完璧なネタの正体後編
第14話・後編
「完璧なネタの正体」
終演後の楽屋。
北川レンは、タブレットを閉じたまま、しばらく動かなかった。
珠江は帰り支度をしていたが、その様子が気になって声をかける。
「レンくん、大丈夫?」
レンは苦笑した。
「大丈夫です。ただ……珠江さんのこと、ちょっと羨ましいなって思ってました」
「私を?」
珠江は目を丸くした。
「いやいや、こっちは出演枠減らされかけてる芸人やで」
レンは首を振った。
「でも、珠江さんは自分の足で歩いてるじゃないですか」
珠江は黙る。
レンは、ゆっくり言葉を選んだ。
「最終電車で酔っ払いのおっちゃんを見て、路地裏で猫の喧嘩を見て、寝過ごして関空まで行って、それを家族に笑われて……そういう小さな変化とか違和感を、自分で見つけてる」
「まあ、関空は見つけたというより、たどり着いてもうたんやけどな」
珠江が茶化すと、レンは少し笑った。
でも、すぐ真面目な顔に戻った。
「それを、自分でネタにして、自分で言葉に置き換えて、自分の言葉で舞台に立つ。俺、それすごいと思います」
珠江は照れたように目をそらした。
「そんな大層なもんやないよ」
「大層ですよ」
レンはタブレットを見る。
「俺は、まずAIに投げるんです。素材も、構成も、言い回しも、候補を出してもらう。その中から選んで、整えて、練習する」
「それも技術やん」
「はい。でも、俺が珠江さんと同じことをやれって言われたら……たぶん、ついていけないです」
楽屋の空気が静かになる。
レンは続けた。
「街を歩いても、何がネタになるのか分からない。違和感を見つけても、それを笑いにするまで粘れない。滑るのも怖い。だから、AIに形を作ってもらう」
珠江は、初めてレンの本音を聞いた気がした。
AIネタで売れている芸人。
完璧に見える芸人。
でもその奥には、“自分だけでは作れないかもしれない”という怖さがあった。
レンは小さく笑った。
「珠江さんのネタ、荒いところもあります。でも、ちゃんと珠江さんが歩いてきた道の匂いがするんです」
珠江は、少し困ったように言った。
「匂いって、博多でも言われたな」
「いい意味ですよ」
「分かってる。たぶん」
レンは、タブレットをカバンにしまった。
「俺、AIを使うのはやめられないと思います。今の自分には必要だから。でも、AIに全部渡したら、自分が空っぽになる気がしてきた」
珠江は静かに頷いた。
「空っぽにならんために、自分で一個だけでも拾えばええんちゃう?」
「一個だけ?」
「うん。全部自分で作らなあかん、って思ったらしんどいやん。まず一個。今日見た変なことでも、悔しかったことでも、家帰って言われた一言でも」
レンは少し考えた。
「一個だけなら……できるかもしれないです」
珠江は笑った。
「それをAIに食わせてもええんちゃう?でも、最初の一個はレンくんが拾う。それなら、ネタの芯はレンくんのものやろ」
レンの表情が、少し明るくなった。
「珠江さん、やっぱりすごいですね」
「やめて。照れるし、次の舞台で滑るフラグ立つ」
二人は笑った。
その笑いは、大きくはなかった。
でも、同じ悩みの中で生まれた笑いだった。
帰り際、レンが言った。
「俺も、今日は一駅歩いて帰ってみます」
「ええやん。何か拾えるかもな」
「何も拾えなかったら?」
珠江は肩をすくめた。
「それもネタや。“一駅歩いたのに、足の疲れしか拾えなかった男”」
レンは吹き出した。
「それ、もう珠江さんのネタじゃないですか」
「ほな、レンくんの言葉に置き換えな」
レンは深く頷いた。
その夜。
珠江は南海電車の窓を見ながら、ネタ帳に書いた。
《AIを使う人にも、怖さがある》
《完璧に見える人も、自分の声を探している》
《全部じゃなくていい。最初の一個だけ自分で拾う》
《ネタの芯は、拾った人のもの》
《レンくんは、今日一駅歩くらしい》
珠江はペンを止めて、少し笑った。
完璧なネタの正体。
それは、才能の差でも、道具の差でもない。
自分の声を失う怖さを、どこまで見つめられるか。
その問いだった。




