第5話 初めての手作り弁当
昼休み。
四時間目の教師が三年A組を出ていった瞬間、教室のあちこちで椅子や机を動かす音が響き始めた。
購買へ向かう者。友人の席へ集まる者。スマートフォンを取り出す者。
そんな中、陽翔はいつものように購買の袋を片手に蓮司の席へやってきた。
「蓮司、昼――」
そこまで言って。
ぴたりと止まった。
「……ん?」
蓮司が机の横から、小さな手提げ袋を取り出したからだ。
見覚えがない。
少なくとも、普段の蓮司が持ち歩くようなものではない。
蓮司は陽翔の視線に気づいていたが、嫌な予感しかしないので無視することにした。
袋から弁当箱を取り出す。
陽翔は何も言わない。
箸を取り出す。
まだ何も言わない。
「……」
「……」
さすがに鬱陶しくなって、蓮司が顔を上げた。
「なんだよ」
「いや」
陽翔はしげしげと弁当箱を眺め、それから首を傾げた。
「お前、弁当箱っていう文明知ってたんだな」
「殴るぞ」
「だって!」
その声を聞きつけ、少し離れた席にいた真琴までやってくる。
「何?」
陽翔が弁当箱を指した。
「蓮司が弁当持ってる」
「へえ」
真琴も見る。
一秒。
二秒。
「珍しい」
「人を普段何食ってると思ってんだ」
陽翔が即答した。
「カレーパン」
「昨日だけだ!」
「カップ麺」
「それは夜!」
「冷凍チャーハン」
「なんで知ってんだよ!」
言った瞬間。
三人とも止まった。
「あ」
しまった。
蓮司がそう思ったときには遅かった。
陽翔の口元が、ゆっくりと持ち上がっていく。
「……なんで俺が知らないはずの昨日の晩飯候補を、自分から全部認めたの?」
「うるせえ」
「待って」
今度は真琴が弁当箱を指す。
「それ、自分で作った?」
「んなわけねえだろ」
「じゃあ買った?」
「……」
蓮司が黙った。
陽翔と真琴が顔を見合わせる。
そして同時に、蓮司を見る。
「蓮司」
「何だよ」
「開けて」
「嫌だ」
「開けて」
「何でお前に命令されなきゃなんねえんだよ」
陽翔まで身を乗り出してくる。
「お前が隠すほど見たくなる!」
「消えろ」
蓮司は二人を追い払おうとしたが、完全に手遅れだった。
普段ほとんど弁当を持ってこない黒瀬蓮司が、見慣れない手提げ袋から弁当箱を取り出している。
それだけで、周囲の何人かまでこちらを気にし始めていた。
「黒瀬が弁当?」
「自作?」
「いや、それは絶対ないでしょ」
「誰かに作ってもらったんじゃない?」
「……」
蓮司のこめかみに青筋が浮かぶ。
逃げたい。
けれど。
昼飯は食いたい。
仕方なく、蓮司は弁当箱の蓋へ手をかけた。
ぱかり。
開いた瞬間。
「……」
陽翔が黙った。
「……」
真琴も黙った。
弁当箱の中には、鮭の南蛮漬けが中央に置かれ、その周囲を色鮮やかな野菜が囲んでいる。
隣には、きれいな黄色の卵焼き。
小松菜のおひたし。
ポテトサラダ。
白いご飯には、黒ごままで軽く振ってあった。
特別豪華というわけではない。
けれど。
どう見ても、誰かがきちんと考えて作った手作り弁当だった。
陽翔がゆっくり顔を上げる。
「……お前」
「何だよ」
「結婚した?」
「するか!」
教室中に蓮司の声が響いた。
真琴は冷静に弁当を観察している。
「これは絶対、黒瀬が作ったんじゃないね」
「だから最初から言ってんだろ」
「じゃあ誰?」
「……」
答えない。
そこへ陽翔が食いついた。
「彼女!?」
「はあ!?」
「声でか!」
「いねえよ!」
「じゃあ誰だよ!」
「別に誰でもいいだろ!」
蓮司は強引に話を終わらせるように、鮭の南蛮漬けを一口食べた。
「……」
箸が止まる。
ほどよい酸味。
野菜にもちゃんと味が染みている。
冷めているのに、普通にうまい。
陽翔がそのわずかな反応を見逃すはずもなかった。
「うまい?」
