第百三十七話 激化
月が輝く夜の静寂の中、一つの影が木々の間から這い出した。
緑色の肌に腰に付けた布、小さな体躯、鋭い牙……ゴブリンと呼ばれる魔物だ。
魔物は基本的にはダンジョンで生まれてダンジョンで生きるが、ハンナが飼っている兎のように、時にはダンジョンから魔物が出てきてしまう事もある。
このゴブリンもまた、そんなダンジョンから出てきた魔物の一つだ。
ゴブリンは夢と野心に胸を膨らませながら、遠くに見える吸血鬼の都市を前に決意を固める。
『ここが吸血鬼の都市かあ。よーし……沢山嫁さん攫って、沢山子供作って、ここを俺の王国にするぞー!』
このゴブリンは、ダンジョンを徘徊するだけの日々に退屈してダンジョンを旅立った個体だ。
彼の夢は、ダンジョンの中でのナンバーワンとなる事。
だが生まれ育ったダンジョンの中では彼はナンバーワンどころかワーストワン……第一階層に配置された雑魚だ。
下剋上など夢のまた夢。そこで彼は考えた。俺がトップになれる、俺だけの国を作ろう!
ダンジョンに住む魔物が全て彼の嫁と彼の子ならば、必然的に彼がトップになれる。
だから彼はここに来た。嫁にするならば強くタフで長生きな方がいい。
その条件に当てはまるのは吸血鬼だ。
吸血鬼は強い種族で、その辺を歩いているだけの一般人でもゴブリン一体くらいは素手で殴り殺せてしまう。
だが、いくら強くても個体差というものがある。
非戦闘員の女性……それも幼い個体ならば不意打ちで何とかなるかもしれない。
そうして誘拐した嫁を育てて子供を産ませ、数が増えれば今度は大人の嫁を狙う。
その繰り返しでコツコツやっていけば、いずれは大帝国だ。
そんな未来を夢見て、ゴブリンは両腕を突き上げた。
『待っていてくれ、未来の嫁さん達! 第二のゴブ生、頑張るぞー!』
そうして決意と夢を高らかに宣言した直後――彼の首から上がすっ飛んだ。
同時に周囲の木々も纏めて切断され、二つの影が駆け抜ける。
影の正体は高速戦闘を続けているメルセデスとベルンハルトの親子だ。
哀れなゴブリンを巻き込んだ事すら気にせず、二人は激しい攻防を繰り返している。
ここまでの戦いで既に何度も重傷と呼べる傷を負った。手も足も切断された。
吸血鬼でなければとっくに両方共死んで相打ちになっていただろう。
だが、高い再生力を持つ吸血鬼同士の戦闘は基本的には不毛だ。
死にさえしなければ再生出来る。腕も足も……一から再生するのは流石に時間がかかるが、切り落とされた手足を傷口に繋げるくらいは出来る。
ならば勝敗を決するにはどうすればいいのか。それは相手を完全に仕留めるか、あるいは負けを認めさせるか、そのどちらかしかない。
もう何度目になるか分からない武器の衝突の後に距離を空け、メルセデスはハルバードを強く掴む。
ここまでの攻防で、メルセデスとベルンハルト自身の戦闘能力はほぼ互角だという事が分かった。
普段は結んでいる髪がほどけ、服もボロボロだ。
ベルンハルトも着ている服には激戦の跡が残っている。
だがそこまでの戦いを経ても、両者共に無傷。傷はもう残っていない。
このまま続けても朝まで決着が着かない。そう判断したメルセデスは、切り札のうちの一つを切る事にした。
出し惜しみはしない。この一戦の勝利を掴むために、全て投入する。
「出ろ、夜の天敵――フェーニクス!」
ハルバードが輝き、メルセデスの背後に巨大な炎の鳥が顕現した。
グレンツェダンジョンの守護者フェーニクス。メルセデス自身も苦戦させられた太陽の化身だ。
対吸血鬼という点において、この炎の鳥ほど効果的な存在はいない。
だからこそメルセデスは、この炎の鳥を召喚したのだ。
フェーニクスは強く輝き、まだ夜中のはずだというのにまるで真昼になったかと勘違いしそうな明るさが周囲を照らした。
