第1話 100年ぶりに目覚めたオジサンは元冒険者
逃げ込んだその部屋に入った途端、まるで世界から音が消えたかのように静謐な空間が広がっていた。
恐らく、数百年前に作られた神祠のような厳かな場。
響くのは、自分の激しい呼吸と、早鐘を打つ心臓の音だけ。
そこに在ったのは大きな覆い、そして──鎖に繋がれた大剣。
それが静かに佇んでいた。
「これは……なに」
──狼のような遠吠えが遠くから……いや、すぐ近くから聞こえる。もう追いついて来たのか!? ゆっくりと観察している暇はない。
「貴方はなるべく私の後ろへ。構えて下さい、来ます!」
「ひぃーーー!」
まず先陣を切って飛び出してきたのはワーウルフ。だが、耐久度が格段に上がっている。しっかり空間の魔素を吸収した特殊個体たちだ。
私は、左腕に括り付けていた武器を取り出し、広げるまでもなく第一陣を屠る。
──ジャッキン、と響く連結の音。
収納のため小さく折り畳まれていたそれを戻し、三節棍を出現させる。
目の前に広がる魔物の群れを次々と肉塊に変えてはいるが、多勢に無勢。圧倒的にこちらの火力が足りない。背後の男はナイフを構えているが、残念ながら戦力に数えるのは難しいだろう。
「ふむ、流石の君でもこの大量の魔物を全て捌き切るのは難しいだろうに……よく足掻くものだね。そろそろ諦めたら? 後ろの男を見捨てれば君だけなら逃げ切れるんじゃない?」
どこからともなく、魔物の群れをけしかけてきた男の愉しそうな声が空間に響き渡る。
「うるさいですよ! 未熟者の癖に口だけは達者ですね──要救助者を見捨てるなんてギルドの……いえ、私の誇りが許さないんですよ!!」
懐に隠していた魔法陣の刻まれたナイフを投擲して距離を稼ぎ、悲鳴を上げて震えている男をより後ろへと放り投げる。
「誇りに命を賭けるとは、人間とは理解し難い生物だな。さぁ、お前もワタシ達の糧になれ」
一斉に襲ってくる魔物達を横目に、覆いに手を掛け繋がっている鎖を掴むと、私が触れた場所から音もなく崩れていく。
「よしっ! これなら……」
そう言って大剣を掴もうとした所で、私の手を諌めるように独りでに風が吹き、一気に魔物たちを遠ざける。
吹き荒れる暴風に、私は思わず目を閉じそうになりながらも、必死に目を凝らす。その緊張が三節棍に伝わり、ギシリと握りしめた音が響いた気がした。
なんなの、この風は……!?
圧倒的な圧力に押し返されそうになりながら、私はただ、目の前で覆いが剥ぎ取られていく光景を視界に焼き付けるしかなかった。
その幕が捲れ切った──と認識した瞬間には、もう遅かった。
遠くに飛ばされたはずの魔物の群れが、斬られた自覚すらなさそうに横一閃に滑り落ちていた。
「おいおい、人が気持ち良く微睡んでるのを叩き起こす不届き者はどこの何奴だい? あ〜久々に動くと肩や腰の関節が痛くて仕方がない」
そこには背の高い、がっしりと鍛えられてはいるが少し姿勢の悪い、枯葉色の髪の男がいた。
──違う。
空間に漂っていた莫大な魔素が一方向に集中し、彼の周りで激しい魔力の渦を形成している。
先程まで薄暗い空間だったはずなのに、そこだけ光が収束しているかのように白髪交じりの髪と舞い散った埃が乱反射していた。
いや、それは物理的な光じゃない。
無意識にセーブしていたはずの異能が、極限状態のせいで勝手に暴走しかけている。脳髄を焼くような情報量の奔流のなか、私の眼に映ったのは──あまりにも異様な、男の圧倒的な輝きだった。
その漆黒にも見える彼の瞳は、僅かな揺らぎも存在しない。
自分の身の丈をゆうに超える無骨な大剣を、まるで羽毛のように軽々と肩に担ぎ、男はあまりにも悠々とそこに立っていた。
「貴方は誰……」
私は周りの状況も考えず、頭に浮かんだ質問をそのまま舌に乗せる。
「人の名前を聞く前に自分の名前からって、親から習わなかったかい?」
そう、こちらに話を向けつつ無造作な振りで、私が苦戦していた大量の魔物の群れを羽虫でも追い払うかのように土に還していく。
「まぁいいや。ゆっくり話を聞くにもコイツら邪魔だよなぁ? お掃除してから詳しく話を聞かせてもらおうか、お嬢さん?」
「──ッ、お嬢さんって! 私はもうとっくのとうに成人してます! 失礼な人ですね!」
目の前の不審者に噛みついていたら、その男はいつの間にか私の背後、死角へと立ち、いつでもフォローできる位置取りでその大振りな大剣を易々と構える。
商談や合図もなく左右へと飛び出して、次々と魔物を片付けていくのだった。
◇
背中合わせで群がる魔物を散らした直後。息を荒らげる私の横で、彼は血を拭いながら、息も乱さず、周囲を警戒してからこちらへとゆっくり振り返った。
「自己紹介が遅れました。私は冒険者ギルド特務回収課──通称『羊皮紙課』所属の、レルカ特務捜査官です」
私が身分証を提示し、凛とした態度でそう告げると、男はどこから取り出したのか煙草の煙を吐き出しながら、どこか懐かしむような目で私をじろじろと品定めするように見始めた。
胡散臭そうに私が彼を見つめ返すと、彼はコホンと咳をしてから話し始める。
「失礼、俺はクーノス。しがない傭兵さ。冒険者ギルドって言ったかい? こんなお若いお嬢さんが冒険者ギルドって、家出か何かか? あんな荒くれ者の集まりしかいない烏合の衆、教育によくないだろう」
私のこめかみに明確な青筋が浮かぶのが分かった。
「だ・が・ら・! 私は成人してます! 体に文句をつける気ですか!? それにその価値観、いつのお話ですか!?
今のギルドは、国家や宗教にすら干渉されない独立した公的機関です! 私の所属する特務回収課は、王立大学を優秀な成績で卒業した者しか配属されない最高峰のポジションなんですよ!?」
「……は? 『王立大学を出て、ギルドの受付や回収屋になる』……? 優秀な若い奴らは頭でも狂ったのか……? それにお前さん……そんな捲し立てる様に言って伝わるものも伝わらないだろう……途中で息継ぎしたかい? 挨拶の教科書でも音読されてるのかと思ったよ」
「音読じゃありません! 誇りを持って答えています!」
なんて無礼な人なんだ!……だが、私はこれまでの会話で違和感を覚える。そういえばこの男、一体どこから……いや、もしや。
「クーノスさん。貴方、ここに何年居たんですか?」
尋ねられた男は頬を掻きながら、ぼつぼつと何かを思い出すように話す。
「うーん、正確な日付は覚えちゃいねーよ。もう何年も前からここにコイツと封印されていたんでね。まぁ、ざっと100年は軽いと思うがね」
──これが100年、封印されていた男、クーノスさんと私、レルカ特務捜査官の偶然で奇跡的な出会いの最初の日だった。




