不穏な名前
カインはわずかに目を丸くした。予想外の単語が出てきたからだ。
「それってあれか、この国でもトップクラスのエリート校だろ。そんな学校の奴らが、どうして領主の命を狙うんだ」
ワグテイル魔法学院。
魔法教育に特化した教育機関であり、卒業生の中には国の要職に就くものも多い。
カインはほぼ独学で魔法を学んだため縁のない場所ではあったが、論文などを軽く漁ればその名前はよく見かけたものだ。
それと領主のギルベルトがどう関わってくるのか。
「ひょっとして反乱を企てている、とか……?」
「いや、そんな大袈裟なものではないだろう。おそらくただの内政紛争だ」
ギルベルトはぱたぱたと手を振って軽く断言する。
「私はあの学校の理事会にも所属しているんだ。名ばかりの椅子だが、有事の際の投票権を有している。それで今度、新たな学長を決める選挙があるんだが……」
「なるほど。その派閥争いに巻き込まれているってわけか」
「正解だ。派閥はふたつに別れていてね」
ひとつは前学長が率いる旧派閥。
もうひとつは卒業生が主体となった新派閥。
それぞれの代表ひとりが立候補しており、時期に行われる投票によって次の学長が決まるらしい。
「それでふたつの派閥の勢力図は拮抗しているんだ。私は縁あって新派閥を推しているんだが……ひょっとすると、誘拐事件は焦った旧派閥の仕業かもしれん」
「きな臭い話だなあ。だがまあ、ある意味納得するか」
国内有数の魔法学院トップともなれば、強大な権力を得ることになる。
それだけで疑いの目を向けるのは早計かもしれないが――。
「あの化け鯨を使役していたのは、おそらく相当な手練れだ。それが魔法学院の関係者っつーのなら頷ける」
「私もきみと同意見だ」
ギルベルトも身を乗り出すようにしてうなずいた。
「むしろ、そういう専門家の意見が聞きたくて呼び出したようなものだ。魔法の知識はほとんどなくてね」
「それでよく魔法学院の理事会になんか参加できるなあ……」
「フィールドが違えど、基本的にはただの政治だ。問題はない」
あっさりと断言しつつも、ギルベルトは小さくため息をこぼす。
「問題ないはずだったんだが、息子に累が及ぶとは思わなかった。護衛は付けていたが、他の子供ごと狙うなど……これからいったいどう身を守るべきか、そのあたりもきみの意見を聞かせてほしい」
「身を守るってなあ……あんた領主様だろ、もうちょっと強気で調査に出てもいいんじゃないのか」
「そういうわけにもいかんさ」
ギルベルトは力なく肩を落とす。
いくら中間管理職だとうそぶいていても、領主の力は強い。自分の身内が狙われたのだから、もっと強硬的な調査に出ても許されるはずだ。
しかし、ギルベルトが口にしたのは思ってもみないことだった。
「旧派閥にはクラウス様の後ろ盾がある。ヘタに動けば、私だけでなく家族や領民にも迷惑がかかるだろう」
「なに……?」
その名を耳にして、カインはぴくりと眉を寄せた。
ありふれた名前ではあるものの、領主であるギルベルトが恐れるとなるとひとりしかいない
「クラウスってまさか、第一王子の……」
「ああ。クラウス・グランシャール様だ」
グランシャール王国第一王子クラウス・グランシャール。
先日、カインを温泉宿まで呼びつけたリリア姫の実兄にあたる人物だ。
ふたりは実の兄妹でありながら、関係は非常によくない。それはリリア姫が王位継承第一位なのに対して、クラウス王子が長子であるにも関わらず彼女に次ぐ王位継承第二位であることが大きく起因している。
この国の王位継承権については少々珍しい条件があるのだ。
それはともかくとして――。
「クラウス様は軍部のトップだろう? 魔法学院とは共同で何かの研究を行っていたらしい。それで旧体制に資金援助も行っているとかで……む?」
ギルベルトは言葉を切って目を丸くした。
カインの顔をじっと見つめ、おずおずと尋ねてくる。
「どうした、カイン。急に黙りこんで」
「いや……何でもないさ」
誤魔化すように笑ってみせるが、ギルベルトの眉間のしわは深いままだ。
だからカインは頭を掻いて打ち明けるのだ。
「実はクラウス様のことが苦手なんだよ……俺様は平民上がりのくせして、軍部を差し置いて魔王を倒しただろ? そのせいか顔を合わせる度にチクチクやられてなあ」
「ああ、なるほど。いかにもあの方らしいなあ」
ギルベルトは苦笑しつつもうなずいた。どうやら納得してくれたらしい。
「あの方は非常に優秀だが、それゆえ潔癖すぎるきらいがある。だが、だからこそあの若さで軍部を率いることができるのだろうなあ」
「そうなんだよ、あはは……」
カインもそれに合わせて笑ったものの、心の内はひどくざわついていた。
クラウス王子からチクチクやられたのは事実だが、もっと重大なことがある。
(軍部といえば、フィオを見つけ出した奴らだ。ひょっとしてその魔法学院との共同研究っていうのは、フィオが関係してるんじゃないのか……?)
