第百三十九話 決着
長引かせようと思えば、いくらでも長引かせる事は出来ただろう。
それだけの体力がある。
長期戦をしようと思えば何日でも何月でも戦えただろう。
それだけの兵力がある。
しかしメルセデスもベルンハルトも、長期戦を選択しなかった。
何故ならこれは、この先の戦いにどちらが挑むかを決める為の、格付けの一戦だ。
父が娘を従えて世界に挑むか。それとも娘が父を従えて世界に挑むか。それを決める為に今回の戦いがある。
だからこそ、戦力の無駄な消費はどちらも望まない。
互いの手札はよく分かった。それを従えるだけの器量と才覚を持つ事も確認し合った。
そして、兵をぶつけるだけでは互いに損しかしない事も、十分に見て分かった。ならば。
――ならば十分だ。そうだろう? 父よ。
メルセデスが言葉を発する事なく、視線で父に問う。
言葉は要らない。返事を聞く必要もない。
問わずとも、聞かずとも分かる。数分数時間の会話などなくとも、たった一秒の視線の交差があればそれだけで相手の答えが分かる。
――ああ、十分だ。結果の見えた長期戦などやるだけ無駄だ。
この先、兵力をぶつけた消耗戦をすればどうなるかなど、分かっている。
互いの軍勢には優秀な指揮官がいる。有能な守護者がいる。そして死を恐れぬ無限の軍勢がいる。
戦いはきっと数日……いや、数か月は続くだろう。魔物はどんどん死に、守護者も倒れ、指揮官も失うだろう。
そして最後には結局、大将同士の正面衝突になるだろう。
そこまで分かっている。そこまで見えている。ならば……そこに至るまでの過程など、飛ばしてしまえばいい。
どうせ最後に待っている結果は同じなのだ。
ならばそれが数カ月後か、今すぐかの違いでしかない。
だから――。
「今ここで決めようか! ベルンハルト!」
「ああ、ここで決めよう! どちらが上かを!」
メルセデスとベルンハルトの、渾身の一撃が衝突した。
ぶつかると同時にメルセデスの全身を電撃が襲い、ベルンハルトに重圧がかかる。
ダメージは軽くない。どちらも血を噴き出し、余波だけで全身が刻まれていく。
二人を中心に地面が抉れ、メルセデスの後ろ髪がなびく。
だがそれでも二匹の怪物は壮絶に、牙を剥いて笑う。
「……っ!」
メルセデスの額から滝のように汗が流れる。
重力百倍はメルセデスにとって、最大の切り札だ。
最初の頃からずっと、決め技としてここぞという時に用いてきた。
守護者との戦いだって、この技で勝利を掴んできた。
この技を出して終わらなかった事は過去に一度もない。
それが今、止められている。
そして、この技は本来、インパクトの瞬間だけ百倍の重力を放つというものだ。
断じて、放ち続けるような技ではない。
ハルバードの先に発生させているとはいえ、メルセデス自身の腕にも重力はかかっている。
先程から腕の骨が軋み、罅割れているのが自分で分かる。
しかし恐るべきはベルンハルトか。
メルセデスのような重力トレーニングなどしていないだろうに、この百倍の重力を全身に浴びながら耐えている。
無論無傷ではないだろう。全身の骨に罅が入り、間違いなく重傷を負っている。
しかも重さが増すというのは単純に体重が増えるだけではない。
内臓も、血の巡りも。その全てに影響する。吸血鬼にとって生命線である血液の循環すら満足に行えなくなる。
間違いなく辛いはず……その証拠に元々青白い顔色は更に青く、耳や口、鼻から血が溢れている。
「く、くくく……っ」
想像を絶する苦境の中、ベルンハルトは我慢出来ないというように笑った。
最初に見た時から、いつかこの日が来るのは分かっていた。
この娘は必ず己の最大の敵になると確信していた。
しかし、しかしだ。まさかこれほどとは。
