第54話 女子会、本題へ
それから数時間。
夕方六時前。
佐倉家のキッチンでは、みおと結衣が並んで夕飯の準備をしていた。
「結衣先輩、そっちのトマトお願いします」
「はい。半分でいいんですよね?」
「うん、それくらいで」
今日の夕飯はイタリアン。
トマトとモッツァレラのカプレーゼ。
きのことベーコンのクリームパスタ。
鶏肉の香草焼き。
簡単なスープ。
そしてオーブンの中では、小さめのラザニアが焼き上がるのを待っている。
「いい匂いですね」
結衣が嬉しそうにオーブンを見る。
「ラザニア、もう少しかな」
「みおちゃん、本当に料理好きなんですね」
「好きです。作ってると落ち着くんです」
ソースを混ぜながら、みおが笑う。
「結衣先輩も料理するんですか?」
「一応しますよ」
結衣はトマトを切りながら、少し考えた。
「……真琴先輩よりは」
「……」
みおが吹き出した。
「黒い卵焼き」
「まだ覚えてるんですか?」
「忘れられません」
二人で笑う。
「真琴先輩、今度リベンジするって言ってます」
「絶対、最初に弱火って教えてあげてください」
「そうします」
キッチンでは。
そんな平和な会話が続いていた。
一方。
リビングでは。
まったく別の盛り上がりを見せていた。
◇ ◇ ◇
「え、これ持ってるんですか?」
真琴が、さきの本棚から一冊取り出した。
「持ってるよ」
「限定版?」
「限定版」
「特典も?」
「もちろん」
真琴の目が変わる。
「……強い」
「真琴ちゃんも好き?」
「結構」
「どんなの読む?」
「重いやつ」
「分かる」
「すれ違い長いのも好きです」
「分かる!」
妙なところで。
二人の距離が急速に縮まっていた。
テーブルには、いつの間にかさきの漫画が何冊も積まれている。
キッチンから様子を見たみおが、嫌そうな顔をした。
「……何してるんですか?」
「布教」
「しなくていい!」
真琴が本を一冊手に取る。
「でも、さきさん結構趣味合う」
「そこ意気投合しなくていいです!」
「じゃあこれは?」
「それ持ってます」
「……」
さきと真琴が顔を見合わせる。
「友達になれそう」
「もうなってると思ってました」
「好き」
「軽い」
「お姉ちゃん……」
みおが呆れていると。
隣でトマトを切っていた結衣が、何気なく言った。
「そのシリーズ、私も好きです」
「……」
みおが止まる。
リビングも止まる。
さきが振り返る。
「結衣ちゃんも読むの?」
「はい。二巻の文化祭のところ、すごく好きです」
さきの目が輝いた。
「結衣ちゃん、こっち来ない?」
「行かなくていいです!」
みおが即座に止める。
真琴は別の意味で驚いていた。
「結衣、読んでたの?」
「読みますよ」
「聞いてない」
「聞かれてないです」
「……私に黙って読んでたの?」
結衣が笑う。
「なんで浮気みたいな言い方するんですか」
「かわいい」
さきが楽しそうに言う。
「お姉ちゃん、楽しみすぎ!」
結局。
そこからは三人で好きな作品や展開の話が始まった。
みおだけが料理を続けながら、少し置いていかれていた。
◇ ◇ ◇
「私は」
結衣がキッチンから言う。
「最初から両想いっぽいのに、お互い勘違いしてる話が好きです」
「分かる!」
さきが即座に反応する。
真琴も。
「私は片方がずっと諦めようとしてるやつ」
「それもいい」
「でも最後は幸せになってほしいです」
「そこは大事」
三人の意見が一致する。
そして。
さきが何気なく言った。
「私は三角関係も好きだな」
「……」
みおの手が止まった。
ものすごく嫌な単語だった。
さきが。
明らかにこちらを見る。
「ね、みお」
「知らない!」
「まだ何も聞いてないよ」
「顔が聞いてる!」
真琴が笑う。
「分かりやすい」
「みおちゃん、今日ずっと分かりやすいです」
「結衣先輩まで……」
さきがさらに楽しそうに続ける。
「片方が不器用で」
「やめて」
「もう片方がちゃんと言葉で来て」
「やめて!」
「主人公が両方気になって――」
「お姉ちゃん!」
みおの悲鳴がキッチンから飛んだ。
三人が笑う。
「でも」
結衣が少し笑いを収めた。
「漫画なら楽しいですけど、現実だったら大変ですよね」
みおの耳が。
ぴくりと動く。
聞きたくない。
けれど。
ちょっと聞きたい。
「本人は、本当に悩むと思います」
「そうだね」
真琴が意味ありげに言う。
「そうだねぇ」
さきも続く。
二人の視線がみおへ向く。
「……何ですか」
「別に」
真琴が答えた。
「その言い方やめてください!」
さきが吹き出す。
「みお、敏感になりすぎ」
「誰のせい!」
