第四十四話 派閥争い
夏の中旬に差し掛かり、エーデルロート学園はピリピリとした空気に包まれていた。
この時期に開催される狩猟祭は決してただのイベントではない。
各都市の貴族や商人、ギルド関係者に高名なシーカー、その他諸々、様々な職業や組織の長や幹部、果ては軍関係者までが見学に訪れるのだ。
その理由は勿論見定めである。今のうちから見所のありそうな生徒を探し、他の組織に目を付けられる前に唾を付けたい。その為に彼等はやって来る。
そしてこれは、生徒達にとっても数少ない好機だ。
家督を継ぐ事が決まっている貴族の長男などはともかく、そうでない者などは大半が自力で仕事を見付けて生きて行かなければならない。
そうなった時に内定が決まっていれば有利だ。路頭に迷う事を心配せずに済む。
いわばこのイベントは国中の有力者に向けた生徒達のお披露目会であり、そして有力者達による若者の争奪戦である。
狩猟祭とはよく言ったもの。
このイベントでハントされるのは魔物だけではない。
むしろ本命は生徒の方……有力者達による若者の勧誘こそがこの狩猟祭の目玉なのだ。
そうした理由もあり、学園にいる生徒は全員がライバル同士だ。
しかし例外というものもある。
当たり前だが、一人で魔物と戦うよりも複数で魔物と戦う方が効率はいいし、勝率も上がる。
短時間で倒せるのは言うまでもないし、複数の方が圧倒的に有利だ。
狩猟祭のルールは単純で、時間制限内にどれだけの魔物を倒せたかで得点が計算される。
そしてその得点とは倒した魔物の特定部位を持ち帰ることで計算される仕組みであり、倒すと同時にリアルタイムで加点されるわけではない。
それはそうだ。教師も魔物に乗って空を巡回するが、生徒全ての動きを把握するのは不可能に等しいし、巡回の目的は行動不能になった生徒がいた時に速やかに救出する事である。
ならばこのシステムを突いたチームプレイは決して不可能ではなく、例えばAが倒した魔物を同意の上でBの手柄とする事が出来るし、数人で弱らせて倒した魔物の得点を全てAに集約させる事も出来る。
勿論その場合評価されるのはAだけであり、他の協力者は0点として扱われてしまう。
しかしAが評価される事で仕事に就き、地位を得た後に協力者達を優遇する事は出来る。
これは決して珍しい事ではない。
家柄のいい生徒が『自分はいつか高い地位に就くから今のうちに協力しておけば名前を覚えておいてやるぞ』と仲間を集うのは毎年恒例の事だし、自力でポイントを稼ぐ自信のない生徒が自分から売り込むのも毎年見る光景だ。
特に一年生はまだ技量も経験も足りず、まともに参加したところで上級生には敵わないのだから、それならば目をかけてくれそうな上級生を探して面倒を見て貰う方が賢いとすら言える。
これは教師達も黙認している暗黙の了解であり、いつしか上級生は何人見所のある下級生を取り込めるか……そして下級生はいかに将来性のある上級生に自分を売り込めるかが勝敗の分かれ目と化していた。
だがいい事ばかりではない。
こんな事をしていれば当然、力のある生徒の所に下級生が集中してしまう。
偏って集まればそれは勢力となり、複数の勢力が生まれれば対立関係が生まれる。
そして、これこそ学園がピリピリとした空気に包まれている最大の理由であった。
狩猟祭はこれから始まるのではない。もう始まっているのだ。
上級生による下級生の勧誘という名のハントは既にあちこちで開始されていた。
◆
その日の授業が終わり、メルセデスが寮へと続く道を歩いていると前方から数人の吸血鬼が近付いてきた。
