第52話 サプライズ女子会
それから一週間後。
金曜日の放課後。
駅前を、真琴と結衣が並んで歩いていた。
「真琴先輩」
「何?」
「今日、どこか寄りません?」
「いいよ」
「甘いもの食べたいです」
「この前も言ってたね」
「今日は今日です」
「はいはい」
真琴が笑いながら、通り沿いの店へ視線を向ける。
「じゃあ、この辺のカフェでも――」
そこで。
足が止まった。
「……結衣」
「はい?」
「あれ」
「?」
真琴が指した先。
大きなガラス窓の向こう。
窓際の席で、一人の男子高校生が参考書とノートを広げている。
「……陽翔先輩?」
天野陽翔。
間違いない。
しかも。
ものすごく真剣な顔で問題を解いていた。
「……」
真琴が目を細める。
「何あれ」
「勉強してますね」
「天野が?」
「はい」
「自分から?」
「最近、結構頑張ってますよ」
結衣は、ここ何日か陽翔の勉強を少し見ている。
以前よりは確実に机へ向かう時間が増えていた。
二人は窓の外から、しばらく様子を眺めた。
陽翔はまったく気づかない。
問題を読む。
頭を抱える。
消す。
また書く。
「……なんでこの単語、ここだとこの意味になるんだよ……」
真琴が少しだけ感心した。
「本当にやってる」
「目標ができましたからね」
「目標ねぇ」
真琴の口元が上がる。
「入る?」
「はい」
二人はそのまま、カフェの入口へ向かった。
◇ ◇ ◇
からん。
ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
店員の声が飛んでくる。
陽翔はまだ気づかない。
真琴と結衣は注文する前に、そっとその背後へ回った。
「……いや、絶対こっちだろ……」
問題集と睨み合う陽翔。
真琴が後ろから声をかける。
「天野」
「うわぁ!?」
陽翔が飛び上がった。
周囲の客が何人かこちらを見る。
「し、真琴!?」
「声大きい」
「お前が急に後ろから!」
その横から。
「こんにちは」
結衣が顔を出す。
「七瀬まで!?」
「勉強してるんですね」
陽翔は一瞬だけ固まったあと。
少し得意そうに胸を張った。
「まあな」
真琴がノートを覗く。
「どれくらい進んだの」
「……」
「天野?」
「三ページ」
「何分?」
「……一時間くらい」
真琴が無言になる。
「その顔やめろ!」
結衣がすぐにフォローした。
「でも、前より解けるようになってますよ」
「七瀬!」
「英単語もちゃんと覚えてますし」
「ほら!」
陽翔が真琴を見る。
「俺は成長してる!」
「結衣が甘いだけじゃない?」
「真琴先輩」
「何?」
「褒めないと伸びないタイプです」
「犬?」
「俺は犬じゃねえ!」
そのとき。
「陽翔くん」
聞き覚えのある女性の声。
「はい!」
陽翔の背筋が。
ぴしっ、と伸びた。
真琴と結衣が同時に振り向く。
トレーを持って立っていたのは。
佐倉さきだった。
「あ」
さきも二人に気づく。
「真琴ちゃん、結衣ちゃん」
「こんにちは」
「どうも」
以前、蓮司の家で一度会っている。
さきは陽翔のテーブルと、大量の勉強道具。
その前に立つ真琴と結衣を見た。
「三人一緒だったの?」
「いや、たまたま見つけて」
真琴が答える。
陽翔が慌てて付け足す。
「俺は勉強しに来てます!」
「うん、知ってる」
「ちゃんと説明しとかないと!」
「何を?」
「……」
陽翔が詰まる。
真琴が。
陽翔。
さき。
そしてカフェを順番に見る。
「……あ」
隣で結衣も。
「ああ……」
二人が顔を見合わせた。
陽翔が警戒する。
「何だよ」
「そういうこと」
真琴が淡々と言う。
「そういうことだったんですね」
結衣まで笑う。
「何が!?」
さきも笑った。
「陽翔くん、ここ来るの今日で三回目なんだよ」
「さきさん!」
「本当のことでしょ?」
真琴の眉が上がる。
「三回?」
「勉強しに来てる!」
「家でもできるよね」
「カフェのほうが集中できる!」
「家からなら図書館のほうが近くない?」
「……」
「しかも無料」
「……」
結衣が小声で止める。
「真琴先輩、もうその辺で」
陽翔の顔は。
すっかり赤くなっていた。
◇ ◇ ◇
せっかくなので、真琴と結衣も同じ店で休んでいくことになった。
四人席に、陽翔、真琴、結衣。
