第六十五話 本能的恐怖
ハンナとフェリックスが誘拐された事を知ったメルセデスは、すぐには行動を起こさなかった。
まず最初にハルトマンに事の詳細を伝え、それをグスタフへと伝えるメッセンジャーとして彼をブルートに向かわせた。
そうしなければ、いつまで経っても隣町へ到着しない自分を探して捜索が始まってしまうからだ。
それから学園へと戻りジークリンデと合流したが、ここですぐにフレデリックのいる学園長室へ乗り込むような真似はしない。
今のまま向かって、仮にフレデリックを捕獲したとしよう。
しかしそこからどうする? 周りから見れば自分達が一方的に言いがかりをつけて襲い掛かったとしかとられないだろう。
何せこちらの証人はウサちゃんだけなのだ。確たる証拠もなしに行動に踏み切れば、『魔物の言葉に踊らされた阿呆』にしかならない。
たとえウサちゃんの証言が真実であろうとも、フレデリックがしらばっくれるだけで事実に塗り潰されてしまう。
だから必要なのは証拠か、あるいは自白だ。
それも自分達がいる場所だけで自白させても意味がない。
大勢が聞いていて、あるいは公正な場で言わせて、初めて自白は意味を持つ。
自分達しか聞いていない場所でいくら自白させようと、後で『そんな事は言っていない』と白を切られてしまえば終わりなのだ。
だから、すぐに乗り込むのは悪手である。
ジークリンデはすぐにでもフレデリックを問い詰めたいようだが、今のままではカードが足りない。
こちらにはジークリンデがいる。王女である彼女の発言はそこらの生徒よりは重く、力があるだろう。
だが所詮小娘……実績のある学園長と何の実績もない王女とで、果たして大衆はどちらの言葉を信じるか。
権力に物を言わせて無理矢理捕まえる事も確かに可能ではあるだろう。
だがそれではただの暴君……ただでさえ少ないジークリンデへの信用がガタ落ちしてしまう。最悪暴動も有り得る。
それでは駄目だ。あくまでこちらが『正義』であって向こうが『悪』にならなくてはならない。
本質的な意味でどちらが善かなどメルセデスには知った事ではないし、自分が正義の味方だなどと思った事もない。思いたくもない。
だがそれはそれとして、大衆的な正義というものは無視出来ないものなのだ。
人は群れる生き物であり、より多数派の意見に流されやすい。
少数派も無論いるだろうが、そうした者の九割九分はマイノリティーな己に酔っているだけの、ただの馬鹿でしかない。
物事の本質も何も見ず、『あっちは多数派だから自分はこっちに行こう』、『周りに流されない俺は格好いい』と勘違いしているだけの間抜けだ。
こんなのは全く考慮に値しないし、この手の輩は自分の身が危うくなればすぐに多数派に乗り換えてしまう。
本当の意味で本質を捉え、周囲に流されずに己を保てる者など極少数だろう。
別にそれを責めるわけではない。人とは群れる生き物なのだから、多数派に属したがるのは本能のようなものなのだ。
そしてそれは吸血鬼も同じだろうとメルセデスは考える。
大半の者は多数派の言葉を信じる。そして少数派を切り捨てる。
つまりフレデリックを捕獲するにあたって、切り捨てられるような少数派になってはいけないのだ。
でなければフレデリックのみならず、余計な者まで相手にしなくてはいけなくなる。
「だが……どうするんだ、メルセデス。
学園長がまさか、皆の前で自白するなんて事はありえないだろう」
「……そうだな。確かにあり得ない」
大勢の前で『儂が売国奴です』などと、そんな自白をするわけがない。それはジークリンデに言われずとも分かっている事だ。
ならば証拠を出せばいいのだろうが、そんなものは何処にもない。
あの抉れた地面だって、あそこで何かがあった事は分かっても誰が何をしたのかまでは分からない。
実際メルセデスも、あれが何の跡なのかは分かっていない。
証拠はない。大勢の前での自白もするはずがない。
ならばどうするべきか。何が最善手か。
時間はそれほど多くはないだろう。ハンナならば自力で逃げ遂せる事も可能だと思うがフェリックスは分からない。
フェリックスが死ぬのは……困る。
何故なら彼がいないと、グリューネヴァルト家を継いでくれる生贄がいない。
ベルンハルトは恐らく気にしないのだろうが、メルセデスにとっては大問題だ。
「少しだけ考える。時間をくれ」
ジークリンデにそう言い、ついでに彼女が独断専行しないようにピーコとウサちゃんを見張りに残した。
そして彼女達を空き教室に残し、メルセデスは外へと出て行った。
それから数分後。
ジークリンデと別れたメルセデスは自らが所有するダンジョンの中を訪れていた。
向かう先は金の扉……宝物庫だ。
ここには多くの宝が置いてある。だから、もしかしたら何か便利なものでもないかと思ってメルセデスはここへ来ていた。
メルセデスはこの宝物庫の全てを把握しているわけではない。
というより、多すぎてとても把握し切れないというべきか。
だから確実にここに状況を好転させ得る物があると思ったわけではないし、無ければ無いで別の手を打つつもりでいた。
ここから打てる手はパッと思いつく限りでは大きく分けて二つ。
一つはベルンハルトを使う事。
フェリックスの安否はともかく、国を売ろうとしている輩をあの男が放置する事はないだろう。