「普通」
真琴が鼻で笑った。
「それ、絶対うまいやつの顔」
「普通だっつってんだろ」
次に。
卵焼きを一つ取る。
口へ運ぶ。
「……」
また。
一瞬だけ、動きが止まった。
甘すぎない。
出汁の味がしっかりしていて、昼になってもふんわりしている。
何も言わず。
もう一切れ。
そこで陽翔が、じーっと蓮司を見ていることに気づいた。
「何だよ」
「一個ちょうだい」
「やらねえ」
即答だった。
「えっ?」
陽翔の目が丸くなる。
「自分のパン食え」
「卵焼き一個くらいいいじゃん!」
「嫌だ」
「二個あるじゃん!」
「だから何だ」
「一個!」
「嫌だっつってんだろ」
真琴の眉が、わずかに上がった。
「へえ」
「何だよ」
「別に」
「その『別に』やめろ」
陽翔も明らかに怪しんでいる。
「でもお前、普段だったら俺がおかず取っても『勝手にしろ』くらいじゃん」
「今日は違う」
「なんで?」
「……」
「なんで?」
「うるせえ」
蓮司は無視して食事を再開した。
陽翔が弁当箱を見る。
次に真琴。
もう一度、弁当箱。
そして。
「あ」
何かに気づいた。
蓮司の箸が止まる。
嫌な予感。
「まさか」
「……」
「今朝――」
陽翔が目を見開く。
「みおちゃん?」
沈黙。
たったそれだけで。
十分すぎるほど答えになった。
「マジで!?」
陽翔が立ち上がった。
教室中の視線が一斉に集まる。
「声でけえ!」
「だってお前!」
陽翔はもう止まらない。
「転校して三日目のみおちゃんに、手作り弁当作ってもらったの!?」
ざわっ。
周囲の反応が一気に変わった。
「え、佐倉さん?」
「一年の転校生?」
「あのかわいい子?」
「黒瀬となんかあんの?」
「違え!」
とうとう蓮司まで立ち上がった。
「昨日スーパーで会って! こいつが勝手に――」
「スーパーでも会ってんの!?」
陽翔の目がさらに輝いた。
墓穴だった。
「近所だからだ!」
真琴が淡々と指を折る。
「朝、一緒に登校」
「偶然!」
「放課後、スーパーで会う」
「偶然!」
「翌日、手作り弁当」
「食生活がどうとか言われたんだよ!」
言った瞬間。
陽翔と真琴が同時に黙った。
「あ」
まただ。
蓮司は、自分で口を滑らせたことに気づいた。
陽翔がゆっくり笑う。
「……食生活まで心配されてる?」
「……」
「ねえ、黒瀬くん」
「その呼び方やめろ」
「それ、かなりいい感じじゃない?」
「違えっつってんだろ!」
真琴は笑いながら、自分の昼食を広げた。
「まあ、佐倉さんらしいけどね」
「あ?」
「料理好きなんでしょ」
「そうなの?」
陽翔が聞く。
「昨日、一年の子たちが話してるの聞いた。家でも姉の分まで弁当作ってるらしいよ」
「へえ」
それを聞いて。
蓮司は、なぜか少しだけ安心した。
特別な意味があったわけではない。
みおは単純に料理が好きで。
自分の食生活があまりにもひどかったから、見かねて作った。
きっと、それだけだ。
――なのに。
「じゃあ俺にも作ってくんないかな」
陽翔が言った瞬間。
「自分で頼め」
思った以上に低い声が出た。
陽翔が蓮司を見る。
「いや、頼むよ?」
「……」
「今日、一年B組行って――」
「やめろ」
「なんで!?」
「迷惑だろ」
「俺が聞くだけじゃん!」
「だから迷惑だっつってんだよ」
「お前が決めることじゃないだろ!」
二人が睨み合う。
真琴はその様子を眺めながら、呆れたように息を吐いた。
「黒瀬」
「あ?」
「あんた、だいぶ分かりやすくなってきてるよ」
「何が」
「知らないならいい」
「だからその言い方やめろ!」
真琴は答えず。
ただ少しだけ、楽しそうに笑っていた。
◇
同じ頃。
一年B組。
「みおちゃん」
「ん?」
クラスメイトと机を囲んでいたみおが顔を上げた。