木々を揺らす程の大音量で咆哮をあげ、ベルンハルトを敵と見定める。
「ほう、やはりグレンツェダンジョンはお前が手に入れていたか! 流石だ、娘よ! ならば私も相応しい手駒で迎え撃たねばなあ!」
ベルンハルトが眩しそうに眼を細めながらも、どこか嬉しそうに声をあげる。
槍を地面に突き立て、それと同時に彼の周囲を黒い煙が覆い尽くした。
煙はベルンハルトの背後に集結して人型となり、その中から黒い腕が飛び出した。
「来い、我が僕――カタストローフェ」
それは黒い煙を纏った闇の巨人だった。
恐らく実体はあるのだろうが、煙に隠れて腕しか見えない。
更に煙の一部はベルンハルトを守るように展開され、フェーニクスの光がベルンハルトまで届かず遮られてしまっている。
煙粒子は光を散乱させて遮ってしまう。地味だが、かなり厄介な相手だ、とメルセデスは思った。
これではフェーニクスの強みがほぼ殺されてしまう。
「だがフェーニクスの能力は光だけではない。焼き尽くせ!」
「捻じ伏せろ」
フェーニクスは炎の鳥だ。ならば光を封じられてもまだ戦える。
全身に業火を纏って突進するフェーニクスを、煙の巨人が受け止めた。
巨人の掌がフェーニクスの羽を握り潰すが、フェーニクスは炎が燃え続ける限り滅びる事のない不死の鳥だ。
すぐに再生し、巨人の胸に嘴を突き刺す。
巨人が倒れ、追いうちをかけるようにフェーニクスはその上に圧し掛かった。
ダメージも軽くないようで、煙がどんどん薄れて視界が晴れていく。
だが何故か、ベルンハルトは余裕の表情のままだ。
煙は更に薄れて黒から白へと変わり、まるでドライアイスの煙を思い出させる。
その光景を見ながらメルセデスは、前世で子供の頃に受けた理科の授業を思い出していた。
何故ドライアイスの煙は白いのか。
それは、気化した二酸化炭素によって空気中の水蒸気が冷やされて水の粒になるから……だったか。
「……っ! 二酸……しまった! まずい、そこから離れろフェーニクス!」
「もう遅い。逃がすな、カタストローフェ」
メルセデスの指示に従い、逃げようとするフェーニクスの頭を巨人が掴む。
あの巨人は煙の構成を自在に操れるらしい。
煙が黒から白に変わったのは弱ったからではない。二酸化炭素の純度が上がったからだ。
つまり今、フェーニクスは二酸化炭素の塊の中に閉じ込められているも同然で、二酸化炭素は物を燃やす働きがない気体だ。
酸素がなければ火は燃えない。燃える事が出来なければフェーニクスは不死鳥ではなくなる。
「戻れ、フェーニクス!」
このまま出していてもフェーニクスが負けるだけだ。
仕方なくフェーニクスを戻すが、そうすれば当然煙の巨人はフリーになってしまう。
敵のいなくなった煙の巨人とベルンハルトが同時に駆け出すが、メルセデスの腕輪が輝いた。
「いけ、パラディース!」
「む……!」
煙の巨人の行く手を阻むように、植物で全身を形成した巨大な女性が地面から飛び出した。
帝国で入手した、かつてはベアトリクスが所有していたダンジョンの守護者、パラディースだ。
身体中から蔦が伸び、煙の巨人の手足に絡み付いて動きを止めた。
フェーニクスと違って、こちらならば相性負けはない。
パラディースは煙の巨人を蔦で縛り上げたまま持ち上げ、思い切り振り回す。
どちらも巨大な屋敷以上の大きさを誇る怪物だ。迫力も半端ではない。
地面に叩き付け、大地を大きく抉りながら更に振り回す。
だが煙の巨人も負けてはいない。蔦を強引に引き千切り、パラディースの頭を掴んで強引に捩じ切ってしまった。
……が、それで終わるならばメルセデスもパラディースを倒すのに苦労していない。
