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探偵は死体を推理しない、爆弾の場所を当てる  作者: 早野 茂


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第26話「切り離し」

警視庁の一角にある、窓のない無機質な小会議室。

黒瀬透はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、蛍光灯の眩しい光に晒される虚空をただ見つめていた。

外界の音を完全に遮断する分厚い壁に囲まれたその部屋は、まるで思考の牢獄のようだった。

そこへ相馬環が荒々しい足音とともに現れ、金属製のドアを力強く閉めた。

「上層部からの正式な通達だ。民間人であるあなたの捜査協力は、現時刻をもって完全に打ち切られる」

相馬の声は硬く、抑えきれない憤りが微かに、しかし確実に混じっていた。

彼女の目は刑事としての正義と組織の論理との間で激しく軋んでいる。

「表向きの理由は、素人の推測で捜査を混乱させたことに対する責任問題だ。だが実質的には、あなたが五年前の事故記録にこれ以上近づくことを止める判断でもある。荒巻管理官をはじめとする上層部は、事態を波風立たずに処理するために、再びあなたを盤面の外へ押し出した」


黒瀬は表情一つ変えず、静かに相馬を見上げた。

五年前、鷹城梓が彼を事故原因の置き場にしたときとよく似た構造だった。

大人たちは自分たちの作り上げた秩序を守るためなら、都合の悪いものを何度でも盤面から排除し見えない場所へ押しやる。

「合理的な判断だ」

黒瀬は極端に低い声で呟き、ゆっくりと立ち上がった。

「組織にとっては、現在の爆弾を止めることと、過去の処理に触れないことを切り分ける方が合理的なのだろう」

彼が黒いコートを羽織り、そのまま出口へと向かおうとしたとき、相馬がその進路を塞ぐように前に立った。

「警察組織としての判断はそうだ。だが、私は降りない」


相馬は真っ直ぐに黒瀬の目を見据えた。

その瞳には、かつて彼を厄介者扱いしていた頃の冷たさはなく、目の前の問いから退かない者の熱が宿っている。

「組織はあなたを不要だと言った。だが、私はあの出題者を止めるために、あなたの頭脳を要求する」

それは刑事としての正式な手続きを外れた、危うい独断の宣言だった。

相馬は自らのキャリアを天秤にかけてでも、処理された説明の上に立ち続けることを明確に拒絶したのだ。

黒瀬の絶対零度の瞳に、初めて微かな光がよぎる。

「……組織の庇護を失えば、あなたはただの無力な駒になるぞ」

「駒で上等だ。あんたが盤面を読むなら、私が現場を走る」

相馬の迷いのない言葉に、黒瀬は小さく鼻を鳴らした。

「なら、まだ私にも盤面上の役割が残っているということだ」


二人は他の捜査員の目を避けるようにして、人気のない非常階段を下り、裏口から地下駐車場へと向かった。

非常階段には人の気配がなく、二人の足音だけが冷たい壁に跳ね返っていた。

重い鉄扉を開けて地下空間に出ると、コンクリートの冷気が足元から這い上がってくる。

相馬がリモコンでロックを解除すると、暗がりの中で覆面パトカーのハザードランプが二回点滅した。

重いドアを開けて車内に滑り込むと、深夜の冷え切った空気が二人を包み込む。

相馬がキーを回し、エンジンが低い唸り声を上げ始めた。

排気音が地下のコンクリートに重く反響し、やがて車はスロープを上がって地上へと出る。

深夜の道路は静まり返り、流れる街灯のオレンジ色の光だけが車内を等間隔に照らし出している。

警察の枠組みから切り離されたこの小さな空間で、相馬は前方の暗闇を睨みつけながら口を開いた。


「五年前の事故で、遺族は正当な手段で何度も再調査を求めた。だが警察や行政は、自分の担当範囲という壁を盾にして、その声をすべて弾き返した」

相馬の声には、組織の末端で沈黙するしかなかった過去の自分への苛立ちが滲んでいる。

「私たち組織の人間が、彼らの問いを処理し、見落としてきた。だから、答えを認めさせるための別の形式が、爆弾という形で突きつけられている。……あなたも、その形式の中に引き戻された一人だ」

