第百四十二話 転生者の弱点
『マスター。先に言ってしまいますが、今回はあまり話す事はありません』
ダンジョン攻略後恒例となった情報解禁タイムだが、開口一番ツヴェルフの口から語られたのは、メルセデスの出鼻を挫くような言葉であった。
世界の真実に近付いていくこの時間を密かな楽しみにしつつあるメルセデスにとって、これは少しテンションの下がる事である。
「というと?」
『今回解禁される情報は、先日マスターが自力で辿り着いた内容が殆どです。絵を残す文化が無い理由、コンペティションの期限、マスターのような転生者が少ない理由……』
「そうか……だが殆ど、という事は少しは初見の情報もあるんだろう? 例えば前回聞けなかった記憶の転写の頻度はどうだ?」
『それでしたら、お答え出来ます。成功頻度だけを言えば十年に一人か二人……どこかでマスターと同じような転生者が生まれているはずですが、全く歴史の表に出て来ないのを見るに、"前世"の知識や経験、常識がかえって足枷となり、上手くこの世界に馴染めずに死んでいるか……』
「あるいは、"前世"を何一つ活かせず普通に生きているか、だな」
メルセデスの補足に、ツヴェルフは頷いた。
前世の知識と経験を引き継いで第二の人生、と言えば有利に聞こえるが実際はその有利を活かし切れないまま消えてしまう可能性の方が高い。
そもそも、平和な世界の知識と経験を引き継いだ転生者が上手くこの世界に馴染んでやっていけるだろうか?
やっていけるなら、そいつは余程の英傑か、あるいはメルセデスのように元々螺子が外れていたかのどちらかだ。
しかし、時には足跡を残す転生者もいる。
レスリーの読んでいたあの本の作者などは、どう考えても転生者だろう。
「成功頻度だけ、と言ったな? 失敗も含めればどのくらい記憶の転写が行われているんだ?」
『現在は、生まれて来る赤子のほぼ全てが対象です』
「……は?」
ツヴェルフの言葉に、メルセデスは一瞬言葉を失った。
生まれて来る赤子のほぼ全て? つまり、何だ? この世界に生きる人類は、全員が記憶の転写に失敗した転生者という事か?
いや、転写に失敗している時点で転生者でも何でもないただの現地人なわけだが。
そういえば、とメルセデスは考える。
自分だって、生まれた瞬間から前世の記憶を持っていたわけではなかった。
自分でもいつから認識していたかは定かではないし、かなり早い段階だったのは間違いないが、それでも途中から前世の記憶を認識していた……と思う。
『元々この世界の人類は、神の姿を記憶せず、絵も残さないという記憶と思考への干渉を受けておりました。思うに、そうした干渉をファルシュの肉体は『脅威』と認識し、神も気付かないうちに、長い月日の中で脳への干渉に対する防御力を獲得してしまったのでしょう』
生物というのは脅威に対する防御力や対抗策を、長い年月を経て進化という形で獲得していく。
時には捕食者の牙を跳ね除ける強固な外皮を。時には天敵から逃れる俊足を。それと同じ事で、この世界の人類の身体は神々からの記憶の転写や思考への干渉を『天敵からの攻撃』と認識し、その防御力を得ていった……という事なのだろう。そうメルセデスは考えた。
「ん? だとすると私は……」
『マスターは先天的に、その防御力が欠如していたものと考えられます』
「……それ、不味くないか?」
『かなり』
メルセデスに対して記憶の転写が成功している……という事は、メルセデスの脳は天敵からの攻撃に対する防御力が欠けているという事になる。
例えるならば針のないハリネズミ。甲羅の脆い亀。
神に喧嘩を売ろうとしているメルセデスが、神からの攻撃に対する防御力を備えていない。
メルセデスは冷や汗を流し、表情を険しくする。
――これは……どう考えても不味いな、うん。いざ神に喧嘩を売っても、神側から記憶の転写とか思考操作とかされたら、簡単に負けるって事じゃないか。
『同じように、この世界の生物は神によるナノマシン操作への抵抗力も備えておりますので、いきなり身体が分解されたりとか、問答無用で心臓を止められるとか、そういう事はありません』
「……それ、私はどうなんだ?」
『多分大丈夫……と思いますが……断言は出来ません』
メルセデスは腕を組み、深く溜息を吐いた。
そうか……今のままだと、神からの攻撃に対する抵抗力なしか。
それはキツイ、というか戦う以前の問題だ。
神に喧嘩を売ろうとしてる自分が一番神との相性が悪いとか何のギャグだ。
とりあえず、やるべき事が一つ増えた。それも、出来れば早急に取り組むべき事だ。
場合によっては他の国のダンジョンを奪うより優先しなければならないかもしれない。
……とりあえず今からでも、対神対策の魔法を作らなければ。そうメルセデスは決意した。
◆