目の前の女子が、みおの弁当箱を見ている。
「今日、ちょっと量少なくない?」
「そう?」
「昨日もっと入ってなかった?」
言われて。
みおも自分の弁当を見る。
確かに。
昨日と比べると、少し少ない。
理由は単純だ。
今朝、蓮司の弁当へおかずを多めに入れたから。
「ちょっと別に作ったから」
「家族?」
「ううん」
答えた直後。
みおの口が止まった。
「……」
その、ほんのわずかな間を。
女子たちは見逃さなかった。
「誰?」
「え?」
「今の間、誰?」
「何もないよ!」
「絶対ある!」
「お姉さんじゃないなら誰?」
「……」
困った。
別に、隠すようなことではない。
ただ、先輩に弁当を一つ作った。
本当にそれだけなのだ。
けれど。
なぜだろう。
口にするのが、少しだけ恥ずかしい。
「……三年生の先輩」
「男子?」
「う、うん」
一瞬。
机を囲んでいた女子たちが静かになった。
そして。
「……黒瀬先輩?」
みおの目が大きくなる。
「なんで分かったの!?」
言った瞬間。
――しまった。
完全に自白してしまった。
「やっぱり!」
「朝、一緒にいたって聞いた!」
「昨日も話してたでしょ?」
「違うよ! 近所だっただけ!」
「それでお弁当!?」
「食生活がひどかったから!」
みおは必死に説明する。
「昨日の夜はカップ麺で、お昼もカレーパン一個だったんだよ? しかもスーパーで買ってたのも冷凍食品とかカップ焼きそばばっかりで!」
一人の女子が、ぽつりと言った。
「……奥さん?」
「違う!」
教室に笑い声が広がった。
みおの顔が一気に熱くなる。
「本当にそういうんじゃないから!」
「でもさ」
別の女子が尋ねる。
「黒瀬先輩って、怖くない?」
「……」
みおは少し考えた。
初めて会ったときは。
怖かった。
ものすごく。
今だって、知らない人があの目つきでこちらを見てきたら、たぶん身構える。
声も低い。
口も悪い。
制服だって着崩している。
それでも。
「……最初は怖かったけど」
みおは箸を置いた。
「話してみると、そんなに怖くないよ」
それは。
本当に素直な感想だった。
プリントを拾ってくれた。
道を教えてくれた。
自転車から助けてくれた。
自分が警戒すれば、きちんと距離を取ってくれた。
そして。
「ちゃんと優しいし」
言った途端。
今度は周囲の女子たちが妙な顔をした。
「……何?」
誰も答えない。
「何?」
一人が、意味ありげに笑った。
「みおちゃん、そのうち自分で気づくと思う」
「何に!?」
結局。
誰も教えてくれなかった。
◇
放課後。
昇降口で靴を履き替えていたみおの背後から、聞き覚えのある明るい声がした。
「みおちゃーん!」
振り返る。
「天野先輩?」
陽翔が笑顔でこちらへ近づいてくる。
「今帰り?」
「はい」
「ちょうどいいじゃん。俺も――」
そこまで言った瞬間。
ぐいっ。
後ろから制服の襟を引かれた。
「ぐえっ」
「何してんだ、お前」
陽翔の背後には蓮司が立っていた。
「普通に話しかけただけだろ!」
「距離が近え」
「まだ一メートルある!」
みおは不思議そうに二人を見る。
「黒瀬先輩?」
蓮司はみおを見ると。
それまでより、ほんの少しだけ声を落とした。
「……弁当」
「あ」
みおの顔が変わる。
「どうでした?」
すると。
横から陽翔が勢いよく答えた。
「めっちゃうまそうだった!」
「お前が答えるな!」
「だって見たし!」
みおは少し笑った。
けれど。
本当に聞きたいのは、そちらではない。
期待するように蓮司を見る。
「先輩は?」
「……」
蓮司は視線を逸らした。
朝。
自分で言ったのだ。
――うまかったらな。
感想を言う。
だから。
言わなければならない。
別に。
それだけだ。
「……うまかった」
みおの顔が、ぱっと明るくなった。
