閑章 Frida pupo
何がいけなかったのだろう。
何が悪かったのだろう。
今でも、その答えは掴めない。
けれど、これだけは言える。
“終末”さえなければ、私の身体はとうに腐り、分解され、消えていた。
彼と、出会うこともなかっただろう。
それが神の導きだったのか、
あるいは悪魔の誘惑だったのか、
未だ私は判断できない。
★
―――あなた、とても硬くて冷たいのね―――
少女は悪気なく私にそう言った。
“冷たいお人形”と・・・
私の管理下に生きてきた少女。
この地下の狭い研究所が彼女の生きる大きな世界だった。
ここ以外での生き方を彼女は知らない。
だから、彼女が外に出ることなんて考えられなかった。
油断したのかもしれない。
興味がわいたのだ。
彼女はあまりにも知らないことが多すぎる。
彼の指示に従い、私が彼女の管理を請け負ってきた。彼女はここである種の実験動物として生きてきた。
他にも同じ境遇の少女たちはいる。彼女と同じ目鼻立ちをした少女が、カプセルの中で眠っていることを彼女は知っている。けれど、どうして彼女たちの存在があるのか、彼女は知らないでいた。
だから試したかったのだ。
彼女が何故生まれてきたのか、彼女に見せたくなった。
プロトタイプを―――
遅かれ早かれ彼女はプロトタイプと向き合わなくてはならない。
ならば今、プロトタイプと自らの存在を知っておく必要があると、そう考えたのだ。
彼女はプロトタイプが何であるのかを知らなかった。理解できなかった。
他の少女達と同じ境遇にいる哀れな存在だとしか思わなかったのだ。
彼女はプロトタイプと共に外に飛び出た。
すぐにでも戻ってくると思った。後を追う必要も無いと判断した。もとより私にはそんな権利など有りはしない。
私は只、この施設で生きる少女達の管理を請け負う人形。出て行った物など、その対象からは除外されて当然だ。
主から責められるいわれはない。実際、彼は私を糾弾しなかった。
彼女たちは彼の研究のために生成された。
母体を通さず、カプセルの中でのみ作られた生物。
人である事を強要された実験動物だ。
私も、彼からすれば似たようなものだろう。
“終末”直後の混乱によって、私の身体は壊れた。
いや、大きな傷を負った。
彼に拾われ、改造され、命を取り留めた。
私は以前、人間だった。
そして今、人形としてここで活動している。
★
テストが終わった。
薄暗いラボで、彼の実験は一段落した。
魂転換。
カプセルの少女とあの男の魂を交換する実験だ。
こんな時代に、よく彼は“終末”以前の技術を復活できたものだ。
男はまだ、診察台で目を閉じている。
だが、カプセルから抜き取られ、生命維持用のケーブルを繋げられていた少女は診察台から私たちを睨み付けていた。
「・・・てめぇ、俺に何を!!」
少女独特の高い声音は、男が使う野蛮な言葉で事の顛末を私たちに問い正す。
「丁度いいサンプルだったのでな。使わせてもらった。」
彼が実験時のデータを確認しながら少女に答える。事実を伝える。
「お前のハードは魅力的だが、ソフトが欠陥品では使い物にならないのでな。交換させてもらった。」
「な、何わけわかんねぇこと言ってやがる!さっさと戻しやがれ!!」
「今はまだ、その時ではない。」
「!?」
「あの身体が目覚めた段階で、お前の価値は判断される。その裁量は私にある。」
「俺が、俺に戻れるかどうかは、・・・俺の身体にかかってるって事か?何でそんなこと!?」
「必要だからそうしたまでだ。お前の身体の有効利用と、私たちの目的のためにな。」
少女は舌打ちをした。
どうやら、彼女の中には無事、あの男の魂が定着したらしい。
あとは、男が目覚めた時に質問を聞き取ったところで、この実験の成否が判明する。
男の身体が目覚めるのに、それほど時間はかからなかった。
「・・・・・・?」
男は仰向けになったまま、私達を確認するように見つめている。
//お前のコードは?//