事態というやつは動かない時は本当にいつまでも膠着が続くのではないか、と思うほどに動かないくせに、動く時は一斉に動くから困るものだ。
修繕が進むグリューネヴァルト邸の一室で、ハンナ、ジークリンデ、フェリックスと合流したメルセデスは予想していなかった……わけでもない報告を聞いて、どうしたものかと悩んでいた。
「エルフェが動いた、か」
「ああ。エルフェの国から軍が、真っすぐにフォーゲラの国へ向かっているらしい」
メルセデスとベルンハルトが親子喧嘩をしている間に、エルフェが動いてしまった。
これは予想出来ていた事で、何の意外性もない。
フォーゲラの放った刺客によって、エルフェの貴族が何人も拷問にかけられて殺されたのだ。
ならばその報復にエルフェが動くのは当然であり、ましてやフォーゲラは明らかにダンジョンを一つ失っている。攻めない理由がないのだ。
……もっとも、実際に貴族を殺した黒幕はベルンハルトなわけだが。
「戦争が始まろうとしている……メルセデスはどう見る?」
ジークリンデが不安そうにメルセデスへ訊ねる。
「それなりにフォーゲラが粘るが、最後はエルフェが勝つだろうな」
ダンジョン抜きで考えるならばこの戦争、実は有利なのはフォーゲラの方だ。
何故ならフォーゲラの住む国は四方を海に囲まれた島国であり、そこに攻め込む為には船で上陸しなければならない。
海という天然の城塞に守られた島国を攻めるのは、予想以上に難しい。
兵士も武器も物資も馬も、全て船で輸送しなければならず、つまり船で輸送出来る分しか送り込めない。本国からの補給だって船を使わなければいけないのだから難易度が高い。
更に馬も使い物にならない。
馬というのはとてもデリケートな生物で、長時間の船旅によって体調を崩してしまうし、慣れない地では怯えて普段通りの力も発揮しない。
つまり島国を攻める際には騎馬も封じられる。
魔物で代用出来なくはないが、慣れない地というのは同じだから普段通りの力はやはり発揮しないだろう。
一方フォーゲラは自分達のホームだから補給を受けながら戦えるし、地の利もある。
海を越えての戦争というのは、守る側が圧倒的に有利なのだ。
しかしそれも、ダンジョンという巨大戦力の前では踏み潰される。
ダンジョンというのは、それ自体が兵士の増産施設であり、拠点である。食料となる魔物も武器もここで量産出来る。
兵士を無限に生み出せる前線基地を、海を越えて持って来れるようなものなのだ。
更に魔物以外の通常戦力や兵器も、ダンジョン内に収納しておけば容易く持ち込めてしまう。
こんな真似が出来てしまうからこそ、ダンジョンマスターは単騎で一国の軍に匹敵すると恐れられているのだ。
「もっとも、フォーゲラ側の勝ち目がないわけではない。ダンジョンマスターの乗っている船を沈め、ダンジョンマスターを海の藻屑に出来れば、フォーゲラが勝つ。というより、それしか勝ち筋がない」
「つまり最初の海上戦が全て、という事か」
「ああ。ここでダンジョンマスターの上陸を阻めるかどうかだ。阻めるなら、どれだけの犠牲が出たとしてもフォーゲラが勝つ。逆に上陸を許せば、たとえそれ以外の船を全て沈めたとしてもエルフェが勝つ。ただ……船ではなく泳ぎの得意な魔物や空を飛べる魔物に乗ってこっそり上陸する可能性もあるから、阻むのは困難だな」
「……今更だけど、ダンジョンマスターって本当にやばいんだな……」
青褪めるジークリンデだが、ハンナは何か言いたそうな目でメルセデスを見ていた。
メルセデスの説明に間違いはない。ないのだが……それよりも本当にやばいのは今ここにいるメルセデスだ。
何せ彼女はここに加えて、『守護者の使役』、『本人が一番やばい』という追加要素がある。
守護者に乗ってメルセデスがすっ飛んで来たら、どうやってそれを止めるのだろう。
運よく止められたとしても、今度はメルセデス自身が空を飛んでやって来るのだからどうしようもない。
そして保有しているダンジョンの数は……4。プラクティスダンジョンを使わないとしても3。
あれ? これ、敵になったら止める方法なくない? とハンナは戦慄した。
そんな彼女へ、メルセデスが視線を向けた。
「ところで、父と戦う前に『今後の身の振り方を考えておく』と言っていたが、答えは出たか?」
「……出るも何も、一つしかないでしょ? ここでメルちゃんを敵に回す奴はただの馬鹿だよ」
ハンナは呆れたように眉根を寄せ、意地の悪い姪を咎めるように見る。
ここでメルセデスと敵対する奴はもう、国を滅ぼしたいとしか思えない。
そしてハンナの役目は国を守る事で、ならば答えなど一つしかないのだ。
「うむ! 共にこの戦争を止めよう、メルセデス!」
ジークリンデが明るい声でメルセデスに同調し、ハンナも小さく頷いた。
メルセデス「まあ、そもそも戦争の元凶、うちの父なんだけどな」
ジークリンデ「…………」
ハンナ「…………」




