第4章 Pluvo arbaro
第一節
薄暗い道を“僕”は走っていた。
どこまでも続く白い世界。
壁も天井も床も真っ白だった。
僕は、また夢を見ている。
マスナから傷を受けてからと言うもの、毎晩のように夢を見ていた。
決まって“僕”の夢だった。
長い間“僕”は旅をしていた。
時代がものすごい勢いで流れていった。
きっと、今は遠い未来だ。
僕らの時代を通り越した、遙か未来の、遠い世界の夢。
<やっと、見つけたんだ。>
そう、やっと手がかりが掴めた。
彼女の手がかりが―――
「ミリア・・・。」
これは夢。空想の世界。
目の前に兵士が立ちふさがる。
数は二人。
とても現実感を帯びた、記憶の産物。
あいつらが持っているのは、マスナも使っていた光る白い筒だった。
形が少し変わっているのは、僕が無意識に未来ではこうなっていると思ったからなのか。
あいつが持っていたのよりも、改良が進み使いやすさも威力も全然良くなっている。
マスナが持っていたが護身用の短剣ぐらいにしか思えないほどの武器に変わっていた。
この時代で“僕”は、かなりの死線をくぐり抜けていた。
こいつらを、人間なんぞ倒すことなんて、簡単なことだ。
それぞれに一発喰らわしてやれば、あっという間に気絶してしまう。
それだけの破壊力を“僕”は持っている。
「どけええええええええええ!!」
“僕”は叫ぶ。成長した、威勢のある低い声だった。
誰であろうと、僕の前に立ちふさがる奴はぶちのめすまで。
あの二人以外にも、何人もが、“僕”の行く手を阻んだ。
けれど、その全てを“僕”は倒していった。
<やっと会える。ミリアに、やっと会えるんだ。>
<やっと!!>
白く重々しい扉に手をかざす。
かなり厳重な電子ロックだ。
でも、“僕”には大した障害にはならない。
構造の波に乗ってしまえばいいんだ。
光の速度を使ってダイブすればそれほど時間はかからない。
圧力が抜ける音がして、扉が開かれた。
機械仕掛けの暗い部屋だった。
各機器が発する仄暗い光に照らし出された室内の中央部に、それはあった。
巨大な硝子張りのカプセル。
色の付いた液体の中で、ミリアは眠っていた。
体中に埋め込まれた何十本というケーブルはとても痛いだろうに、彼女は穏やかな表情で狭い水槽の中を漂う。
炎の森で鎖に戒められ連れて行かれた後、地底の奥底で封印されたのは、すぐに“僕”の耳に入った。
何人も立ち入ることの出来ない地下迷宮。そこの幾重にも張り巡らされた結界の最下層に、彼女は封じられたと・・・。
その封印が解かれたのは、極最近になってから。
地殻変化、異常気象などが相まって、結界の至る所に綻びが生じてきたのだ。
砂漠に現出した迷宮への入り口。
人間達は何も知らぬまま調査隊を送り込み、迷宮の発掘にいそしんだ。有り難いことに、残った封印も次々と壊してくれた。
『人類史を覆す大発見』、『奇跡の遺跡』。超古代文明の置き土産でもある迷宮からは、当時の考古学者が目を輝かせる物が次々と出土されていった。
新たに発見された植物にも、科学者や植物学者が飛びついた。迷宮内を照らす松明のように、碧い光を放つ花。自らの光によって光合成をし、遺跡内部全体に充分な酸素を行き渡せる稀種。
その花に因んで、人間達は迷宮を『花園』と名付けた。
“僕”もその頃迷宮に侵入した。
だが、ミリアの姿は見えなかった。すでに、消えていたのだ。
崩壊しかけた世界は、その頃から急に落ち着きを取り戻した。
大気は汚れ、酸の雨は相変わらず降り続いていたが、気候は安定し、当たり前のようにあった水害も息を潜めたように無くなった。
何故か。
ミリアを使ったからだ。
