかった言葉に、ヴィーダルは青ざめてダグを見詰めた後、静かに立ち上がった。
「……俺、先に失礼させていただきます」
ヴィーダルが部屋を出た後には、しんとした空気が残った。
「……兄上、一体どういうおつもりです? 王女との縁談を申し込まれる前にも、ケルトレアの王女はヴィーダルにと考えていた、などとヴィーダルを煽る様な事を申されましたけど、何を考えておいでですか? シャナン王女は兄上が妃に貰うのではなかったのですか? 最初にはそう仰ったでしょう?」
珍しく声を荒げて自分を非難する弟に、ダグも珍しく困った顔をした。
「……私的な感情なんだ。二人が結ばれるのなら、それはそれで、それまでだろうと思う」
曖昧な兄の言葉を理解しようと、デリングは頭を働かせる。
「……それまでというのは、シャナン王女のことですよね? まさか、ヴィーダルをお見捨てになるわけではありませんよね?」
じっと兄を見詰めると、兄は真面目な顔で睫毛を伏せ、小さく呟いた。
「……どうかな」
デリングは驚いて息を呑み、兄の顔を呆然と眺める。
「そんな……心無い事を。……あの子を傷つけないでやって下さい」
ゆっくり顔を上げたダグは、デリングを見詰めて微笑んだ。
「君でも良いんだよ? シャナン王女の相手は、何も私でなくても良いんだ。寧ろ、君の方がヴィーダルよりも良い。第三王子の元に第一王女が嫁いで来てくれる可能性は低いだろうからね。ヴィーダルも君もケルトレアにやる気はないのだから、シャナン王女がアズルガートに来てくれなくては困るんだ。……君の溢れる魅力で虜にしてくれるかい?」
「……兄上は、私がシャナン王女を娶るべきだと? それがお望みですか? ……私は、兄上のお望みならば、従います」
部屋を立ち去った弟を想いながらデリングがそう言うと、ダグは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「君はどこまでも私に忠実なんだね。私の一番の望みには従わないくせに」
非難するようでありながら自虐的な笑みを浮かべ、自分を憎むような視線を向ける兄に、デリングは胸が引き裂かれるような思いがした。
――嫌だ。嫌わないで。嫌わないで。あなたに嫌われたら生きていけない。
全身から血の気が引いた。
「あに、うえ……」
「……デリング、君は、誰かに恋をしても私を見捨てないかい?」
長い沈黙の後、兄がぽつりと言った言葉に、デリングは青白い顔を上げた。
――それは、こちらの台詞だ。見捨てないで下さい。どうか、見捨てないで。
「……恋など、致しません」
はっきりと言い切る弟に、ダグは、くすりと笑った。
「そんなこと、言い切れないだろう?」
「兄上は、恋をしたことがおありなのですか? 恋の為に我々を捨てる程に女に夢中になった事がおありなのですか?」
必至な目の弟に、ダグは困ったように優しく微笑んだ。
「……手に入れたいと思った人はいたよ。でも、あれは恋だったのかな……?」
懐かしそうに言われた言葉にデリングは驚いた。
兄に想い人がいたとは知らなかった。政略結婚が当然だと頭に入っている三兄弟には、今まで特定の恋人がいた事はない。
「手に入れようとなさらなかったのですか?」
「……したよ。でも、彼女を手に入れることは出来なかった」
静かに言う兄の言葉に、デリングは深く追求しないでおくことに決めた。
所詮、過去の話だ。
「……私には出来ません。誰かに心を奪われるなど、とてもではありませんが恐ろしくて」
自白するように呟くと、ダグが少し悲しそうに笑って頷いた。
「うん。わかるよ」
「……その心を奪った者が、私の心を要らないと言ったらどうすれば良いのです? どうやって心を取り戻すのでしょう? 考えるだけで、恐ろしいです」
空になった弟のグラスに酒を注いでやると、弟はそれをごくごくと飲んで、兄のグラスにも酒を注いだ。
「……だけど、出会ってしまったら? 選択の余地はないんだよ。選ばずとも、勝手に恋に落ちて心を奪われてしまうんだ。そうしたら、どうすれば良い? もしその人が、自分を裏切ったら、いや、自分を少しも愛してくれなかったら? ……どうしたら心を奪われないで済むのだろう」
「……わかりません」
素直にそう言って俯く美貌の弟の艶やかな金の巻き毛を眺めて、ダグは目を伏せた。
「うん。……私にもわからないよ」
「……ヴィーダルは、兄上が煽れられたことで苦しみます。シャナン王女への好意に歯止めが利かなくなる」
「……うん。わかってる」
自虐的な笑みを浮かべたダグを、デリングが責めた。
「それなのに、私にシャナン王女を娶れと?」
「……その話は、とりあえず保留にしておくよ」
反省の色をちらつかせるダグに、デリングが溜息を吐いた。
「どうして、ヴィーダルを苦しめるのです?」
「……憎いからではない事は確かだよ。私はあの子を愛してる。君と同様に掛け替えのない弟だ」
デリングは、兄が自分とヴィーダルを大事な弟として愛していることは知っている。
