賢者の娘、たくさん遊ぶ
フィオは元気よくお礼を言えた。
カインが言うところの百パーセントのいい子だ。
それなのに、相手の男は息を呑んで凍り付いたまま微動だにしなかった。
それどころか彫りの深い威厳溢れるその顔からはみるみるうちに血の気が引いていく。構えた剣だって、切っ先がぶれて見えないほどに震えている。
あきらかに様子がおかしかった。
フィオは小首をかしげるしかない。
「どうしたの、おじちゃん。大丈夫?」
「っ、は……!」
声を掛けたその瞬間、男の肩がびくりと震えた。
顔色は今にも卒倒しそうなほどだ。
回復魔法をかけてあげようかなあ……なんてフィオが思ったとき、男は口の端を引きつらせてぎこちない笑みを浮かべてみせた。
「そう、か……私の行動も何もかも、お見通しだったというわけか……」
「うん?」
「罠に掛けるとは卑怯なり! だが、こうなったのならこのヒューゲル、逃げも隠れもせん! 全身全霊で受けて立とうではないか!」
「えーっと?」
ヒューゲルと名乗った男は、フィオに向かって剣を構える。
しかし脅威は感じられなかった。どう見てもへっぴり腰だし、フィオなら指先ひとつで倒せる自信があったからだ。
(ヒューゲルって、パパたちが話してた悪いひとだよね? 同じお名前なんだー)
まさかその当人がこんなところにいるとは思わず、フィオはあっさりと納得する。
そして、彼の口にした言葉をもう一度頭の中で整理。
逃げる、隠れる……となると。
フィオはぱっと顔を上げる。
「おじちゃん、ひょっとしてフィオと遊んでくれるの?」
「遊び……だと!?」
ヒューゲルの顔がさらに歪んだ。大量の脂汗が足下にしたたり落ちて、水たまりができる。
それでも彼は震える膝を叩き、声の限りに叫んでみせた。
「貴様がそのつもりなら、それでもいい! 全力で遊んでやる!」
「ほんとに!?」
フィオはキラキラと目を輝かせた。
あちらこちらで色々な人と話をするのは楽しかったが、ひとりでいるのにもちょうど飽きてきたころだったのだ。そんなタイミングでの願ってもいない申し出。当然、テンションも上がる。
(遊んでくれるなんて、やっぱりいいひとなんだ!)
そんな確信を抱きつつ、フィオは元気よく手を上げて提案する。
「それじゃーね、鬼ごっこしよ! 最初はフィオが鬼ね、おじちゃんは先に逃げていいよ!」
「逃げるだと!? バカを言え! 貴様など今ここで斬って捨て――」
「《ストレングス》!」
ヒューゲルが何かを言いかけたが、フィオはお構いなしで呪文を唱えた。
身体能力強化の魔法だ。淡い光がその小さな体を包み込み――。
バキィッ!
フィオの肩に男の剣がかすめ――たようにフィオには見えたが、実際のところしっかり首を狙って振り下ろされた一打だった。――剣先があっさりと折れてしまった。
オリハルコンすら容易く真っ二つにする神剣が、だ。
折れた切っ先はくるくると宙を斬って、手近な木にぶっ刺さる。
「あっ、ごめんなさい!? おじちゃんの剣、折っちゃったね……」
「……」
ヒューゲルは折れた剣先を、自ら手にした剣を、そして最後にフィオを見つめた。
またもその顔から血の気が失われ、そして。
「っ、ぎゃあああああ!?」
男は悲鳴を上げて駆け出した。まっすぐ庭を突っ切って、旅館の中へと逃げていく。
それを、フィオはきょとんと目を丸くして見送った。
しかしすぐにハッとして、ぐっと拳を握ってみせる。
「あっ、鬼ごっこスタートなの? よーっし、負けないぞー!」
しっかり十数えたあと、フィオは力強く地面を蹴ってヒューゲルのことを追いかけた。
「パパが相手なら本気でいけるけど……しっかり手加減しないとね!」
そんな、兎を狩る獅子のような心構えで。
鬼ごっこは実に波乱に満ちたものになった。
旅館に逃げ込んだヒューゲルだったが、どこに逃げてもフィオが追ってきた。
通りかかる人々が、みなフィオに味方したからだ。
「ああ、その男ならさっき右に行ったよ」
「鬼ごっこかしら。いいわねえ、怪我しないようにね、フィオちゃん」
「ありがとうございます! あっ、おじちゃんいた!」
「ぎゃあああ!? くっ、来るなあ!」
しかもフィオの身体能力は凄まじいものだった。
十メートルもの距離をたった一歩で縮めてしまい、ヒューゲルが手近な花瓶や壺を投げても風の魔法でしっかりキャッチして元の場所に戻していく始末。
それを生き生きとした笑顔でやってのけるのだ。
体力が尽きるより先に、ヒューゲルの恐怖は限界に達していた。
(く、クソッ! これではなぶり殺されるのがオチだ! かくなる上は……!)