迷宮の封印を解き、人間達が彼女の内に持つ膨大な生体エネルギーに目を付けたのだ。
“僕”は知っている。彼女がその昔、何を行ったか。
―――眠れる女神、“EVE”
一部の研究者達の間で囁かれるうわさ話。探りを入れていく内に、彼女がミリアであることに行き当たった。
馬鹿げている。
何で彼女が、人間たちの尻ぬぐいをしなくてはいけないんだ。
“僕”は機械に手を触れる。
さっきの扉と同様、プログラム構造を改変し、カプセルを取り外す。
収容されなかった培養液が床に流れ込み、あちこちで機械が小さな火花をあげた。
ミリアはまだ眠っているのか、力なく地面へと堕ちていく。
埋め込まれたケーブルが、彼女を支えきれず、次々に引き抜かれていった。
“僕”は、倒れ行く彼女を抱きしめる。
不思議な感覚だった。
長年探し求めて来た彼女が、今この胸の中で眠っている。
とても喜ばしいことなのに、どうして、“僕”はこんなにも思い苦しんでいるのだろう。
どうして―――
「どうして―――」
ミリアが口を開いた。
懐かしい声だった。
ずっと昔に、出会った頃と変わらない、涼やかな声音。ミリアの声。
「どうして、私を助けたの?」
あの頃、“僕”に優しく語りかけたあの声と同じなのに、今の彼女には、優しさなんて微塵も感じられなかった。
“僕”を責める、冷酷な言葉。
「・・・ケーブルから伝わってきていたわ。今のこの世界の状態が・・・。私の力を失えば、どうなるか―――あなたは、知っているはずよ。
全てを滅ぼしてまで、・・・そうまでして、人間たちに復讐をしたいの?」
知っていた―――?
はじめから、眠ってなどいなかった?
こんな目に遭いながら、それでも、自らが道具として使われることを彼女は受け入れていたというのか?
なんて、
何て人なんだ。
目線を合わせない彼女を“僕”は見つめていた。
永い年月、ずっと探し求めて、やっとこの腕の中に収めることの出来た彼女を―――
「あなたは昔、言ってましたね。『人間を殺すことに、意味はない』と・・・。」
彼女が僕を責めるのは薄々分かっていた。
ミリアは復讐を望んでいない。炎の森の中で、刃を向けようとした“僕”を彼女は抱き留めた。僕を慰めた。彼女の心がもし変わっていなければ、今の“僕”を責めるのは当然のように思えた。
そんな彼女を“僕”は探していた。
何度も探して、何度もあきらめて、また、何度となく探して・・・
最初に迷宮の入り口に辿り着いたのは遙か昔。鉄壁の封印は健在で、中に入ることが出来なかった。
“花園”の封印が解かれた後も、すぐに忍び込んで彼女を捜した。けれど、見つからなかった。
そうして、また何度も探した。
永い、永い年月、ずっと―――
「八千年だ。」
そう、ミリアに再会するまでに、途方もない年月がかかった。
「はじめは、あいつらをどうやって滅ぼそうかと・・・そればかり考えていたよ。
今だって夢に見るんだ。
あの炎を―――仲間たちの屍を・・・、その度に、苦しくて、悔しくて、たまらなくなる。」
突き放してくれて構わない。
軽蔑して貰って、構わない。
「けど、もう無理なんだ!」
“僕”自身も、わかっている。これが、わがままで情けない戯れ言だって事くらい。
「あいつらはもういない。」
今は、ただ聞いてほしい。
“僕”が抱えてきたゴミ溜めみたいな心の声を。
聞くフリで構わないから、聞いて貰いたかった。
「俺たちを殺した奴らは、たった数十年でみんな死んじまった。
まだガキだった俺を置き去りにして、あのときの関係者はみんな死んでいった。
誰も俺たちのことを覚えてやしなかった。」
誰も覚えていない。そう、だれも・・・