時刻は既に遅く、メルセデスは遅くまで残ってノートを纏めていたのでこの時間はほとんど生徒がいない。
つまり彼等は、メルセデスが出て来るまで待っていた事になる。
外見年齢にばらつきはあるものの、恐らく上級生だろう。
彼等はメルセデスの道を阻むつもりはないのだろうが、数が多いせいで通行の邪魔だ。
やがて接触まで後二歩という距離まで近付いたところで足を止めて声をかけてきた。
「メルセデス・グリューネヴァルトさんだね」
声を発したのは先頭に立っている、黒髪の青年だ。
吸血鬼の中で黒髪は割と珍しい部類に入る。
髪型は短髪で、顔立ちはそこそこ整っていて背は170㎝ほどある。
一見すると爽やかな好青年、といったイメージを受ける。
「貴方は?」
「俺はゲッツ・ヘルダーリン。6年生で、『雷鳴』の派閥の……まあ、幹部みたいなもんをやっている。
単刀直入に言うが、お嬢さん、俺等の派閥に入ってみないかい?」
「……派閥?」
「あ、そっからか。OKOK、お兄さんが説明してやるぜ」
ゲッツ・ヘルダーリンと名乗った男は気さくに笑い、メルセデスの疑問に答える姿勢を見せた。
今の所は友好的だが、笑顔で近付いて来る者ほど信用ならない。
ともかく、今はありがたく説明だけ聞いておこうか、とメルセデスは考えた。
「二週間後に開催される狩猟祭だが、実は学生の間でいくつかの派閥に別れている。
中心にいるのは、まあ全員が侯爵家以上だ。
それが四人いて別々の派閥を形成してる事から、四大派閥と呼ばれている」
侯爵家となれば、その名前が持つ影響力は計り知れない。
それより上の公爵ともなれば尚の事だ。
メルセデスのような女で四子でもない限り、周囲にはお零れに預かろうと取り巻きが群がるだろう。
そしてそれが複数いれば、対立するのはある意味必然と言えた。
「大きく分けて派閥は四つ。
『濃霧』派、『螺旋』派、『雷鳴』派、そして『鮮血』派。この派閥の名前はそれぞれの家が治めている都市の名前から取っている」
「……『鮮血』派の中心人物は?」
「お察しの通り、お前さんの兄貴のフェリックスだよ。
やっぱ兄貴の派閥に入りたいんだろうが……そこはやめといた方がいいぞ」
先に言うとメルセデスはどこの派閥にも入る気はない。
しかし普通に考えれば兄弟のいる所に行くのが普通だろう。
ゲッツもそう思ったのだろうが、しかし彼はフェリックス派に入る事に反対した。
「あそこは……なんつーか、もう負けが見えている。
去年まではトップ勢力だったんだが、誕生日にやらかしたらしくてな……。
妹のお前さんなら知ってるかもしれないが、誕生日に魔物が暴れたらしいんだ。
それで招いた貴族のお偉いさん達まで危険に晒したってんで信頼ガタ落ちで次々に離反者が出ちまってる」
その事は勿論メルセデスも知っている。
当事者であるし、それに誕生日に暴れた魔物は今やメルセデスの配下で、そして今頃は妃の料理を作っている事だろう。
しかしやはりというか、あの一件は貴族社会におけるフェリックスの立場を著しく揺らがせていたらしい。
どこまでも運に恵まれない兄だ。メルセデスは少しだけ彼が不憫に思えた。
「お前さんは一年ではジークハル……ああ、いや、ジークリンデ王女だったな……。
ともかく、お姫様と並んで成績トップだし、それに王家の危機を救った経歴持ちだ。
四年……いや、三年になる頃にはきっと、お前さんを中心にした派閥が出来るだろう。
だからこそ、こんな所で躓くのは勿体ねえ。お前さんはもっと上に行くべき吸血鬼だ。
俺達ならばお前さんに経験を積ませた上で、派閥の管理の仕方やらを教えてやる事も出来る。
