第六十四話 運命に嫌われた男
野生のラスボスが現れた! のノベル版1巻が重版される事になりました。
これも皆さまのおかげです。ありがとうございます。
フレデリック・ベッケンバウアーはかつて、自分こそ運命に愛された吸血鬼だと思っていた。
別にそう思うに足る特別な理由や出来事があったわけではない。
単なる若者特有の全能感。自分だけは特別だと思いたくなる自惚れ。
それが人一倍強かったというだけで、事実幼き頃の彼は優秀だった。
他人よりも覚えがよかったし、実戦形式の訓練でも負けた事がなかった。
男爵家ではあるが貴族の長男だった事もまた、彼を増長させる要因だったのだろう。
使用人は誰も逆らえないし、平民は無条件で頭を下げる。
幼い頃からそんな環境に置かれれば増長しない方が難しいというもの。
顔立ちにもまた、彼は恵まれていた。
絶世の美男子……とまではいかないが、それでもそれなりに整った上の下くらいの容姿が彼にはあった。
なので当然のように異性にはもてたし、彼もそれを当然の事として受け入れていた。
学園に入学した時も当然のようにAクラスへと入れられた。
この時の彼は間違いなく天才と呼ばれる側であった。
入学してからも彼は成績上位であり続けた。
狩猟祭の時は一年生にして上級生の派閥からも誘われ、彼の将来性を誰もが期待していた。
十四歳になる頃には女遊びを覚え、友人と共に何人の女を抱いたかを自慢し合った事もあった。
狩猟祭でも下級生にしては優れた成績を残し、武芸祭でも同級生相手に負ける事はなかった。
彼は他よりも成長が早く、体格に恵まれ、時には上級生にだって勝つ事が出来たのだ。
そして、いつまで経っても子供の姿のままの同級生……ハンナを見下した。
運命に嫌われた哀れな女だと、心底そう思ったのだ。
十で神童。十五で才子。二十過ぎればただの吸血鬼。
誰が言ったかは知らぬが、フレデリックはまさにそのタイプだったのかもしれない。
彼は自分が運命に愛されていると思っていた。思いたかった。
だが現実を知ったのは十七歳の頃……彼は、Aクラスから落ちた。
狩猟祭でいい成績を上げられなくなった。
武芸祭で同級生に勝てなくなった。下級生にすら負け始めた。
彼の能力が下がったわけではない。周りの能力が彼に追い付き、追い越しただけだ。
フレデリックは結局の所天才でも何でもなかった。ただの早期熟成型でしかなく、最終的な能力ではむしろ周りに劣っていたのだ。
結局学園を卒業する頃にはCクラスまで落ちてしまい、彼はただの凡人として社会に出る事となってしまった。
かつて見下していたはずのハンナがAクラストップの成績で卒業したのが、また彼を一層惨めな気持ちにさせた。
いつの間にか……ハンナは彼の遥か先を歩き、フレデリックはその背中にすら届かなくなっていたのだ。
だがそれでもまだ、彼は凡人だった。凡人未満ではなかったはずなのだ。
自分は運命に愛されていない。
それどころか嫌われている。
彼がそう自覚したのは、三十を過ぎた頃であった。
不老期がいつになっても訪れない。成長はやがて老化へと変わり、なのに時間が止まらない。
張りがあったはずの肌が目に見えて劣化し始めた。
ほうれい線が目立つようになった。髪がだんだん薄くなり始めた。
フレデリックは願った。教会にも赴き、神に祈った。
お願いします、どうか、これ以上劣化する前に私の時を止めて下さい、と。
早く不老期よ来てくれ、と。
だが何たる無情か。いつまで待っても不老期は訪れず、フレデリックの身体は老い続けた。
こうなると最早凡人以下だ。基本的に若い時に時間が止まる吸血鬼の中で老いるのは劣等の証であり、若さこそが優秀さの証だ。
不老期の時期に何故バラつきがあるのかは解明されていない。
単なる個人差とも言われるし血統差だとも言われる。性行為を何度行ったかで変わるという説も存在する。
その中で信憑性が高いとされるのが、『素質の差』である。
素質の高い者は若い時期に能力が一定値を超える。それを肉体側が全盛期だと判断して成長を止めてしまうというものだ。