また。
笑い声が上がった。
◇ ◇ ◇
午後七時。
「いただきます」
四人でテーブルを囲む。
結衣がクリームパスタを一口食べた途端。
「おいしい!」
すぐに笑顔になった。
「本当ですか?」
「はい。すごくおいしい」
真琴も食べる。
「これ、普通に店で出せそう」
「大げさですよ」
「大げさじゃない」
さきは鶏肉の香草焼きを食べる。
「これ好き」
「お姉ちゃん前にも食べたことあるでしょ」
「今日ちょっと違う?」
「ローズマリー多め」
「やっぱり」
真琴がみおを見る。
「黒瀬が何回も来たくなるの分かる」
「……」
みおのフォークが止まる。
結衣がさらっと付け足した。
「料理だけじゃないと思いますけど」
「……っ」
みおの顔が赤くなる。
真琴が結衣を見る。
「結衣、今日強いね」
「何がです?」
「いや、別に」
「またそれ」
さきが楽しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
食事中も。
話題は尽きなかった。
学校の先生。
授業。
大学。
真琴と結衣のデート。
さきの大学生活。
そして陽翔の受験。
途中。
さきのスマートフォンが震えた。
「お」
「陽翔先輩?」
みおが聞く。
「うん」
メッセージには。
『今日は十五ページやりました』
と書かれていた。
「十五ページ?」
結衣が驚く。
真琴も。
「やればできるじゃん」
さきは短く。
『えらい』
と返した。
少しして。
『褒められた!!』
という返事が来た。
真琴が呆れる。
「本人に実況するなって言って」
結衣が笑う。
みおも、なんだか少し嬉しくなった。
本当に。
ちゃんと勉強している。
「陽翔先輩、大学行けるといいですね」
「うん」
さきも少し笑った。
「理由はともかく、頑張ってるのは本物だからね」
「ですね」
それなら。
素直に応援できる。
また。
四人の会話が続いていった。
◇ ◇ ◇
午後八時過ぎ。
食事を終え。
四人で片付ける。
みおが皿を洗い。
結衣が拭き。
真琴が運び。
さきが残った料理を冷蔵庫へ入れていく。
「真琴先輩」
結衣が言った。
「今日は洗い物しないでくださいね」
「なんで」
「前にお皿割ったので」
「一回だけ」
「二回です」
「……」
みおが笑った。
「料理だけじゃなかったんですね」
「みおまで」
さきが聞く。
「真琴ちゃん、家事苦手?」
真琴は少し考える。
「生きてはいけます」
結衣がすぐ付け足す。
「私がいないとちょっと心配です」
「じゃあ」
真琴が何でもない顔で言った。
「ずっといて」
「……」
結衣が固まる。
さきが。
「うわ」
みおも。
「真琴先輩!」
「何?」
「そういうの急に言うんですね」
「事実だから」
結衣の頬が赤い。
「……ずるいです」
「いいなぁ、彼女持ち」
さきが笑う。
みおが言った。
「お姉ちゃんも作れば?」
「大人っぽい人がいたらね」
「……陽翔先輩」
「違う」
即答。
全員が笑った。
◇ ◇ ◇
午後九時前。
片付けも終わり。
再びリビングへ集まった。
テーブルには紅茶と小さな焼き菓子。
そして、残しておいたティラミスを少しずつ分ける。
みおは。
完全に油断していた。
美容の話。
漫画の話。
陽翔の話。
学校の話。
夕飯も食べた。
このまま普通の女子会として夜が過ぎるのかもしれない。
「……」
紅茶を一口。
ほっとした。
その瞬間。
さきがカップを置いた。
こと。
小さな音。
「で」
「……」
みおの身体が。
ほんの少し固まった。
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
さきがにこっと笑う。
「何か進展あった?」
「……」
みお。
停止。
真琴は黙って紅茶を飲んでいる。
結衣も少しだけ笑っている。
――来た。
みおは心の中で思った。
絶対来ると思っていたのに。
途中で忘れていた。
この三人。
自分の恋愛事情をかなり知っている。
しかも今日は女子会。
逃げられるはずがなかった。
「……何の」
とぼけてみる。
「何のだろうね」
「分かんない」
「じゃあ黒瀬くん」
「……」
「一ノ瀬君」
「……」
「どっちから聞こうか?」
「選択肢がおかしい!」
真琴が小さく笑う。
「じゃあ両方」
「増えた!」
結衣が助け舟を出すように言った。
「無理に話さなくても大丈夫ですよ」
「結衣先輩……!」
救世主。
そう思った。
次の瞬間。
「でも私は、ちょっと聞きたいです」
「結衣先輩まで!!」
さきが大笑いする。
真琴も笑った。
「結衣が一番強い」
「だって」
