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探偵は死体を推理しない、爆弾の場所を当てる  作者: 早野 茂


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第11話「話したくない過去」

「あの日、不自然な印は……」


黒瀬透のひどく掠れた呟きは、そこで中途半端に途切れた。

相馬環は金属のドアノブにかけていた手を止め、振り返らずにその背中で言葉の続きを待った。

だが窓のない冷え切った取調室には、それ以上の声は響かず、ただ重く息苦しい静寂だけが再び落ちていく。

遠くの廊下から聞こえるはずの当直の警察官の足音すら、この部屋の分厚い壁に阻まれて届かない。

相馬はゆっくりと振り返り、冷たいパイプ椅子に座る黒瀬を見下ろした。

彼の顔からは完全に温度が抜け落ちていた。

いつもの不遜で人を小馬鹿にしたような態度は完全に消え去り、そこにあるのは深い内向きの凍結だけだ。

膝の上に置かれた彼の手は、微かに、だが確かに硬直している。


「印がどうした。話せ」

相馬の短く硬質な命令に、黒瀬は視線をくすんだ灰色の床に落としたまま、わずかに眉間を寄せた。

「……五年前だ」

限界まで削ぎ落された声が、室内の冷たい空気をかすかに震わせる。

「あの巨大な謎解きイベントで、私は問題制作に関わっていた。参加者の動線を計算し、論理の迷路を設計する役割だった」

相馬は何も言わず、彼から目を逸らさなかった。

黒瀬は感情を排した、機械のような音声で言葉を紡いでいく。

「深夜の現場で、私は不自然な印を見た」

「印とは、地下の共同溝にあったあのマークのことか」

「本来あるべきではない場所に、あの幾何学模様が残されていた。私が設計した公式のルートには存在しないはずの、予期せぬ道標だった」

「なぜ、その先を確かめなかった」

相馬の問いは鋭く、一直線に彼の核心を突く。

だが、黒瀬は固く口を閉ざした。

「私には関係ない」「管轄外だった」といった安っぽい言い訳は、彼の口からは一切出てこない。

黒瀬はただ、そこから先を語らなかった。


相馬はテーブルに残された記事のコピーを一瞥した。

そこにはイベントの成功の裏で起きた痛ましい死亡事故が、ほんの数行で無機質に記されている。

「イベントの最中に転落事故があった。だが、記事は不自然なほど短く削ぎ落とされている。立入禁止区域への不注意な侵入。自己責任。そう処理されただけだ」

相馬は事実だけを淡々と並べる。

「犯人はただの愉快犯でも爆弾魔でもない。あの夜の事故に関係し、何かを語らなかった者たちを盤面に引きずり出して、答えを迫っている」

黒瀬の深い沈黙が、相馬の推測が的を射ていることを何よりも雄弁に肯定していた。

第三の現場に残されたあの印は、出題者からの明確なメッセージだ。

『私は知っている。お前があの夜、何を語らなかったのかを』という、静かで精緻な確認作業。

黒瀬透は間違いなく、その巨大な盤面に立たされた一人として、犯人から名指しされているのだ。


「被害者の名前は」

相馬の簡潔な問いかけに、黒瀬の膝に置かれた指先が再びかすかに硬直した。

彼は重いまぶたを閉じ、言葉を胸の奥底へと飲み込んだ。

どうしても、その名前だけは口に出すことができないのだろう。

出題者としての傲慢な鎧を完全に剥ぎ取られ、言葉を持たない沈黙の底へ沈んでいく男の、重く苦しい時間が流れる。

その頑なな拒絶は、彼が抱える過去の淀みの深さを明確に示していた。

相馬はそれ以上、彼を問い詰めることはしなかった。

「話さないなら、私自身の足で調べる」

相馬は短く言い捨てると、今度こそ重いドアを開けて薄暗い廊下へと出た。


冷え切った夜明けの空気を胸いっぱいに吸い込む。

相馬の脳裏に、五年前の冷たい夜の記憶が不意に、しかしひどく鮮明に蘇ってきた。

所轄の末端として、病院の霊安室で被害者家族の対応の補助に付いたあの一夜だ。

白々しい蛍光灯の光の下で、警察からの「不注意による不運な事故」という事務的な説明に対し、遺族は泣き叫ぶことも、激しく取り乱すこともなかった。

ただ声にならない深い悲しみの中で、冷たくなった家族の遺体の前に静かに立ち尽くしていた。

その異様なほどの静けさと、書類上の処理だけで全てを終わらせようとする巨大な組織に対するどうしようもない絶望が、相馬の胸の奥にずっと引っかかっていたのだ。

第一の爆破現場で焦げた匂いを嗅いだときに感じた既視感。

あの霊安室に漂っていた重く冷たい空気が、今回の連続爆破事件の底に流れる空気と確かに同じだったのだ。