相馬の硬質な言葉に対し、黒瀬は助手席に深く身を沈め窓ガラスに映る自分自身の顔を見つめていた。


「いや、違う」

黒瀬は極めて低く、冷ややかな声でそれを否定した。

「私は巻き込まれたのではない」

それ以上の言葉を、彼は口にしなかった。

助手席の窓ガラスに映る横顔からは、感情の起伏は読み取れない。

ただその沈黙だけが、これまでのどんな皮肉よりも重かった。

五年前の沈黙を、彼はもう誰かのせいにしようとはしていなかった。

言い訳もせず被害者のように振る舞うこともしないその態度は、黒瀬なりの覚悟の表れだった。

相馬はハンドルを握る手に力を込め、前を向いたまま短く答える。

「その答えは事件を止めてからでいい。今はただ、次の爆弾の場所を当てることだけを考えろ」

黒瀬は無言のまま、微かに顎を引いた。

五年前から立ち止まったままだった男と、現実の問いを拾い直そうとする女。

二人の距離はまだ遠く、急に心を許し合ったわけではない。

だがその沈黙は以前ほど噛み合わないものではなくなっていた。


同じ頃、騒然とする捜査本部の片隅で、篠宮蒼司は自分のモニターに静かに向き合っていた。

複数の画面から発せられる青白い光が、彼の真剣な表情を照らし出している。

上層部からは、過去の記録を追うことを固く禁じられている。

荒巻をはじめとする幹部たちは現在の爆弾テロを止めることだけを考え、その根底にある過去の因縁を処理の対象として切り捨てている。

だが篠宮の指先は、深い階層に沈められたデータの海を静かに泳ぎ続けていた。

五年前のイベントに関する未公開ログの断片や削除済みの防犯カメラアーカイブの痕跡を密かに拾い上げ、復元できそうな細い糸をたぐり寄せる。

それぞれの組織の手続きの中に分散した記録の壁は分厚く、決定的な証拠にはそう簡単には辿り着けない。

それでも彼はその壁の隙間に残ったわずかな情報を整理し、相馬のタブレットへと密かに送っていく。

それは見落とされた事実を少しでも多く拾い集めようとする、技術者としての執念だった。


篠宮の背後をベテラン刑事たちが慌ただしく通り過ぎていく。

彼らは皆組織の命令という正常さに従って動いている。

もしこの独断の調査が監査に発覚すれば処分は免れない。

築き上げてきた立場も、ただでは済まない。

背中を冷たい汗が流れるのを感じながらも篠宮のキーボードを叩く手は止まらなかった。

かつて彼が無邪気に愛していた美しい論理の世界が、冷酷な現実の壁に押し潰されていく。

黒瀬への憧れだけで満たされていた過去の自分は、もうここにはいない。

一人の遺族が味わった途方もない絶望と、組織の巨大な正常さ。

その両方を知ってしまった以上、彼はもう元の純粋な解答者には戻れなかった。


「僕は、問いを見落とす側にはならない」

篠宮は誰にも聞こえない声で呟き、さらに深い階層の検索条件を入力する。

それは彼なりの警察組織が強いる正常な論理に対する静かな、しかしもう後戻りのできない反逆だった。


覆面パトカーの車内でダッシュボードに置かれたタブレットが短い電子音を鳴らした。

画面には篠宮から送られてきた断片的なデータファイルが次々と展開されていく。

細かなシステムログの残骸や意味不明な文字列の羅列。

それらは決定的な証拠ではなくても、五年前の空白へ近づくためのかすかな道標だった。

「……彼もまた、処理される側には回らないと決めたようだな」

黒瀬の低い声に相馬は前を見据えたまま僅かに口元を緩めた。

「あいつは優秀な捜査員だ。命令と良心の間で迷いながらも、どちら側で問いを見るのかを自分で決めただけだ」

車は深夜の冷たい風を切り裂きながら次なる手がかりを求めて走り続ける。

警察は過去を切り離して進もうとしていた。

だがその巨大な組織の外側で、組織の中で孤立し始めた三人の繋がりだけが、まだ五年前へ向かう道をかすかに照らし出していた。

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