ベルンハルトの必殺の一撃は、触れた相手に強力な電撃を浴びせて焼き尽くす。
メルセデスにも勿論効いている。全身の肉が焦げ、あちこちが炭化している。
肉だけではなく臓腑も骨も無事ではないだろう。
だというのに――嗚呼、何と愉快な事か。それでも勝利をもぎ取ろうと攻撃を続けている。
ああ、そうだとも。そうだとも、父よ。娘よ。
この程度で怯むような者が世界を相手に戦えるものか。
この世界の時計の針を動かせるものか。
己の血を流す事を怯える小物に何が変えられるというのか。
いつだって道を切り拓くのは、茨の道を裸足で走破する者だ。
ならば痛みを恐れるな。親しい隣人として抱きしめろ。
返り血と己の血で赤く化粧を施し、一寸先も見えない暗闇へ突き進め。
それが出来るのはきっと、私達だけだ。
そう信じている。だから――メルセデスは更に、一歩前へと踏み出した。
「重力――千倍!!」
メルセデスとベルンハルトを中心に、大地が円柱型に陥没した。
まるで柔らかいケーキの生地を丸い型紙で貫いてその部分だけを取り除いたかのように、大地が消えた。
強力な魔法を使うには己を構成しているナノマシンを多く消費してしまう。
だから魔法を使う者というのは余分な部分……例えば脂肪などを蓄えている者の方が有利だ。
だがメルセデスにそんな余分な部分などない。
だが関係ない。やるだけだ。
メルセデスの解けた髪が燃えるように先端から消えていき、短くなっていく。
重力を千倍にしたのはほんの一瞬の事で、時間にして一秒もない。
だがそれだけの時間でベルンハルトの全身の骨が砕け、術者であるメルセデスの腕も砕けた。
髪は首元まで分解されてショートヘアになってしまい、反動で全身から血が溢れた。
そして――二人同時に、奈落の底へと墜落していった。
◆
「……おい。生きているか、父よ」
「…………かろうじてな」
穴の底で、メルセデスとベルンハルトは重なるようにして倒れていた。
仰向けに倒れるベルンハルトを下敷きにメルセデスも倒れているが、どちらも起き上がろうにも起き上がれない。
それはそうだ。片や全身の骨が粉々で、片や自分で放った魔法の反動と電撃で負った全身の火傷に加えて麻痺までしている。
これは果たしてどちらの勝ちなのか……その答えは、二人の間では明確に出ていた。
ベルンハルトは指一本も動かせないが、メルセデスは無理をすれば折れてない方の腕くらいはかろうじて動かせる。
今のベルンハルトに止めを刺すなら、腕一本動けば十分だ。
少し無理をしてベルンハルトの上から退いて、首でも切ってやればいい。
つまり、ほぼ相打ちにしか見えないが現状はメルセデスがベルンハルトの生殺与奪を握っている状態であり……この戦いの勝者はメルセデスである。
「メルセデス……何とか上に戻って戦闘の停止を呼びかけてこい。このままでは無駄に魔物が死ぬ」
「そうしたいのは山々だが、私も再生が間に合ってない」
メルセデスは腕を動かし、何とかハルバードから唯一中に残していた存在……マックス・ファイトを召喚した。
全く戦力にならないという理由で彼だけ出していなかったのだが、今回は逆にそれがよかったようだ。
おかげで、伝言役をここで出す事が出来た。
「お、おお……!? メ、メルセデス! 何やら大変な事になっているが、大丈夫か!?」
「大丈夫じゃない。私はしばらく動けんから、何とか上に行って、戦闘停止を呼びかけてきてくれ」
「分かった! 任せてくれ!」
メルセデスから初めて与えられた大任にマックスがやる気を出し、早速崖に向かって走った。
「うおおおおお!」
そして吸血鬼の腕力と体力で崖をよじ登るが、流石に高さがありすぎる。
いかに吸血鬼といえど、マックスはこれといった戦闘訓練も受けずにバジルとかいうエルフェに騙されて王様に仕立て上げられていただけのただのお子様だ。