「本当ですか?」
「ああ」
「よかったぁ」
心の底から嬉しそうに笑う。
その笑顔を見た瞬間。
蓮司は、ほんの一瞬だけ言葉を失った。
みおはそんなことに気づかず、次々聞いてくる。
「南蛮漬け、酸っぱすぎなかったです?」
「ちょうどよかった」
「卵焼きは?」
「うまかった」
「ポテトサラダは?」
「うまかった」
「小松菜は?」
「……全部うまかった」
言い切ったところで。
蓮司自身が気づいた。
みおも少し驚いている。
普段の蓮司からすれば。
ずいぶん素直な感想だった。
「……」
陽翔が隣で口元を押さえている。
蓮司が睨んだ。
「何だよ」
「いやぁ?」
「笑うな」
「笑ってない」
完全に笑っている。
そこへ。
「何してんの?」
聞き慣れた声。
真琴だった。
ただし、今日は一人ではない。
隣には、高校二年生らしい女子生徒が立っていた。
柔らかな色合いの髪に、人懐っこそうな笑顔。
七瀬結衣。
真琴の彼女だ。
「真琴先輩、お待たせしました」
「ん。帰ろ」
真琴が答える。
その声が。
ほんの少しだけ、いつもより柔らかい。
陽翔が露骨に顔をしかめた。
「ほら! これだよ!」
「何?」
「彼女持ちの余裕!」
結衣がくすっと笑う。
「天野先輩、また言ってるんですか?」
「結衣ちゃんまで!」
真琴は呆れながらも。
結衣が持っていた鞄を、自然に受け取った。
「貸して」
「ありがとうございます」
その一連の動作を見た陽翔が、さらに騒ぎ出す。
「なんだよそれ!」
「何が」
「さらっと荷物持つなよ! 彼氏か!」
「彼女だけど」
「そういう意味じゃない!」
みおは耐えきれず笑った。
「ふふっ」
そこで。
結衣がみおに気づいた。
「あ」
視線が合う。
「この子が、転校生の?」
真琴が頷く。
「佐倉みおさん」
みおは慌てて頭を下げた。
「初めまして」
結衣も柔らかく笑う。
「初めまして。七瀬結衣です。二年です」
「佐倉みおです。よろしくお願いします」
「真琴先輩から、ちょっと聞いてます」
「え?」
みおが真琴を見る。
「何をですか?」
真琴が即座に答えた。
「変なことは言ってない」
結衣が横から続ける。
「『黒瀬先輩が一年の子に弁当もらってた』って」
「言ってるじゃん!」
今度は蓮司の声が響いた。
陽翔が腹を抱えて笑う。
みおの顔まで一気に赤くなった。
「ち、違います! 私が勝手に作っただけで!」
その言葉に。
蓮司の眉が、ほんの少しだけ動いた。
――私が勝手に作っただけ。
間違ってはいない。
実際。
最初に作ると言ったのはみおだ。
なのに。
なぜだろう。
その言い方が。
ほんの少しだけ気に入らなかった。
結衣は一瞬だけそんな蓮司を見る。
そして。
何かに気づいたように小さく笑った。
けれど、何も言わない。
代わりに、みおへ尋ねた。
「佐倉さん、料理得意なんだ?」
「得意っていうか……好きなんです」
「いいなぁ」
結衣が隣の真琴を見る。
「真琴先輩、全然料理しないから」
「結衣」
「本当じゃないですか」
「最低限はできる」
「この前、目玉焼き焦がしましたよね」
「……あれはフライパンが悪い」
陽翔がすかさず口を挟む。
「料理できない人の言い訳だ」
真琴の目が鋭くなる。
「天野、黙れ」
「はい」
あまりにも早い降伏に。
また笑いが起きた。
みおは、なんとなく結衣と真琴を見比べる。
真琴は学校ではかなりさっぱりした人だと思っていた。
けれど。
結衣と話しているときだけ。
ほんの少し雰囲気が違う。
声も。
表情も。
少しだけ柔らかい。
――本当に好きなんだな。
そんなことを思いながら。
みおは、ふと思い出した。
「あ、黒瀬先輩」
「あ?」
「弁当箱、明日でいいですよ」
「ああ」
「あと……」
言いかけて。
少し迷う。
一度作ったからといって。