“僕”達一族を知っているのは、今や“僕”とミリアだけになっていた。
「歴史は歪められ、神話や伝説の夢物語の中で、人間たちが信じてやまない“神”の使いとして、俺たちは語られていった。
“天使”―――ってな。
皮肉なもんだよ。奴隷として改造され、産み落とされた俺たちが、あいつ等の勝手な思惑で崇められちまってる。
馬鹿馬鹿しかった。
あなたの言ったことがその時わかったよ。
そんな奴らを滅ぼすことに、意味なんて無い。
奴らは何も分かっちゃいない。後悔なんて、しよう筈もない。
そんなことしたら、俺の方が馬鹿になっちまう。」
「道化だ。」と、“僕”は自嘲した。
ミリアは黙って、“僕”の言葉に耳を澄ましてくれていた。
「だから俺は、あなたを捜した。」
いつも、哀しそうな顔をしているあなたに、心から笑ってほしかった。
いつも、何かに縛られているような思い詰めたあなたを自由にしたかった。
「俺の全てを犠牲にしても、あなたの戒めを解き放ちたかったんだ。」
「罪滅ぼしってことかしら。」
わからない。きっと、“僕”にもわかっていないのかもしれない。
「・・・どう捉えても、かまわないさ。」
彼女の言葉に、“僕”は返す言葉なんて無い。
どんなに詰られても、仕方がないと覚悟していた。
だから、彼女がこの先言う言葉は“僕”にとって予想しえなかったんだ。
「ならば、あなたはここから翔び立ちなさい。」
「?」
「私の望みは世界の均衡。
わかるでしょ?
あなたは、もう見つけたのでしょ?あなたと共に歩める者を。
私ではない大切な者を、人間の中に、見つけたのでしょ?
その者と共に、新たな世界へと翔び立ちなさい。」
「・・・あなたは、どうするんだ?」
「また、眠りにつくわ。今度は自らの意志で。あなたとは、もしかしたらもう一度くらい会えるでしょうね。
この世界を維持する為とはいえ、人間たちに大分力を奪われたから、この身は塵となるでしょうけれど。」
ミリアは笑った。
今まで、見たことのない可憐な笑みを湛えていた。
“僕”はそれがミリアの自由なのだと、彼女の望んでいることなのだとこの時分かってしまった。
何て、辛いことなんだろう。
「今度、目覚めた時は、世界はどうなっているのかしら。
たった八千年でここまでの文明を人間たちが築いているとは思わなかったから、正直カプセルの中で驚いてたのよ。
ケーブルを伝えば私の意志は世界の至る所を巡れたし、結構楽しかったわ。」
「年に似合わず、お転婆だな。」
「あら、そう?」
彼女はどのくらい生きてきたのだろうか。
少なくとも、“僕”よりは年長だというのは知っていた。なのに、今目の前にいる彼女は外見と同じ少女の仕草そのものだ。無邪気に、清楚な笑みを花開かせる美しい少女。
「ミリア・・・ありがとう。」
「はやく行きなさい。」
まるで、母親が息子を見送るような、穏やかで優しい顔。
色んな側面を持つ、不思議な少女。
「うん・・・。」
“僕”は部屋を後にする。
兵士たちはことごとく蹴散らして、まだ眠りの中。
“僕”は外に出る。
厚く覆われた雨雲。
止むことを知らない酸の雨。
きらびやかなネオンが彩る摩天楼の森。
これが、この世界の現状。
“僕”は背中に意識を集中する。
身体が浮き上がる。
誰が見ていても、かまわない。
“僕”は翔ぶ。
“僕”の翼をはためかせ、彼女の元へと。
空が、白く光った。
大地が、白く光った。
海が、白く光った。
あのときと同じだ。
“僕”等が人間たちから解放されたあの時も、世界はこんな姿を見せてくれた。
ミリアが最後の力を使ったんだ。
みんな何が起きているのか分からないんだろうな。
彼女はきっと、ビックリしているんだろう。