逆にその一定値に達しない者は肉体が全盛期だと判断出来ず、成長を止める事が出来ない。
そのハードルを超えない限り、いつまでも在りもしない全盛期を求めて成長を続けてしまう……という説だ。
無論、ただの説のうちの一つでしかない。これが正しいという保証もない。
だが……だが、妙な説得力があった。
例えば下級生のベルンハルト・グリューネヴァルトだ。
あの男は遅咲きの華だった。学生時代から既にトップを独走していたが成長は止まらず、元々老け顔だった顔は更に老けた。
ここまでならばフレデリックの同類だが、彼がフレデリックと違ったのは能力の成長も止まらなかった事だ。
成長するほどに強くなり、他者を突き放した。
戦争で活躍し、英雄となり、その能力は増大し続けた。
やがてベルンハルトはその能力がピークに達した時……年齢にして28の時点で不老期を迎え、今や最強の吸血鬼として君臨している。
フレデリックのように全盛期が無かったのではない。ただそこにあったというだけ。
ハードルの高さは個人によって異なる。
そしてそれを超えない限り、肉体は成長を止めてくれない。
フレデリックはそんな、絶望的な予感に身を震わせた。
結局、彼に不老期が訪れたのは劣化に劣化を重ねた九十代の頃であった。
頭髪は全て失われ、顔には深い皺が刻まれた。
牙は抜け、歯も抜け、口の中は総入れ歯となってしまった。
視力も聴力も衰え、身長は縮み、腰は痛み、歩くのさえ億劫になってようやく肉体は時間を停めたのだ。
全盛期などとは口が裂けても言えぬ状態だが、きっとこれ以上老いたら死ぬと肉体側が判断したのだろう。
フレデリックは己の身体を呪った。この馬鹿者め、底なしの大馬鹿者め。
こんなに老いてから時を停めて何の意味がある。若々しさも力も体力も失って、今更生きながらえてどうしろというのだ。
妻には見限られ、約束されていたはずの当主の座すら弟に奪われた。
父には『お前は相応しくない』と絶縁状を叩きつけられた。
道を歩けば笑われる。
年上の若者に嘲笑され、トロトロ歩くなと蹴飛ばされた事もあった。
かつて付き合っていた女とすれ違った時は気付いてすら貰えなかった。
同級生に気付かれた時は、大声で爆笑されて惨めな気持ちにさせられた。
だが何よりも彼を惨めにさせたのは、そんな事ではなかった。
それはある日の事。トロトロと道を歩いていたフレデリックはチンピラに絡まれ、駆け付けた兵士によって救われた。
問題は、その兵士を率いていた女にあった。
「こらー! 悪ガキどもー!」
「げえ! やっべ、逃げろ!」
「……ったく……大丈夫ですか? お爺さん」
それは幼い童女であり、しかし身に着けた衣装や従う兵士の存在から見た目通りの年齢ではないと容易に推察する事が出来る。
何よりフレデリックは彼女を知っていた。
それはかつて同じ学び舎で過ごし、見下してすらいた相手だったのだから。
「……ハン……ナ」
「え……私とどこかで会いましたっけ?」
ハンナはフレデリックに気付けなかった。
それはそうだ。今のフレデリックにはかつての面影がない。
完全に、ただの老いた老人にしか見えないだろう。
……気付かないならばそのほうがいい。フレデリックはそう思った。
こんな惨めな自分を若い時の自分と結び付けて欲しくなかった。
しかし兵士の内の一人が余計な事を口にした事で僅かな望みすら砕かれてしまう。
「ああ、フレデリック爺さんッスよ。この辺りじゃ有名なんすけど……隊長、もしかしてお知り合いですか?」
「フレデリック……フレ……え、ええええ!?」
ハンナは名前を聞き、目を丸くして驚いた。
それから彼女が何か言っていたがよく覚えていない。
久しぶりだね、とか、変わったね、とか……そんな事を言っていたような気がする。
しかしフレデリックの頭にその言葉はほとんど入って来なかった。
ただ底なしの惨めさだけがあった。
(何だ……何なのだこれは……何なのだ、この差は!)