犯人の狙いは、無差別な破壊ではない。

五年前に置き去りにされた何かを、現在の爆弾で引きずり出そうとしている。

相馬には、そう見え始めていた。


「待て」

背後から、ひどく低い声が響いた。

相馬が振り返ると、取調室から黒瀬がゆっくりと歩み出てくるところだった。

彼の顔には相変わらず、感情の抜け落ちた絶対零度の平板さが張り付いている。

手は黒いコートのポケットに突っ込まれたままだ。

「……勝手に調べろ。私はただ、確認するだけだ」

黒瀬は相馬と目を合わせることなく、短く吐き捨てた。

ひどく不器用な言い訳のようなその言葉の裏に、彼が自らの意志で盤面に戻ろうとしている事実が透けて見えた。

あの印という圧倒的な問いの形を見せつけられてしまった以上、彼もまた逃げ続けることはできないのだ。

相馬は彼に説教じみた言葉を一切口にせず、ただ前を向いて歩き出した。

黒瀬は少しの距離を置いて、無言のまま彼女の背中を追う。


巨大なモニターが並ぶ捜査本部に戻ると、篠宮蒼司がパソコンの画面を複数立ち上げ、高速でキーボードを叩いていた。

周囲では仮眠を取る捜査員や、電話に対応する者たちがせわしなく動いているが、篠宮の周囲だけは別の時間が流れているように静かだった。

「相馬さん、黒瀬さん」

二人の姿を認めた篠宮は、少し張り詰めた声で報告を始めた。

「五年前のイベントについて、当時のサーバーログや関係者のリストを抽出しています。ただ、公式な記録は驚くほどきれいに消去されていて、残っているのは表層的なデータだけです」

「記録が抜かれている、ということか」

相馬が言うと、篠宮は深く頷いた。

「ええ。当時の問題制作のスタッフリストや、会場の図面も一部が欠落しています。偶然にしては、抜け方がきれいすぎます」

篠宮の指がモニターの一角を示す。

「それでも、当時の総合プロデューサーの名前は残っていました。鷹城梓たかしろあずさ――今は別の番組制作に関わっている大物です」

鷹城梓。

その名前が読み上げられた瞬間、黒瀬の眉がほんのわずかに動いた。

完全に凍結していたはずの彼の表情に、ほんの一瞬だけ、複雑な波紋が走ったのだ。

それはかつて自分の才能を見出してくれたことへの恩義と、何かを切り捨てられたことへの冷たい痛みが同居するような、生々しい反応だった。

相馬はその微かな変化を絶対に見逃さなかった。


かつて無邪気に黒瀬の頭脳を称賛していた篠宮の目にも、今は少しの戸惑いが混じっていた。

この連続爆破事件の奥に、自分が憧れていた天才の暗い過去が絡み始めている。

その事実が、彼の中の憧れという無垢な感情に小さな亀裂を入れていたのだ。

「当時のプロデューサーや責任者の名前は出せるか」

相馬が空気を切り裂くように問う。

「はい。いくつか拾えました」

篠宮は素早く画面を切り替える。

「あと、事故当時の遺族対応記録も一部残っています。久我という名前が出ています」

「現在の連絡先を追え。直接話を聞く」

相馬は即座に指示を出す。

「了解しました」

篠宮は黙ってキーボードを叩き始めた。


黒瀬は部屋の隅の壁にもたれかかり、腕を組んで目を閉じている。

過去の出来事を直視することが、彼の沈黙をさらに深くしているように見えた。

当時の彼は、論理の構造を読める人間だった。

だからこそ、あの不自然な印の存在が消えずに残っているのだろう。

だが彼は、それ以上を語らなかった。

その沈黙だけが、彼の周囲に冷たく残っていた。

相馬は彼を非難して説教することはしない。

同時に、彼を謎解きの便利な道具として扱うつもりもない。

彼女の役割は、空理空論の頭脳の世界に逃げ込みがちな彼を、現実の泥臭い地面に繋ぎ止めることだ。

「考えるのはあんた。走るのは私だ」

相馬の率直で硬質な声に、黒瀬は目を閉じたまま小さく息を吐いた。


事件の輪郭は、まだ霧の中にあった。

だが、その中心に五年前の事故があることだけは、少しずつ見え始めていた。

これは、ただの無差別テロではない。

五年前の事故の周囲にいた者たちへ、出題者は精緻な問いを突きつけている。

鷹城梓をはじめとする、あの夜について何かを語らなかった者たち。

そして、その沈黙へ静かに問いを突きつけ続ける見えない出題者。

相馬自身も、あの冷たい夜の遺族の悲しみを忘れてはいない。

語られなかった言葉の先に何が残っているのか。

それを確かめるため、相馬は次なる手がかりのもとへ向かう決意を固めた。

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