怖くて泣いているかもしれない。
摩天楼が次々と光に飲まれ、崩れていく。
早く、急がないと。
“僕”は空中で軌道を変え、スラム街へと堕ちていく。
人間たちが光に恐れ、逃げまどっているのが見えた。
どこにも逃げ場なんてありはしないのに・・・。
古いアパートの入り口で腰を抜かしている少女がいた。
彼女だ。
“僕”は空中で彼女の名を叫んだ。
声に気付き、彼女がこっちを向く。
まだあどけなさが微かに残る銀髪の少女。
黒い瞳を大きく見開き、“僕”を見つめた。
彼女が、口を開く。
「ルシュエルア!!」
夢の中で、初めて僕は“僕”の名前を聞いた。
ルシュエルア・・・
ルシュエルア=フェザーロス
僕のよく知っている人。
あぁ、やっぱりそうだったんだ。
“僕”が彼女を抱きしめる。
光が、“僕”らを飲み込んでいく。
世界が、光で満たされた。
僕の意識が引き戻される。
現実へ還れと、“僕”が促しているみたいに。
いつも見ていたの“僕”の夢は、あの人の夢。
でも・・・
―――でも―――
どうして・・・・・・
第二節
雨が、降っていた。
何とも言えない寝苦しさと肌寒さで僕は目を覚ました。
朝・・・
まだ夜が明けて間もない頃合いみたいだ。
窓を開けても微かにしか明かりが入ってこない。空もまだくらい色をのぞかせている。
その代わりに、春らしい花の香りが寝ぼけた僕の鼻をくすぐった。
双子が父親の所に帰って数日が過ぎていた。
あいつとは、僕の往診に来る時以外は会っていない。
会っても、お互いに言葉は交わさず、ただ黙って診察を終えるとあいつは帰って行くだけの日々。
身体の痛みは完全になくなっていた。
傷も少し痕が残っているだけで、もうそのほとんどが塞がっている。
死を、覚悟するほどの傷だったはずなのに・・・
薄明かりの下、笠をかぶり、雨除けを羽織って僕はそっと家を出た。
確かめたいことが―――聞きたいことが、あった。
―――ルシュエルアに。
きっと、今なら森の中の畑に行っているはずだ。あいつは雨でも雪でも毎日畑の世話は欠かさない。
今行けば、誰にも邪魔されずに話が聞ける。
あのとき、倒れた僕に何をしたのかって。
たった数日で塞がるほどの傷ではなかったはずだ。それに、双子たちの言葉が理解できるようになったのも、あの日からだった。あいつが関係している気がする。
あいつの夢を見てから、僕には色んなことが起っているのは確かだった。。
関係ないとは、言わせない。
僕に関わることだけでも話してもらわないと。
どんなに隠したいことでも・・・隠さなければいけないことでも、あいつには話してもらう。
これだけ明るくなれば、もう魔物の心配は無い。
診療所の脇を通り、北の森へと入る。
道跡のわずかな獣道を抜け、岩や坂を越え、森が少し開けた。
マスナに倒されたところだ。
「・・・・・・」
木が、倒れていた。
幹の下の方で折れてしまった大木。
切れ目の部分が黒く焼け焦げた大木。
マスナの持っていた、あの光る武器の仕業だった。
急に視界が揺らぐ。
「うっ!!」
気持ち悪い。
傷が、疼いた。
痛いとか、そんなんじゃない。
まるで血や肉が傷跡から盛り上がって吹き出していくような、気持ち悪さ。
雨が、血の臭いを帯びていく。
気持ち悪い。
息が出来ない。
気持ち悪い。
血が、暴れている。
気持ち悪い。
欠陥が脈打つ音が駆けめぐる。
気持ち悪い。
たまらない不快感。
膝が折れる。
泥が付くのも構わずに、僕は地面に倒れ込んだ。
捻れた世界にひれ伏した。
おかしくなる。
頭の中が、どうにかなってしまいそうだ。
こんな所で、倒れているわけにはいかないのに・・・
