第7.5話 「Your Mammy is a」
それはマリンが十歳になったばかりの頃であった。
園長に呼ばれたマリンは、この肉体の母親についての話をされた。こういった話は本来であれば、もっと歳を重ねてからするものだそうだが、「優太は他の子よりも大人びている。いや、それ以上に達観し過ぎているから」と園長は意を決したとのこと。
母親の名は鬼樹 豊与子。現在三十一歳。
どうやら、刑期を終えた後は何処かの病院に今も入院しているらしい。
豊与子の情報は警察から逐一園長の元に共有されていたようであった。
「ふぅむ……」
本音を言えばマリンはこの肉体の前の持ち主の母親などはどうでもよかった。
例え血は繋がっていても、心は一切繋がっていないからだ。
一方で、生まれて間もなく失われてしまった小さな命の代わりに文句の一つでも言ってやろうという気持ちも無くはない。
それに、産まれたばかりの赤ん坊を捨てることの出来る母親とはどんな顔をしているのかということに興味が無いと言えば嘘になる。
「……優太は自分を産んだ母親に会いたいかい?」
園長が尋ねてくる。
あまり見せない複雑な表情であった。
「その口振りだと、僕が『会いたい』と望めば会わせてくれそうだけれども、あまり会わせたくはなさそうだね?」
「……優太には隠し事は出来ないね。私としては、赤ん坊の優太を捨てたような人間は、例え本当の親だとしても会わせたくは無い。でも、何よりも優太の気持ちが一番だからねえ」
園長はそう言うとマリンの頭を撫でた。
彼女は言葉通り、いつもマリンのことを第一に考えてくれる人であった。
無論、マリン以外の子供たちに対しても変わらぬ愛情を注いでおり、その優しさこそが彼女が彼女たる所以なのだろう。
そんな園長をマリンは一人の人間としても尊敬していた。
「園長。貴女の配慮、感謝以外の言葉が見つからない」
「ふふ、優太のその言葉遣いは何処で憶えたんだろうねえ?優太と話してると、まるで歳上の人と話してるみたいだよ」
実際、中身は数百年生きているのだから園長のその感覚は正しい。
「それで、優太はどうしたいんだい?」
「僕は……」
──数日後。
「……遊月様。遊月様」
そう呼ばれ、マリンと園長は立ち上がる。
ここは、マリンの肉体を産んだ母親の入院する病院。
受け付けを終えた二人は面会室へと通される。
なお、今回はガーティには留守番をして貰っていた。
「…………」
そこには虚ろな目をした痩せ細った女性が座っていた。
定まらぬような視点。幽鬼の如く生気のない顔つき。ブツブツと何かを呟いているのか、口元が常に僅かに動いている。
彼女が鬼樹 豊与子なのだろう。
(壊れ人か。僕がいた世界でもこういった人間はいた)
マリンは横目でチラッと園長を見る。
彼女は無表情でただじっと目の前を見つめていた。怒り、哀れみ、困惑など様々な感情が渦巻いているだろうにそれらの感情を表に出さぬように努めている。
当事者であるマリンを差し置いて出しゃばることはしないと固く誓っているようであった。
(園長……。やはり貴女は尊敬に値する人物だ)
「……園長先生」
マリンが徐に口を開く。
「……なんだい?」
「可能であればですけれども、彼女と……母と二人にさせて貰うことは?」
「……………………」
園長は無言ではあったが、その表情が少し変わった。
二人きりにさせた時に何が起こるかも分からないのだから当然だろう。
「それは許可出来ません」
同席している職員らしき人物が冷たく言った。
二人きりになった途端、豊与子が何をするか分からない以上、これもまた病院側としては当然の判断と言える。
(ふぅむ。皆の見ている前だとあまり目立った魔術を使うことは出来ないかな)
仮に二人きりになれたとしても、何かあればすぐに駆け付けられるように待機している人たちはいるし、監視カメラでも見張られてはいるだろうが。
「……申し訳ない。二人きりというのは諦めよう」
そう言うと、マリンは早口で何かを呟く。
すると、突然園長と同席していた職員の動きが止まった。
尤も、完全に静止したわけではなく、傍目から見るとぼーっとしているように見えるという感じであったが。