どうだい? 俺達と手を組まねえか?」
ゲッツの誘いにメルセデスはしばし考える。
話だけを聞けばそう悪いものではないような印象を受ける。
自分などを中心に派閥など出来るとは思わないが、経験を積むのは悪い事ではないだろう。
とはいえ、まだ他の派閥が見えない以上決定を下す事は出来ない。
……というか、派閥に属する気そのものがないのでどのみちメルセデスがOKと言う事はない。
「折角の誘いは有り難いのですが、今はまだ派閥とやらに入る気はないので……」
「そうか。そりゃあ残念だな」
ゲッツは残念そうに頬をかき、爽やかに笑った。
しかしメルセデスが去ろうとした所で別の男が道を塞ぐように立ち、通してくれない。
「おい……拒否権があると思うのか。こっちが優しくしてるうちに素直になれや、嬢ちゃん」
なるほど、こういう手段に出るか、とメルセデスは溜息を吐いた。
だが分かりやすい。これならばこちらも取り繕わなくて済む。
邪魔をするならばこの場で排除するだけだ。
「あんまお高く止まってるんじゃねーぞ。公爵家っつっても所詮……」
「おい、やめろ」
「しかしゲッツさん。こいつはゲッツさんの好意を……」
「――やめろ」
「……ッ。す、すみません。出過ぎた真似を……」
しかしメルセデスが手を出す前に、仲間の暴走を止めたのはゲッツであった。
果たしてこれは事故なのか、それとも『俺は暴走した舎弟を止める優しい男だ』という演出なのか……。
どちらにせよ、メルセデスの中の評価は上がらない。
彼女は顔に出さず、『雷鳴』派への評価を三段階くらい下に下げた。
「すまない! うちのモンが本当に失礼をした!
次からはこんな事しねえよう、よく言い聞かせる!」
ゲッツはそう言い、頭を深く下げる。
謝りながら何を考えているかは分からないが、ともかくもう話す事はない。
先程の男はまだメルセデスを睨んでおり、それが不愉快だった。
「……いえ、別にいいですよ。それでは私はこれで」
「あ、ああ。お前等、道開けろ!」
道を開けてくれたのでメルセデスは振り返る事なく通り、そのまま寮への帰り道を歩いて行った。
「ゲッツさん、本当によかったんですか? あんなガキ、無理矢理でも……」
先程メルセデスに脅しをかけた男がゲッツへと声をかける。
だがその言葉は最後まで続かない。
話している最中に、ゲッツの裏拳が彼の顔面にめり込んだからだ。
「――がッ……」
「好感度マイナスだ」
ゲッツは、先程の好青年染みた顔から一転し、凶悪な形相へと変貌していた。
牙を剥きだしにし、額には血管が浮き出ている。目は三白眼となり、声も先程の優し気なものから一変して不機嫌極まりないものとなっていた。
鼻を抑えて蹲る男の髪を掴み上げ、更にゲッツは彼の顔に膝を叩き込む。
「本当によかったんですかだと? いいわけねえだろ、最悪だ。テメェのせいでな。
俺がわざわざ自分で出向いて勧誘しようとした意味もわかんねえかなあ……。
何で不興買う真似するかなァ……。
お姫様の恩人で公爵家で成績トップで……そんな人材にマイナスの感情持たれてどうすんだよ。
何? お前ひょっとして他の派閥の回しモンだったりすんの? 俺の邪魔してえの?」
「お、俺はただ、ゲッツさんの力になりたくて……」
「ああ゛?」
ゲッツは露骨に舌打ちし、男を床に叩き付けた。
「なあ、テメェの小さな脳みそじゃ分からねえかもしれねえけどよォ……学園を卒業した後も人生って続くんだぜ? あの嬢ちゃんはいずれ大物になる可能性がある……だから今のうちにコネ作って恩売っときゃ後で便宜図ってもらえたかもしれねえだろうが。