いけないのに・・・・・・。
★
赤い世界。
黒い世界。
雨が赤い。
雨が黒い。
木が赤い。
木が黒い。
土が赤い。
土が黒い。
石が赤い。
石が黒い。
草が赤い。
草が黒い。
蔦が赤い。
蔦が黒い。
雲が赤い。
雲が黒い。
何て、景色なんだ。
全てが赤と黒の濃淡で彩られた風景。
まるで、血の世界。
見てはいけない、不の情景。
一体どうしちゃったんだろう、僕は・・・。
頭に被った笠がずれて、耳や眼に泥水が吸い上がっていく。
雨除けをかき分けて、僕の身体を汚していく。
腕が動かない。と言うより、全身に力が入らない。
さっきからロクに息が出来てないもんな、・・・しょうがないか。
でも、何でだろ。
あんなに苦しかったのに、気持ち悪かったのに、今は全然楽になってる。
そういや、あの時もそうだったっけ。
マスナと戦って、やっとあいつが助けに入って来てくれた時。
痛みとか、苦しさとか、全部通り越して、その先に待っていたのは、安らぎだった。
深い深い眠りへと誘う、甘い感覚。
抗うことが出来ないほどに、心の隙をついてくる優しい誘惑。
あれが、死ぬ一歩手前ってモノなのかな。
あの時は何故か僕は一命を取り留めてしまった。だけど、今度こそ、死んじゃうのかな。
でも、何で?
もう傷は癒えたはずなのに。
痛みも消えていたはずなのに。
誰からも、何からも、攻撃されたワケじゃない。
いきなり苦しくなって、倒れて、息が出来なくなって、こんなになってる。
自滅じゃん。
吾ながら、馬鹿馬鹿しい。
でも、いいか・・・。
ここで終わりになっても。
これが、僕の限界だったんだ。
だったら、もういいや。
雨は降り続けている。
僕を、赤く染め上げる。
けれどこの雨は
僕の血だ。
死を心のどこかで望んでいる僕の血だ。
僕の中から血が流れ出して、それを雲が吸って雨を降らす。僕を死へといざなってゆく。現実から、幻想へと誘い込む。
見えないモノを見せつける。
人の影を、具現する。
・・・誰だろう。
誰かが、僕の近くにいるような気がする。
ここからじゃ見えないけれど、でも、誰かいる。
気配がする。
誰?
誰なの?
捻れた視界に見えるのは、黒い影。
こっちを、見ている。
背は、そんなに高くないみたい。子供?
雨除けを着ていないのか、脳天で結わえた特徴的な髪型が、うねったこの世界でもよく分かる。
あれは、成人前の女の子がよくしている髪型だ。
でも変だな。
この辺りじゃ、女の子なんてそんなにいるもんじゃない。
マリアたちじゃあ、髪の毛が短すぎて、あんな風に結わえることすら出来ないし。
だれだろう・・・?
「・・・君、は、だれ・・・・・・?」
影は何も答えない。
その代わりに、僕の方に歩いてくる。
一歩、二歩、・・・
しっかりとした足取りで、赤い泥を踏みしめて、僕の目の前でゆっくりと膝を落とした。
赤と黒の世界で、捻れた世界で、その存在を確固とするように彼女は僕の前に降りた。
朧気な記憶としてではなく、
幻想の力を借りて、現実として、
今、僕の目の前に。
「・・・チュジャン・・・」
三年前に死んでしまった女の子。
僕の大切な女の子。
信じられないけれど、昔のままの姿で、僕の前に彼女がいた。
大きな黒い瞳で僕の顔をじっと見つめている。
「会いたかったよ、チュジャン・・・。」
君に会いたかった。
君の笑顔を、見たかった。
君は、笑ってくれるんだね。
昔のように、笑ってくれるんだね。
でも、どうして?
どうして、そんなに哀しい顔をしているの?
何で、泣いているの?
変だよ。
笑いながら泣くなんて、君らしくないよ。
僕は君に何かした?
いけないことをしてしまった?