だからこそ、複雑な思いを抱えていることもわかっている。仮面を被っている兄の正体を自分は良く知っている。しかし、今回の件については、その意図がわからない。まるで、ダグ自身もわかっていないかのようにさえ見えて不安だ。
「……それなのに、恋をして兄上を裏切るかどうかお試しになるのですか? シャナン王女にケルトレアに来いと言われて行くかどうか? 恋をしたら、兄上を置いて行ってしまうかどうか?」
「……そうなのかな……それが私のしたい事なのかな? わからないんだ」
困ったように自白する兄に、デリングは眉を寄せた。
「私も、お試しになるのですか? 私が兄上を置いて他国に行くかどうか?」
その問いに、ダグは答えずに困ったように笑い、デリングはこれ以上話すよりも兄を少し一人にした方が良さそうだと判断した。
「どんな意味があるとしても、どんな意図があるにしても、これ以上ヴィーダルを傷付けるのはお止め下さい。……お願いします」
じっと見詰める鮮やかな青い瞳に、ダグは頷いた。
「……君の事も傷つけたね。許しておくれ」
「……私は平気です。ですが、あの子は純粋でまだ子供ですから。……では、兄上、私はこれで」
立ち上がったデリングに、ダグはすまなそうな顔をした。
「うん。……色々悪かったね」
「……いいえ。お気になさらずに」
華やかな微笑で首を横に振る弟に、ダグはもう一度謝った。
「ごめんよ、デリング。ありがとう。……本当に、君たちの事は大切に思っているんだ。傷付けたいなどとは思っていないんだ」
「……存じ上げていますよ。私達も、兄上を尊敬してお慕い申し上げています」
そっと頭を下げて、デリングは兄の部屋を後にした。
「リズィ」
静寂の中で物思いに耽っていたダグは静かに顔を上げると、彼の二人の「鳥使い」の内の一人の名をはっきりとした口調で呼んだ。
「ここに。我が君」
音も無く、黒服に身を包んだ若い女がダグの前に膝を着いた。彼女の肩には尾の長い黒い鳥が留まっている。
「ラズはまだ戻らないの?」
いつもどおりの明るい口調でダグがそう言うと、彼の鳥使いは、肩より少し短い赤みがかった黒髪を揺らして頭を下げた。
「申し訳ありません……」
彼女の双子の兄であるラズは、アズルガートの使者としてケルトレアに向かわせ、その後もケルトレアの宰相の元で話をさせていた。シャナン王女たちと一緒に帰って来る予定だったのだが、船から下りてきた面々の中に彼の姿は無かった。
「シーラをラズの元へ飛ばしたかい? 何も言付けは無いの?」
彼らの妖鳥はアズルガートの巨船よりも早い速度で空を飛び、妖鳥同士ならば、どこにいても居場所を見つけることが出来る。
「それが……シーラ、ラズの言伝を」
困った顔で、リズィが彼女の鳥の名を呼ぶと、彼女の鳥はラズの声で喋った。
「まぁ、焦らずやろうぜ、リズィ? どーせ我が君の事だから、俺の寄り道くらい計算の内だろ?」
鳥使い達の妖鳥は、人の声をそのまま運ぶ事が出来る。ラズは自分の元へ来たシーラに、声を預けて送り返したのだ。
ラズの伝言に主が「ふーん」と片眉をあげて言うと、リズィは今一度、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません」
「……ふふ。ラズは困った子だね。リズィ、私の声を届けさせておくれ」
「はい、シーラ」
妖鳥シーラの額を自分の額に寄せて、リズィが短い呪文を唱えると、シーラの額が淡い紅色の光を帯びた。
その光を確認すると、ダグはシーラに向かって運ばせる台詞を言った。
「ラズ。さっさと戻って来なさい。そうしないと、君の分のカークも私が平らげるよ? ……良いのかい?」
シーラはダグの声で、台詞を繰り返す。
「ラズ。さっさと戻って来なさい。そうしないと、君の分のカークも私が平らげるよ? ……良いのかい?」
リズィは窓を開けてシーラを飛ばながら言った。
「シーラ、ラズの元へ」
キュィーッと一声鳴いて、シーラは暗い夜空に溶けた。
再び、ダグの前にリズィが膝を着くと、ダグが王太子に相応しい力を持った声で言った。
「シャナン王女の周囲に十分注意をしていておくれ。誰かが何かを仕掛けて来るとしたら、今だろう。一掃する良い機会だよ。気を入れて努めるよう」
「御意」
頭を下げるリズィに、ダグはにっこりと微笑んだ。
「明日のおやつは檸檬と芥子の実のカークが良いと、父君に伝えておいておくれ」
顔を上げたリズィは主の笑みを見て、ほっとしたように頷いた。
「仰せのままに」
ダグはリズィの赤茶色い瞳をまっすぐに見て言った。
「リズィ、王女のことを頼んだよ」
「お任せ下さい」
力強く頷くリズィを見て、ダグは満足そうに頷くと、思い出したように付け加えた。
「ああ、そうそう……例の騎士のことは好きなようにして良いよ。私は口出ししない。父君にそう伝えておいて。今日はもう下がって良いよ」
「心得ました。我が命は我が君のもの、海神エーギヨルドの御名の下に。御前失礼」
頭を下げてからすっと立ち上がった鳥使いに、ダグは後ろから声を掛けた。
「……気を付けてお行き」