一席だけ空いている。
真琴はアイスティー。
結衣はカフェラテ。
そして陽翔は。
完全に勉強どころではなくなっていた。
「天野」
「何」
「手止まってる」
「お前ら来たからだろ!」
「私たちのせい?」
「完全に!」
結衣が笑う。
「じゃあ帰ります?」
「七瀬はいていい!」
「私は?」
真琴が見る。
「……いていいです」
「弱い」
そのとき。
カウンターから、さきが手を振った。
「もうちょっとしたら休憩入るから」
「はい!」
即答。
真琴が横を見る。
「返事早」
「普通だ!」
結衣はもう完全に察していた。
蓮司の家で初めてさきと会ったときから。
陽翔は分かりやすかった。
でも。
まさか本当に、大学まで目標にして勉強を始めるとは思わなかった。
「陽翔先輩」
「何?」
「本当にさきさんの大学目指してるんですか?」
「目指す!」
「学部は決めました?」
「……」
陽翔が止まる。
真琴がため息を吐く。
「まずそこからでしょ」
「今調べてる!」
「大学名だけで決めたんじゃないでしょうね」
「これからちゃんと調べる!」
結衣がくすくす笑う。
「でも、勉強するようになっただけでもすごいですよ」
陽翔が得意げになる。
「だろ?」
真琴はアイスティーを一口。
「恋って怖いね」
「言うな!」
◇ ◇ ◇
二十分ほどして。
「お疲れー」
休憩に入ったさきが、エプロンを外して空いていた席へ座った。
「お邪魔します」
「どうぞ!」
陽翔が即答する。
「だからあんたの店じゃない」
「細かいな!」
さきが笑った。
「本当に仲いいね」
「高校入ってからの腐れ縁です」
真琴が答える。
「黒瀬くんも一緒だっけ?」
「はい。私と天野と蓮司は同じクラスです」
「なるほど」
さきが結衣を見る。
「結衣ちゃんは二年生だよね」
「はい」
「真琴ちゃんの彼女」
「……はい」
結衣が少し照れる。
さきが楽しそうに笑った。
「かわいい」
真琴が当然のように言う。
「結衣はかわいいですよ」
「真琴先輩!」
「事実」
「いいねぇ」
さきが満足そうに頷く。
その横で。
「いいなぁ……」
陽翔が呟いた。
三人の視線が集まる。
「何」
「俺も恋人ほしい」
真琴が。
ちらりとさきを見る。
そして陽翔を見る。
「ふーん」
「何だよその顔!」
さきも何となく察しているらしく、面白そうに笑う。
陽翔は慌てて話題を変えた。
「勉強! 勉強の話しよう!」
「自分から勉強の話に逃げるようになったんだ」
「成長だろ!」
「使い方違うけどね」
◇ ◇ ◇
そこから。
学校生活や勉強の話になった。
やがて。
結衣がふと思い出したように、さきを見る。
「そういえば、さきさん」
「何?」
「みおちゃん、家では元気ですか?」
さきの眉が少し上がる。
「元気だよ」
「よかった」
「ただ」
さきは少し考えて。
「いろいろ悩むことはあるみたいだけどね」
「……」
真琴と結衣が。
ほぼ同じタイミングで顔を見合わせた。
さきが気づく。
「あ。その顔」
「……」
「二人も何となく知ってる?」
真琴が苦笑する。
「まあ、大体」
結衣も頷いた。
「最近、ちょっと分かりやすいので」
「やっぱり?」
陽翔だけが首を傾げる。
「何の話?」
三人が陽翔を見る。
「何だよ!」
真琴が言う。
「あんたは知らなくていい」
「なんで俺だけ!?」
「余計なこと口滑らせそうだから」
「滑らせねえよ!」
そこで。
さきが笑った。
「この前も、私が黒瀬くんのことちょっと聞いたら、顔に出まくってたけどね」
「さきさん!」
「ほら」
真琴が冷たい目を向ける。
「俺、あのとき何も言ってないから!」
「顔で喋ってたんでしょ」
「事故だよ!」
結衣が笑う。
けれど。
恋愛の中身について、さきはそれ以上話さなかった。
みおが自分へ話してくれたことは。
みお本人のものだからだ。
すると。
結衣が少しだけ声を落とした。
「でも、一ノ瀬君のことは……前よりかなり意識してると思います」
「結衣もそう見える?」
「はい」
真琴も頷く。
「一ノ瀬のほうも、もう隠す気なさそうだし」
「……そっか」
さきはその程度にとどめた。
家でみおが何を話したのかまでは言わない。
陽翔が頭を抱える。
「蓮司……」
真琴が見る。
「黒瀬の心配?」