パラディースは首を落とされたのも気にせず全身で煙の巨人を取り込み、先程よりも強く縛り上げる。
「二体目の守護者か。ならば……こういうのはどうだ?」
ベルンハルトが手袋を外し、親指に嵌めていた指輪が輝いた。
まさか……とは思わなかった。
ベルンハルトは、メルセデスがグレンツェダンジョンを入手したと知って、『やはり』と言った。
それ以前にも一つ、ダンジョンを手に入れていた事くらいは当然把握しているだろうから、メルセデスが最低でも二つのダンジョン、二つの守護者を手に入れている事くらいは分かっていたはずだ。
その上で彼は勝てると思ってこの戦いに臨んでいる。
ならば考えるまでもなく、ベルンハルトもまた、二体の守護者を相手にしても勝てる自信があるという事だ。
そもそもプラクティスダンジョンは普段は一般に解放している。
それがどういう事かというと、ベルンハルトは普段はプラクティスダンジョンを使えないという事だが……ダンジョンという強力な力をいざという時に使えないようにするのは、少しばかり油断しすぎではないだろうか。
しかしそれも、もう一つ切り札を隠し持っていたとするならば、話が変わる。
まず、あの槍はプラクティスダンジョンのダンジョンキーだろう。
以前の戦いの時は持っていなかったし、メルセデスが戦いを挑んでくると予想していながらダンジョンを遊ばせておくほど間抜けな男ではない。
まず間違いなく、今はプラクティスダンジョンをダンジョンキーにしているはずだ。
そしてもう一つ……彼は切り札を持っていた。
「切り刻め、ウーア・ゲヴァルト」
ベルンハルトの背後に竜巻が発生し、そのまま上空へと昇っていく。
そして雲を割いて顔を出したのは巨大な蛇……いや、龍であった。
ジークリンデのダンジョンもドラゴンがメインだが、ベルンハルトが出したのはドラゴンではない。
西洋の竜ではなく、東洋の龍。
この世界にそんな区別はないが、前世の記憶を持つからこそ違いが分かる。
「なるほど……ダンジョンを二つ持っていたか」
「そうだ。お前と同じくな」
「一応聞くが、実はまだプラクティスダンジョンをダンジョンキーにし忘れていた、とかはないな?」
「私がそんな間抜けに見えるか?」
やはりベルンハルトは、メルセデスのダンジョン所有数を二つだと思っているようだ。
今の返答が嘘でない限りは、これでベルンハルト側の所有するダンジョンは全て出た事になる。
もしそうなら……有利なのはこちらだ。
向こうにはまだ出していない魔物の軍勢もいるから、これでもまだ若干有利程度に過ぎないのが何とも恐ろしいが、だからこそ戦う甲斐もある。
「そうか。ならば……少し、私が有利だな」
「何……?」
「再び出ろ、フェーニクス! そして……シュヴァルツ・ヒストリエ!」
出し惜しみはない。出来る相手でもない。
変に勿体ぶって切り札を伏せていたら、伏せたままやられる。
メルセデスの背後に炎の鳥と、腕組みをした巨人が顕現した。
これで守護者は全て吐き出した。
手札フルオープンの、オールレイズ。
まだ切り札が相手にあるなら、別にそれでいい。諸共に踏み潰すだけだ。
勿体ぶって伏せていたければそうすればいい。その時は出す間も与えずに終わらせる。
守護者三体同時召喚――その光景を前に、ベルンハルトは愉快そうに顔を歪めた。
――そして、遠くからでも見える、巨大な何かヤバイ奴らの戦いに、町の人々は大混乱に陥っていた。
グリューネヴァルト邸→近くの林
・冒頭のゴブリンのシーンで「遠くに見える町」と書いてますが、逆に言えば普通に目視出来る程度の距離。つまりメルセデスとベルンハルトは、町の凄い近くで戦ってます。
尚、当の二人は心情的には持ってるレアカードを自慢し合っているような感じです。平和!




