破滅を回避した異端
大講堂に降り立った女神フェリシアの声は、冷ややかに澄み切っていた。
一言ごとに刃のような重みを持ち、空気そのものを切り裂く。
「――悪役令嬢は必ず破滅しなければならない」
その宣告は冷酷でありながら、絶対の理を告げる響き。
虹色の瞳が一人ひとりを射抜き、誰も抗うことを許さぬ迫力で続ける。
「それこそが、この世界が“物語”であり続けるための均衡。
ヒロインが輝き、王子の愛が真実かどうか試されるのは――常に“悪役令嬢の犠牲”あってこそ」
瞬間、大講堂の壁が低く軋み、シャンデリアが鈍く揺れた。
まるで建物そのものが、女神の言葉に共鳴し、畏怖を示しているかのように。
沈黙。
息をのむ音すら憚られる緊張の中、その冷徹な理が、場に突きつけられていた。
女神の声が静まった瞬間――大講堂の空気が一気にざわめきに変わった。
「や、やはり……エレオノーラ様が……」
「彼女ひとりのせいで、世界が揺らいでいる……?」
「悪役令嬢の役割を拒むなど、そんな――」
囁きは連鎖し、恐怖と疑惑が雪崩のように広がっていく。
その視線のすべてが、一人の令嬢――エレオノーラ・フォン・アーデルハイトへと突き刺さった。
彼女はただ、扇子を胸元で静かに閉じているだけ。
その優雅な立ち姿は変わらぬはずなのに、今や「均衡を壊す異物」としての烙印を押されていた。
――空気が、変わる。
畏怖と好奇心と疑念が入り混じり、場全体がエレオノーラという存在を中心に回り始めていた。
張り詰めた空気の中、ただ一人、レオナ・ブランシュは心の中で大混乱していた。
(え、ええええっ!? これってつまり……わ、私の“ヒロインポジション”が――消滅の危機!?)
(そ、そんなシナリオ、聞いてませんわ~~っ! わたくし、ただキラキラ学園生活を送って、王子様と恋に落ちるだけの役目だったはずなのに!?)
半泣きのまま、レオナはこっそりオスカー王子をチラチラと見やる。
「お助けくださいまし……!」と言いたげな視線を送るが、王子は毅然と前を見据え、女神とエレオノーラの対峙を直視している。
当然、誰もヒロインのSOSには気づかない。
「も、もうこうなったら、わたくし一人で“ヒロイン自己主張タイム”でもやるしか……?」と、場違いな決意を固めそうになり、
(いやいやいや! 今そんな空気じゃありませんわ~~っ!!)と自分でツッコミを入れる羽目に。
そのあまりに必死すぎる半泣きオーラは、重苦しい大講堂の空気に妙な「クスッ」とした隙を生み出していた。
次の瞬間、大講堂の一角でドレスの裾が一斉に揺れた。
悪役令嬢協会――秘密裏に結成された、己の“役割”を誇りとする令嬢たちが、そろって膝をついたのだ。
「女神様のお言葉こそ、まさしく正義!」
「わたくしたちの“断罪”は、舞台に不可欠な儀式……!」
「やはり“破滅回避”など傲慢の極みでしたのね!」
彼女たちの声音には恐怖よりも安堵が滲んでいた。
まるで「ようやく正解が提示された」とでも言わんばかりに、頬を紅潮させ、瞳を輝かせている。
その姿は皮肉だった。
“破滅を運命づけられた存在”でありながら、それを否定されることを恐れ、むしろ女神に裁かれることを喜んでいるのだから。
「これで秩序が守られる……」
「世界は再び、正しい舞台へと戻りますわ……!」
彼女たちの囁きは、薄暗い大講堂に奇妙な熱を孕んで広がっていった。
大講堂に満ちる空気は、もはや疑いようがなかった。
すべての視線が一点――エレオノーラ・フォン・アーデルハイトへと突き刺さる。
「やはり彼女が……」
「破滅を回避した異端……!」
「物語を狂わせた張本人……!」
ささやきは次第に非難の合唱へと変わり、協会の令嬢たちの眼差しは敵意を隠そうともしない。
その場にいた誰もが“元凶”を知っている、とでも言うかのように。
圧力は重苦しい鎖となってエレオノーラの肩へとのしかかる――はずだった。
しかし彼女は微動だにしない。
扇子をそっと閉じ、その手元を品よく下げると、ゆるやかな微笑を浮かべた。
「――あら、ずいぶんと視線をいただきますのね」
まるで舞台に立つ女優が観客の期待を楽しむように。
恐怖も狼狽もそこにはなく、ただ“余裕”と“優雅さ”だけがあった。




