AIに頼るという選択
第36話
「AIに頼るという選択」
炎上は、すぐには収まらなかった。
切り取られた十五秒は、いくつもの場所で再生され続けた。
説明の言葉は、その何倍も長いのに、届く速さは追いつかない。
珠江は、スマホを伏せた。
「……怖いな」
言葉を選べば選ぶほど、どこかが削られる。
削られた言葉は、別の意味で広がる。
ネタ帳を開いても、ペンは止まったまま。
“この言い方は強いかもしれない”
“この例えは誤解されるかもしれない”
“この間は長すぎるかもしれない”
考えれば考えるほど、声が細くなる。
その日、劇場の打ち合わせ室。
担当スタッフが、少し言いづらそうに切り出した。
「珠江さん……一つ、提案があります」
珠江は顔を上げる。
「なんでしょう」
「こういう時こそ、AIを使ってみませんか」
一瞬、時間が止まる。
「……AI」
「はい。炎上リスクを抑えたネタを作れます。NGワードやセンシティブ表現を自動で避けて、構造的にも安定します。今の状況なら、その方が安全かと」
“安全”。
その言葉が、珠江の胸に刺さる。
「安全な笑い……」
スタッフは続ける。
「もちろん最終的には珠江さんの言葉で調整してもらいます。ただ、土台をAIで作れば、リスクはかなり減ります」
珠江は、ゆっくり頷いた。
否定できなかった。
今の自分の言葉は、どこか危うい。
意図しない切り取りに、また晒されるかもしれない。
“傷つかないための選択”。
それが、目の前に置かれている。
その夜、珠江は家のリビングでノートPCを開いた。
画面に、AIの入力欄。
《避難所でも安心して聞ける、リスクの少ないコメディネタを作成》
と打ち込む。
少しの間。
そして、文章が表示される。
構成は整っている。
言葉はやわらかい。
誰も傷つけない。
安全圏の比喩。
当たり障りのないオチ。
珠江は、声に出して読んでみた。
「……うまいな」
本当に、うまい。
間の取り方も、無駄がない。
笑いどころも、配置されている。
“ちゃんと面白い”。
でも――
どこか、引っかかる。
珠江はもう一度、読み返す。
「……誰の言葉や、これ」
自分の言葉ではない。
でも、間違ってもいない。
正しい。
でも、薄い。
珠江は、ふとネタ帳を開いた。
そこには、乱れた字で書かれている。
《せきちゃん閣下、自称四番打者》
《普通列車は生活を運ぶ》
《白浜越えたら人生の湿度が変わる》
自分が拾って、迷って、書いた言葉たち。
不揃いで、不安定で、時々滑る。
でも――
「……これ、私のやな」
珠江は、小さく呟いた。
その時、一郎が後ろからのぞき込んだ。
「AI使ってるん?」
「うん……試しに」
「どう?」
珠江は少し考えて答える。
「うまい。でも……私じゃない」
一郎は頷く。
「それが答えちゃう?」
珠江は、もう一度AIの文章を見た。
“安全な笑い”。
確かに、誰も傷つかない。
でも――
(これで、あの子は笑うやろか)
避難所で、インコに笑った女の子。
「また聞きたい」と言ったあの声。
このネタで、その子に届くか。
珠江は、キーボードに手を置いた。
少しだけ、AIの文章を編集する。
一文を削る。
一文を言い換える。
さらに削る。
最後に、こう付け足した。
「せきちゃん閣下が、“自分がホームラン打った”って言うてますけど、あんた粟穂かじってただけや」
一郎が吹き出した。
「それや」
珠江は、画面を見つめた。
AIが作った土台に、自分の言葉を少しだけ混ぜた。
それだけで、温度が変わる。
完全にAIでもない。
完全に自分でもない。
“間にあるもの”。
珠江は、その可能性を感じた。
でも同時に、怖さもあった。
(これ、どこまでが私なんやろ)
配信の時間。
珠江は、正直に話した。
「今日は少しだけ、AIの力を借りてネタを作りました」
コメント欄がざわつく。
《正直でいい》
《どうなるんやろ》
《気になる》
珠江は続ける。
「怖かったんです。言葉を出すのが。また切り取られて、誰かを傷つけるんじゃないかって」
一拍。
「でも、全部AIに任せると、私の声が消える気もしました」
珠江は、ネタを始めた。
前半は、整っている。
安定した笑い。
安心できる流れ。
コメント欄に「笑」の文字が流れる。
そして後半。
珠江は、自分の言葉を差し込んだ。
インコの話。
普通列車のぼやき。
くろしお先輩の湿度。
笑いが、少しだけ変わる。
派手ではない。
でも、温度がある。
配信を終えたあと、コメントを読む。
《今日のネタ、安心して笑えた》
《後半の感じ、珠江さんっぽくて好き》
《AIと人間の間って感じ》
《優しい笑いだった》
《でもやっぱり珠江さんの言葉がいい》
珠江は、ネタ帳を開いた。
《AI=安全な土台》
《でも、温度は自分で入れる》
《全部任せると、自分が消える》
《でも、完全否定もしない》
《道具として使うか、依存するか》
最後に、こう書いた。
《傷つかない笑いは優しい。でも、温もりは人の手でしか出せない》
珠江はペンを置いた。
AIに頼るかどうか。
その答えは、まだ途中にある。
次回予告
第37話「人間の不完全さ」
AIの力を借りながらも、自分の言葉を残そうとする珠江。
しかし舞台で、再び予想外のミスが起きる。
完璧を目指すほど、遠ざかるもの。
そして、不完全だからこそ届くもの。
次回、第37話
「人間の不完全さ」
崩れた瞬間にしか、生まれない笑いがある。