たかが学園の派閥ごっこで幹部になったからって偉くなった気になってんじゃねえぞ、子爵の六男坊如きがよォ……。
分かるか? あっちが上で、こっちが下なんだよ。
俺等はただ、上級生ってだけであって、将来的にゃあの嬢ちゃんに頭下げる側になるんだよ。
だからこそ、今のうちにポイント稼ぐべきだったんだよ」
言いながら、ゲッツは男の頭を踏みつけた。
「なあ分かるかな? テメェみたいなゴミの代わりなんざいくらでもいるが、あの嬢ちゃんの代わりはいねえって事くらいよォ」
踏みつける。
「あーあー……折角、特上の物件見付けたと思ったのになァ。
ガキのうちから親切に接して、色々教えてやって、そんで『頼りになる優しい先輩』を卒業まで演じ通せば、嬢ちゃんが偉くなった時に色々融通利いたろうになァ」
踏みつける。
「なぁ分かるか木偶の坊。貴族社会ってのはな、要するに世渡りと媚売りだ。
上によく思われてる奴が出世すんだよ。出世しそうな奴を探し出して取り入った奴が成功すんだよ。
たかが数年先に産まれたってだけのクソみてェなプライドを優先させる馬鹿は後で報復受けて落ちぶれるんだよ」
踏みつける。
「どうしてくれんだよ……あれ絶対マイナス印象持たれたじゃねえか。
これがお姫様まで伝わってみろ。俺等、国の恩人脅した大馬鹿野郎だぞ。
最悪、将来の出世にも響く」
ゲッツは溜息をわざとらしく吐き、血まみれの男の頭を掴んだ。
そして、砕けた床へと思い切り叩き付けた。
「お前!」
もう一度叩き付ける。
「一人の!」
もう一度。
「せいでよォ!!」
更にもう一度――。
「ゲッツさん! それ以上は死んじゃいます!」
「…………ちっ」
ここにきて、ようやく仲間のうちの一人がゲッツを止めた事で彼の手も止まる。
それからゴミを捨てるように男を床に投げ捨て、倒れているその顔に唾を吐いた。
「お前等、これ平原に捨ててこい。魔物にでもやられた事にしとけ」
「は、はい!」
仲間に男の処理を任せ、ゲッツは窓の外を見た。
それから憂鬱そうに呟く。
「とりあえずイメージ回復から始めて、マイナスをゼロに戻さねえとな……ああ、畜生。あんな馬鹿連れてくんじゃなかった……」
◆
「やはりロクな輩ではなかったな」
ゲッツが立ち去った後。
帰ると見せかけて隠れて盗み聞きをしていたメルセデスは心底呆れたように吐き捨てた。
多少現実は見えているようだが、ボリスと同レベルの小物だ。
まあ、長いものには巻かれるタイプだろうから、こちらから挑発しなければ敵対はしないだろう。
それにしてもドロドロとしているものだ。
取り入るのに必死すぎて見ていられない。
しかもあのロクでもない男が取り入る先として選んだのが自分なのだ。全く嫌になる。
正直に言って、馬鹿らしすぎて関わりたくない。
まあ、笑顔で近付いて来る他人などこんなものだ。やはり他者など信じるべきではない。
究極的には、信じていいのは自分だけだ。
とりあえず、ああいう馬鹿が寄って来ないように何か手を考えておいた方がいいだろう。
全く、下らない派閥ごっこなど自分達だけでやっていて欲しいものだ。
そう思いながらメルセデスは今度こそ寮へと帰った。
~平原~
木偶の坊「」
ピーコ(これなら食ってもバレへんかな?)
ウサちゃん(やめときな)
ピーコ(こいつ……直接脳内に……!?)
たまには貴族社会の汚い面でも。
大体どこもこんな感じでドロドロしています。
メルセデスは名前が売れてしまったので、こうやって取り入る事に必死になる馬鹿も出て来るという話でした。
もう火つけて纏めて燃やした方が早いんじゃないですかねこれ。