「だって、あいつやっと自覚したのに――」
そこまで言って。
陽翔が止まった。
「……」
真琴。
結衣。
さき。
三人が見る。
「……今のなしで」
真琴が額を押さえた。
「本当に喋る」
「事故!」
さきは少しだけ目を細めた。
以前の陽翔の反応でも十分察していたけれど。
今ので。
だいたい確信した。
ただ。
「まあ」
それ以上は追及せず。
「本人たちのことだからね」
真琴も頷く。
「そうですね」
結衣も。
「はい」
陽翔だけが。
「蓮司、頑張れ……」
小さく祈っていた。
◇ ◇ ◇
会話が一段落したところで。
「あ」
結衣が声を上げた。
「何?」
三人が見る。
結衣は少し楽しそうに言った。
「女子会しません?」
「女子会?」
さきの目が少し輝く。
「はい。真琴先輩と、私と、さきさんと」
一拍。
「みおちゃん」
「いいね」
さきが即答した。
真琴も頷く。
「面白そう」
「俺も!」
陽翔が勢いよく手を挙げた。
三人が同時に答える。
「ダメ」
「なんで!?」
「女子会だからです」
「俺、空気になるから!」
「無理」
「喋らない!」
「絶対喋る」
「皿洗いする!」
「大丈夫です」
「料理運ぶ!」
「いらない」
「全滅!?」
陽翔が机へ突っ伏した。
「ひどい……」
さきは笑いながらスマートフォンで予定を確認する。
「明日、みんな休みだよね?」
「はい」
「私も大丈夫です」
「だったら」
さきが言った。
「うちで泊まる?」
「え?」
真琴と結衣が顔を上げる。
「佐倉家?」
「うん。みおもいるし」
結衣の表情が一気に明るくなった。
「行きたいです!」
「私も大丈夫」
真琴も頷く。
こうして。
以前話していた全員でのお泊まり会とは別に。
女子だけの小さなお泊まり会が、急遽決まった。
「俺は!?」
「ダメ!」
「玄関まで!」
「帰す」
「ケーキ届ける係!」
「必要なら買う」
「五分だけ!」
「女子会の意味分かってる?」
「……」
陽翔は再び机へ沈んだ。
◇ ◇ ◇
「そうだ」
さきがスマートフォンを出した。
「せっかくだし、連絡先交換しようか」
「ぜひ」
結衣もスマートフォンを出す。
真琴も続いた。
「お願いします」
QRコードを読み取って。
三人が互いに登録する。
「結衣ちゃん来た」
「私も追加しました」
「真琴ちゃんも」
「はい」
その様子を。
陽翔がじっと見ていた。
「……」
今しかない。
たぶん。
ここを逃せば。
次に聞く勇気が出るのがいつになるか分からない。
「さ、さきさん!」
「ん?」
陽翔が両手でスマートフォンを差し出した。
「俺も……連絡先、交換してもいいですか?」
「……」
一瞬。
さきが陽翔を見る。
真琴の口元が少し上がった。
結衣も笑いを堪えている。
陽翔は。
かなり真剣だった。
「いいよ」
「……!」
一気に顔が明るくなる。
「マジですか!?」
「うん」
「ありがとうございます!」
QRコードを読み取る。
画面に。
『佐倉さき』
その名前が表示された。
陽翔が数秒。
じっと画面を見ている。
真琴が呆れる。
「そんなに嬉しい?」
「普通!」
「顔に出てますよ」
「七瀬まで!」
さきが笑った。
「変な時間に連絡してきたらブロックね」
「絶対しません!」
「勉強の報告ならいいよ」
「します!」
「じゃあ送って」
「はい!」
真琴が少し笑う。
「完全にやる気のスイッチ握られてる」
「やる気出るならいいんじゃない?」
さきはそう言って笑った。
陽翔は。
人生で一番と言っていいほど。
大学受験への意欲を高めていた。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
佐倉家。
「ただいま」
「おかえりー」
キッチンから、みおが返事をする。
夕飯の片付けをしているところだった。
さきはバッグを置きながら声をかける。
「みお」
「何?」
「明日さ」
「うん」
「友達二人、泊まりに来てもいい?」
みおが振り返った。
「お姉ちゃんの友達?」
「まあ、そんな感じ」
「珍しいね」
「そう?」
「家に泊めるの、あんまりないじゃん」
「確かに」
「女の人?」
「うん」
「なら私は全然いいよ」
みおはすぐに頷いた。
「夕飯どうする?」
「そこまでしてくれるの?」
