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杏の血脈のクオ・ヴァディス  作者: 七種智弥
序章:混沌に帰す者——File 02
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File 02:首輪に従う黒狗(02)-呼称-

 そんな折。彼の知り合いらしき人物が、意気揚々と声を掛けてきた。こんな見世物状態において、野次馬の群れを掻き分け近寄る様は、酷く異質なものであった。金髪碧眼で剛健実直、(あたか)も【階級持ちの士官】といった出立ちをした大柄な男。ガタイのいい大男が、「おーい」とぶんぶん右手を振りながら、大仰にこちらへ駆け寄る様は、まるで飼い主に(なつ)く大型犬である。


「おはようルディ! 珍しく第四隊舎を特徴ある黒服が闊歩してるもんだから、何事かと思って寄ってみれば、貴殿ではないか! 随分と面白い秋田犬(犬っころ)を連れてるようだが、傍から見ればまるで名犬ルディと忠犬ハチ公だぞ?」


 彼を【ルディ】と呼んだ男は、人好きする笑みで僕らを揶揄(からか)った。どこか憎めないその子供染みた姿は、前後左右に蔓延(はびこ)る野次馬達のような他人(ひと)(はや)し立てる厭らしさや煩わしさはない。(むし)ろ、気立ての良さすら見え隠れする。


 顔を突き合わせるなり、軽口を叩き合う二人。「親しい(ペット)に付ける名称で私を呼ぶのは貴様くらいだ。即刻辞めろ」「しかし、名前がないと連携に差し支えるだろう?」と。この軽快な会話から、二人の仲睦まじさを垣間見た気がした。

 軍人たるもの、二人が交わす言葉遣いは堅苦しいものである。がしかし、それでもある程度戦地で相互理解を深めた賜物故か、そのやり取りは昵懇(じっこん)の間柄を想起させる。何より金髪の軍人を、邪険に扱いながらも、男がそこまで苛辣な反応を示していない。——こういうところが、二人の関係性を示しているかのようだった。


 だが、それと共に、名高い狼を意味する【ルディ】という名が、男の本名ではないのだと、早々に合点がいく。ここまで来ても、未だ男の名前すら分からぬとは、彼の正体隠秘の徹底振りに肝を抜かれる。彼と共に過ごしてから、大凡(おおよそ)にして現在二時間半もの時間が経とうとしている。その今ですら、第一級接触禁忌種ということ以外の個人情報は伏せられたまま、ただ刻々と時だけが経過しているのだ。


 中々正体を話し出さない男に感心するのは、自分が同じ立場だったらと置き換えて考えてしまったからであろう。彼の正体には、軍規上重大な機密性がある。そのため、何の制約もない僕の立場と比較して考えること事態、馬鹿げた空想ではあるのだが。

 ——ただ、もしも。もしも僕が彼の立場だったなら。好奇心と社交性が確実に勝り、見ず知らずの人物と親睦を深めんとしていたはずだ。それも、積極的に関係を築かんとばかりに、己の素性を要らぬところまでペラペラと喋っていた可能性すらある。

 まあ実際のところ、僕自身、自らについて語れる記憶・知識などという大層な代物は、一切合切持ち合わせていない。故に、会話さえ成立しない哀れ極まる状態なのである。


 どちらにせよ、この鬼畜軍人様とは、初対面で井戸端会議を押っ始めることは(おろ)か、問答無用で圧制された身だ。おまけに、現在は一言半句の発声も禁ずるという決め事も相俟(あいま)って、道中はコミュ障宜しくせざるを得なかった。これが大きな一因となって、これまでこの白髪男との間に生じる無言は、避けて通れなかった訳である。

 だからこそだろうか。颯爽と現れては、冷然とした態度を受けてまで、【ルディ】と仲良さげに話し掛ける軍人を、少しばかり尊敬したのは。


「大体何だ。その軽々しい態度は。一応私は貴様より階級が上のはずだが? 敬意を払え、この無礼者。そして私を呼称する際には中佐を付けろ、コールマン中尉。頭が高い。最後に、現在私は任務遂行中の身だ。不用意に話し掛けるな」