結衣はみおを見る。
「最近のみおちゃん、分かりやすく変わってますから」
「……変わってます?」
「はい」
「どこが?」
結衣は少し考える。
「一ノ瀬君の名前が出たとき、前より照れるようになりました」
「……」
「それに」
「まだあるんですか?」
「黒瀬先輩といるときも、前より嬉しそうです」
「……」
みおには。
もう逃げ道がなかった。
真琴も頷く。
「私も同意」
「家でも同意」
さきまで加わる。
みおはクッションを取ると、ぎゅっと抱き締めた。
「……もう」
◇ ◇ ◇
「それで?」
さきが楽しそうに聞く。
「最近、何かあった?」
「……」
みおはクッションへ少し顔を埋めた。
話すか。
話さないか。
でも。
さきには、この前ほとんど話してしまっている。
それに。
あれからも。
いろいろあった。
真琴がみおの顔を見る。
「何かあったね」
「……」
「ある顔」
さき。
「ありました?」
結衣。
「三人で追い込まないでください!」
みおが顔を上げる。
すでに赤い。
さきはそれだけで察したらしい。
「一ノ瀬君?」
「……」
ほんの少し反応してしまう。
「はい確定」
「お姉ちゃん!」
真琴が聞く。
「何言われた?」
「……」
みおは。
またクッションへ顔を埋めた。
結衣が少し優しい声で言う。
「一ノ瀬君、最近かなり積極的ですよね」
「……分かるんですか?」
「見てれば」
「……」
「みおちゃん見つけたら、すぐ声かけますし」
「……そうなんです」
みおは観念した。
「最近、一ノ瀬先輩……前よりすごく来るようになって」
「うん」
「昼休みも来るし」
「うん」
「放課後、待ってたりするし」
真琴が少し眉を上げた。
「待ってるんだ」
「はい」
結衣は。
やっぱりという顔をしている。
「それで」
みおが続ける。
「この前、ちょっと体調悪そうだったんです」
三人の表情が少し真面目になった。
「平気って言ってたんですけど、ふらついてたから保健室に連れていって」
「一ノ瀬君を?」
「うん」
「珍しいね」
さきが言う。
みおは少しだけ笑った。
「平気そうにしてたけど、私には分かったから」
「……」
真琴と結衣が。
ほんの少しだけ目を合わせた。
みお自身は気づいていない。
今。
少し嬉しそうな顔をしていた。
さきが聞く。
「それで?」
「……」
みおの顔が。
また少し赤くなる。
「ちょっとだけ……甘えられて」
「へえ」
真琴が反応する。
結衣も意外そうだった。
「一ノ瀬君って甘えるんですね」
さきは興味津々。
「どんな?」
「そこは言いません!」
「そこだけ?」
「絶対言わない!」
三人が笑う。
みおの頭には。
あのときの凌の声が浮かんでいた。
――あと五分。
――いて。
指先が触れたことまで思い出して。
さらに顔が熱くなる。
「……あと」
「まだあるの?」
「……あります」
みおの声が小さくなる。
「好きになってきてるって、言われました」
「……」
三人が止まった。
最初に口を開いたのは、さきだった。
「本人から?」
「はい」
真琴も少し驚く。
「そこまで言ったんだ」
結衣も目を丸くしている。
「告白されたんですか?」
「違うって言ってました!」
「そこまで言って?」
「今は返事いらないって」
真琴が。
「ああ」
と納得した。
「何です?」
「自分の気持ちは伝えるけど、答えは急がせないんだ」
結衣も頷く。
「困らせないようにはしてるんですね」
「……はい」
さきが感心したように言う。
「一ノ瀬君、ちゃんとしてるね」
みおの顔がまた赤くなった。
「もう……」
しかし。
さきは逃がしてくれない。
「で?」
「……」
「みおは何て答えたの?」
みおはクッションを抱き締める。
「……」
「みお?」
ものすごく小さな声で。
「……意識するって」
「え?」
「意識しちゃうって……言った」
一瞬。
三人が静かになった。
さきがゆっくり笑う。
「それは進んでるじゃん」
「だから言いたくなかった!」
みおの悲鳴。
真琴も少し笑う。
「かなり進展だと思う」
結衣まで頷く。
「ですね」
「二人とも!」
「なるほどねぇ」
さきは満足そうに紅茶を一口飲んだ。
そして。
カップを置く。
「じゃ」
「……」
みおに。
再び嫌な予感が走る。
「何」
さきが笑う。
「黒瀬くん側は?」
「……」
みおが固まった。
凌の話だけで。
かなり恥ずかしかった。
なのに。
もちろん。
この三人が。
片方だけで終わらせてくれるはずがない。
真琴も。
結衣も。
静かにみおを見る。
「……」
女子会の本題は。
まだ。
ここからだった。