つまり悲しい事に、彼の身体能力はメルセデスの母のリューディアと大差がない。
よって、当然のように崖からずり落ちてしまった。
「うおおおおおおお!」
再び諦めず上る。
「うおおあああああ!」
そして落ちる。
「…………」
「…………」
メルセデスとベルンハルトは、そんなマックスの様子を遠い目をして見ていた。
あ、これ駄目だ。メッセンジャーにもなれない。
背中越しにベルンハルトの咎めるような視線を感じる。
おい娘よ、もっとマシなのは残っていないのかと問われているのが分かるが、残念ながら全軍放出してしまったので、他にはもういない。
せめてゼリーくらいは残しておくべきだった、と反省する。
しかしそこに、意外な救世主がやってきた。
ぬっ、と上から顔を覗かせたのは、体格はいいが影は薄いメルセデスの兄、ゴットフリートだ。
卒業生ではあるが現在はハンナ、ジークリンデに同行する形で学園にいるフェリックスや、まだ学園で学んでいるモニカ、マルギットと違って彼は普通に……そう、普通に屋敷にいたのだ。
ベルンハルトはメルセデスとの戦いを予感して家族と使用人を全員屋敷から出していたが、何とゴットフリートだけは存在感が無さ過ぎて完全に忘れ去られていた。
そして突如始まった父と娘の大戦争にびっくり仰天し、駆け付けたのだ。
何と悲しい男だろう。しかしこの場では有難いのも事実だった。
崖から降りてきたゴットフリートに、メルセデスは大事な役目を伝える。
「兄上……すまないが、上にいるベンケイ……鎧を来た六本腕の奴に、戦闘の停止を伝えてくれ。ベンケイは一度兄上と会っているから、覚えているはずだ。そうすればベンケイを通して、ベアトリクスに伝わる」
メルセデスの頼みに、ゴットフリートは頼もしくサムズアップをした。
そして崖を凄まじい速度で上り、ベンケイを発見した。
そして近付き……。
「何だ貴様! 敵か!」
「ヌワー!」
……何とベンケイに殴り飛ばされ、目を回して気絶してしまった。
おい、ベンケイ……おい……。
どうやら、あまりに存在感がなかったせいでベンケイも彼の事を覚えていなかったらしい。
隣にいたクロは「あれ?」という顔でゴットフリートを見ているが、後の祭りだ。
メルセデスも、上から聞こえた声と悲鳴で何があったのかを察してしまった。
「おいメルセデス……このままでは無駄に駒が減る。どうにかならんか?」
「そう言われても……」
チラ、とマックスを見る。
「うおおおおおお! な、何故……何故私は崖一つ登れないのだあああぁぁ……!」
マックスは号泣しながら崖の前で項垂れていた。
駄目だ。どうにもならない。
というかゴットフリートにマックスを連れて行かせるべきだった。
流石にマックスならベンケイも分かっただろうに。
いや、そもそもゴットフリートにメルセデスを運んでもらえばよかった。
いくらダメージで上手く思考が回らないとはいえ、これは完全に采配ミスだ。
いや、待て。そもそも魔物がいないなら、新しく生産すればいいだけの話ではないか。
こんな単純な事にも気付けないとは。本当に思考が回っていない。
とりあえずゴブリンでも生産するか……と考えた時であった。
「ウォウ!」
ゴットフリートが何かを伝えようと穴から出てきたのを見ていたクロが、倒れているメルセデスの枕元に着地した。
尚、位置的にベルンハルトの顔を踏んでしまっているが、今のベルンハルトはクロを振り落とす事も出来ないので無言で青筋を立てていた。
「クロ、よく来てくれた。悪いが私を上に運んでくれ」
「ワン!」
こうしてメルセデスは無事に上に戻り、自らの勝利とベルンハルトの敗北、そして戦闘の終了を全員に告げた。