「チュジャン・・・」
彼女は泣きやまなかった。
涙は瞳からあふれ、頬をつたう。
そして、一雫の雨を降らせた。
どこまでも透明な、雨。
ほんの一瞬だけど、雫の中で森が見えた。
薄暗い森。
決して綺麗ではない、緑の森。
現実の緑。
何でだろう。
僕は、その雫に見入ってしまった。
そして、思わず、
手を差し出していたんだ。
★
彼女に触れたかったのか、どうかは分からない。
理由なんて、言葉に出来ない。
無意識に、
僕の手のひらは、
彼女の涙を受け止めた。
そして、
森に還った。
雨が降る、薄暗い森に。
決して綺麗ではないけれど、
僕がよく見知った北の森。
「よかった。」
高い声。
懐かしい響き。
「チュジャン?」
笑っていた。
まだ、涙は涸れていなかったけれど、満面の笑みをしていた。
お日様のような笑顔。
懐かしい笑顔。
ずっと、会いたかった彼女がやっと、僕の前に来てくれた。
あぁ、そうか。
君は待っていたかったんだね。
まだ僕は、君の所に来ちゃいけないんだね。
こんな中途半端な僕じゃ、いけないんだね。
君は笑えないんだね。
ごめんね。
気づかせてくれたんだ。
心配させちゃったね。
もう、行ってしまうの。
君の身体が消えかかっているよ。
安心してくれたのかな。
最後まで笑ってくれた。
僕を生かそうとして笑ってくれていた。
何て、
なんて・・・
いとしいのだろう。
「ありがとう、チュジャン。」
消えていく君に聞こえただろうか。
届いただろうか。
僕の言葉。
「もうちょっと、生きるよ。」
泥まみれの身体を持ち上げて、立ち上がる。
大木は相変わらず、その痛々しい姿を僕の前に晒していた。
でも、不思議だった。
あんなに苦しかったのに、今は平気だ。
少し怖くて、胸を締め付けるような痛みは続いているけれど、さっきほどじゃない。
どうにか歩いていける。
雨は止まない。
僕の泥を落としていく。
森に染みついた僕の血も洗い流して見えなくしていくんだ。
消えることはないけれど、決して留まることなく、流れる川のように、時間は止まらない。
僕は歩き出す。
森を抜けて、彼の元へ向かうために。
第三節
雨はまだやまない。
★
「ラン・・・。」
息が、止まった。
北の森の中に作られた秘密の畑。
薬草園。
僕の目の前にいるのは、僕がよく見知った彼、その人だ。畑の手入れで泥が付いても構わずに薬草の世話をする男。今さっきも薬草の手入れをしていたのか、白く長い杖を持っていた。
けれど、
僕が知らない彼が僕の目の前にいた。いや、本当は知っていた。
でも、それが現実だと思いたくはなかったんだ。
「何なんです。それは・・・。」
はじめは夢の中でだった。
“僕”の夢。
炎の中で、赤い血の海で、沢山漂っていたのが最初の記憶。
みんなの命。
“僕”たちを象徴するもの。しるし。
「ランがここに来ること、知ってた。だから・・・このままで待っていたんだ。」
彼の記憶が詰まった夢。
それは幻想なんかじゃなく、現実だったんだ。
夢の中で覚えた背中の違和感。
その正体が、今、はっきりと分かった。
「・・・今さら?」
「・・・・・・」
彼は黙ってしまった。
きっと、僕の身に起こったことをこの人は知っている。
「ずっと前に、あんた“終末”をもたらした魔神が神様と同一人物じゃないかって言ってたよね。あの時は何て馬鹿げたこと言ってんだろうって思った。
それからあんたと顔を合わせるようになって、あんたと話すようになって、何であんたがあんなことを言ったのかって、どっかで不思議に思ってたんだ。
あんたは無茶なことを言ってのけたりするけど、いい加減なことは言わない男だからさ。」
「・・・・・・。」
「関係者だったんだね、あんた・・・“終末”の・・・・・・。魔神を―――ミリアを解き放った天使だったんだね。」