 そこそこ刺々しい物言いで、金髪の軍人、ことコールマン中尉を退けようとする男。彼は、邪魔だと言わんばかりにしっしと左手を払った。しかしこれがこの男——中佐の通常運転たる塩対応なのであろう。中尉は()して気にした様子もなく、話を続けた。


「——おっと、これは失礼。大変野暮な真似をしましたな、中佐殿。いやはや、何せ第一級接触禁忌種(あの軍部最高峰の要塞)厳重管理区域(たるパノプティコン)に侵入者が入ったと耳にしましてな。念のため、貴殿にも情報を共有しておこうと思い、こうして呼び止めた訳なのですが。既に精通している話題でしたかな?」


 この中尉という男は、噂を嗅ぎ付け逸早く仲の良い上官に情報共有せんとばかりに馳せ参じたと言う訳だ。ぎくりと、僕の肩が跳ねる。男は「余計な動作をするな」とでも言わんばかりに僕を乱暴に担ぎ直した。だが、僕の心臓は口からまろび出そうなほどに拍数を稼いでいた。いくら何でも、己の不法侵入罪が白日の下に曝され、軍部市場に出回るのが早過ぎやしないか、と。


「……いや初耳だ。流石は軍部随一の地獄耳を持つ男と称されるだけはあるな。情報が早い。で、その侵入者とやらは捕まったのか?」


 白々しい嘘と同時に、男は更なる情報を中尉から引き出そうとする。どこまで情報が漏れているか確かめるため、彼は慎重な面持ちでそれを探ったに違いない。再び僕が下手を打たないよう、僕の両足を支える男の右腕に力が入っているのが、(しか)と痛覚に伝わってくる。


「いや、それがまだみたいでして。しかし、あの厳重管理区域に侵入してなお逃亡中とは、中々骨のある奴ではありませんか。今頃どこをほっつき歩いていることやら」


 軍一の地獄耳という奴は、何とも恐ろしいものである。僕が(くだん)の侵入者と知らないにも(かかわ)らず、この中尉という男はタイミイング良く僕達二人に駆け寄り、今旬の話題を仕掛けてきた。実際は逃亡中でなく既に拘束されているのが事実だが、まるで襤褸(ぼろ)を出すまで揺するかのようだ。とは言え、男がその程度の会話で動じる訳もないことは、顕然たる事実である。


「貴様のそのどこからともなく嗅ぎ付ける情報屋としての素質の方が、私よりも余程()染みてるな。ここは貴様の方が【ルディ】に相応しいのではないか?」


「過分な評価です。まさか貴殿に称賛されるとは予想外でした。年甲斐もなく照れてしまいますな」


 無論、誠実を体現したような男である中尉が、揺するだなんて真似をするとは言わない。ただでさえ、上官の皮肉を気にも()めない寛容さが、ありありと滲み出ているのだから。偶々(たまたま)嗅ぎ付けただけの噂で、まさか自ら吹聴した相手が事件の当事者とは、彼自身も思うまいて。


 キラキラと輝く微笑みを携えながらも、「では、また合同任務でお会いしましたら、何卒宜しく頼みますぞ!」と走り去る中尉。その後ろ姿に、「まるで嵐だな」と肩を竦め、独り()つ男。適当に中尉を往なし、かつ彼を邪険にする態度を取っていつつも、男の顔は満更でもない様子だった。


「と言う訳で、お前の名前は今日から【ハチ】だ。忠犬宜しくお行儀良くしろよ」


 僕に聞こえる程度の小声でそう告げる男。おめでとう、今から僕は名無しの権兵衛(ジョーン・ドゥ)から忠犬を捩るハチ(命名・コールマン中尉)へと昇格(ランクアップ)した。名高き孤狼・ルディと忠犬・ハチ公。不名誉な大型犬コンビが爆誕した瞬間だった。

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