魔王の娘を捜し出し、挙げ句の果てにカインへ押し付けたこの国の軍部。
そのトップがクラウス王子なのだ。それが関わる研究なんてきな臭いにもほどがある。
(こいつは……ちゃんと確かめた方がいいかもしれないな)
何も関連がなければそれでいい。
だが、もしもフィオと何らかの繋がりがあったのなら……。
静かに奥歯を噛みしめていると、ギルベルトはため息交じりに肩をすくめてみせた。口元に浮かんでいるのはどこか捨て鉢な笑みだ。
「そういうわけで、私は非常に動きにくい立場なんだ。こうした場合は対策をどう講じるべきだろう。きみの率直な意見を聞かせてほしい」
「そうだな……」
カインはしばし考え込む。答えなど最初から決まり切っていたが、敢えて悩むそぶりを見せた。ハラハラと息を呑んで待つギルベルトに、カインはややあえってこう簡潔に答えた。
「まずは敵を探るしかないだろう」
「し、しかし私が表立って動くわけには……」
「そのへんは心配するな。俺様が学院に潜り込んでかわりに調査してやるよ」
「何……?」
ギルベルトが虚を突かれたように目を丸くする。
思ってもみない申し出だったからだろう。しばし言葉を失ってから、彼は慌てて口を開いた。
「それはありがたいが……貴殿の負担が大きすぎないか。クラウス様との関係がよくないんだろう?」
「なあに、そこまで深刻なもんでもないさ。単に気が合わないってだけだし、俺様は都を追放されてしがらみのない一般市民だ。今さら圧力なんて掛けようがないだろ?」
「それはそうかもしれないが……」
冗談めかして言うものの、ギルベルトは渋い顔のままだ。
そんな彼に、カインは軽く頭を下げる。
「頼む。やらせてくれ。あんたに迷惑はかけねえと約束するからさ」
「……貴殿にも何か事情がおありと見えるな」
ギルベルトは眉を寄せたまま逡巡する。
しかしそれも長くは続かなかった。硬い面持ちで彼は静かにうなずく。
「ならば私も腹をくくろう。たしかこの辺に……ああ、あった」
席を立ったかと思えば、先ほど整理したはずの執務机をガサゴソと漁る。
そうして取り出してきたのは一枚の紙だった。どうやら求人募集らしいが……ギルベルトはそれをずいっと差し出して続ける。
「ワグテイル魔法学院の臨時職員募集がある。そこに貴殿を推薦しておこうじゃないか」
「いいのか? もともと別口のツテを使うつもりだったんだが……」
リリア姫やクーデリアに頼み込めば、潜り込むことはわけないだろう。
そうすればギルベルトにも迷惑がかかるまい。
しかし彼はかぶりを振る。
「恩人が矢面に立とうというのに、私ひとりが安全地帯にいるわけにはいかんだろう。一度失敗した以上、向こうも慎重になっているだろうし護衛の数を増やせばいいだけだ」
そう言って、ギルベルトはにっこりと笑う。
「私はきみに何も聞かない。だが、私ときみは一蓮托生だ。存分に使ってくれ」
「……感謝する。必ずや、あんたの敵を炙り出してみせるよ」
カインはうなずいて、彼の差し出す紙を受け取った。
求人に目を通せば、実技指導教員を募集するものだった。
修行中の魔法使いは魔法を暴走させることも多く、その指導に当たるとなると危険が付きものだ。それゆえ指導員が足りないのだろうが、荒事に慣れたカインには打って付けの職である。
しかし……。
「だがよ、俺様に教師なんて勤まるのか……? いまだにクズ賢者って呼ばれる身の上だぞ」
「何を言う。あの学院は実力主義だ。そこは心配ないだろうさ」
「あと、この顔が学び舎に適しているとはとうてい思えないんだが……」
「うっ……そ、そこはまあ、当たって砕けるしか……」
ギルベルトはさっと目を逸らして、ごにょごにょと言葉を濁した。
彼自身も『ちょっと無理があったか……?』と思ったらしい。
続きは明日更新。
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