彼の背には、大きな白い翼が生えていた。雨が降る薄暗い陽の下でも輝きを見せる白銀の翼。
伝説で語り継がれる呪われた天使の大翼。
「“ルシュエルア”の意味、知ってるか?」
意を決したように、彼は口を開く。
空色の瞳が、柔らかく僕を見据える。
「え・・・?」
僕の反応を察したのか、男は淡く笑う。
「ルシュは“翼”。エルアは“抗い”って言葉だ。今はもう俺しか知らない古代の言葉でな、“背徳の翼”って意味になる。俺の部族の総称だ。」
緩んだ地面に、持っていた杖で男は何かを描き始める。
文字のような、絵のような、一見すると変な落書きのように見える変わったもの。
「俺が生まれた頃、人間たちの文明は“終末”が起こる寸前の頃よりも栄えていた。あれだけ華やかで美しい文明は見たことがねぇ。人間たちにとって完璧な世界であり、完全な繁栄を築いていたんだ。だが、どんな時代にも負の遺産ってのが生まれちまう。
それが俺たち、“ルシュエルア”だ。」
彼は描きながら、自嘲気味に口元を釣り上げた。
何で、そんな風にこの人は笑ってしまうのだろう。
「あの頃も、神様信仰ってのはあったらしいけど、詳しくは知らねぇ。けど、どっかしかいらねえ人間をひっぱりだして、バラして、鳥とか獣なんかの血肉を混ぜ合わせて作られたんだと。ほかにも、獣だけで作り出されたんだって話も出ているけどな、それも詳しくは知らねぇや。
けど、人道的に見ればやっぱ許されないことだったらしい。
だから人間は自分らで俺たちを作っておきながら、その罪を俺たちに押しつけ、物として扱いやがった。
そんな物に生まれたのが悪いって開き直ったのさ。
今で言うところの奴隷って奴だよ。」
雨に濡れても、寒くはないのだろうか。
艶めく黒い髪が、雨でその輝きをさらに増している。
それに、服もずぶ濡れだ。
「ミリアを初めて見たのはその文明が壊れる時。あの人は泣いていたよ。群衆の中で『哀しい』と、一言つぶやいて、世界が白く染まった。
その時に、俺たち“ルシュエルア”は奴隷の鎖から解き放たれ、自分たちで暮らせる土地を求めて彷徨った。ようやくその地も見つかって落ち着いた頃だった。」
「再び、彼女にあったんだね。」
「あぁ・・・。そこからは、話す必要はなさそうだな。」
僕はうなずいた。
「あんたさ、この間僕に何をしたの?」
「俺の力を使った。」
「力・・・?」
男はしゃがみ込み、一掴みの土を取り上げた。
ほのかに翼が光ったかと思うと、突然土が固まりはじめ赤く光る透明な石を作り出した。かと思うと、今度は緑色の石、金の塊と、土は次々にその姿を変えていく。
「この世界にある物は、全て一粒の細かい粒子が組み合わさることで出来あがってんだ。三角や四角の組木で色んな形を作る遊びがあるだろ?。あんな感じで量や配列を入れ替えるだけで違う物を作り上げられるのさ。
この間は、ランの流れ出た血を土と分離させて、焼け焦げた肉を取り外し、俺の身体から補って再構成させたんだ。
その肉んなかに、トラウマだった俺の記憶も少なからず混ざっちまったらしいな。」
男は塊を描いていた地面に突き立てた。
「すまねぇ。」
「!?」
初めてだ。
この男だけは、絶対に謝ることを知らないと思っていた。
それだけ彼は傍若無人で自分勝手な振る舞いをしているのがお似合いの男だ。
僕はよく知っている。
この数年、最も彼の側にいたのは、この僕なんだから。
「混乱したんじゃねぇか?俺の記憶を見たんだろ?常人には、ありゃ結構キツイからな。」
「自分で言うなっての。」
「俺がキツかったんだよ。ま、時間が解決してくれたけどな。」
少しふてくされて、はにかむように彼は笑った。
仕様がないことだったんだと、半ばあきれたような笑みだった。
