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杏の血脈のクオ・ヴァディス  作者: 七種智弥
序章:混沌に帰す者——File 02
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File 02:首輪に従う黒狗(10)-論破-

「ハチ、君の奥底には軍人としての確固たる記憶が眠っている。訓練と同時にそれが呼び起こされる可能性も(ぜろ)ではない。ただ、長期に渡ってそれを喚起させるのも一種の手かもしれないが、軍はその選択肢を取るほど寛恕でもない。さっきも言ったが、どの軍だって有益性のないものを内部に置いておくほどの余裕はないのさ。(むし)ろより一層の戦力を求めるくらいには常に戦力強化に飢えていてね。徴兵する段階まで民衆に軍への協力を強いてはいないし、困窮もしていないものの、志願兵の募集自体は日々行われているほどなんだよ」


K-9s(ケーナインズ)という最強の歩兵部隊を抱えていてなお、僕のような微々たる兵力まで必要とするほどの戦力的不足が生じていると?」


「その通り。戦力の損失は一瞬だが、補充と教育はそれなりの時間を要する。故に、不測の事態に備えた戦力拡大は常に、早急に、必要ということだ」


 拙い。非常に拙い。このままでは鬼畜訓練という一ヶ月の期間限定地獄を見ることになりそうだ。中佐も新兵育成経験がないというし、あの拷問染みた暴力沙汰を経験しているからこそただでは済まされないような気もする。「何とか上手いこと後方に回してもらえないだろうか」と思索するものの、放胆に後方勤務を希望したところで、その暁には「軍のために前衛で戦う意思がないのか」と誤解され、意志薄弱な軍兵というレッテルを貼られるだろう。


「それにね、ハチ。戦闘技術は頭脳で覚えるものではない、身体が勝手に覚えていくものさ。数を(こな)せば(こな)すほど技術は進歩する伸び代のあるもの。だからこそ物覚えの善し悪しは関係ない」


 桐生(きりゅう)氏が言いたいのは、要は【習うより慣れよ】ということであろう。そんなこと始めから分かっていると胸中で反発し、耳障りな戯言だと悪態を吐く。辞めだ。最早良い子ちゃん振るのは無意味。「軍のため? 知ったことかそんなもの」と一蹴してやろうと啖呵を切る勢いであったが、続け様に振るう桐生(きりゅう)氏の弁舌に敗北するまで、大して時間は必要としなかった。


「ハチ。君は一つ失念しているようだから言わせてもらうが、君とて記憶喪失に(こう)なる前は軍隊の一員だったんだよ。一軍人として弱音や脱落が一切許容されない――そういう軍人気質が君の骨身にも染みついているはずだ。それに、記憶喪失自体は突然の一大事ではあるものの、未だ君の退役手続きは正式に為されていない上に、未だ君の元締めたる軍管区は君の任務放棄を許可していない。つまり、君に選択肢はないんだ。万が一、君が軍人であることを否定したがったとしても無駄さ。金銭や資源の利益的譲受もなく、軍が身元を保護してくれるとでも思ったかい? 己が保護してもらうに値する人間と考えるのであれば、【保護してもらう代償に己の戦力を軍へと供与する】というのが、ここでは合理的だと考えるべきではないかね?」


 正論も正論。記憶喪失とはいえ元が軍人であったのなら、きちんとした退役手続きの下、軍を去るのが【立つ鳥跡を濁さず】ってやつだろう。その手続きが全くできていない上、任務発行の取り消しも為されていないとなると、軍管区は僕の記憶喪失に関する一連の情報を握っておらず、今もなお任務継続可能と判断しているに違いない。そんな中途半端な状況下で軍から逃げ出せるほど、軍部という組織の掟は甘くはない。少なくとも兵役期限に到達した者、或いは傷病により兵役に堪え忍ぶ見込みがない者を除いては、特例で軍を退くことなど通常できやしないのだ。考えれば考えるほどに、僕は退役対象から外れて然るべき存在だと思い知る。

 また、軍人であった頃の記憶がなかったのだから兵役不可能と豪語して任務を放り出すなど、教養ある現役兵がすることではない。仮に軍部の人間ではなく本物の身元不明の保護対象だったとしても、この桐生真澄(きりゅうますみ)という男がただ単純に利益の生じない対象者を無償で保護するはずもない。戦力として育て上げ、身元の保護と引き換えに代償を払わせる腹積もりであることも、十分に予見し得たことなのだ。無論、ギブ&テイクとして身辺の安全を約束する代わりに戦力を提供させるという理論は、正しく合理的であろう。

 完敗だ。桐生(きりゅう)氏の言っていることは正しいし、僕の言っていることはただの子供の我儘だと痛感する。あまりに不条理な現実を突きつけられた僕には、言葉を失くして立ち尽くす他、為す術がなかった。


「閣下、確かに小官はハチを鍛え上げえることに了承自体は致しました。但し、如何せんハチは侵蝕者(イローダー)殲滅戦の実戦経験が乏しく、例え模擬戦(シミュレーション)で戦闘技術を培うにしても、実戦に比較すれば経験値は雲泥の差となるでしょう。これ故、訓練期間のハチの成長には頭打ちがあると存じます。実戦の場で彼と共同戦線を張れば、『我々第一部隊は、総勢で彼の経過観察(フォローアップ)後方支援(バックアップ)攻守援護(カバーリング)などに臨む形態が強いられるため、従来と同等の戦果を上げるに当たって、膨大な戦力摩耗も余儀なくされる』という不具合の顕在化が、小官の申し上げる愚見でございます。そこでお聞きしたいのですが、その点を想定した上で第一部隊の任務配分削減が為されることは、閣下の思し召しに適うのでしょうか?」


 呆然とする僕の隣で、中佐はまだ食い下がっている。

 確かに僕が第一部隊に配備されれば、他の部隊員は平時の戦闘に加えて【ハチ】の介護活動に取り組むことが必須項目に付加される――即ち強制的ダブルタスクが要求される訳である。敵方の動きに合わせ、自身の動きを操作した上で、万が一の事態が【ハチ】に訪れないよう常に状況確認も怠ってはいけない。言うまでもないが、この二重課題の構造は、活動と精神の摩耗性を高めることに他ならぬのである。この観点から、中佐は部隊の消耗を避けようとして、抑々(そもそも)第一部隊に課される任務の質量削減を申し出たのであろう。だが――。


「中佐、何の冗談だい? 危機回避(リスクヘッジ)のための血晶刃(ブロッジ)虚飾面(フェイスレス)があって、更に侵蝕者(イローダー)との戦闘後には、杏病原体(プラルメソーシ)の侵蝕因子を無力化する緩衝剤の散布援護があるんじゃないか。一般軍人を保護援助しながらの戦闘など、今までに何度も経験しているはずじゃないのかね? それを今更できないなんて、言わせる訳がないだろう。部隊の消耗性などハチの加入程度で考慮はしないし、任務量の低減も今後ないと考えていい。ハチを一ヶ月である程度の形に仕上げ、実戦で形を成せば、全て丸く収まるではないか」


 戦力を何より重視する桐生(きりゅう)氏が、そう簡単に首を縦に振ることはなかった。完全な記憶喪失に陥り無力と化した僕でさえも戦力として己の軍に加えたいと申すのだから、主力部隊たるK-9s(ケーナインズ)の活動縮小が絶対に有り得ないと切り捨てるのは、当然ながら目に見えていたことである。

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