かつてハンナを見下していた。
男爵家の長女で、家督を継げない上に子供の状態で成長が止まった哀れな女と思っていた。
だが不老期は素質によって決定される。若い時に不老になるという事は、それだけ優れているという事であり、神童の証である。
十で神童。十五で才子。二十過ぎればただの吸血鬼。
故に本当の神童は神童のまま時を停める。成長しないのではなく、成長する必要がない。
そして真に優れた者は運命にも愛される。運命に愛されていれば、たかが男爵家の家督など継げなくても自ら生き場所を見付けて昇り詰める事が出来る。
ハンナはきっと、そうだったのだろう。
彼女の後ろには兵士がいて、彼女を長と呼んで慕っている。
もう誰も彼女を笑ったりはしない。尊敬の目で彼女を見ている。
かつて馬鹿にしていたハンナの若さが羨ましかった。妬ましかった。
肌には張りがあり、皺など見当たらず、エネルギーに満ち溢れている。
これがかつて同じ時を過ごした者同士なのか。これが同じ学び舎で過ごした者同士の姿なのか!
気付けばフレデリックは涙を止めどなく流し、惨めさに打ちのめされていた。
「フ、フレデリック君! だ、大丈夫!? どこか痛いの!?」
「いやまあ、そりゃあ身体中が痛いんじゃないッスかね……このご老体じゃ」
「ええと、どうしよう。とりあえずどこか落ち着ける場所に……」
「あの、隊長。この後すぐに陛下との謁見があるので……」
わたわたと慌てながらもフレデリックを心配するハンナを、彼は睨んだ。
心配されている。心配するという事は、弱い存在だと思われているという事だ。
例えば自分よりも遥かに強い者がいたとして、それを心配など誰もしないだろう。
心配するという事……それはつまり、弱者として見下しているという事だ。
ハンナにそんなつもりはないのだろうが、それでもフレデリックにはそう思えてならなかった。
「……見下すな……」
「え」
「儂を……儂を、見下すなァ!」
フレデリックは震える足で立った。
腰が痛み、足が震え、ただ立つというだけの行いにすら体力を使う。
それでもこのまま這い蹲っているのだけは嫌だった。
こんな屈辱はなかった。
「見ていろ……い、いつか、いつか見ていろ!
儂はこのままでは終わらん! 必ず、お前達を見返してやるぞ!」
涙と鼻水を流し、唾を撒き散らしながら老人は無様に喚いた。
理不尽な叫びだと自覚している。
助け、手を差し伸べてくれた相手に言う言葉ではない。
だから、本来ならば怒られて当たり前なのだ。
そうされるべきなのだ。
なのに……ハンナの目には怒りなどない。
ただ、哀れみだけがあった。
彼女だけではない。周囲の兵士も、吸血鬼も。
誰もがフレデリックを可哀想なものを見るような目で見ていた。
例えば……獰猛な犬が大声で吠えていたら五月蠅いと思うだろう。苛立ちを感じるだろう。怖いと思うかもしれない。
だがそれが歯のない老犬で、掠れた声で必死に鳴いていたらどうか。
怒りを感じるだろうか? 否、大半の者はこう思うだろう……『可哀想だな』と。
何故なら弱いから。脅威ではないから。
……つまりは、フレデリックが弱者過ぎて、怒るにも値しない。そういう事なのだ。
そしてフレデリックは独りで秘境へと向かい、死に物狂いの努力と挫折の果てに力を得て戻ってきた。
長い年月をかけて学園長の座に就き、ようやく彼は自分の居場所を見付ける事が出来た。
だが神童はまたも彼の前に立ち塞がる。
グリューネヴァルトという名の忌まわしき壁は何度でも彼の運命を打ち砕く。
メルセデス・グリューネヴァルト……ハンナの素質とベルンハルトの冷酷さを同時に備えたような悪夢のような神童。
それがいつか自分の居場所を壊しにやって来る……フレデリックは、そう予感していた。
~幼少期~
フレデリックボディ「俺はいつか辿り着く……ここじゃない何処かへ!」
ハンナボディ「私はここで止まっておこうかしら」
~青年期~
フレデリックボディ「伸び悩んで来たか? だがまだだ! こんなもんじゃねえはずだ!
こんな所じゃ……終われねええええ!」
~中年期~
フレデリックボディ「何か劣化し始めた気がする。そろそろここらで止ま……」
ハードル「駄目だよ」
フレデリックボディ「ピギュ」
ハードル「連れってくれるんだろ?」
フレデリックボディ「ああわかったよ、連れてってやるよ! 途中でどんなにフレデリックが老けようとも、俺がお前等を全盛期に連れてってやるよ!」
~老人~
フレデリックボディ「俺は止まらねえからよ……お前等が止まらねえ限り、その先に全盛期はあるぞ!」
~死にそうな老人~
寿命「いい加減にしろ」パン!
フレデリックボディ「……………止まるんじゃねえぞ」




