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杏の血脈のクオ・ヴァディス  作者: 七種智弥
序章:混沌に帰す者/File 01«昼中に墜つ白烏»
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File 01:昼中に墜つ白烏(12)-暗雲-

 大体どうして治療するというのか。先ほどまで痛め付けた理由を(あずか)り知らぬ僕にとって、彼の行動は理解不能だった。全ては監視官とやらのご命令らしいが、それも未だ眉唾物だ。


「訳分かんねえって(つら)してるが、俺自身もよく分かっちゃいねえんだ。殺す手前まで痛め付けて、情報を吐かせようとしてた俺が、何故か今こうしてお前の手当てをしてる。意味が分からなくて笑っちゃう話だぜ」


 笑えない。僕からしたら、全く笑えない話だ。右肩に空いた風穴を、太腿を抉る痕跡を、笑い話で済ませられるものか。彼の心ない言い(ぐさ)に、僅かにむっとした。


 男は、手際良く応急処置を進めていく。それはまるで、戦地に赴いた兵士が自分の傷を手当てするかの如く、手早く手馴れている。軍人である以上、彼がそういう知識に富んでいるのだろうとの予測は、容易いことだった。本棚に並べてあった、軍事と医療の専門書。それらを思い返せば、少なくとも彼の行動は当然日常的なことなのだろうと。

 傷口の止血をするため、包帯でがっしりと締め付けられた時。痛みで少し唸る僕に対し、男は「この程度で喚くな」と顔を(しか)めた。喚いたのではなく、唸っただけだ。僕はそれに「拳銃で撃たれたことなんて、生まれてこの方なかったんですよ!? 痛がって当然でしょ!!」と強く反発する。しかし、「黙ってろ!」という取り付く島もない言葉と共に、更に包帯をきつく締め上げられ、無を告げる以外の術を失くす。

 急に拳銃で撃ち抜かれ。相手の都合で治療され。「痛い」と抜かせば、「黙れ」と口を塞がれる。何と身勝手なことだろうと、一時の激情に駆られる思いをした。一言物申してやろうと口を開き掛けたが、僅差で放たれた男の言葉で勢いを失う。


「話は変わるが、お前。他人(ひと)より自分が優れていると感じたことはあるか?」


 急展開した会話。思わず毒気を抜かれたが、僕は(やや)不可解な面持ちで首を横に振った。

 瞋恚(しんい)の炎が徐々に鎮火される中。そういえば自分は他人より勝っているとも劣っているとも考えたことがなかったなと、はたと思い出す。「他者と比較せず生きられる世界とは、何と幸福な奴だ」なんて、思われそうだが。けれども、僕の場合それは違うのだ。記憶上殆ど残ってはいないものの、過去の僕と他所様(よそさま)を比較するには、周囲との間にどうしようもないほどの距離感があったように感じる。白子(アルビノ)の彼のように、特別に隔離されていた訳ではないものの。周囲が近寄ろうとしなかったような、そんな気がするのだ。だからこそ、比較できない。他人と能力の差を比べることができることの方が幸せなのではないか、と。そう思うほどに。


「……何で急にそんなことを?」


「いや、個人的な質問だ。気にするな」


 男はその後、何も発することなくこちらの治療に徹した。特に追求もできぬまま、時が流れていく。とは言えど、その会話自体にそこまで重大性がない気がして、僕自身あまり気に()めなかった。


 少し荒っぽい、けれどもどこか繊細な処置を受けながら、僕はただ部屋を一望していた。そして唐突に気付いたのである。この禁足地に迷い込んでしまった時に生じた疑問の一つ——部屋一面に広がる砂埃の違和感に。


「あの、貴方がこの部屋を空けて僕と出会うまでに、何日が経過しましたか……?」


「……確か、三ヶ月ほど遠征任務で部屋を空けてたと記憶してるが。何だって今更そんなことを聞く?」


「その、……僕がここで目覚めた時。フローリング一面に、満遍なく埃が積もってました」


「ああ? そりゃ部屋を空けてる期間が長えんだ。(ちり)や埃だって積もるだろうがよ」


 違う。僕が言いたいのは、そういうことではない。そんな表面的なことでなく、もっと根本的なことだ。

 神妙な顔付きをした男の前で、僕は滔々(とうとう)と違和感の正体について発露した。


「貴方がここに入って来て、埃の積もった部屋に足跡が付いたことに気付いたんですけど。ここで目覚めた時点で、僕の、僕の足跡が一つもないって、可笑しくないですか……?」


 そう。今部屋の中にあるのは、これらの跡だ。起床直後室内を歩き回った、自分の裸足の痕跡。任務から帰還した男が、入室した際に形成した軍靴の痕跡。そして、僕と彼との間に生じた一悶着の名残。仮に、僕が本当に不法侵入を犯していたのであれば。侵入時に生成されて(しか)るべき足跡が、今現在残っていても可笑しくないはずなのだが。実際それと思しきものは、何一つとして残されてはいない。

 僕が、自由自在に宙を飛び回ることができる存在であったならば、こんな些細な疑問も生じなかったのであろう。だが、所詮僕とて飛行能力を持たないただの人間である。地に足を着けずして、移動した可能性について提起する——そんな非現実的な思考は、即座に捨て去った。

 飽くまでも、現実的に見た結果。明らかに「不自然極まりない現象が発生している」と、断言できただけである。足跡を残さずに、室内に潜り込めたカラクリがあるとするならば。可能性として浮上するのは、「彼が部屋を空けてから間もなくして、僕が入り込んだ」というシナリオくらいなものだ。

 しかし、そうだとすると可笑しな点が多過ぎる。目覚めた後の記憶しか持たない僕には、最早想像するしか手立てがない訳だが。しかし、どうやって監視の目がある中、長期間に渡って潜伏状態を維持できたというのか。そして、一体どの段階で記憶喪失が発症したというのか。それらが謎である。

 もしや、随分と長い間このベッドで眠っていたのではないか。記憶喪失と重ね、長期間植物状態にあったのではないか。だとしたら、点滴などにより栄養や水分を補給した形跡もない中、どうやって今まで平然と生きて来られたのか。そして起床後、本棚を観覧する時も。長期間植物状態を経験していたのであれば、筋力低下によって容易に立つことすらできなかったはず。一体何が起きているのか——それが問題だった。


「記憶喪失・植物状態・不法侵入の三拍子持ちなんてどんな厄介者だ。お前」


 男が指折り、面白くなさそうな顔でこちらを見る。僕とてそんな厄介事に巻き込まれてお手上げだというのに、他人にそう言われちゃお仕舞いだ。


「まあいい。とりあえず、お前を監視官の総括役に会わせなくちゃならなくなった。治療が終わったら、さっさと準備してここを出るぞ」


 ざわざわと潮騒が響く頭の中で、言い知れない予感がしていた。自分自身が、何か重大な事件に巻き込まれてしまったのではないかと。そう、予感していた。


 本当に、訳が分からない出来事とは、存外唐突に訪れるものだ。そうして溜め息を()きながら、僕は今後起きることに胸を衝かれる思いでいた。

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