僕には分かる。
いかに無限の時を有していても、たった一人の持つ力はとても儚く、無力なことなんだと、あの夢の中で思い知らされた。
彼の手を取ってくれる人は、きっと何人もいたのだろう。
けれど、それは彼にとっては一瞬の出来事でしかなかったんだ。
出会いが訪れればすぐに永遠の別れへと変わってしまう。
どれだけかけがえのない人だったとしても、二度と触れ合うことも出来ないんだ。
この人は一体何回それを繰り返したというのだろう。
そんなの、辛すぎる。
「僕やマリアやクリス・・・。あんた、本当は関わりたくなかったんじゃないのか?どこかで、距離をとっていたかったんじゃ・・・」
「それだったら三年前にお前を引っ張り出してやしねぇよ。」
男は円陣を描いていた。
何重にも重なった円の間には、見たことのない文字だか絵柄だかが書き連ねられていく。
「マリアが泣いてる。」
「?」
「あいつ等に俺の羽根を持たせたんだ。“守りの羽根”ってさ。ありゃ、持っている奴の心の状態を俺に伝えさせるんだ。強ければ強いほど、その心理状態ははっきりしてくる。昨日まで、とても後悔している気持ちが伝わってきていた。だが、急に反応が無くなっちまってな。もしかしたら、捨てられたのかもしれないけど。
ちょっくら、様子を見に行こうと思ってな。」
「・・・後悔、しないの?」
どうせ、あんたからすればすぐに死んでしまう命なのに。
深く関われば、それだけ別れの時は悲しいというのに。
それなのに、男は空色の瞳を緩ませてそっと微笑んだ。
「今さらだ。」
そんなことはとうの昔に思い知らされている。
恨んだ相手も、恋した女も、探し求めた神様でさえ、みんな彼を置いて消えてしまった。
神様ももういない。
けれど、そんなことを考えていたら何もはじまらない。
後悔することを考えたら、何も出来ないんだとこの人はそう言いたかったのかもしれない。
ほんの短い間でも、その一瞬を大切にしていくんだと・・・。
男は土を掴み、七つの透明な石を作り上げていく。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
その石を円陣の要となるだろう所に置いていった。
不確定な場所へ瞬間的に移動する、“ルシュエルア”の円陣。そんなことも、僕は知ってしまったのか。
「一緒に来るか?」
彼は円陣の中央に立ち、僕に手を差し伸べる。
僕も、二人を放ってはおけない。
だから、
「もちろんだよ。」
円陣の中に入る。
僕は彼の手を取る。
空色の瞳をこれでもかと見上げて。
円陣から、光があがった。
夕日のような赤や、草のような緑、空のような青に、宵闇のような紫。
色んな色が円陣の線をうごめき、混ざり合い、空中に舞い上がる。
「う、わぁ・・・・・・。」
あまりの美しい光景に、自然と声が零れてしまう。
「しっかり捕まってろよ。」
彼が静かに囁いた。
僕は彼の手を強く握りしめる。
風が、舞った。
とても強い風だ。
身体が浮き上がってしまうくらいの、強い 風。
このまま飛ばされるのだろうかと思った。
けれど、そうじゃなかった。
身体が、崩れていった。
混ざり合った光が空色にまとまって円陣の一体を包み込んでいく。
その光に、僕の身体が砂粒のように徐々に崩され消えていく。
僕のことを気にかけたのか、男が僕の肩を引き寄せる。
その男の身体ですら、崩れていった。
僕たちが崩れる。
僕たちが消える。
けれど、不思議と不安は感じない。
二度と僕が僕として在り続けられる保証はないのに、このまま砂粒のまま空中を漂い死んでしまうかもしれないのに、怖くなかった。
彼が、
ルウヤさんが、
僕を離さないでくれる。
それが強く僕の心を支えてくれたんだ。