これからも作るのは、さすがにお節介だろうか。
けれど。
全部おいしかったと言ってくれた。
それが。
思っていた以上に嬉しかった。
「もし……本当に迷惑じゃなかったら」
蓮司がみおを見る。
「また、おかず余ったときに持ってきてもいいですか?」
一瞬。
なぜか周囲が静かになった。
陽翔と真琴。
そして結衣まで。
三人とも蓮司を見る。
蓮司もその視線には気づいている。
だから。
普段の自分なら。
こんな状況では意地でも「いらねえ」と言ったかもしれない。
けれど。
今朝もらった弁当を思い出す。
鮭の南蛮漬け。
ポテトサラダ。
そして。
あの卵焼き。
「……好きにしろ」
みおが笑った。
「はい」
その瞬間。
陽翔が勢いよく手を挙げた。
「じゃあ俺も!」
「お前は駄目だ」
蓮司が即答した。
「なんでだよ!!」
昇降口に叫び声が響く。
真琴がとうとう吹き出し。
結衣まで声を上げて笑った。
みおだけが、よく分かっていない。
「……天野先輩の分も、おかずが余ったら――」
「作らなくていい」
「黒瀬先輩?」
「こいつは購買で十分だ」
「俺とお前で何が違うんだよ!」
陽翔が抗議する。
「知らねえ」
「絶対知ってるだろ!」
「うるせえ」
「横暴!」
騒ぐ二人を眺めながら。
真琴が結衣へ、こっそり耳打ちした。
「これ、思ったより早いかも」
「何がです?」
「こっちの話」
結衣は意味を考えて。
蓮司とみおを見る。
そして。
「ああ」
少しだけ笑った。
当のみおは。
もちろん。
何も気づいていなかった。
◇
その日の帰り道。
みおと蓮司は、いつもの住宅街へ向かって歩いていた。
最初の日は偶然だった。
次の日も。
たまたま家を出る時間が重なっただけ。
けれど今日は。
昇降口を出たあと。
どちらからともなく、自然に同じ方向へ歩き始めていた。
特に約束したわけではない。
「一緒に帰りましょう」と言ったわけでもない。
なのに。
気づけば、隣にいる。
「……」
みおがちらりと蓮司を見る。
「何だよ」
「何でもないです」
「じゃあ見るな」
「見ただけです」
「だから何で」
「先輩」
「あ?」
「本当にお弁当、おいしかったですか?」
蓮司が眉を寄せる。
「まだ聞くのかよ」
「だって」
みおは少しだけ笑った。
「私、結構嬉しかったので」
「……何が」
「全部おいしいって言ってくれたの」
あまりにも素直に言われて。
今度は蓮司が少し言葉に詰まった。
「……」
「黒瀬先輩?」
「聞こえてる」
「じゃあ何か言ってください」
「何をだよ」
「何でも」
「無茶振りすんな」
みおが笑う。
蓮司は少しだけ顔を逸らした。
「……うまかったから、うまいって言っただけだ」
「はい」
「だから、それ以上でも何でもねえ」
「はい」
「……何で嬉しそうなんだよ」
「料理作った人なら分かりますよ」
「分かんねえよ」
「じゃあ今度、先輩も何か作ってみたら?」
「嫌だ」
「即答」
「フライパン洗うの面倒なんだよ」
「あ、まだそれ言ってる」
「事実だ」
また。
くだらない言い合いが始まる。
でも。
みおは楽しかった。
朝、一緒に学校へ行く。
学校で顔を合わせる。
昼には、自分が作ったものを蓮司が食べる。
帰る時間が合えば。
こうしてまた、一緒に帰る。
まだ。
転校してほんの数日しか経っていない。
それなのに。
黒瀬蓮司という人が。
少しずつ。
みおの新しい日常の中へ入り始めていた。
そして蓮司も。
まだそれを特別なことだとは思っていなかった。
明日の朝も。
たぶん、公園の前で会う。
昼になれば。
今日より少しだけまともなものを食べるかもしれない。
帰り道も。
時間が合えば、また隣を歩くかもしれない。
そんな小さな「次」が。
いつの間にか。
二人の間にでき始めていた。




