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探偵は死体を推理しない、爆弾の場所を当てる  作者: 早野 茂


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第27話「救えたはずの者たちは、時間の外で死ぬ」

深夜のコインパーキングに停められた覆面パトカーの車内は、芯から冷え切っていた。

エンジンを切り、暖房も止めた暗闇の中で、ダッシュボードに置かれたタブレットだけが青白い光を放っている。

相馬環はハンドルに両腕を乗せ、画面に表示された文字を無言で見つめていた。

助手席の黒瀬透もまた、闇に沈んだ横顔のまま、同じ文字列に視線を固定している。

深夜の冷たい空気が、窓ガラス越しに二人の体温をゆっくりと奪っていく。

吐き出す息すら白く濁りそうなほどの寒さだが、どちらもそれに気を留める様子はない。

外の世界の喧騒から完全に切り離されたような、重く静かな時間が流れている。

フロントガラスの外では、街灯に照らされた白い息だけが一瞬浮かび、すぐに夜へ溶けた。


『第七問。救えたはずの者たちは、いつも時間の外で死ぬ』


篠宮蒼司が、上層部の指示を迂回して転送してきた、見えない出題者からの新たな予告文だった。

だが今回は、これまであった無慈悲な数字の羅列がない。

タイマーによるカウントダウンが、どこにも存在していないのだ。

警察の公式サーバーにこの文字列が届いてから、すでに数十分が経過している。

それでも、出題者からの追加のメッセージや、爆発の報告はどこからも入ってこない。


「……時間の外」

黒瀬の極端に低い声が、静寂の車内に響く。

彼は冷たい窓ガラスに頭をもたせかけ、絶対零度の瞳で言葉の構造を解体し始めた。

「カウントダウンが存在しない。出題の前提となるタイムリミットの撤廃、あるいはタイマー自体が機能しない物理的な環境か。……いや、決め手に欠ける」

黒瀬は微かに眉をひそめ、薄い唇を真一文字に結んだ。

「これまでの六つの問いは、言葉による精緻な誤誘導と、都市の立体構造を利用した論理の罠だった。第一の現場では『高いと浅い』の誤誘導で都市の足元を突き、千代田区の現場では地名のレイヤーを利用した。品川では避難マニュアルの裏をかき、汐留のテレビ局では内部の隠された記録そのものを標的にした」

黒瀬は静かな口調で、これまでの盤面を並べ直していく。

「出題者は解答者を時間という檻に閉じ込め、焦燥感の中で思考を歪ませてきた。その出題者が突然、自らの盤面から『時間』という最大の制約を取り払うのは、論理的におかしい」

黒瀬の脳内で組み上げられたいくつもの仮説が、どれも致命的な矛盾を抱えて次々と崩れ落ちていく。

彼にとってこの連続爆破事件は、かつて自分が背を向けた問いが、形を変えて戻ってきたものだ。

出題者の思考が自分の知る型に近いからこそ、この不自然な出題形式に強い違和感を覚えていた。

指先でコートの生地を擦り合わせながら、彼は見えない出題者の意図を執拗に探り続ける。


相馬はタブレットから視線を外し、暗いフロントガラスの向こうを見据えた。

駐車場のフェンス越しに見える都市のネオンが、冷たく無機質に明滅している。

時折、遠くの幹線道路を走るトラックの低い走行音が響く以外、周囲は不気味なほど静かだ。

「出題者は、パズルのルールを変えたわけじゃない」

相馬の硬質な言葉に、黒瀬はわずかに視線を動かした。

「これまでの爆破を振り返ってみろ。雑居ビル、港区の地下搬入口、千代田区の地下共同溝、品川の非常階段、汐留の旧館地下。すべての現場で、私は全力で現場を走ってきた」

彼女の手のひらには、品川のオフィスビルで砕け散ったガラス片の痛みが、まだ生々しく残っている。

血を流して倒れる警官たち、逃げ惑う人々の悲鳴。

それは安全な場所で数字を計算するだけでは決して分からない、暴力的な現実の手触りだ。

「出題者が本気で殺戮だけを目的としているなら、わざわざヒントを与えてタイマーの存在を知らせる必要はない。どこかの暗がりに爆弾を隠し、誰にも知られずに起爆させればいいだけだ」

相馬は言葉を区切り、隣に座る黒瀬へ鋭い視線を向けた。

「だが出題者は、いつも私たちが辿り着ける可能性を残している。これまでのタイマーは、『私たちが全力で走ればギリギリ間に合うかもしれない』という時間設定だった。間に合わない数分後の爆発でもなく、余裕を持って避難できる数時間後でもない。出題者はわざと、その絶妙な余白を残している」


