声を拾う女
第1話「声を拾う女」
笠木珠江、二十五歳。
大阪市浪速区在住。
ピン芸人として、そこそこ名前は売れている。
テレビにも何度か出た。
劇場では、以前なら登場しただけで客席が少しざわついた。
「あ、珠江や」
その声が、彼女には何より嬉しかった。
けれど最近、そのざわめきは小さくなっていた。
原因は、AIネタ。
構成が完璧で、流行語も押さえていて、オチまで無駄がない。
配信ではAI作成のネタを使う芸人たちが次々にバズり、客席もそれを“新しい笑い”として受け入れ始めていた。
珠江は、ネタ帳を閉じた。
「……うまいなぁ」
スマホの画面には、AIネタで大爆笑を取る若手芸人の動画。
再生数は、三百万回を超えていた。
珠江は笑わなかった。
面白いのは分かる。
悔しいくらい分かる。
でも、胸の奥が少しだけ冷えた。
「これ、誰が言うても成立するやん」
そうつぶやいて、スマホを伏せた。
笠木家の台所から、母・美沙子の声が飛んでくる。
「珠江、ごはん冷めるで」
「はいはい、今行く」
リビングでは父・勝一がテレビを見ながら、渋い顔でニュースに文句を言っていた。
「最近の芸人は、機械にネタ作ってもろてんのか。ほな、もう芸人やのうて発表係やな」
珠江は思わず吹き出した。
「お父ちゃん、それちょっと使えるわ」
「使うんかい」
母の美沙子が茶碗を置きながら笑う。
「珠江、また家族の会話をネタにする気やろ」
「ネタは自分で拾って、お客様に披露するから面白いねん」
それが、珠江のモットーだった。
そこへ、弟の一郎がスーツ姿で帰ってくる。
二十二歳。大学を卒業し、大阪市内の大手商社に就職したばかりの新人。
顔には疲れがにじんでいた。
「ただいま……」
「おかえり。ペイペイ商社マン」
珠江がからかうと、一郎は力なく返す。
「ペイペイ言うな。今日も電話一本で魂抜けたわ」
「魂抜けた商社マン、ええやん。新ネタのタイトルにしよ」
「姉ちゃん、俺の苦労を秒で素材にすな」
家族は笑った。
その笑いは、劇場の爆笑とは違う。
大きくも派手でもない。
けれど珠江には、確かに温度があった。
食卓の何気ない会話。
父の妙な例え。
母の鋭いツッコミ。
弟の新人らしい情けなさ。
珠江は心の中で、そっと拾っていく。
その夜、劇場。
客席は満席ではなかった。
以前なら、珠江の出番で空気が一段上がった。
でも今夜は違う。
客の何人かは、開演前からスマホでAI芸人の動画を見て笑っていた。
珠江は舞台袖で、それを見ていた。
悔しい。
怖い。
でも、逃げたくない。
出囃子が鳴る。
笠木珠江は、マイクの前に立った。
「どうも、笠木珠江です。今日も浪速区から、徒歩と根性で来ました」
少し笑いが起きる。
でも、以前のような爆発ではない。
珠江は一瞬だけ息を吸った。
そして、家の食卓で拾った言葉を思い出す。
「うちの父が言うてましてね。AIにネタ作ってもろた芸人は、もう芸人やのうて発表係やと」
客席から、少し大きめの笑いが起きた。
珠江の目が光る。
ここや。
ここに、人の声がある。