旅館の窓から身を躍らせて、裏庭へ出る。その先に広がっているのはどこまでも続く木々の群れだ。
このソメイ荘は主、ヨシノの結界によって外界から隔絶されている。その周囲を取りまく山には不届き者を排除すべく、数多の罠が仕掛けられているというが――。
「ええい、ままよ!」
ヒューゲルは迷うことなくその山へと飛び込んだ。
自暴自棄になったのではない。
(正面切って戦っても、私に勝ち目はない! ならばこの森の罠を利用して……魔王の娘を排除するのみだ!)
噂通り、罠はそこかしこに潜んでいた。
しかしヒューゲルは軍部で培った経験により、巧みにその罠を避けて走る。
こうしたものには、獲物がかかりやすいような工夫が施されている。
他に比べて歩きやすい地面、わざとらしい物陰を避けた先……などなど。定石を理解していれば、回避することは容易かった。
「えへへ、おじちゃん早いねえ! 待ってよー!」
案の定、フィオは疑うこともなくヒューゲルのことを追いかけてくる。
そしてその小さな足が、草むらに潜む罠を踏んだ。
かちっという小さな音。そして――光が十字に弾けた。
ドゴォオオオオオオオオンッッ!!
「うぎゃあっ!?」
目の眩むような閃光とともに、凄まじい炎が天高く吹き上がった。
凄まじい爆風によって、ヒューゲルの体は紙くずのように吹き飛ばされる。何度か地面にバウンドして、体中擦り傷だらけになったころにようやく止まった。
よろよろと顔を上げれば、目の前には依然として炎の柱が立ち上っている。
轟々と燃えさかる火は煤や灰を巻き上げて、凄まじい熱風をあたりにまき散らしていた。
間違いなく、魔王の娘に直撃したはずだ。
「ひ、酷い目にあった……だが、これなら多少のダメージを――」
ヒューゲルがほっと胸をなで下ろしかけた、そのときだ。
「もー」
炎の中から、拗ねたような声が響く。そして――。
ゴウッ!
強い風が吹き付けて、炎柱をあっさりと消し飛ばしてしまった。
あとには爽やかな風と――炎柱があったはずの場所に、フィオが立っている。
その体のどこにも火傷を負っておらず、それどころか服にわずかな煤すら付けていなかった。平然としてヒューゲルに声を掛けてくる。
「びっくりしたなあ。おじちゃんは大丈夫だった?」
「ひっ、ひいいいいい!?」
「あっ、ひょっとして今のも遊びのうち? わーい! 刺激的だあ!」
ほうほうのていで逃げるヒューゲルを、フィオはふたたび追いかけた。
こうしてトラップまみれの山に舞台を移した鬼ごっこは、さらに熾烈なものとなった。
「ありゃっ、何か今当たった?」
「ぎゃあああっ!?」
あるときは横殴りの雨のように矢が降り注いだり。
「わーい! おっきなボールだ!」
「うぎょああああああっ!?」
冗談のように巨大な岩が転がり落ちてきたり。
「あっ、クマさんだ! かわいー! お友達になろ!」
「ガルルルルルァアアア!」
「人食い魔熊ぁあああああ!?」
凶暴な魔物が解き放たれたりと、波瀾万丈もいいところだったがフィオはかすり傷ひとつ追うことなく突き進んでいった。
山のトラップでフィオを仕留めるというヒューゲルの策には、ひとつ大きな欠点があった。
それは――フィオがありとあらゆるトラップを発動させても被害を受けるのは自分だけであることを、まったく予想できていなかったことだ。
続きは明日更新します。
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