走れば届くかもしれない。

だが、少しでも迷えば届かない。

その残酷な余白。

相馬は、見えない出題者が意図的に用意したその時間の意味を、冷え切った現場の空気として肌で直接感じ取っていた。

黒瀬は相馬の言葉を受け、冷たい眼差しで宙を睨みながら応じた。

「つまり、タイムリミットは殺意の表現ではないということか。関係者を盤面に引きずり出し、警察を意図した方向へ強制的に走らせるための装置。……それがタイマーの役割に見えてくる。だとするならば、なぜ今回だけその強制力を外したのか」


「篠宮、お前はどう思う」

相馬の問いかけに、タブレットの向こうで少しの沈黙があった。

端末越しに繋がっている篠宮蒼司は、捜査本部の喧騒から遠く離れた場所で息を潜めている。

上層部からは過去の追及を禁じられており、周囲には、彼をこの任務から切り離そうとする監視の目があるはずだ。

もしこの独断のバックアップが露見すれば、彼の立場はただでは済まない。

それでも彼は、組織の壁の向こう側から、確かな意志を持って二人に接続している。

『相馬さんの言う通りです。出題者は、間に合う可能性だけは残している』

篠宮の声には、ひどく張り詰めた静けさがあった。

『黒瀬さん。これは……論理で綺麗に解ける問題じゃないんだと思います』

通信の向こうで、篠宮はしばらく黙った。

その沈黙は、純粋な謎解きだけを愛していた以前の彼なら、決して挟まなかったものだった。

『これは、間に合わないものとして片づけられた時間を、もう一度こちらに見せているんだと思います』

篠宮の声は、いつもより低く、慎重だった。

『時間の外で死ぬ、というのは、タイマーの有無や物理的な場所のヒントじゃない。……五年前のあの日、間に合わないものとして片づけられた時間のことです。組織の分厚い壁に押し返され続け、行政の不受理印を押され、警察の手続きの中でも拾われなかった、あの空白の時間』

篠宮は、久我真尋が五年間にわたって提出し続けた膨大な要望書の束を思い浮かべているのだろう。

『どれほど訴えても、社会の時間はもう二度と巻き戻らなかった。……出題者は、その取り返しのつかなさを私たちに見せているように思えます』


黒瀬は何も答えなかった。

彼の氷のような横顔は、篠宮の静かな言葉をただ無言で受け止めている。

ただ、コートのポケットの中で、指が一度だけ強く握られた。

五年間、自分が触れずにきたものと、一人の遺族が叩き続けてきた分厚い壁。

その孤独だけが、問題文の冷たい文字の奥に沈んでいた。

しばらくして、黒瀬は深く息を吐いた。

白く濁った息が、フロントガラスの冷たい空気に溶けていく。


「……時計の針が止まった場所だ」

黒瀬のひどく掠れた声が、再び言葉を紡ぎ始める。

「タイムリミットの撤廃ではない。出題者は『時間から外された記録』へ視線を向けさせている」

黒瀬はタブレットの画面に浮かぶ文字列を冷徹に見下ろした。

「都市の中で、時間が止まったように忘れ去られた場所。五年前の処理のあと、表舞台から切り離された記録が眠る場所……」

相馬はタブレットを素早く操作し、篠宮から送られてきた断片的なデータと照らし合わせる。

鷹城梓や荒巻管理官が綺麗な言葉で処理した、五年前の巨大イベント。

その処理から外れた時間が、どこかに残っているはずだ。

「篠宮、五年前の事故のあとに、記録から外れた移動や保管の時間を洗え。公式の一覧じゃない。移送ログ、搬入業者、廃棄記録だ」

『……探します。記録から抜け落ちたものにも、移動した痕跡は残るはずです』

乾いた打鍵音が、通信越しに響く。

その音は先ほどよりも速く、迷いがなかった。


車内の空気は、先ほどまでの停滞を抜け出し、鋭い刃のような緊迫感を取り戻している。

警察という巨大な組織が過去を切り離して進む中、この狭い車内だけが、処理されたはずの五年前へ向かおうとしている。

「……間に合う余白、か」

黒瀬が前を見据えたまま、低い声で相馬の言葉を静かに反芻する。

間に合うかもしれないという希望を与えられながら、届かなかった時だけが残る。

それが出題者の計算だとしたら、解答者としての自分に課せられた重圧は計り知れない。

「なら、その余白の中で答えるしかない」

黒瀬はそれ以上、何も言わなかった。

ただ、フロントガラスの向こうに広がる絶対的な暗闇を見据えていた。


相馬は無言で頷き、エンジンキーを回した。

重い排気音が、深夜のコインパーキングに低く、力強く響き渡る。

ダッシュボードのタブレットが再び明滅し、篠宮からの新たなデータ受信を知らせた。

「走るぞ」

短く告げた相馬の言葉とともに、覆面パトカーはヘッドライトを点灯させ、暗闇の中へと鋭く滑り出していった。

救えたはずの命を、時間の外に置き去りにしたままでは終われない。

タイヤがアスファルトを強く蹴り上げる音が、静寂を破る。

その静かで強い決意が、冷たい夜風を切り裂いていく。

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