File 02:首輪に従う黒狗(08)-世界-
その説明によれば、まずここは彼の有名な自由国家・アミティエの国防を担う第三師管区総司令部という名の軍事機関であるという。そこには、最高機密レベルの軍事主力部隊・K-9sが所属し、そのK-9sを構成する者達が、中佐のような第一級接触禁忌種と呼ばれる生体兵器や、それに準ずる生命体なのだとか。K-9sという組織自体は、現状第三師管区総司令部に限定して設けられたものであり、世界各地に点在する第一と第二、第四~第八の師管区総司令部には存在し得ない極貴重な少数精鋭部隊らしい。
一部隊三人一組で構成される全十部隊の軍人を、「人類史上最強の歩兵部隊」とも語る桐生氏。世間一般に秘匿された存在でありながらも、強靭な部隊配備を為す――そんな特異的な自軍を誇らしげに物語る彼は、そうして莞爾として笑んだのだった。
「つまり、僕はK-9sの内部調査を行う密偵として過ごしながら、『K-9sの保護対象という名目で彼らの下に配属される』ってことで相違ないですか?」
「無事理解が追い付いている様子で安心したよ。さあ、次は何について話そうか?」
桐生氏の懇ろな解説に「なるほど」と相槌を打っている隣で、ルベルロイデ中佐は煩瑣極まる言論の応酬にうんざりした様子でいた。大変申し訳ないが、お次は禍津子侵蝕者について詳説してもらうつもりでいる――要するに中佐殿には十中八九長丁場になるであろう質疑応答の盤面に、少しばかりご同席頂く必要がある、と言う訳だ。「先刻の悶着で行使された暴力の代償とでも思ってくれ」とでも言わんばかりに、僕は彼個人の都合など一切気に留めず、疑義を紐解いていく。
「では、次に禍津子侵蝕者について、教えて頂けますか?」
「ああ、構わないよ」
侵蝕者。それは現在知られている人間の変死に大きく関与する、人類の敵ともいうべき超危険生命体――つまり厄災の使者・禍津子である。人類に悪影響を与えるその正体は、杏病原体と呼ばれるウイルス特有の侵蝕因子であり、有機物・無機物問わずに侵食するものらしい。杏病原体の侵蝕因子は、それらを侵食した後、全てを支配下に置いて活動力を与え、更に侵食を進行させようと、周囲に見境なく害を為すものであるのだそうだ。そう、それはまるで水や風などの外的営力が、岩石や地層を削っていくかのように。そしてそれを討伐するために組まれた部隊こそが、K-9sであると。桐生氏はそのように口述した。
「ハチ。言い忘れていたが一つだけ注意して欲しい。それは今君の質問に応じている返答が、世間や殆どの軍兵に認知されてはいけない機密情報であり、一般的に緘口令が敷かれている内容だ。相手が軍人だからと言って、『不用意に誰彼構わず発言するのは、今後慎まなければならない』ということを、重々承知してくれ」
要は、K-9sの事実上の存在意義も侵蝕者の存在も、民衆や軍部下層には周知されていない機密情報に匹敵するものだと言いたいのであろう。K-9sという部隊そのものは世界的に広く認知されているものの、それは飽くまで特殊精鋭部隊という限定的認識で、侵蝕者殲滅に大きく貢献していることまでは聞き及んでいないということだ。
これらを隠す理由があるとすれば、それは人々の混乱と軍人の士気低下を回避するためだと言えよう。侵蝕者には、この世の万物全てを侵食する能力があるため、現存するあらゆる兵器が一切通用せず、人類に太刀打ちする術は残されていない。それに加え、杏病原体に感染すれば、漏れなく即死、若しくは人間性の喪失が確定で訪れる――所謂恐慌状態を招く危険性すらも孕んでいる。密かに蔓延るこの生物災害の実存を、公的機関が安易に認めてしまえば、大衆や兵士達の集団パニックは免れず、統制が及ばなくなる可能性も高い。軍の立場としては、無論そんな事態に陥ることを望ましくは思わないだろう。
ただ、人類に希望がない訳ではなかった。唯一の対抗手段として残された有効的な武器があったのである。それがK-9s、彼の者達であった。
第一級接触禁忌種の血液を媒体とした遠近を問わない直接攻撃――これが侵蝕者を沈黙させる無二の対抗策として世に確立したのである。特定の血液を利用した逆転的強襲が有効と判明する中、彼らK-9sの実用性は言わずもがな大きく評価され、情報を握る軍の上層部から重宝されるに至った。
但し、彼らの血液を用いた実験・研究は、第一級接触禁忌種と侵蝕者に纏わる情報開示を許可された一部の文民だけが行えるものである。殆どの人民は、実物に触れることは疎か、それらが何たるかを知ることすら許されぬまま、日々生きているに過ぎない。無論、血を媒介として攻撃を繰り出す鉤爪式の軍器・血晶刃や、侵蝕者の杏病原体の侵蝕因子による体内侵食から身を守るガスマスク・虚飾面を開発したのも、軍内部で知識と技術を惜しまず提供してくれた文民達の功績である。
そして血液運用により完成した武具の実用――つまり実戦投入においても、無知者が参加権利を得ることはない。実際、血晶刃も虚飾面も双方バトルプルーフされてはいるものの、第一級接触禁忌種の血液を用いた対侵蝕者戦という側面に着目すれば、一般兵を介して機密情報が漏洩する虞も危惧される他、不必要に杏病原体の感染者を続出させてしまうリスクを負い兼ねない。
何も知らずに平穏と過ごす民と兵がある意味可哀想に思えたが、対抗手段を持たぬ人々に真実を公開してパニックを招くぐらいなら、粛々とK-9sが未解決事件を追跡、かつ解決する方が明らかに合理的だろう。つまり、この情報制限は妥当性のある布石なのだ。
K-9sとは、人類が侵蝕者に対抗する手札の中で唯一効果を発揮する最後の砦。軍によって構築された無知を、何の疑いもなく甘受する人々――そんな人工的安寧を守るべく駆り出されたK-9sは、今日も今日とて闇を切り裂く。
そんな部隊へ配属されるとは、何と貴重な巡り合わせであろうか。高い志を掲げる軍人であれば、またとない栄転に諸手を挙げて喜ぶに違いない。
しかし、軍人時代の記憶を失くしたほぼ一般人こと僕には、歓喜する余地がまるでなかった。寧ろ、木目細やかな説明があったからこそ払拭できない疑問が蟠ったのだ。
「――一つ質問なんですが……」
「許可しよう」




