第百話 両成敗
人質の存在を一切気にかける事なく、メルセデスが動いた。
まるでバジルの言葉など聞こえていないかのように魔物達の間を突っ切り、バジルの前へ出る。
そしてハルバードを薙ぐも、咄嗟にバジルが展開した炎の壁に踏み込みを削がれて僅かに斬るだけに留まってしまった。
しかし熱した鉄がバジルの脇腹を掠め、彼の口から悲鳴が上がる。
メルセデスは炎の壁を迂回するように走り、再びバジルとの距離を詰めにかかる。
「お、おい!? 私の言葉が聞こえていないのか!?
こっちには人質が……」
「そうか」
人質や武力を盾にした交渉を相手にやってはいけない事は、一方的に相手側の要求を呑む事だとメルセデスは考えている。
取引というのは互いに得をすれば損もするし、妥協点も見付けなければならない。
だが一方的に相手が得をして一方的にこちらが妥協するようなものは取引ではない。
こちらが引けば引くだけ相手は増長するだろうし、人質は有効なのだと学習する。
だから人質は無意味だと悟らせよう。
当たり前の話だが人質は役に立つから使うのだ。
何の役にも立たないならばただの邪魔にしかならない。
例えば飢えた野生の熊に襲われたとして、その熊の前で小熊に刃物を押し当てて『俺を見逃してくれないとこいつを殺すぞ』などと脅す馬鹿がいるだろうか。
いないだろう。何故なら全く意味がないからだ。
むしろ完全に逆効果で、熊を激昂させるだけに終わる。
それと同じ事だ。
まずは人質に価値などないと思わせる。
その為にメルセデスは表情一つ変えずにハルバードを薙ぎ、咄嗟に避けたバジルの人差し指と中指を斬り飛ばした。
「ひいいっ! く、くそ! 見せしめだ、殺せ!」
バジルが半泣きになりながら、ヤケクソ交じりに叫んだ。
それに反応して魔物達が人質を殺そうとし、メルセデスがそれよりも速く魔物を潰すべく魔法を発動しようとする。
「止めよ! そんな酷い事をしてはならぬ!」
しかしマックスの叫びが、魔物達の動きを止めてしまった。
恐らくは『バジルの命令に従え』という命令を予め魔物達に与えていたのだろうが、それでも優先度はマックスの方が上だ。
故にマックスが停止命令を出してしまえば、バジルにそれを覆す事は出来ない。
「マックス様……何を……!?」
「バジルよ……私達は、民の為に戦っていたのではないのか?
何故このような酷い事をする……これでは、私達の方が悪者ではないか!」
マックスも、幼いながらに何かおかしいと気付き始めているのだろう。
それでも同時に、バジルをまだ信じたい気持ちを捨てきれていない。
メルセデスは空気を読まずに二人を仕留める絶好の好機と思ったが、その腕をハンナが掴んだ。
彼女は視線を人質の方に向け、無言でそちらの解放が優先だと促す。
魔物が出ている状態でマスターを殺した場合どうなるかは、未知数だ。
マスター不在の魔物となって沈黙するのか、それとも制御を失って暴れるのか。
もし後者だった場合、人質は死ぬ。ハンナはそれを心配したのだ。
避ける方法としてはメルセデスが自分のダンジョンに魔物を取り込んでしまう事だが……こんな大勢の前でそれをやる気はない。
「で、ですから……これは大義の為です! 大いなる目的の為に多少の犠牲は止むを得ないのです! 今はまず、何としても我等がこの危機を脱しなくては!」
「ならぬ! 私達の勝手な理由の為に多少の犠牲などあってはならん!
バジルよ、お主は間違っているぞ!」
ここに来て仲違いとは……所詮は利用している者と利用されている者という事か。
しかし好都合と言えば好都合。
メルセデスとハンナは人質を取っている魔物の背後に回り込み、素早く仕留める。
「い、いいから早く! 人質が解放され始めている!」
「バジルよ……どうしてしまったのだ? 私の知るお主はもっと優しくて、こんな酷い事をするような男では……」
「……~~っっ!」
バジルは歯ぎしりをし、それからメルセデス達を見た。
状況を理解せず、思い通りに動いてくれないマックスに見切りをつけたのだろう。
彼は裏返った声で、とんでもない事を言い始めた。
「お、おのれマックス! 私を騙したな!