(意識を混濁させる魔術。軽い奴なので人体や精神への影響は全くない。術が解けた時には本人たちの意識の中では急に眠くなって数秒ウトウトしていたくらいだろうけど、実際にはもっと時間が経っているって代物さ)
こうすることで、豊与子と実質二人きりという状況をマリンは作り出す。
「……さて、話をしようか」
「……………………」
マリンが声を掛けても豊与子はあまり反応を示さなかった。
《なるほど。それならば、これはどうかな?》
「!?」
脳内に直接響くマリンの声。それには、豊与子も流石に大きな反応を示す。
「誰!?誰なの!?」
《おっと》
マリンは再び何かを詠唱する。
すると、今にも暴れ出しそうに首を振っていた豊与子がピクリとも動かなくなった。
「何!?何なのよ!?」
《拘束する魔術さ。君に暴れられると、せっかく会いに来たのにこの貴重な時間が終ってしまうからね》
この魔術もまた非常に軽いものであったが、魔術師でもない豊与子が自力で破ることは不可能であろう。
《君はどうやら壊れているようだ。赤ん坊だった僕を……僕のこの体の持ち主だった小さき命を奪った罪悪感等で壊れてしまったのか、それとも辛苦からの逃避のために自分で壊したのかは僕には分からないが、その辺の事情はどうだっていい。君に何があって産まれたばかりの小さき命を捨てざるを得なかったかの真相もさして興味はない。僕がここに来た理由はね。君に謝罪して欲しかったんだよ。僕にではなく、君が奪った小さく尊き命へとね》
「あ、あなたは誰!?誰なの!?」
《僕かい?僕はこの体を使わせて貰っている、しがない魔術師さ》
「ま、魔術師……」
《君に謝罪するつもりが無いのであれば、別にそれでもいいよ。ただ、僕は君という存在を決して認めないし、軽蔑し続ける。永久にね。そして、二度と会うこともない。それだけだ》
「……………………」
《君の答えを聞かせて貰おうか》
そうは言いつつも、マリンは実のところ心の壊れた相手からまともな返答が来るとは思っていなかった。
だが、言いたいことだけは本人の目の前で言っておきたかったのだ。
「…………い」
《ん?》
「……ごめんなさい」
それは意外にも素直な謝罪であった。渋々、仕方なしに、といった感じは見られない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
豊与子はそう言いながらボロボロと大粒の涙を零し始めた。
「ごめんなさい……!ごめんなさい……私の赤ちゃん!!」
机に突っ伏し、その後は言葉にならない叫びを上げながら豊与子は泣く。
どれ程そうしていたかは分からない。
ただ、マリンはその姿をじっと見つめていた。
その後、マリンは園長と同席した職員の意識を混濁させる魔術を解除する。
二人は、ただ泣きじゃくる豊与子の姿に驚きを隠せないようであった。
その後も豊与子は泣き止まず、面会はそこで終了となり、マリンと園長は帰路へと着く。
「あんなことになるなんてねえ……」
園長はそう申し訳なさそうに言った。彼女からしたら、来て早々に面会が終了となったように見えたのだろう。
「……いや、聞きたい言葉は聞けたよ」
「?」
マリンのその言葉に流石の園長も不思議そうな顔を隠せない。
園長の困惑を余所に、マリンはそのままゆっくりと目を閉じた。
(……彼女にも僅かながらに良心と親心というものはあったか)
それはマリンも予想だにしていないことであった。捨てた理由は敢えて聞かなかったが、もしかすると本当にやむを得ない事情があったのかも知れない。
(……だからといって彼女のしたことは許されることではない)
だが、彼女は既にこの世界の法律に則り罰せられている。
故にマリンは彼女の罪に対しては、それ以上の感情を抱かないようにした。
(……無もなき小さな命の君。君はもしかしたらこんなことは全く望んでいなかったかも知れない。これは僕が勝手にやったことだ。批難されても甘んじて受けるしかないだろう)
それでも、豊与子から……産みの親からの謝意は引き出すことが出来た。
(君の命は決して誰にも望まれていないようなものではなかった。それだけは証明出来たと思う。だから、安心してくれ。君がこの世に生まれてきた意味は確かにあったのだから)
マリンは夕焼けに染まり始めた空を見上げた。
あの空の向こうで、あの小さな命が安らかであるように願いながら。