しかしこれは言い換えれば頼っているとも言える行動で、あの男に借りを作ってしまう。
借りなど作ればどうなるか分かったものではない。
もう一つは証拠の捏造。
証拠がないならば作ればいい。
ただしこれは言うまでもなく外道の一手だ。
通常、証拠というのは犯人である事を証明する為に必要とする。
だがこれでは目的と手段が逆……まず犯人を特定して、それを捕まえる為だけに証拠を用意する。
無論バレればただでは済まない。メルセデスとしても渡りたくない橋だ。
だからこそ、メルセデスとしてはここで何か……決定打にならぬにしても何か使える道具の一つでも出てくれば、と思っている。
そして運は……メルセデスの味方であり、フレデリックの敵だった。
「これは……」
果たして、そこにはメルセデスが望む物が……いや、望んだ以上の物が置いてあった。
それは控えめに言って、オーパーツである。
明らかにこの世界の文明レベルと一致していない、恐らくは神が遺した道具。
これを神器などと呼ぶのは可笑しな話だが、しかしこの世界ならばそう呼ばれるに値する。
大半の者は、きっとこれが何なのかすら分からない。
何故か宝物庫に紛れ込んでいる妙な鉄の塊、としか思わないだろう。
だがメルセデスはこれが何なのかが分かる。使い方も知っている。
問題は動くかどうかだが……。
メルセデスは慎重にそれを調べ、やがてスイッチを見付けて押す。
すると起動したのが確認出来た。
流石はダンジョンの中というべきか。とうに使える年数など過ぎているだろうに、まるで昨日造られたばかりのようだ。
しかしメルセデスの心は喜びよりも、むしろ困惑に占められていた。
(何故、こんなものがある? 私のような者でもなければそもそも使い方すら分からない……明らかに文明と一致しない、過ぎた道具だ……。
いつかこれを解析出来る者が現れるのを期待しての事か?
それとも、私のような者が現れるという想定の上で置いたのか?)
考えられるのは二つ。
一つは、いつかこれを解析出来る者が現れる事を期待しての未来への遺産。
普通に考えればこちらの可能性が高いだろう。
転生者など、本来は有り得ない存在だ。
しかしメルセデスは腑に落ちないものを感じていた。
この世界は文明が中世で止まり続けている。
まるでそうある事を誰かが望んだかのように進歩していない。
もしもその意図している何者かが人間であるならば、果たしてそんな事を期待するだろうか?
むしろ発展しないように手を打つのではないだろうか?
もう一つは更にあり得ない。いや、あって欲しくない予想だ。
それは、自分のような者が現れる事を予期して残したというもの。
つまり……転生者は有り得ない存在などではなく、少なくとも人間にとっては有り得る存在だという事になる。
だがメルセデス自身、何故自分に前世の記憶が残っているかを問われれば答える事は出来ない。
そもそも覚えていられるはずがない。
何故なら記憶媒体である脳は、前世の身体に置いてきたのだ。
ならば仮に、本当に生まれ変わりなどというものがあったとしても覚えていられるはずがない。
例えばパソコンが壊れたとして、それを一度完全に分解したとする。
そこからデータを保存していた部分だけを抜き取り、残りのパーツを使って新たなパソコンを造ったとする。
ではその転生されたパソコンは果たして、前に記憶したものを覚えていられるだろうか?
無理だろう。外付けのバックアップでもあれば思い出せるかもしれないが、本体が覚えていられるはずがない。
何故なら記憶媒体を置いて来てしまったのだから。
それと同じ事。前世の記憶を保存した脳を前世の身体に置いてきてしまったのだから、今の自分が覚えていられるはずがないのだ。
(バックアップでもない限り……か……。
もしかしたら私は……――!?)
突然、背筋が冷えた。
まるで足元から崩れるような、かつてない恐怖がメルセデスの全身を襲った。
メルセデスはどちらかといえば感情の波が浅い部類だ。
強く何かを喜ぶ事もなければ、深く悲しむ事もない。
そのメルセデスが、かつて経験した事もないような恐怖を感じていた。
まるで無理矢理に、恐怖という感情だけを引き出されているような……恐怖を感じる電気信号が滅茶苦茶に発されているような、そんな受け入れがたい怖気だ。
駄目だ、これ以上この事を考えたくない。
思考を打ち切らなければおかしくなってしまう。
メルセデスはそんな予感すら覚え、頭を振って思考を変えた。
するとどうだろう。先程まで感じていた恐怖が嘘のようになくなり、メルセデスは膝をついて荒く息を吐いた。
(駄目だ……この件は考えてはいけない……。
理由は分からないが……何かやばい)
何故こんなに恐ろしいのかはメルセデスには分からない。だが本能が拒否している。
考えてはならない、目を向けてはならない。
メルセデスの中の何かが、そう強く五月蠅く警告を発していた。
(ともかく……今は役立ちそうな物があった事を収穫と考えよう。
これでフレデリックを仕留める事が出来る)
今は、この原因不明の恐怖と向き合うべきではない。
そんな逃避にも似た心境でメルセデスは、当面の問題を解決すべく思考を切り替えた。
運「フレデリック殺すべし。慈悲はない」