「だって泊まりに来るんでしょ」
すでに料理のことを考え始めている。
「何が好き?」
「二人とも甘いものは好きだと思う」
「じゃあ……」
少し考える。
「イタリアンにしようかな」
「いいね」
「パスタと、ラザニア。サラダも作って」
「豪華だね」
「あとデザート」
「そこまで?」
「せっかくだし」
みおが楽しそうに考える。
「ティラミスにしようかな」
「……めちゃくちゃ喜ぶと思う」
「本当?」
「うん」
さきは笑いを堪える。
みおは。
相手が誰なのか。
まったく気づいていない。
「お姉ちゃん」
「何?」
「なんで笑ってるの?」
「明日楽しみだなって」
「そんなに?」
「かなり」
「へえ」
みおは何の疑いもなく。
翌日の献立を考え始めた。
◇ ◇ ◇
翌日。
土曜日。
午後三時。
佐倉家のキッチンには甘い香りが漂っていた。
冷蔵庫には、すでに作り終えたティラミス。
夕食の下ごしらえも、ほとんど済んでいる。
みおはエプロン姿でソースの味を確認した。
「うん。これでいいかな」
リビングでは。
さきがスマートフォンを見る。
昨夜交換したばかりの連絡先に、メッセージが届いていた。
『駅着きました』
「来た」
「もう?」
みおが時計を見る。
「三時ぴったりだね」
ぴんぽーん。
インターホンが鳴る。
「はーい」
さきが玄関へ向かう。
みおも手を拭きながら、少し遅れてキッチンから出た。
「どんな人?」
「会えば分かるよ」
「何それ」
さきが玄関の扉を開ける。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
聞き覚えのある声。
続いて。
「こんにちは」
もう一つ。
ものすごく聞き覚えのある声。
「……?」
みおが玄関を見る。
そこに立っていたのは。
桐谷真琴。
そして。
七瀬結衣。
「……」
みおが完全に停止した。
真琴が片手を上げる。
「みお」
結衣も、にこっと笑う。
「お邪魔します、みおちゃん」
「……」
みおは。
ゆっくり。
さきを見る。
「お姉ちゃん」
「何?」
「友達って」
「うん」
さきはものすごく楽しそうに二人を指した。
「この二人」
「聞いてない!!」
佐倉家に。
みおの大きな声が響いた。
真琴が小さく笑う。
結衣も楽しそうだ。
「サプライズです」
「結衣先輩まで!?」
「女子会しようと思って」
「昨日の今日で!?」
「善は急げ」
「その使い方、たぶん違う!」
真琴は靴を脱ぎながら聞いた。
「嫌なら帰るけど」
「嫌じゃないです!」
みおは即答した。
そして。
自分でも、その返事の速さに気づく。
「……ただ」
三人を見る。
「本当にびっくりしただけです」
結衣が嬉しそうに笑った。
「よかった」
みおも。
ようやく笑う。
「もう……」
今日は。
さきの友達が泊まりに来る。
そう聞いたから。
夕飯も。
デザートも。
結構張り切って作った。
でも。
相手が真琴と結衣なら。
むしろ。
「二人とも」
「何?」
「ちゃんとお腹空かせてきました?」
「はい!」
結衣は即答した。
真琴も頷く。
「昨日、さきさんからメッセージで料理作ってくれるって聞いたから」
「え?」
みおがさきを見る。
「メッセージ?」
「昨日交換した」
「昨日!?」
「結衣ちゃんと真琴ちゃんと」
「いつの間に!?」
さきは少し間を置いて。
「あと陽翔くんとも」
「え!?」
情報が多すぎる。
みおが頭を抱えた。
「ちょっと待って。何があったの昨日」
「その話も夜にゆっくりね」
結衣も意味ありげに笑う。
「そうですね」
真琴まで。
「女子会だし」
「……」
みおは三人を見る。
佐倉さき。
桐谷真琴。
七瀬結衣。
よく考えれば。
かなり危険な組み合わせだった。
さきは当然。
真琴も結衣も。
みおの恋愛事情をそれなりに知っている。
しかも。
三人とも。
妙に勘が鋭い。
「……今日」
みおが一歩下がる。
「普通のお泊まり会ですよね?」
さきが笑う。
「もちろん」
真琴も平然としている。
「普通だよ」
結衣も笑顔。
「女子会です」
「……」
誰一人。
信用できない。
みおは小さく呟いた。
「絶対普通じゃない……」
こうして。
みおの知らないところで決まった。
佐倉家での初めての女子会が。
始まった。