彼は男の身体に向かって質問する。
「 ・・・Code K-010. 」
男の身体は、少女に付けられていたコードをたどたどしく述べた。
「そうか。」
実験は成功した。
彼は少女の方へ歩み寄り、彼女に告げた。
「裁定は下った。」
「そうかよ。だったら早く、俺を元に戻しやがれ。」
少女は彼の言葉に不敵な笑みで応えた。
「必要ない。」
彼は少女に繋がれていたケーブルを引き抜く。
これが、彼の下した結果だった。
少女は断末魔を叫びながら、数分と経たないうちに動きを止めた。
元々 K-010 、彼女の身体は欠陥が多く、カプセルから外せばすぐに生命維持に危険が生じてしまう。
装置を付けているとは言え、外界に数時間も置いておけば容態は悪化する一方だ。
その上、装置すら外されればどうなるか・・・考えるまでもない。
あの男の魂は、少女の身体と共に天に召されるのだ。
緑がかった茶色の髪に、くすんだ蒼い目を持つ少女は、自らの身体を引き替えに、健全な肉体を手に入れた。
それは、本来なら祝福すべき事なのだろう。
だが・・・。
「彼の世話をしろ。」
彼は私に一言そういうと、一人ラボを後にした。
戻ってきたあの子達・・・いや、プロトタイプの様子を伺いに行くのだろう。
彼にとって、プロトタイプがすべてなのだ。
その為に私は生かされ、多くの人間が犠牲となった。
目の前にいるこの子のように。
「俺は、一体・・・」
男は起き上がり、自分の手足を確認している。
一人称を「俺」と呼ぶあたりで、私の脳裏に不安がよぎった。
「あなたの名前は?」
私は確認も兼ねて、男に聞く。
あなたは、だれ?と―――
男は、私の問いに顔を上げ、記憶を探るように視線を中にとばす。
「あなた・・・。あなたは、俺。俺は、・・・ CODE K-010 。」
実験の衝撃で記憶がまだ混乱しているのか。
どうやら、私の心配は杞憂だったようだ。
「何なんだ。これは・・・。」
K-010は、頭を抱え出す。
何かに、怯えたように、震えている。
「俺は、悪くない!悪くない!!俺は知らない!俺はやってない!!」
突然男は叫びをあげ、身をかがめた。
泣いている。
怯えて、震えて、 K-010 は泣いていた。
「何があったのです?落ち着いて、私に教えて。」
「・・・俺が、非道いことをした。」
「非道いこと?それは、何?」
顔の割には小さな黒目を見開き、一点を男は見つめていた。
「村の奴らを、傷つけた。赤いモノが、血が、沢山出ていて・・・俺が、そいつをブッタ切って・・・また、血が出て・・・!違う、俺じゃない!!知らないんだ!!」
この男の記憶が、身体に残っていると言うことなのか。
確かに、それは考え得る結果ではある。
男の記憶を司る脳細胞は、そのまま手つかずにしたままでの実験だったのだ。
過去にこの男が行った記憶は、そのままK-010の記憶となっていてもおかしくはない。
「知らなくて当然です。それはあなたの記憶ではありません。」
「・・・キオク?」
「あなたはつい先程、この身体に入ったのです。私はその現場に立ち会いました。その記憶は、あなたが入る前の魂が行った事です。」
「俺の・・・前の魂?」
「えぇ、そうです。あなたは何も悪くはない。」
「俺は、悪くない・・・?」
「そうです。」
怯えるこの男を、私は何故か、抱きしめた。
男の震えは止まった。
私のこんな冷たい身体に、男は腕を回してくれた。
「私は、 CODE A-1 。これより、あなたの面倒をみることとなります。分からないことや、困ったことがあったら、気兼ねなく話してください。」
男は私の身体を抱きしめる。
まるで、母親にすがる子供のように、鋼の胸に顔をすり寄せる。
彼は、分かっているのだろうか。
心には、感情があるということを。
温もりを求め、別れに悲しみ、戦慄に恐怖することを。
彼は・・・ダグワイヤーは分かっているのだろうか。
私たちも、彼のように想いを抱えていることを。