王都を襲撃したのも人質作戦も全てお前が考えた事だろうに、知らぬ顔をする事で私を悪党に仕立てて自分だけ善人面して助かるつもりか!」
「な……何を言っているのだ、バジル……?」
どうやらバジルは作戦を切り替え、マックスに罪を擦りつける事にしたようだ。
こんな大根演技に騙されるメルセデスとハンナではないが……しかし、皮肉にもメルセデスが行ったマックスへのヘイト集中活動によって、周囲は割と信じてしまっていた。
それでなくても、『オルクス』の名を騙ったマックスへの心証は最悪の一言に尽きる。
無知な子供だからで済まされる問題ではないし、そもそも吸血鬼の外見など当てにはならない。
無知な子供を装った大人という可能性も十分にあるのだ。
……まあ、マックスは実際、ただの子供なわけだが、
「と、取引をしましょう。反逆者マックス・ファイトをそちらに引き渡します。
私は今まで彼に騙されていたのです……全て彼の指示でやった事です。
どうか、どうかお許しを……」
人というのは追いつめられると、存外冷静な思考が出来なくなるものだ。
溺れかけたならば、沈むと分かっている藁にも縋る。
普段のバジルならばこんな阿呆な事は言わないだろうが、しかし逆境に慣れていないのだろう。
策士の仮面が剥がれた今の彼は、最早ただの小物でしかない。
これと比べればベアトリクスがいかに厄介で手強い相手だったかがよく分かる。
……いや、バジルと比較すればあのフレデリックですら大物になるだろう。
メルセデスはハルバードを担ぎ、バジルの前へ出た。
「そのような虚言に踊らされるほどの阿呆と思われているのも心外だが……仮にお前の言う通り、お前は本当は騙されているだけでマックスが全ての黒幕だったとしよう」
「い、いえ、仮にではなく、これこそが……」
「逆に、やはりお前が全て悪くてマックスが利用されていただけの子供としよう」
バジルが利用したのか、マックスが利用したのか。
そんなのは些細な問題だ。
極論から言えば、どちらでもいい。どちらだろうが結果は変わらない。
重要なのはどちらも敵だという、ただその一点のみ。
故にここで出す答えなど、一つしかない。
「どちらだろうが構わん。両方死ね」
ハルバードの刃が閃く。
それと同時にバジルが力なく地面に崩れ、遅れて首から血が溢れた。
他者の死を見るのは初めてなのかマックスが「ひゅっ」と息を呑み、座り込む。
どうやら腰が抜けたらしい。
そんな彼の前にメルセデスは散歩でもするかのように進み、ハルバードを振り上げた。
しかしメルセデスはすぐに刃を振り下ろさず、何かを待つように周囲を一瞥した。
それから、ようやく刃をゆっくり降ろし――その刃を、割り込んで来たジークリンデの王剣が受け止めた。
「そこまでだ、メルセデス……この少年の処遇は、私達が決める。無用な殺生はやめろ」
「…………」
やっと来たか。
そう思いながらメルセデスは武器を下げ、そしておもむろに膝をついて臣下の礼を取った。
「殿下がそう仰るならば」
「え? あ……うむ! 大義であった! 後は私に任せてくれ」
普段とは違うメルセデスの態度に、しかし周囲の目がある事を思い出してジークリンデも王女として答えた。
こうする事で、最終的にはジークリンデが締めた、という印象が人々の間に広がるだろう。
メルセデスが大人しく従う事でジークリンデの影響力を見せつけ、これでメルセデスの功績もジークリンデの指揮の賜物となる。
ジークリンデも恐らく、功績をいいように押し付けられた事には気付いているだろうが、ここでそれを指摘するわけにはいかない。
きっと後で、文句を沢山言われるだろうが、まあそれは仕方ないだろう。
ジークリンデが人質を救出し、マックスを拘束するのを見ながらメルセデスは人の輪から抜けた。




